メールマガジン「P.E.N.」バックナンバー

日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第62号 2008年4月16日

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目次
1)日本ペンクラブの声明
2)第26回WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日
3)「電子文藝館」のご案内
4)編集後記「ぺんぺん草」(高橋千劔破)

//////////////////////編集長:高橋千劔破 編集:鈴木康之 記事:穂高健一////
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■日本ペンクラブは、3月から4月に次の3つの声明を発表しています。

「自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省をうながす緊急声明」
2008年4月3日

「チベットの事態を憂慮し、言論表現の自由と人権の尊重を求める」
2008年3月26日

「日本ビデオ倫理協会に対する公権力の介入に抗議する声明」
2008年3月17日

詳細は日本ペンクラブのホームページからご覧ください。
http://www.japanpen.or.jp/

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■第26回WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日
シンポジウム「なぜ、この国を伝えたいのか──ビルマ報道とジャーナリストの目」

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 3月14日、第26回WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日に、日本プレスセンターホール(東京・千代田区)で、シンポジウムを開催しました。テーマは、「なぜ、この国を伝えたいのか──ビルマ報道とジャーナリストの目」。
定員100名の会場は会員に加え、一般の方々、在日ビルマ人、報道関係者で埋めつくされました。
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●WiPの活動と「WiPの日」

 2007年9月27日、映像ジャーナリストの長井健司さんがビルマ・ヤンゴンで取材活動中に、治安部隊に至近距離から射殺される事件(9月事件)が起きた。この事件は日本中に衝撃を与えた。フリージャーナリストの取材のあり方や、日本政府とビルマ軍事政権との関わり方が注目を集めた。

 ビルマ軍事政権は、いまだに民衆や僧侶たちの弾圧を続けている。同国には思想信条や出版の自由はなく、獄中作家が絶えることはない。他方、日本はODAなどでビルマ軍事政権を援助する。その金額は世界でも一、二の国になっている。
 長井さん射殺事件を風化させてはいけない。それがWiP・人権委員会のシンポジウムの大きな趣旨である。

 開会の挨拶で、今野敏さん(WiP・人権委員会委員長)が、「WiPの日」について説明した。
「WiPとは、ライターズ・イン・プリズン(獄中作家)の意味です。言論活動や文学活動のなかで、政府や権力を批判したために、弾圧されたり、獄に入れられたりしている作家、ライター、ジャーナリストたちのことです。最近ではインターネット・ライターも多くなっています」
 国際ペンは1980年から「WiPの日」を定め、日本ペンクラブのWiP人権委員会を含め、各国のペンセンターが毎年、活動報告と問題提起を続けている。
 今野敏さんは、WiPの調査結果として、「2007年1月から12月までに、殺されたり、投獄されたりした作家やジャーナリストの総数は1009人に及びます。そういう人たちに支援活動を行なっています」と述べた。

──第一部

●在日ビルマ人にビルマの現状を聞く

 第一部はビルマに焦点を絞り、田辺寿夫さん(たなべひさお、1966〜2003年NHK国際放送局でビルマ語ラジオ番組の制作担当。ビルマ市民フォーラム運営委員)が、在日ビルマ人のチョーチョーソウさん(Kyaw Kyaw Soe、1963年生まれ)からビルマの現状を聞いた。

 チョーチョーソウさんは、1988年にビルマ民主化闘争に参加。1991年にはタイ国を経て来日した。1998年には日本政府から難民認定を受けている。現在は、ビルマ語週刊誌『ボイス・オブ・バーマ』の編集発行人で、ビルマに関する、国内外の動きをフォローしている。
「ビルマを巡る動きが、世界中でどのように起こっているのか。それをビルマの国内外の人に知らせている」。同誌はビルマを含めた、世界26か国で読まれている。

 チョーチョーソウさんは、長井健司さんがビルマで射殺された9月事件の前段階は、同年8月半ばからあったと言う。

 燃料費の値上げに不満を持った人たちが、抗議で町を歩きはじめた。多くが88世代学生グループ(1988年にアウン・サン・スーチーさんが登場して大きな民主化運動が起きた。それを担った当時の学生たち)だった。
 ビルマ軍事政権は8月20日から、88世代学生グループを拘禁した。今度は僧侶が立ち上がり、お経を唱えながら街を整然と行進した。

「9月事件では、市民ジャーナリズムが大きな役割をはたしました」。僧侶の一団がアウン・サン・スーチーさんの家の前を通った。彼女が門の前に出てきて、深々と合掌した。誰かがそれを携帯写真で撮った。それが通信社を通じて世界中に配信された。その写真が衛星テレビ、インターネットでビルマに打ち返された。

「アウン・サン・スーチーさんが、抗議行動の僧侶に合掌した。僧侶の動きはアウン・サン・スーチーさんが目指す民主化と同じだ」とビルマの人は確信をもった。それが大きな抗議行動のうねりへと発展していった。そして長井健司さんの射殺事件へとつながった。その後も、軍事政権の民衆弾圧が続いている。

●ビルマからの難民たち

 田辺寿夫さんは、今年2月にビルマから逃げ出した難民たちと会ったときの情景を披露した。会う人ごとに、「田辺さんのビルマ名、シュエバ(SHWE BA)はよく知っている」と親友のごとく話しかけられた。NHKなど世界各国の短波メディアが今やビルマとの距離をなくしている、と強調した。

 ビルマ軍人が1962年にクーデターによって議会制民主主義を倒し、政権を取ってしまった。同年にできた法律で、「すべての著作は検閲を通らなければ出版できない」という制度が生まれた。現在も軍人による検閲が続いている。

 ビルマには今も獄中作家が24人いる。一番獄中生活が長い人が、新聞『ハンサワティ』の元編集長だったウィン・ティンさん(1930年生まれ)だ。捕まったのが1989年で、19年間も獄中に囚われている。

「ウィン・ティンさんは78歳の誕生を迎えた。今は神経とか内臓とかの状態が大変悪い。ウィン・ティンさんはそれでも面会に来た人たちを通して、言論思想の自由の大切さを訴えている。私がビルマ人として真に尊敬する人物です」とチョーチョーソウさんが語った。

 2004年、ビルマの軍事政権は世界に向かって、7段階の民主化ロードマップを発表した。すでに3段階が終わっている。
「新しい憲法の可否を問う国民投票が5月に実施されます。ところが、国民の前には、その草案はまだ示されていません。それを知ろう、学ぼうとすれば、何らかの理由で捕まりかねません」。憲法は国民のものなのに、国民不在なのだという。
「世界の人たちが、ビルマにもっと強い関心を持って、軍事政権に厳しい目を向けてほしい」とチョーチョーソウさんは訴えた。


──第二部

 第二部では、「ジャーナリストはどうあるべきか、ジャーナリストの志」という観点からパネルディスカッションが行われた。

 司会・進行役は夫馬基彦さん(ふま もとひこ、作家、WiP・人権委員会副委員長)、パネリストは江川紹子さん(えがわ しょうこ、フリージャーナリスト)、山本宗補さん(やまもと むねすけ、フォトジャーナリスト、1953年・長野県生まれ)、綿井健陽さん(わたい たけはる、ビデオジャーナリスト、1971年大阪生まれ)の3人だった。

●山本宗補さん「日本政府は曖昧な態度は止めてくれ」

 ビルマに精通する山本宗補さんは、ビルマに数回出かけ、その都度、アウン・サン・スーチーさんと会っている。
4度目の彼女とのインタビューの直後、山本さんはビルマの秘密警察に身柄を拘束され、国外退去処分になった。

 山本さんは、長居さんが射殺された日について語る。「在日ビルマ人と抗議行動の取材をしていました。『日本政府は曖昧な態度は止めてくれ』が一番のスローガンでした」。それは日本政府がODAなどで、非民主的なビルマ軍事政権を支援する態度への批判なのだ。

 長井健司さんが射殺された翌日、山本さんは自宅で朝日新聞を見た。銃弾に倒れた長井さんの写真はカットされていた。他社の朝刊には、射殺された長井さんの写真が大きく載った。
「これはビルマ人のカメラマンが撮った写真じゃない、外国人だと、私の経験からわかりました。ビルマ人には公然と、デモを撮影できる、取材の自由がないからです」

「長井さんの1枚の射殺写真から、日本のテレビや新聞はビルマ軍事政権が突然、牙を剥いたかのように反応を示しました。あの軍事政権は20年前に、民主化運動をつぶすために、全国各地で3000人余りの市民を無差別に殺害した。こうしたビルマ軍事政権を、先進国のなかで真っ先に承認したのが日本政府でした」

「ビルマ軍事政権はここ20年間、少数民族に対して静かなエスニック・クレンジング(民族浄化作戦)をやっている。停戦しない少数民族に対して激しい攻撃を行う。タイ領内に逃げ出している難民は15万人余り。日本政府は、そんな軍事政権とフレンドリーな外交を取り続けている。同時に日本政府は、タイに逃げ出した難民に対し
て、一度も人道援助をしたことがない」と、山本さんは強く批判した。

●綿井健陽さん「日本のメディアには現場判断がない」

 綿井健陽さんは、「長井さんとは2003年にバグダッドで会っています。3年前には東京で、インターネット番組で一緒に仕事をしていました。射殺の映像を見たとき、これは公開処刑だな、と思いました。見せしめです」と語る。

「1992年以降の15年間に、世界中で、報道関係者661人が取材に関わる行為で死亡しています。戦争取材で、ジャーナリストが戦闘に巻き込まれて、死亡するケースはまれです。ほとんどが取材内容に対する報復とか、政治的な理由で狙われるのです。長井さんの場合のように、軍とか兵士とかが殺害するケースは1割にも満たないのです」

「私は外国で取材するときは、絶対に一人では行きません。通訳、助手、運転手などと一緒に行動します。狙われるのはそれら地元の人です。自分は助かり、地元の協力者が殺されるのではないか。その怖さが常にあります」

 司会の夫馬基彦さんが綿井さんに聞いた。「どうして朝日、読売とか、TBS、NHKとか、大メディアの社員やディレクターが直接、(戦争現場)取材に出向かないのか。ぼくなどは疑問に思う。それは危ない仕事、危険な仕事はフリーの人間に押しつける、ということでしょうか」

「この話はよく出てきます。大メディアが危険な場所で取材しない。これを問題視するのでなく、フリーランスに登録した記者の記事を使う各社で、それぞれいろいろな判断があってもよいと思う。危険を競い合う必要はない。欧米メディアの場合は結構バラバラです。日本のメディアは横並びになる、そこに問題があるのです」

「湾岸戦争のとき、日本のメディアは開戦の何日か前に全部撤退しました。各社の外信部部長会議で、何日までに撤退しましょう、と申し合わせたからです。イラク戦争では、申し合わせはしていない、と言いますが、日本の大手メディアは回りを窺っている。お宅どうしますか、うちはすぐ止めます、それならわが社も、と決まっていく
のです」
 日本のメディアには現場判断がない、と綿井さんは言い切る。

●江川紹子さん「日本の場合は、自己規制が一番の問題」

 江川紹子さんは、長井健司さんの射殺事件を聞いたとき、イラクでの人質事件の個人攻撃を思い浮かべたという。
「長井さんの場合は、殺害の映像があったことから、バッシングが起きなかった。ほっとしました。これが拘束、拘禁となれば、自己責任論が出かねない」

「山本さんが、長井さんが射殺された翌朝に、朝日新聞が遺体を出さなかったと言われました。日本メディアは極力、死体写真を出さない。とくに新聞などはそうです。そのために、(残忍な)戦争が起きても、まるで死人がほとんど居ない、軽いイメージになる。このあたりも問題です」

「日本の場合は言論や報道の弾圧はありませんが、自己規制が一番の問題だと思います」
 雲仙普賢岳の大火砕流で、記者、取材を手伝うタクシー運転手など大勢が亡くなった。これを機に、大手メディアの会社側も労働組合も、安全という問題を強く意識するようになった。
「それはそれでいいんです。しかし、大手メディアは『ルールを作って、守る』ことが第一義的になり、最も大切な『伝える』が二番目、三番目へと後退してきています」

「記者クラブを構成するような大手メディアが、フリージャーナリストの仕事を妨害したり、下に見て、『あいつらは』という感覚でものを言ったりする。大手メディアの記者たちは優越感に似た差別意識を持つ。欧米のメディアではほとんど見られないし、日本メディアの特徴だ」と江川さんはフリージャーナリストの立場で批判した。

「日本のジャーナリズムの報道基準、とりわけテレビでは、わかりやすく、情に訴える、短く言える、この三つが大きな要素になっています。山本宗補さんが求める、ビルマ問題を1988年から解きほぐすことは、説明に時間を要します。すぐに理解できにくい。それらは今の大メディアはなかなか報じてくれません」

「日本は言論が自由です。何でも喋れます。何でも出せます。でも、テレビの場合は視聴率とか、スポンサーとかの問題があります。報道は自由だけれど、圧力でなく、テレビ局の都合で、諸々の自己規制が働いてしまう」と、テレビ出演の多い江川さんが自身の体験から、「報道の自由」の盲点をついた。

●最後に、一言ずつ

 司会の夫馬基彦さんが「最後に、一言ずつ」と求めた。

 山本さんは、ビルマ軍事政権に対する、日本の道義的な責任は大きいと強調した。
 第二次世界大戦で、日本はビルマを3年半も植民地にした。この間に日本軍はビルマ人を殺し、土地を荒らし、食料を奪った。終戦後、日本はビルマに対して戦後賠償から始め、やがて政府開発援助(ODA)になっていった。それが今ビルマ軍事政権を支えている。他方で、ビルマ軍事政権は旧日本軍と同じことをしている。

「軍事政権の議長が、『われわれは日本軍から教育を受け、日本人の精神を受け継いでいる。日本軍のキリストモラルに学び、国家建設に邁進したい』と日本大使に語ったそうです。ブラックユーモアというか。恐ろしい表現です」
 ビルマ軍事政権は僧侶を殺し、少数民族を迫害して家を焼き払い、女性をレイプし、強制労働に駆り立て、強制移住させている。これはある意味で、日本軍がやってきたことを引き継いでいる。

 表現の自由もない、報道の自由もない。政府の悪口を言えばすぐに捕まる。秘密警察的なネットワークが構築されている。それはまさに日本の戦前戦中の治安維持法の世界。「ビルマ軍人は、日本軍の占領下の悪いところばかり、真似をしている」と山本さんは強調した。

 綿井さんは、締めくくりの言葉としてこう語る。
「長井さんが殺害された写真を撮ったのは、確かロイター通信のカメラマンで、映像を撮ったのはビルマ人でした。NGOやネットワークを使って情報が外に持ち出せたから、世界の人が長井さん射殺事件を確認できたわけです。普通の市民が携帯電話で映像を撮ったものが、折々に貴重な記録や証拠となります。これら地元の人たちとのネットワークは重要です」

 しかし、事件や事故が起こった場合、日本のテレビ局スタッフがまず考えることは、現場取材よりも、だれか携帯で映像を撮っていないか、防犯カメラに映っていないか。まずそれを探させる。「それが重要な任務になっている」と綿井さんは問題視する。

「地元の人たちが撮った映像を外に流すこともマスメディアの重要な役割だ。しかし、ジャーナリストである以上は、自分の目で現場を確認し、取材したり、撮影したりするものだ」

 江川さんは、学生たちと話していると、「じゃあ、私たちに何ができるんですか」とよく聞かれるという。
「最初のころ、私は答えられなかった。今は、そうした活動をしている方々の本を買ってあげてください、と話します。自分で買うお金がなければ、地元の図書館に行って、この本を購入してください、と言ってください。本を買う。それが活動を支えるのです。大事なことです、と」

 壇上のパネリストから、「日本プレスセンター(会場)で、こんなにも大手マスコミの取材や報道のあり方を批判しても、良いのかな」という発言が出ると、苦笑がもれる、という一幕もあった。

(構成 穂高健一)
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■日本ペンクラブ「電子文藝館」のご案内

 3月に新しく掲載された文藝作品です。閲覧はすべて無料です。

*小説
菊地 秀行(きくち ひでゆき 小説家)「影女房」
西木 正明(にしき まさあき 小説家)「寝袋の子守唄」
浅田 次郎(あさだ じろう 小説家)「スターダスト・レヴュー」

*児童文学
森下 真理(もりした まり 児童文学作家)「月夜野に」

*詩
天童 大人(てんどう たいじん 詩人)「『玄象の世界』抄」

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/

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<<ぺんぺん草>>

 作家やジャーナリストが、国家や社会の有り方に対して、時に反骨と批判の眼を持つのは、大切なことです。言論表現の自由は、世界中のペン・センターの共通の理念です。とはいえ、言論活動の故に獄につながれ、表現の自由を奪われている作家やジャーナリストは、世界に少なくありません。ビルマの場合は深刻です。

 ビルマは現在、ミャンマーと表記されますが、これはビルマの民主主義を否定した軍事政権による呼称であり、今でもビルマ国民の大多数にとっての祖国は「ビルマ」です。今回の「WiPの日」のシンポジウムで、日本ペンクラブではあえてビルマとしました。

 世界中で、ビルマの国名を用いている国は少なくありません。軍事政権をいち早く承認し、ミャンマーの国名を受け入れた日本の政府と、それに従ってあらゆる出版物からビルマの国名を抹消してしまった出版界・マスコミへの批判の思いも込められています。

 さて、今号の「WiPの日」の報告、いかがでしたでしょうか。日本には現在、獄中作家はおりませんが、かつて、ちょっとでも体制を批判したり、戦争に反対する作品を書いたことによって、獄につながれた人が多数いたことを、忘れてはなりません。
(高橋千劔破)