2000〜2001

「教育改革国民会議」に対する憂慮

 われわれ文筆に携わるものは、国の教育のあり方について関心をもたざるを得ない。
 政治家及び高級官僚の汚職、かつて聖職といわれた教師、警官、医師の不祥事、何らの道徳的反省なき少年による殺人などのおぞましい事件が相次いで起こるにつれ、誰しもその原因の一端は教育にあり、教育の改革が必要であるという思いをもとう。かくてわれわれもまた、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」に多大の期待を寄せたのである。ところがさる9月22日に発表された中間報告を見て、われわれの期待は裏切られたばかりか、このような「教育改革国民会議」によって方針が決められる日本の教育の前途について、深い憂慮を抱かざるを得なくなった。

 教育を改革するには、明治以後の、特に戦後の教育がどのような長所と短所を有し、いかにしてその長所を伸ばし、短所を改めるか、そして二十一世紀の世界がどのような課題をはらみ、そこで日本という国家がいかなる役目を果たすべきかを活発に討議し、そのうえで首尾一貫した哲学にもとづいて国家百年の教育の計を立てねばならないであろう。
 しかるに中間報告はそのような討議が行われた痕跡すらとどめず、たまたま思いつきとして出された提案を羅列したにすぎないという感を与えられるにとどまった。 わが日本ペンクラブはまったく自由な意思によって参加した文筆に携わる人によって成り立っているので、この17の提案に対する意見もさまざまでもあるが、二つの点においてわれわれの意見はほぼ一致したのである。
 一つは、中間報告の結論の部分で示される教育基本法の改定に関する意見である。教育基本法は、「日本国憲法を確認し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする」理想によって作られたものである。しかるに中間報告は軽率にも、当時とは著しく異なる現在の社会状況の中では教育基本法は改定さるべきであると断定している。しかしこのような理想は決して50年や60年で古くなるというものではない。教育基本法には伝統を尊重するということが盛り込まれていないという意見もあるが、教育基本法の精神は、日本の伝統のゆかしさを教えることと矛盾するものではない。
 それゆえ教育基本法の改定は、少なくとも結果的には、教育基本法と密接不可分な関係にある日本国憲法の改定という政治戦略の先棒を担ぐ危険をはらんでいる。憲法改定の是非はともかく、このような必ずしも民意によって選ばれているとはいえない「教育改革国民会議」のメンバーによって日本国憲法の外堀が埋められることは、民主主義の否定以外の何ものでもなかろう。  
 もう一点、われわれが深い憂慮を感じるのは、小中学校で2週間、高等学校で1ヶ月間の奉仕活動を行い、やがて満18歳の国民すべてに1年程度の奉仕活動を義務づけるという提案である。
 現在の日本の教育は知の教育に偏し、何らかの意味で身体を使う教育が必要であることについてはわれわれの多くが賛同するところであるが、奉仕活動の義務化、特に18歳の国民すべてに1年間の奉仕活動を義務づけることについては強い危惧を感じる。もともと奉仕活動はボランティア、すなわち自発的意思にもとづいて行われるべきことであり、法により義務づけられるべきものではない。そして18歳の国民の1年間の奉仕活動の義務化は、教育基本法の改定と並んで、将来の徴兵制への地ならしを行うものであるという疑惑を否定することはできない。
 なお文筆に携わる者として、われわれはこの中間報告の文章の拙劣さを指摘せざるを得ない。皮肉にもその文章は、改定を要求されている教育基本法の簡潔にして論理的、しかも理想にあふれる文章に比して、それが各委員から出された提案をとりまとめたものであるとはいえ、あまりにも知性と品格を欠いている。それゆえ最終報告は、座長自らが筆をとり、現代日本における各界を代表する識者による会議の結論にふさわしいものたらしめることを望みたい。

2000年12月15日
社団法人 日本ペンクラブ
会長 梅原 猛