●日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第65号 2008年8月25日
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目次
1)「ペンの素顔」第5回・名誉会員で理事の早乙女貢さん
2)会員にきく──松本幸四郎・藤間紀子ご夫妻「文学との関わり」
3)「電子文藝館」のご案内
4)編集後記「ぺんぺん草」
//////////////////////編集長:高橋千劔破 編集:鈴木康之 記事:穂高健一////
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■「ペンの素顔」第5回・名誉会員で理事の早乙女貢さん
──国際会議に行くたびに、いろんな事件に出会います
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今回は和服姿がトレードマークの早乙女貢さんです。理事、常務理事、専
務理事と長く日本ペンクラブの要職に着き、活躍されてきました。現在は名
誉会員で、なおかつ理事です。日本ペンクラブの思い出や、今のペンにつ
いて話していただきました。今回の聞き手は、広報委員会の鈴木康之副委
員長です。
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●1974年、集団で日本ペンクラブに入会
──早乙女さんはいつも元気そうですね。
[早乙女] 僕は数十年来、医者にかかったことがないし、薬も飲んでいな
い。皆さんはよくどこが悪いという話をされるが、僕のからだは悪いところは
ないのです。すぐ寝れるし、痛いとか、痒いとかもない。
──それはすごいことですね。
[早乙女] ふだんの仕事ではムリするけれど、仕事以外ではムリをしない。
ムチャはしない。この習慣で、バランスが取れているのでしょうね。ただ、お
袋は僕をハルピンで産んで半年で死んだ。ハルピンにはろくな病院がない
というので、大連に行ったけれど、亡くなってしまった。しかし、ぼくは病気知
らずです。
──2010年には国際ペンの日本大会が内定しています。早乙女さんは前
回の東京大会の経験者です。他にも、数々の国際会議にも参加して、活動
してきました。
[早乙女] 僕が日本ペンクラブに入ったのは、1974(昭和49)年でした。い
ま会員は2000人近くいますが、当時の会員は500人くらい。僕らは入会前、
部外者の目で見て、日本ペンクラブが沈滞しているように見えたのです。そ
こで、直木賞作家の五木寛之、生島治郎、井上ひさし、三好徹、野坂昭如、
藤本義一らと話し合い、「団体で、一緒に入会しよう」と意見がまとまり、約
40人前後で集団入会しました。
──新聞などではずいぶん話題になりました。
[早乙女] 「徒党を組んだ連中だ。日本ペンクラブは乗っ取られるぞ」と新聞
でもかなり大騒ぎになりました。500人のところ、40人が一度に入会ですか
らね。考えてみれば、約1割です。われわれは日本ペンクラブを乗っ取る気
など毛頭ない。国際ペン憲章にもある、文筆家の自由のために、言論の自
由のために入会したのです。
反乱を起すために、入会したわけじゃない。メディアは「日本ペンクラブがど
うなるか」という関心で、会議のたびにテレビ局が入っていました。それから
30年以上が経つ。いまもちゃんと収まっています。
──入会した当初から、活発に活動されていたんですね。
[早乙女] 当時の外国では、国民や文筆家に対して弾圧が多かった。たとえ
ば、韓国政府は詩人の金芝河を弾圧していた。僕はまだ実情がよくわから
ないうちに、理事になった。
韓国の高銀という詩人が獄中に囚われている。かれの母親から、病気で、
もう余命もない、子どもに会わせてほしい、と要請があった。僕たちは「母親に
会わせてやってくれ」と頼みに、日本の韓国大使館に出向きました。
──早乙女さんは早く理事になられましたね。
[早乙女] 高橋健二が会長のときに、僕は常務理事になった。と同時に、日
本ペンクラブの代表として、国際会議に参加する機会が増えました。ほとん
ど毎年のように、外国に行っていました。
80年にはユーゴスラビアのブレドで国際ペン代表者会議が開催されまし
た。そこで、獄中作家委員会を創ることになった。のちに日本ペンクラブで
も同委員会を設置しました。印象深いです。
●中国の加入問題、国際ペン韓国大会
──中国の関係はいかがですか。
[早乙女] 80年ころの中華人民共和国は文革などいろいろあって、国際ペン
に未加入でした。台湾(台北センター)は古くから入っていました。
僕が参加した大会で、印象的な出来事がありました。中国のメンバー7、8
人が、会議の様子を見せてほしいと、オブザーバーでやってきました。傍聴
の途中で、突如として国際ペンに入会したいと言い出したのです。入会を認
めるか、否かの緊急動議となりました。
僕は日本ペンクラブの代表で行っているが、賛否の決定権などない。困っ
た僕は、日本に電話をかけました。しかし、日本では理事会を招集し、この
問題を議決できる時間などない。僕は棄権を選択しました。全得票の結果
として、中国は多数決で加入が認められました。
台北センターの女性副会長が参加されていた。顔を見られないほど、彼女
は緊張していました。中国が入ったら、台湾は追い出されるのではないか、
という危惧でしょうね。
──国連でも、中国の加入問題ではそうでしたね。
[早乙女] 中国が国際ペンに入会が認められた。彼女のスピーチは実に印
象的でした。僕はいまだに忘れられない。「国際ペンは国境のない作家の集
まりです。従って、われわれ台北センターはいかなることがあっても、国際ペ
ンに残るであろう」という趣旨でした。感激的でした。
台湾は今もずっと残っている。しかし、中国のほうはマドリッド大会で、「台湾
がプログラムにない、緊急動議のスピーチをした」といい、それ以降の大会
ボイコットしている。
中国の国内では、逮捕されている作家は何人もいる。中国は、その人たち
の釈放問題など触れられたくない問題を抱えている。国家が介在している
から、根本的に、どうしようもない。
国際ペンは文芸家の団体ですから、国家的な支配は受けない。日本ペンク
ラブはその精神を貫いている。
●国際会議での印象的な出来事
[早乙女] 国際会議に行くと場所によって、いろいろな出来事に出会いま
す。印象深いのは、1980年のブレド代表者会議で、チトー大統領の死去の
10分か15分前に空港に着いたことです。この日は小雨が降っていた。
旅客機から降りると、エイザー副会長が迎えに来ていました。「チトー大統
領の容態はどうなの?」ときいてみた。大統領は糖尿病で、足を切断するな
ど、入院中でした。「いま一喜一憂で、たいへんな状況です」と教えてくれ
た。
エイザー副会長がみずからタクシーで、ツーリストホテルに案内してくれま
した。途中で、農家の窓から半旗を突き出す、光景に出くわしました。「チ
トー大統領は死んだの?」とはきけないでしょ。だから黙っていました。
──半旗を掲げている光景とは、歴史的な出会いですね。
[早乙女] ホテルに着くと、そこは黒山の人だかりでした。そのうえ、表通り
の通行人が次々とロビーに入ってきてテレビを観ている。国全体が貧しくて、
テレビは普及しておらず、ホテルなど特別な場所にしかなかった。
大統領の死去で、代表者会議は1日延期になりました。僕たちは国営テレ
ビの前に座らされ、一日中、見させられていました。
──印象的な出会いは、他にもどんなことがありますか。
[早乙女] 1995年9月に、詩人会議で、パレスチナに招待されました。村山
首相がイスラエルを訪問した10日か半月後でした。僕たちが現地に着いた
翌日には、「オスロ合意II」がありました。双方が手を握り、仲良くなり、エル
サレムは平和になるのかな、と思っていたら、かえって緊張が高まっていまし
た。兵隊は街に出てくるし、通行するたびにパスポートの提示を求められた。
ガザの会議場から真夜中に帰ってくるさなか、仲間の一人がパスポートを
忘れて、国境の検問所で引っかかってしまった。全員が別の場所に連れて
行かれ、1時間以上も押し留められた。緊張させられたできごとです。
──それは、大変でしたね。
[早乙女] 国際ペンの交流は参加することで、より実情と実態を知ることが
できます。外国に行ってみると、今も政府が人権をいろいろなかたちで阻害
している地域はたくさんある。作家が反政府的だという理由で、捕まり、投
獄される。日本は文筆活動で、牢屋に入れられる時代じゃない。だから、日
本人はピンとこない。そこのところがずいぶん違う。
国際ペンは政府の命令を受けず、作家どうしの交流の場です。本当のこ
と、本音をしゃべれる。また、土地の人とも触れあうことができる。
●1984年、前回の国際ペン東京大会の思い出
──2010年には国際ペン日本大会、という内定を得ています。84年の経験
から、当時のお話をお願いします。
[早乙女] 高橋健二会長のときに、日本での開催が決まりました。さあ資金
集めが大変だ。ロンドン本部の役員を招くのに、奥さんも同伴だから金がか
かる。2億円集めないと、国際会議ができない。いろいろなところから寄付
をもらいました。
この話は、ともに亡くなったから、もう時効かな。実は、まじめなドイツ文学
者の高橋健二さんが会長だと、2億円なんて、とても集まらない。金を集め
る顔が必要だと、僕たちは考えた。この際、井上靖さんしかないという気持
ちになったのです。
井上靖さんは理事だったが、ほとんど出てこない。僕と五木寛之と三好徹と
3人で、世田谷の井上さんの自宅まで、「会長に立候補して欲しい」と口説き
に行ったのです。承知してくれました。
──早乙女さんからしか聞けないような、貴重なお話ですね。
[早乙女] それからは金集めです。井上さんと新聞社にいったり、出版社に
行ったりしました。軍需に関わる会社は、日本ペンクラブとしてはダメ。セレ
クトしながら、企業訪問もおこないました。
井上靖さんと新聞社に行くと、社長室に通されるのです。後にも、先にも新
聞社の社長室に入ったのはこのときだけです。
1か所に行けば、それが1日仕事。金集めに傾注した僕は、年収が半分に
減った(笑)
前年の83年はベネズエラで開催されていた。五木、三好、大久保(講談
社・編集)たち7、8人で、足を運びました。「来年の84年は、日本で開催しま
すからよろしく」と宣伝に出向く。このように、国際大会をやるとなると、段取
りとか、金集めとか、宣伝とかが実に大変です。
(構成:穂高健一)
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■会員に聞く─松本幸四郎・藤間紀子ご夫妻「文学との関わり」
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歌舞伎役者の松本幸四郎さんは、芸談などエッセイも数多く執筆。奥様の
藤間紀子さんも、エッセイを何冊か書かれている。ご夫妻は、2005年に日
本ペンクラブのメンバーにも加わった。今回は、お二人に「文学との関わり」
について話していただいた。
(インタビュー・構成=穂高健一)
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●"読者が書き手"の時代──松本幸四郎
──文学との関わりは?
「母方の祖父(初代の中村吉右衛門)が高浜虚子先生の門下生でした。『ホ
トトギス』の同人で、ふだんから俳句をよく詠んでいました。祖父の娘、つま
り私の母も句が好きで、私も子どもの頃から、俳句には親しみをもって接して
いました。
歌舞伎役者は、実はみな俳号(俳句の名前)を持っています。梅幸や訥升と
いう名もみな俳号を芸名にしたものです。
私は、小中学生のころ、通学の往復には何時も、岩波文庫、新潮文庫など
を読んでいました。今でも、自宅の本棚にはボロボロになった、当時の文庫
本がずらっと並んでいます」
──執筆のきっかけは?
「最初は新聞社などから、芸談などを頼まれて寄稿していました。著作が何
作か続くうちに、エッセイ集等も出す様になり、文壇の方々との交流も深まり
ました。そのご縁で、このたび日本ペンクラブに、夫婦で会員にさせていた
だきました。
ここ2年間は、『オール讀物』で、娘の松たか子との手紙のやり取りを『父と
娘の往復書簡』というタイトルで連載してきました、秋には、それを単行本に
して同タイトルで、文藝春秋から出版します」
──歌舞伎と文学の共通点は?
「文章を書くこと、俳優が台詞を喋ることは、活字と音声の違いこそあれ、た
いへん共通点があります。台詞は喋っているときよりも、喋っていないときの
ほうが難しく、また、大事なのです。
歌舞伎の場合、同じ狂言、同じ演目で、同じ俳優が同じ役をやりますが、だ
れ一人として同じものはありません。その違いはどこから来るか、と言います
と? 70%くらいは台詞と台詞の間、つまり「間の取り方」の違いなのです。
文章も同様だと思います。言葉と言葉の間、文字と文字の行のあけ方、う
め方、言葉のはめ込み方が大事だと思います。永井龍男さんの短編集を読
んでいますと、行間といいますか、『間の取り方』に実に味わいを感じます。
私は太宰治さん、井伏鱒二さんが好きで、ずいぶん読みました。この作家
にも行間の巧さを感じています。
──最近の文学については、いかがですか。
「最近は文学の世界もずいぶん変わったな、と思います。若い方々の芥川賞
や直木賞の作品はよく読ませてもらっていますが、画家の池田満寿夫さんあ
たりから、日本の文学界も変わったな、という印象をもっています。
人間が進化するように、歌舞伎の世界も、文学の世界も進化しているな、と
いう思いです。
私たちの時代は書き手が執筆し、出版社が本を作って、それを読者に売っ
ていました。いまは"読者が書き手"です。書きたい人が読んでいるんです。
インターネットのブログなどは顕著な現れですよね。私たちの時代では考え
られなかった。やれ漱石、藤村、また、山本周五郎だの、という時代でしょ。大
事に本を抱え込んで読んでいた時代です。
いまはもう読者が筆者です。"書きたい人が読みたくなる本"という時代じゃ
ないかと思います」
例えば、デパートはかつて店員が制服を着て、きちんとしていました。『い
らっしゃいませ。何にいたしましょうか』とお客に聞いていました。いまは店員
が『どう? いいでしょ?』と聞く。『いいじゃん』とお客は応える。
傍で聞いていると、双方の服装はちがわないし、ジーンズをはいているの
が店員だか、お客だかわからない。いまはこういう、"わからない時代"なん
です。
舞台の世界でも同じことがいえます。ご覧になっているお客さまも、本当は
唄ったり踊ったりしたいんです。輻輳(ふくそう)しているんです。舞台と客席
の空気が一緒になる。演じたいお客様が観ていて入り込めるような、お芝居
を創っていく。だんだんそういう芝居が"受ける"時代になってきました。
日本の出版界も、ぜひ"書きたい人に、読んでもらう本"という方向で、進ん
でいただきたいです。
●書くことは大事なこと──藤間紀子さん
紀子夫人にも、メルマガのインタビューをお願いした。「私なんて、とても、と
ても」と一歩も、二歩も引いていた。「あなたも、ペンクラブの会員でしょ。受
けなさい」と主人の幸四郎さんに促され、応じてくれた。
──入会したいまの感想、目指すことを、お聞かせください。
「秦恒平さん(小説家)のご縁で入会しました。これを機会に、もっと勉強した
いし、書くチャンスがあるごとに、勇気を持って書いてみよう、と考えていま
す。
かつて雑誌に着物のエッセイを連載していました(のちに『私のきもの生活』
として文化出版局より出版)。書籍としては、『高麗屋の女房』(毎日新聞社)
ですが、インタビューを受け、まとめていただきました。お書きになる仕事
は、いかに大変かと、感じていました。
主人が執筆した原稿のゲラが届き、主人が忙しいときには、私が先にそれ
を見て、最後に主人がチェック(推敲)するわけです。"(主人が)言わんとす
ることが、文章で正確な言葉になっているか、読み手に伝わるか"という目
で見ていますと、言葉の勉強になります」
──この先の執筆活動で、どんな課題をお持ちですか。
「言葉は難しいですね。話すことと、書くことにはずいぶん違いがあります。
舞台で演じるものを観る、お客さまの感じ方はさまざまです。書いたものを
読まれる方も、感じ方がそれぞれちがいます。
私は、書きあがった文章に目を通していますと、『これだと、読まれる方には
解らない? 言いたいことを読み取ってくれるのかしら?』と思案したり、『これ
は私なりの解釈。これじゃあ、いけない』と思ったりします。
それで文章に手を入れる。直しているうちに、全体がメチャメチャになった
りして......。
そんなときには、『私は、言葉を知らないな』と痛感するんです。私はまず言
葉を蓄えなければ、話にならないな、と思っています。言葉を豊富に蓄え
る、という課題をもって進みたいです」
──今後の執筆活動については。
「私たちの世代は、『何かを形で残す』という面で、後の方にいろいろ伝えて
いく必要があります。その面でも、書くことは大事なことかな、と思っていま
す。
今後においても、随筆やエッセイを志向していきます。日々の生活のなかで、
見て感じたことを文章にする。たとえば、桜が咲きはじめると、全体がき
れいな景色となります。それを言葉(文章)で表現したい。気持ちも一緒に書
く。そうした四季折々のエッセイができたらいいな、と思っています」
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■日本ペンクラブ「電子文藝館」のご案内
7月〜8月に新しく掲載された文藝作品です。閲覧はすべて無料です。
*小説
武田 泰淳(たけだたいじゅん 小説家)「汝の母を!」
畠山 拓(はたけやま たく 小説家)「家畜は夢を見るか」
*詩
有働 薫(うどうかおる 詩人、翻訳家)「岸壁の国」
津坂 治男(つさか はるお 詩人)「詩集『石の歌』より」
丸本 明子(まるもとあきこ 詩人)「花影(抄)」
*随筆
宗内 敦(むねうちあつし 随筆家)「父と子、母と子」
島崎 保彦(しまざき やすひこ エッセイスト)「平成の書き言葉」
*招待席
竹内 浩三(たけうちこうぞう 詩人)「骨のうたう(抄)」
伊丹 万作(いたみまんさく 映画監督)「戦争責任者の問題」
*評論
山本 澄子(やまもとすみこ 立正大学名誉教授(米文学・比較文学))
「ユージン・オニールの世界」
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
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<<ぺんぺん草>>
早乙女貢さんは昭和49(1974)年に会員になられたそうです。この年の2
月、先日亡くなったソルジェニーツィンがソ連政府に逮捕され、日本ペンクラ
ブは抗議の打電をしています。昭和52年には、早乙女さんと、井上ひさしさ
んが共に常務理事になっています。そのころから現在まで、30年以上にわ
たって理事をつとめ続けているのは、お二人に加えて五木寛之さんぐらいで
しょうか。
なかで理事会の出席率、国際会議への出席率では、早乙女さんが群を抜
いています。理事会への出席率は、ほぼ100パーセントといっていいでしょ
う。ご本人によれば150歳まで生きるということですから、理事としての最長
不倒距離を記録するのはまちがいありません。
会員インタビューの松本幸四郎さんは、今や歌舞伎界の重鎮のお一人です
が、エッセイストとしても知られています。奥様の藤間紀子さん、お嬢さんの
松たか子さんも同様で、お三人共ペンの会員です。お話にもあるように、芸
の道と文学には共通のものがあるようです。それにしても、三人そろって二
つの才能に恵まれて、うらやましいですね。
ところで、ご夫婦あるいは親子での会員はそう珍しくはありません。三人と
なると稀ですが、一家五人が会員となると、この一家を除いて他にありませ
ん。新田次郎さん(故人)と奥様の藤原ていさん。お二人の次男藤原正彦さ
んと長女の藤原咲子さん。正彦夫人の藤原美子さんの五人です。
(高橋千劔破)


