声明文

「声明」

 日本ペンクラブは、言論表現の自由を守るために、さまざまな声明文を発表しています。「チャタレイ夫人の恋人」「愛のコリーダ」「四畳半襖の下張」などの裁判と判決への抗議、教科書検定、安保条約や刑法改正などに対する批判、国家機密法に対する反対や破防法適用に関する抗議、朝日新聞社襲撃事件や本島長崎市長襲撃事件への抗議、諌早湾干拓潮受け堤防に関する声明、書籍等の再販廃止に関する声明などがあります。
 また、対外的には、ベトナム和平を訴える声明文やあらゆる武力闘争に対する声明文を発表。各国の獄中作家の釈放要求をはじめ、獄中作家を日本ペンクラブの客員会員に選出する旨を伝える声明文をその国の大統領や首相などの国家元首宛に送付し、獄中作家の窮状と釈放を訴え続けています。

会長談話 「グーグル・ブック改訂和解案承認拒絶決定について」

ニューヨーク地裁によるグーグル・ブック改訂和解案承認拒絶決定について

「今回の決定を大筋において歓迎する。とりわけ、日本ペンクラブの提出したアミカス(意見書)を直接引用するなどして、結論として「ネット上のオプト・アウト方式」を中核とする今回の和解案が、「フェア・十分・合理的」ではないと明確に示したことを評価する。
 一方で、表現の自由の問題については判断を避けるなど、引き続き日本ペンクラブとして今後の推移を注視していく必要もある。」

2011年3月23日
社団法人日本ペンクラブ 会長 阿刀田 高

東日本大震災 原発と原発事故に関する情報の完全公開を求める声明

     【東日本大震災 原発と原発事故に関する情報の完全公開を求める声明】


  東日本大震災から4ヵ月間が過ぎたが、日本の政財界の中枢は明快な復興ビジョンを打ち出せないまま、権力と権益の姑息な奪い合いに明け暮れている。この間にも、メルトダウンを起こした東京電力福島第一原発は頻々と危機的状況に陥り、東北・関東一円の各所にさまざまな放射能被害を広げている。
  しかし、震災復興や、原発事故について、もっとも事態を把握しているはずの政府と東電からもたらされる情報は、いつも部分的で、いつも楽観的で、いつも遅れている。こうした恣意的な情報をマスメディアがさらに短くリポートするとき、現実はますます曖昧になる。
 他方で、別の電力会社が原発運転再開をめぐる公開討論番組の放送に際し、社員などを動員し、一般市民を装ったメールを大量に送らせたり、また別の電力会社は原発関係の裁判の傍聴に社員などを大量動員し、批判・反対派の傍聴を妨害したりするなど、原発をめぐる異様な出来事が次々と明らかになっている。
   エネルギー政策は、一国の政治・経済・社会構造を決定するもっとも基本となる政策である。ところが、この重要課題を考えようとしても、政府や電力会社からもたらされる情報が恣意的で曖昧どころか、やらせメールや傍聴妨害等によってさらに歪められているとしたら、自由な議論、自由な民意の表出などとうてい覚束ない。
  日本ペンクラブはこうした事態を深く憂慮し、政府と東電に対し、3月11日の原発事故以来、現在にいたるまでに収集した全データと、それぞれの危機的状況に際して行った対応策とその結果についてのすべての情報の公開を求める。
  さらにマスメディアには、政府や東電が発表する情報のリポートだけでなく、あるいは今日明日の安全か危険かについてだけでもなく、読者・視聴者・市民がみずからエネルギー事情の現実を考え、未来の選択ができるような深い報道を心がけるよう望みたい。
  今日、ジャーナリズムはフリーのジャーナリストや個々の作家・詩人・批評家、映像制作者や一般市民などによっても担われている。政府と東電とその他の電力会社には、これらさまざまな立場の表現者が、原発施設とその周辺への立ち入りも含め、自由な取材活動を行えるような受け入れ体制を早急に整えるよう要請したい。日本のあらたな民意を形成するためには、多様な言論空間を作り出すことが欠かせないからである。

2011年7月15日


                              日本ペンクラブ
                              会長 浅田次郎

「秘密保全に関する法制の整備についての意見」

宛先)内閣官房内閣情報調査室「意見募集係」御中

 

「秘密保全に関する法制の整備についての意見」

 

2011年11月30日

社団法人日本ペンクラブ

 

 現在の日本社会において総合的な秘密保護法制は要らないし、むしろ作るべきではない。これが、日本ペンクラブの結論である。以下は、その理由であって、同時に今回のパブコメで提示された法制度への意見である。

 

(1)総論

 いま、政府に問われているのは、秘密保全ではなく、情報の開示であり説明責任の履行といった情報公開法制度の強化である。東日本大震災以降、とりわけ原発・放射能情報にかかわる政府の態度は、一貫して情報隠しであり、情報統制である。これに対し、一般市民からの強い批判を受けてもなお、再臨界可能性をめぐる東電の情報開示を性急で不正確な情報の公開として非難し、各電力会社への賛成意見工作(公聴会等でのやらせの強要)についても、その事実を認めなかったり、場合によっては開き直る態度を示し続けている。こうした状況の中で、さらなる秘密保護のための法律を新設するなどということはあってはならない。

 そもそも現代の民主主義社会における政府(国家)は市民の信任と合意なしには存立し得ないものであり、市民は政府の保有する情報を最大限に閲覧・活用し、政府の適否を判断する権利を有する。この初歩的原則を等閑視し、市民社会とは別個に国家の存在があり得ると想定する今回の法制整備の考え方には、民主主義成立の歴史的経緯に対する根本的無理解があると言わざるを得ない。

 

(2)立法事実

 有識者会議の報告書(参考資料)で立法の理由として挙げる尖閣ビデオについては、すでに非公知性や実質秘性について疑義が出され、真に守るべき秘密であるかどうか議論があるところである。警視庁公安情報にいたっては漏洩元と見られる行政機関がいまだにその存在を正式に認めていない。さらに報告書が示した過去10年程度の漏洩事例を見る限り、現行の公務員法等で規定する守秘義務で十分にカバーしうるものであって、新規に法律を必要とする理由付けはきわめて希薄であって説得力に欠ける。

 

(3)秘密の範囲

 今回示された法律案では、防衛情報のほか、外交・秩序維持など幅広い対象で政府情報全体を秘密のベールで隠そうとしている。そもそも、ここで保全しようとする秘密とは何か。これまでも何度か秘密保護法制を設ける議論がなされた。1970年代の刑法改正や、1980年代の国家秘密保護法がその具体的なかたちである。しかしそこでも多くの場合、防衛秘密を中心として、その関連で外交秘密を含めて秘密の範囲としてきた経緯がある。このうち、防衛秘密に関しては、自衛隊法の改正や、米軍秘密に関する協定を含む現行法制において、十分に秘密の維持がなされていると考えられ、強化を改めてする意味は存在しない。

 外交秘密については、まさに沖縄密約情報公開訴訟で政府の対応が問題になっているところであって、むしろ、情報公開法や文書管理法の強化・充実によって、日本においても公文書の保存や公開を制度上確立することが先決である。それなしに、秘密の範囲を外交情報にまで拡大することは、重大な外交に関する政府の行為に関して国民による検証を不可能とするものであって許されるものではない。しかも、その秘密決定権者は行政機関の長すなわち大臣となることが想定され、省庁において安易に秘密指定され、秘密の件数が格段に増大することは、自衛隊法改正によって秘密指定権者を総理大臣から大臣にしたことによって防衛秘密が急増した状況からも明らかである。

 また、突如として「公共の安全及び秩序の維持」に拡大することによって、政府が保有する情報についてきわめて広範に秘密の網をかぶせることになると想像される。福島第一原発事故をめぐっては、政府や関係省庁が発信する情報は、直接的に私たちの健康、ひいては生命そのものにかかわるものでありながら、透明性にも信頼性にも欠け、私たちの不安をますます増長させている。国家によるエネルギー政策を守ることが公共の安全を守ることに優先するとは思えない。このような状況下で「公共の安全」を秘密の対象として行政が非公開を判定しようとすることについて、拡大解釈や恣意的運用を疑うなという方にこそ無理がある。

 

(4)情報取扱者

 さらにこの法案の問題点としては、秘密の取扱者に対する適性評価基準があいまいであって、調査項目にいたっては家族にまで調査の範囲を広げ、個人の尊厳に踏み込むなど、評価対象者が差別を受けかねないものである。また罰則化や法定刑をこれらに加えることなどを考えると、流出した情報が公益にかなった場合であっても、通報者はまったく保護されないことになり、せっかく法制化された内部告発者保護法(公益通報者制度)を骨抜きにする恐れがある。

 

(5)罰則

 重罰化による威嚇効果によって、情報の漏洩を防止するという考え方が示されている。しかし米国の例を見ても、重罰にしたからといって漏洩が防げるというのは幻想に過ぎない。実際、過去の漏洩事例をみても、刑事罰の上限に届くようなものは存在しない。

 

(6)知る権利

 今回の新法制度が「国民の知る権利」を侵害するものではないとわざわざ断り書きをつけ、その理由として立法によって指定される秘密はそもそも情報公開法の適用除外であって対象ではないという。しかし現実には、沖縄密約情報公開訴訟や現在進行中の原発行政でも明らかなとおり、まさに政府の恣意的な秘密指定がいま問題になっていることに、何の反省も配慮もないことが明らかである。また、外務省沖縄密約事件(西山記者事件)を例に、正当な取材行為は保護されるというが、その最高裁判決によって守られたのは抽象的な「総論」としての取材の自由であって、実際に記者は逮捕され、その後も一貫して政府は文書の存在を認めないばかりか、秘密文書は秘密裏に破棄された可能性が指摘されている。

 要するに、取材の自由は具体的に守られなかったのである。実態を直視せず、自由は守られていると強弁する政府が作る秘密保護法を、日常的な取材を業とする私たちは断じて信頼できない。しかも、今回の法制度は新たに特定取得罪という名の「探知罪」の導入を提案している。これは戦前の軍機保護法における探知収集罪への回帰にほかならず、こうしたスパイ罪を戦後の日本が持ってこなかったのは、戦中の苦い経験からである。この点は、1980年代の国家秘密保護法案が上程されたときに充分議論され、この種の法制度を導入しないことを確認したはずではなかったのか。

 

以上