●日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第61号 2008年3月13日
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目次
1)世界P.E.N.フォーラム『災害と文化』報告(1)──海外の出演者は語る
2)イベントのお知らせ 第26回WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日
3)新刊のご案内 『犬にどこまで日本語が理解できるか』ほか
4)「電子文藝館」のご案内
5)編集後記「ぺんぺん草」(高橋千劔破)
//////////////////////編集長:高橋千劔破 編集:鈴木康之 記事:穂高健一////
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世界P.E.N.フォーラム『災害と文化』報告(1)──海外の出演者は語る
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日本ペンクラブが主催する世界P.E.N.フォーラム『災害と文学』が、2月22日
から4日間、スペース・ゼロ(東京・渋谷区)で開催されました。同フォーラムには
国内外から、災害を取上げた作家、災害を演じたアーティストたちが多く参加し
ました。
メルマガの読者には、同フォーラムの出演者と作品を紹介していきます。全体
像を知ってもらうためにも、作品の要旨と同時に、最終日のリレー・トーク『イン
ターナショナル・スピークアウト』を取上げます。これは作家、ゲスト、協力者の全
員が壇上で一同に会し、自由に語り合うものです。今回はまず海外から招聘さ
れた出演者を紹介します。
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インターナショナル・スピークアウトの司会・進行役は、制作統括の吉岡忍さん
が務めた。冒頭において、「忙しいフォーラムですよね。駆け足でやったつもりは
ないけれど、たくさんのプログラムが組まれていました。出演者の皆さんは災害
の作品を書き、描き、演じられてきたわけです。その基礎となった体験、あるい
は災害から何を学ばれたのか、それぞれ思い語っていただきます」と進めた。
そのうえで、「今回のフォーラムのテーマ『災害と文化』(叫ぶ、生きる、生きな
おす)について、もう一度考えてみたい。会場の参加者には作品づくりのプロセ
スが見えればいいかな、と考えています」とリレー・トークの趣旨を説明した。
●劉震雲
一番バッターとして、中国の劉震雲(リュウ・チャンウン)さんが指名された。劉
さんは『温故一九四二』を書いた。
1942年の中国では、劉の故郷の河南省で3000万人のうち、300万人が大干
ばつのため餓死した。そのうえ翌年にイナゴが大発生した。農民をいっそう飢餓
の状態、生命の淵に追いつめたのだ。
そこに日本軍が侵略してきた。そして、戦略的、意図的に米を放出した。
「中国の農民は、侵略者の日本軍を支持し、一方で猟銃をとり、青竜刀や鉄の
鍬(くわ)をもって、困窮の原点となった蒋介石打倒に動いた」という、スケール
の大きい餓死、戦争、歴史という問題と取り組み、『温故一九四二』を発表した
のだ。
劉震雲さんは、現在、北京で暮らす。インターナショナル・スピークアウトの壇上
では、「災害には自然災害、人的災害、それに自分の心からくる災害もありま
す。数日前、私の友人が地下鉄で飛び込み自殺しました。友人は心の災害に
打ち勝つことができなかったのでしょう。心の災害は、文化と芸術に携わるもの
が注目すべきひとつです。女性が男性にもたらす災害も、大きな災害のひとつ
だと思います」と話す(笑)。
●クワイユーン・ルークジャン
タイ作家のクワイユーン・ルークジャンさんは、エッセイ『黄金の女たちの石』を
発表した。彼はプーケット(タイ最大の島)で、大津波を体験している。
「津波が来た日、地球最後の日が来たと思った。ぼくがコントロールできるもの
は何もなかった」と作品のなかで述べている。
クワイユーンさんはいち早く友人のレポーターたちと被災地の救援活動に入っ
た。2週間経ったある日、一般社会から隔絶し、海洋生活で暮らしている、モー
ケン(海洋漂泊民)たちの村を知ることになった。タイでは最も貧しい村で、だ
れからも見過ごされ、見落とされてしまう存在だった。
大津波はかれらの漁具、養殖の竹囲い、漁船すらも奪い取っていた。収入が
まったくない。モーケンには関心を払ってくれる、そんな人たちはいない。郡役
所に被災届けを出したが、『モーケンの援助は後回し』と言われた。かれらには
もはや幼い子に粉ミルクを買う金もなかった。自分たちに残っている生命はもう
ないと思っていたのだ。
「最初にそれを知り、聞いたときには本当にかなしく思いました」とクワイユーン
さんは壇上で語った。「他方で、モーケンの人たちは大変すばらしい人たちだと
思いました。この人々について報告したい、モーケンの人を知ってほしい、と考え
て作品を書きました」と著作の動機を語った。
●アルバート・ウェント
サモアから来たアルバート・ウェントさんは、小説『サラブレッドに乗った小悪魔』
を発表した。サモアは火山の上に乗っている小さな島国。自然災害は、真実と
ちがう偶像崇拝(ヒーロー)の歌を作り出した。小悪人がヒーローになる、ユーモ
アがたっぷりの小説だ。
「アルバートさんは、個人的に体験された災害はありますか?」という吉岡さんの
質問に答えて、彼は子どものころに二度、ひどい疫病を経験したと話す。それは
水疱瘡と、麻疹(はしか)だった。
「疫病も大変な災害です。人々はこれを忘れがちです」。アルバートさんが20年
かかって書きあげた作品『マンゴーのキス』は、1918年に2500万人を犠牲にし
たインフルエンザの流行について書いたもの。「この疫病の災害では、サモアの
島民は5分の2が死亡しました」と補足した。
壇上のアルバートさんは、サモアの神話を引用しながら、「発明の能力、創造
の能力は神からの贈り物です。サモアにはそういう言い伝えがあります。人類は
この贈り物で、たくさんの物を創造してきました。科学的な液剤、機械、核兵器
も。しかし、人類は神からの偉大な贈り物を誤った使い方をしてきました。いまま
さに人類最大の災害の脅威に直面しています。それは地球温暖化です」と、今
後はさらに大きくなるだろう問題を提起した。
「太平洋という広大な海原で、サモアの先祖は5000年かけて探索を行い、居住
をしてきました。しかし、この海原を汚染するには数百年しかかかっていませ
ん。多くの島々は(地球温暖化で)海抜が上がるにつれて、海に埋もれてしまう
状況にあります。偉大なる神からの贈り物(発明の能力、創造の能力)をもちい
て、地球を救うことを祈っています」と訴えた。
●呉乙峰
台湾の映画監督の呉乙峰(ウー・イフォン)さんは、1999年9月21日に発生し
た、約2500人の生命を奪った台湾中部地震の被災者たちの姿を映画に撮り続
けてきた。そして『生命(いのち)』というドキュメンタリー映画を作った。そして、
自作を語った。
呉さんが本格的にカメラを回したのは、台湾中部の山岳の被災地からマスメ
ディアが立ち去ったあとだった。
被災者という弱い存在としての、人間にカメラを向けてきた。4組7人。具体的
には心を閉ざす女子大生、新婚生活をやりなおす夫婦、家族を作りなおす10代
の姉妹たちを追っている。同時に、監督の心にも老父の影と、亡き親友の声を
かぶせている。
吉岡さんは、呉さんに、「映画にも描かれていましたけれど、被災者を見てい
て、一番強く感じたことは?」と質問した。
「『生きる』それ自体が大変なことで、『誰もが簡単に生きることはできない』とい
う点です。大自然は恐ろしく猛威を振います。でも、人類がすばらしいのは、そ
こからふたたび『生きなおす』という力を持つことです」
60年後、あるいは100年後となると、(被災者も目撃者)、だれも生きていない
かもしれない。そう前置きしてから、「人間はそれら災害を芸術、文化という形
で、次の世代に伝えていくことができます」と語った。
●スーザン・カウシル&ラス・ブルーサード
2005年8月末に、巨大ハリケーン・カトリーナが、アメリカ南部の大都市である
ニューオーリンズを襲った。堤防が数か所で破壊され、市域の8割が水を被っ
た。死者は約1500人、使用不能の家屋は20万棟以上に及んだ。
ニューオーリンズは歴史のある都市である。河川、運河、港湾を活用とした貿
易港として栄えてきた。全米の3割をまかなう石油産出でも発展した。他方で、
ジャズやブルースが生まれ、世界的にも有名な「音楽の都」となった。
しかし、市域の拡大から、街の大半が海抜より低いところにあった。ニューオー
リンズの街を守るはずの堤防が、地下岩盤に固定されておらず、泥の層にただ
埋めていた。つまり、手抜き工事だったのだ。
巨大なハリケーンで、堤防が破壊された。それはまさに人災だった。
スーザン・カウシル&ラス・ブルーサードは、ニューオーリンズに住むミュージシャ
ンである。巨大ハリケーン・カトリーナが襲ってきたとき、スーザンさん(ギター)
は公演旅行中だった。旅先から連絡を取った、夫のラスさん(ドラマー)から、
「危険だから、ニューオーリンズに戻ってきちゃいけない」と言われた。
スーザンさんの兄は行方不明だった。
テレビは濁流に飲まれた街の様子を伝えていた。彼女は数日間、そんなニュー
スばかり見ていた。食欲も、気力もないし、重い気分が募るばかり。突然、一人
のミュージシャンが部屋に飛び込んできて、「みんなテレビなんか消そうぜ、楽
器を持って外に出よう」と叫んだ。スーザンさんはそれで、災害地で果たす
ミュージシャンの役割に目覚めたのだという。
吉岡さんは壇上のふたりに、「アパートが流された。そのことをどのように感じら
れましたか」と質問した。
ニューオーリンズの市街地は軍隊と警察によって封鎖されていた。スーザンさ
んは特別許可をもらい街に入った。「家に帰ってきて、アパートのドアを開けたと
き、人生が真っ逆さまにひっくり返ったような気がしました。椅子がキャビネットの
上だったり、いろいろな物が一緒くたになっていたり、部屋全体がひとつのメ
チャクチャな塊になっていました。本当に泣きたい気持ちになりました」。
行方不明の実兄から、携帯電話の留守電にメッセージが入っているとわかっ
た。「状況はひどい、怖いよ。食べ物も、飲み水もない。誰かきて、助けて」と悲
鳴のような声が残されていた。兄の家に出向いてみた。2階建ての1階はいまな
お水没していた。兄の遺体が見つかったのは、それから4か月後だった。
「私の心のなかには、亡くなった兄がいます。生前の兄はいつも『自分が死んだ
ら、300歳まで生きるように、また戻ってくるよ』と話していました。となると、生
き返ってきた兄が、今度は私の死を見取る。兄は、私が兄を失った悲しみを、今
度は自分で経験しなければならないのです」と話す。
ラス・ブルーサードさんは、巨大なカトリーナが街に大変な荒廃をもたらした状
況を語る。「街の人々は生活を失い、家を失い、持ち物を失い、さらには愛する
ものを失った。しかし、痛みとか、悲しみとか、恐怖とかは徐々に霧のかなたに
行くものだと知りました。この災害を通して、失ったもの以上に得たものがありま
した。それは英知と大きな愛情でした」と話す。「人々が心を開いて、互いに愛
し、互いに理解しあう。それは奇跡です」。
大災害を受けたニューオーリンズで、見ず知らずの被災者たちが互いに助け
合ってきた、それらを語っているのだろう。
●リンダ・クリスタンティ
2004年12月26日に発生した、スマトラ沖大地震の被害はインド洋全域に及
び、22万人の犠牲者が出た。そのうち16万4千人がインドネシア・スマトラ島の
人たちだ。それも震源地に近い、スマトラ島北端のアチェ州の人々だった。
インドネシアのリンダ・クリスタンティさんは、小説『スルタンの杖』で、災害地
のアチェを描いた。アチェの歴史は、独立と文化を守ろうとする抵抗の歴史で
もあった。彼女の長編小説は、大災害と歴史の2本柱からできている。
リンダさんは壇上で、作品づくりのプロセスを説明した。
「私は、スマトラ沖地震と、アチェに起きたような大津波を直接体験していませ
ん。約8か月後、私の雑誌のボスからアチェのニュース・ステーションを作りなさ
い、と指示されました。同僚は行きたくなかった。『リンダに行かせたほうがいい
よ、リンダは変人だから、行きたいと思いますよ』とボスに言ったそうです。そん
な裏工作があって、私にその役が回ってきました」
彼女はスーツケースひとつを持って、アチェにむかった。夜、アチェに着いたと
ころ、周りには何もなく、たった一棟の無人の建物しかなかった。そこに寝泊りし
たと話す。
3週間後、ニュース・オフィスに入りたいと、アチェの若者がリンダさんを訪ねて
きた。採用した。彼と仕事していると、だんだん仲良くなってきた。そして、若者
からパーソナル・ストーリーを聞くことができた。
「かれは津波の被災者でした。姉はロクンガ刑務所に収容されていた。その場
所に連れて行ってもらいました。大津波で、刑務所はすっかりなくなっていまし
た。私はそれを見て、すごく悲しくなりました。アチェの方々が受けた大きな災害
をストーリーにして、みんなに発表したいと決心したのです」と、小説『スルタン
の杖』のモデルたちとの出会いを語った。
スマトラ沖大地震の1年半前の2003年5月、東京で、インドネシア政府と、ア
チェ独立をもとめる『自由アチェ運動』の代表が和平協議をおこなった。しかし、
協議は決裂した。アチェの代表団は帰国と同時に、インドネシア政府に逮捕さ
れたのだ。それら出来事も『スルタンの杖』のモチーフのひとつになっている。
「文学には災害における大きな、ユニークな役割がある、と私は思います。なぜ
かと言えば、人間の記憶は限られています。忘れかけた災害の記憶を文字に記
載して、継続的に発表できるからです。アチェの人たちは少しずつですが、復
興への道を進んでいます」と結んだ。
●デイビット&ロゼリン
デイビット&ロゼリンは、ニューオーリンズからきた、もう一組のミュージシャンで
ある。デイビット&ロゼリンは、ベトナム戦争の反戦派として、ニューオーリンズの
街頭でジャズを演奏し、フォークソングやブルースを歌ってきた。
「ミュージシャンも政治的に戦わなければならないときがある。黒人が公民権を
獲得したとき、ベトナム戦争のとき、街頭の演奏を制限されたときも、当局を告
発して戦ってきた。今度もそう。イラク戦争の4か月分の戦費をまわせば、ニュー
オーリンズの堤防を作り変えられる」と訴える。音楽を通して戦争に夢中のブッ
シュ政権と戦っているのだ。ふたりは歌う。「堤防を作ろう。戦争なんかしていな
いで」と。
インターナショナル・スピークアウトの進行役である吉岡さんが、「デイビットさ
ん、ハリケーンで、どういう体験をしましたか?」と聞いた。
デイビットさんは、ハリケーンが襲ってくる前にニューオーリンズを逃げ出してい
た。「実際にハリケーンが襲ったさなかは、テレビを見て、洪水で街が失われて
いくのを、恐怖を持ってみていました。災害地域の人々には、数日間、何の助け
も来ない。テレビが映し出すのは、人々が死んでいく、苦しんでいる場面ばか
り」と話す。
10日後、ニューオーリンズに帰ってきた。「軍の車とか、逃げていく人々の車と
か、沿岸警備隊などとすれ違って、すごい経験だという気がしました」。
友人たちとツアーに出かけ、06年1月初旬にニューオーリンズに戻ってきた。全
国から集まった若者たちの支援組織ができていた。「私たちは演奏することも許
された」。
離れ離れになっていた、夫や妻たちが再開できた。いまだに会うことができな
い。さまざまな光景があった。体験談も数多く聞いた。「ハリケーンの間、屋根の
上に取り残された。救出されたが、フリーウェーのコンクリートの上に置き去りに
された。2、3日は真夏の灼熱の太陽の下にさらされた」そんな経験を語り合って
いた。
破壊された街はいま徐々に修復されている。連邦の資金と労力がつぎ込まれて
いるが、道路も水道管もまだ多くが不十分だという。「人々は必死になって、元
の状態に戻そうとしている。みないい人たちで、みんな努力をしています」と結
んだ。
ロゼリンさんは、「私は怒りを感じました。ハリケーンのときに、なぜ逃げなかっ
たんだという、多くの声には爆発するような怒りを感じます。非常に年を取った
人、輸送手段を持たない人、車椅子の人、病気の人は逃げることができませ
ん。車が大渋滞で、親は子どもをそんなところに連れて行きたくなかった。逃げ
ないと、決断をした人たちもいたわけですから」と批判は当たらないと話す。
「私と夫のデイビットは、かつてハリケーン・ジョージ(1998)のとき、ニューオーリ
ンズから逃げたものの、わが家は無傷だった。むしろ、避難先のほうが木々が風
で押し倒され、屋根が飛んでくる大混乱の状況だった。その経験があったの
で、逃げないと決意をしていた」
友達から電話で、「行くところがなかったら、わが家に来ないか」と誘われた。
「何で?」と私が聞いたら、友人が「ハリケーン・カトリーナが来るではないか」と
言う。「大丈夫。気にしないで、私は行かない」と言いましたら、「本当に、ひどい
ハリケーンだけど、大丈夫かというので、あれはただテレビだけよ」と言いまし
た。
翌朝の朝、7時に電話が鳴りました。テキサス州にいる大学院生の娘から、「何
やっているの」と怒鳴られました。
「ついさっきまで寝ていた」
「とにかく出て。逃げて」
「ジョージのときに逃げたけれど、意味がなかったでしょう」
「こんどのハリケーンは違うのよ。ものすごいハリケーンよ」
「大丈夫、こんどのハリケーンはいつも通り、ニューオーリンズの周りを回って、ミ
シシッピー・アラバマのほうに行くわ」
「メキシコ湾ぐらいの、巨大なハリケーンがくるんだから、とにかく逃げて。それ
でなければ、死んでしまう」
「そのようにビクビクしなさんな」
私は娘に言いました。
「もし、それで死んだら、あなた(母親)の棺を蹴飛ばしてあげるから」
「いま何を言ったの?」
「棺を蹴飛ばす」
「そういう状況で死んだら、身体は見つからないんじゃないの?」
「家でも何でもいいから、蹴飛ばしてあげる。母の写真でも何でも、蹴飛ばすか
ら。とにかくうちに来て」
ロゼリンさんは壇上で、母と娘の緊迫した状況を披露した。
「私たちは最終的に逃げ出しました。2週間後に戻ってきたら、家はかろうじて
建っていました。家のなかはメチャクチャになっていました」
巨大ハリケーン・カトリーナによる、災害のすさまじさを身振りたっぷりに語った。
●莫言
中国からノーベル文学賞が出るとすれば、最初は莫言(モー・イェン)さんだろ
う、といわれている。莫言さんの短編『秋の水』は、彼の名を世界的なものにし
た。
『秋の水』のストーリーは、「ノアの箱舟」の中国版ともいえる。広大な大湿原の
なかに小高く目立つ丘があった。そこに男と女が駆け落ちでやってきて、掘っ立
て小屋を作って暮らす。兵隊も役人もやってこない、隔絶された社会だ。
大洪水が起こり、妖しげな人物が一人ひとりとたどり着く。ひとつの村が形成さ
れていく。荒唐無稽な話しの連続に思えるのだが、「人間社会が形成される最
初のストーリー」として、しっかり伝わってくる。
閉会式で、莫言さんは挨拶に立った。
「地震、台風、干ばつ、洪水、火災、イナゴ、疾病。それらがもたらす飢えと寒さ
がたえず人類を痛めつけてきました。自然災害では、魂と肉体が過酷な試練を
受けます。災害で、人間の心はより美しくも、非常に醜くなることもあります。そ
ういう状態を見つめて表現することが、文学と芸術の神聖なつとめです」と話
す。
「自然災害は恐ろしい。もっと恐ろしいのは人類がみずから編みだす災害です。
人類は邪な知恵で、戦争を発動し、核兵器を含む、殺人兵器を製造してきまし
た。きっと戦争で死んだ人の数は、自然災害で死んだ人の数をはるかに上回る
ものと思っています」。
世界各国の芸術家はみずからの作品のなかで、戦争に反対し、平和をたたえ
ることが務めだと強調した。
「今日は天災も、人災も混在となっています。一人ひとりが災害の被害者とな
り、ときには災害の製造者になります。地球温暖化で氷が解け、海水が上昇し、
環境が汚染されています。これは大自然が人類に対する報復です。『地球はみ
んなの家』であり、美しく青い地球は宇宙の奇跡でもあります。人間がもし自分
たちの狂った欲望を抑えることができなければ、きっと大自然の厳しい報復を受
けるでしょう」と予見するのだ。
「文学、芸術に携わる者は、みずからの責任を認識し、人類社会が美しい方向
に発展していくように、力を尽くすべきです」と莫言さんは結んだ。
(構成:穂高健一)
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■イベントのお知らせ
日本ペンクラブ 第26回WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日
「なぜこの国を伝えたいのか」──ビルマ報道とジャーナリストの眼──
WiP・人権委員会シンポジウム
2008年3月14日(金)18:00開場・18:30開演・20:30終了(予定)
会場:日本プレスセンターホール
(日本プレスセンタービル10F 東京都千代田区内幸町2−2−1)
東京メトロ 千代田線 霞ヶ関駅C-4(徒歩1分)
東京メトロ 日比谷線 霞ヶ関駅C-4(徒歩3分)
東京メトロ 丸の内線 霞ヶ関駅B-2(徒歩4分)
都営 三田線 内幸町駅A-7(徒歩1分)
JR 新橋駅 西口<日比谷口・SL広場側>(徒歩15分)
定員:200名(予約不要) 参加費:500円
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映像ジャーナリスト長井健司氏が射殺されるという事件に端を発し、ビルマ
(ミャンマー)の現状とジャーナリストのあり方が注目を集めました。
第一部では、ビルマに焦点を絞り、在日ビルマ人ジャーナリストらをお招きして、
現状をうかがいます。
第二部では、第一部の話と長井氏の事件をふまえて、ジャーナリストはどうある
べきか、ジャーナリストの志とは、といった観点でパネルディスカッションを行い
ます。(今野 敏 WiP・人権委員会委員長)
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[プログラム]
開会挨拶・WiPとは
今野 敏(作家、日本ペンクラブ理事、WiP・人権委員会委員長)
第一部 田辺寿夫(ジャーナリスト、ビルマ市民フォーラム運営委員)
在日ビルマ人ジャーナリスト(交渉中)
第二部 江川紹子(ジャーナリスト、日本ペンクラブ会員)
山本宗補(フォトジャーナリスト、ビルマ市民フォーラム運営委員)他
司会・進行 夫馬基彦(作家、WiP・人権委員会副委員長)
閉会挨拶・まとめ
千葉 昭(ジャーナリスト、WiP・人権委員会副委員長)
総合司会 井出 勉(作家、日本ペンクラブ事務局長代理)
[問合せ先]日本ペンクラブ事務局 03-5614-5391
[WiPの日とは]:「Writers in Prison(ライターズ・イン・プリズン)」とは、
言論表現活動によって逮捕・投獄され、さまざまな圧迫を加えられ、言論表現
の自由を奪われている作家・ジャーナリストのことです。国際ペンは1980年から
「WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日」を定め、回本ペンクラブWiP・人権委員
会はじめ各国のペンセンターで、毎年活動報告と問題提起を続けています。
http://www.japanpen.or.jp/katsudou/event/080314.html
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■日本ペンクラブ編・新刊のお知らせ
『犬にどこまで日本語が理解できるか』(495円+税、光文社)発売中
2002年3月に発行された単行本の文庫化。森詠、三好京三、佐野洋ほか。
『わたし、猫語がわかるのよ』(495円+税、光文社)3月20日発売
2004年5月に発行された単行本の文庫化。浅田次郎、米原万里、出久根達郎、立松和平ほか。
筒井康隆選『人間みな病気』(760円+税、ランダムハウス講談社)発売中
91年11月に福武書店から発行された単行本の文庫化。
内田春菊選『ブキミな人々』(680円+税、ランダムハウス講談社)発売中
92年11月に福武書店から発行された単行本の文庫化。
http://www.japanpen.or.jp/katsudou/publication.html
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■日本ペンクラブ「電子文藝館」のご案内
1月〜2月に新しく掲載された文藝作品です。閲覧はすべて無料です。
*小説
津田 崇(つだ たかし 作家)「夏の喪章」
水樹 涼子(みずき りょうこ)「紫の記憶」
*詩
堀内 みちこ(ほりうち みちこ 詩人)「小鳥さえ止まりに来ない」
木全 功子(きまた いさこ)「座り直す」
*短歌・俳句
小久保 晴行(こくぼ はるゆき 洋画家、作家、評論家、歌人)「パリ日乗」
*招待席/評論・研究」
島村 抱月(しまむら ほうげつ 評論家)「文藝上の自然主義」
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
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<<ぺんぺん草>>
世界P.E.N.フォーラムが終り、ほっとする暇もなく大分県別府市へと飛びまし
た。「平和の日」の集いのためです。毎年3月3日は国際ペンが決めた「平和の
日」、日本ペンクラブは各県の行政とタイアップして千人以上が入る会場で催し
ます。今年は大分県別府市のビーコン・プラザが会場。
3月2日に大分入りしたのは、阿刀田高会長はじめ浅田次郎・新井満・立松和
平・高樹のぶ子・三宮麻由子の各氏と司会担当の高橋千劔破。夜になって、井
上ひさし氏。椎名誠・みなみこうせつの二氏は翌日午前中に到着。他に企画事
業委員と平和委員の総勢28名です。井上ひさしさんは、いつも皆より早く出発
するのですが、到着はまず遅れます。これは、飛行機が苦手で列車を利用する
から。
湯けむりの別府の温泉街の湯治場の雰囲気が残る懐しい感じの場所をそぞろ
歩きましたが、素泊り3250円とか、1泊2食6350円などという看板も目に付き、
浅田次郎さんなどは、「家にいるよりよほど安い、仕事場にしようかな」とすっか
り気に入った様子。立松和平さんは、これから晩餐会だというのに、地獄蒸しの
さつまいもや卵を盛んにほおばってました。
さて、イベントの内容は、これから日本ペンクラブの会報に掲載されたのち、い
ずれメルマガ読者の皆さんにも紹介できると思います。
(高橋千劔破)


