●日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第56号2007年11月22日
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目次
1)世界P.E.N.フォーラムに登場する外国人作家たち
2)世界P.E.N.フォーラム出演者に直撃インタビュー─出久根達郎さん─
3)編集後記「ぺんぺん草」(高橋千劔破)
※今号は、世界P.E.N.フォーラムの特集をお届けします。
//////////////////////編集長:高橋千劔破 編集:鈴木康之 記事:穂高健一////
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■世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」に登場する外国人作家たち
──タイ、中国、インドネシア、サモア
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来年2月22日(金)〜25日(月)には、世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」が
東京・新宿南口の「スペース・ゼロ」で開催される。11月26日『ペンの日』に、正
式に発表される。準備が着々と進むなかで、海外から招聘する作家がほぼ固
まった。他方で、制作関係者の陣容も決まった。
舞台美術の朝倉摂さんのもとで、舞台監督は北篠学さん。舞台づくり、会場装
飾などの打合わせに入った。同時通訳の準備や翻訳パンフレット制作も進められ
ている。
外国の招聘作家がほぼ出揃ったところで、吉岡忍企画委員長に外国人作家の
プロフィールと作品概略について語ってもらった。吉岡さんは今回の企画実現に
先立って、台湾(台湾中部地震)、アメリカのニューオーリンズ(ハリケーン・カト
リーナ)、タイのプーケット(インド洋大津波)などの被災地を訪れてきたという。
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●クワイユーン・ルークジャン『黄金の女たちの石』
タイから招く、クワイユーン・ルークジャン(1965年生まれ)さんの作品タイトル
は『黄金色の女たちの石』だ。クワイユーンさんは哲学を学んできた人だが、大
学院生のときに方向転換し、小説家になったという。タイの国際的リゾートのプ
ーケットで、2004年12月の大津波を体験した。
「プーケットはタイ最大の島です。日本の佐渡島とほぼ同じ面積で、文学が昔か
ら盛んなところです」。
プーケット在住のクワイユーンさんは、大津波襲来のとき、何が起きたかわから
ず、家族を連れて、ひたすら山の上に逃げた。幸い彼の家は被害に遭わなかっ
たが、「いったい何が起きたんだ?」と、自らピックアップトラックを運転し、被災地
を見て回った。目にしたのは、土台から持っていかれた建物や半壊した家々の光
景と、そこここに横たわる遺体だった。海岸から2キロ奥まった山裾まで打ち揚
げられた鋼鉄船もあった。
「タイ全土で9000人とも言われる犠牲者が出た。うち、1割が外国人ですが、そ
の多くは国際的リゾートのプーケットにいた人たちです。そのせいもあって、外国
の報道陣や国際的な支援組織もたくさんきました」
クワイユーンさんは「自分たちも、何か救援活動ができるんじゃないか」とプー
ケットの小説家や詩人たちに呼びかけ、約30人(男女半々)の作家チームができ
た。これは、それ以前からいっしょに雑誌を出したり、若者たち対象の文学サロ
ンの活動をしてきたからできたことだった。彼らは自分たちでお金を出し合い、
食料や水を買って、手分けして、被災地に配って歩いた。
1週間ほど経ったある日、プーケットから北に向かった集落で、お茶を飲める雑
貨店に入り、一休みしていた。「一段落してきたし、もう大丈夫だろう」と語り合っ
ていた。ところが店の人から、この近くの海洋漂泊民の村は被害を受けたが、
放置されている。政府や行政も支援に入っていない、という話を聞いた。
「海洋漂泊民とは海で暮らしている人たち」。クワイユーンさんらにはその程度の
知識しかなかったという。歴史的には約4000年前、中国奥地から南シナ海に出
て、マレー半島の海岸部で海洋生活をしてきた人たちだが、もともと多民族で、
ここ四半世紀は国際的リゾートとして発展してきたプーケットでは、異文化の人
がいるのは当たり前。特別に関心の対象ではなかったからだった。
クワイユーンさんたちは、マングローブの湿地近くの海洋漂泊民の村に入って
いった。マングローブの湿地の向こうには、アンダマン海が広がっている。遠浅
で、海岸線はまっすぐだった。津波を防ぐ抵抗物などまったくない。村人に聞く
と、8人の女たちが「黄金色の女たちの石」まで貝を捕りにいったまま、帰ってき
ていないという。
海洋漂泊民は一般タイ人とは隔絶した村で、隔絶した暮らしをしている。土地
も持っていない。生活レベルは、タイの最下層だろう。男たちは魚を捕り、女たち
は海岸の岩場で貝を採取して食べ物にし、ときには市場で売って暮らしている。
「黄金色の女たちの石」とは、村から数キロ離れた、小さな磯のことだった。
「村人たちは大津波という災害をどう捉えたのか。また津波によって、家族関係
がどう壊れたのか。若い世代と長老との間に、どんな対立が生じたか。これらの
結果として、若者の1人は村を捨て、街で働き始める。近代化、現代化していく
んです。それらの現実と意味が、克明に描かれた小説です」
●劉震雲『温故一九四二』
劉震雲(リュウチャンウン、中国、1958年生まれ)さんの作品は『温故一九四
二』だ。タイトルにあるように、第二次世界大戦中の1942年、中国・河南省で起
きた大干魃と大飢饉、そこが舞台です。
当時の中国は、蒋介石の国民党政府が広範な権力を握っていた。蒋介石は日
本、さらに毛沢東らの共産勢力と対抗しようと、連合国の米、英、仏、ソ連など
との関係を築くために腐心していた。こうした政治状況のもとで、大干魃が始
まった。干魃のあとには、強烈なイナゴの害も発生した。300万人もの人々が餓
死し、その何倍もの人たちが土地を捨て、流民となった。
しかし、蒋介石はなんら救済や支援の手を差し伸べなかった。300万人の死な
ど、何の気にもしていなかった。そんな「小事」より、連合国との関係をどう作る
か、彼らに馬鹿にされないためにはどうすべきか、そちらのほうが悩みだった。
「蒋介石の頭のなかに、人間なんて、いつでも生まれてくる、という考えがあっ
たんですね。彼は、国際政治のほうがよっぽど大変だ、と思っていた」
人民は住み慣れた家と土地を捨て、汽車にしがみついて、米がありそうなとこ
ろに行こうとする。線路脇は、振り落とされて死んだ人、親とはぐれた子供など
でいっぱいになる。悪いことに、さらにイナゴの大群がなけなしの農作物に襲っ
てくる。飢えた人民は身売りをする、倒れている屍骸を食べる、最後は自分の子
供さえも殺して食べる。民はそうまでして生き残ってきたのだ。
半世紀ほど経った。主人公の小説家は、1942年の体験話を聞きに回った。しか
し、「おじいちゃんどうだった? おばあちゃんどうだった?」と聞いても、ほとんどが
憶えていない。遠い過去の話になったこともその理由のひとつだが、中国には
大きな自然災害や戦乱が幾度となくあった。そのつど、人民は生きるのに必死
だった。悲惨な体験をくり返してきた民の記憶のなかでは、厄災はひとつではな
かったからだ。
主人公は、それでも42年に拘泥し、体験を聞いてまわる。いろいろ証言が出て
きた。そのひとつひとつが、中国の社会情勢と歴史を描いている。
1942年、侵略してきた日本軍は、蒋介石が民に目を向けない状況を利用し
た。国民党軍の基地を襲い、軍糧を奪うと、それを腹を空かせた被災民や流民
に放出したのだ。このとき人々は、政治的にどちらが味方で、だれが敵か、とは
考えない。食べ物があるほうが味方なのだ。こうして、今度は民衆が国民党軍
の拠点を次々に襲うという事態が出現した。それは結果として、日本軍に有利な
状況を生み出した。
「民衆は『国を売ったのだ』『その子孫がわれわれである』ということを、劉震雲は
書いています。災害という切羽詰まったなかで、権力と民衆の関係をあぶり出し
た視点は鋭いし、面白い。災害とは、こういうことも明らかにするのか、と思いま
す」
●アルバート・ウェント『サラブレットに乗った小悪魔』
サモアから招聘するアルバート・ウェント(1939年生まれ)さんの作品は、『サラ
ブレットに乗った小悪魔』である。
「サモアには、ポリネシア文化と人間の歴史がある。しかし、大航海時代、帝国
主義、戦争と、近代化の波は、いつまでも彼らを閉じられた、平穏な『未開文
明』に置いておかない。そういう歴史が、この小説の背景となっている」と吉岡さ
んは説明する。
語り手は、歴史学を教える教師の「私」だが、その「私」には、族長だった祖父
と、祖父が養子にした叔父のピリーがいる。祖父は昔ながらの文化をそのまま
保持し、叔父はしだいに都市化しつつあったサモアのネガティブな風俗を吸収
し、だんだん悪党になっていく。小悪魔、というのは、このピリーのことだ。
「祖父母の暮らしや価値観は、近代化以前のサモアの生活そのものです。しか
し、大家族主義で、食べ物や所有物を分け合い、自然に従うと同時に、力任せ
に働くというような生活は、キリスト教が入ってきて、ピューリタン的価値観に染
まっていくサモアでは、もはやなかなか受け入れられない。その息子であるピ
リーとなったら、始原のエネルギーは、犯罪にしか向けようがない。だから、彼は
次々に犯罪を繰り返し、そのたびに刑務所暮らしをする。でも、面白いやつなん
です。『私』はその面白さを、とても貴重なものだと思っているんです。だけど、
親戚中は、ピリーを鼻つまみ者にする」
小さな事件を起こしたピリーは、また何度目かの刑務所暮らしをする羽目にな
る。そして、ある日、強烈な嵐が来る。彼は悪党だが、なぜか濁流に溺れた看
守を助けようとして飛び込み、自分も呑み込まれていく。
この「英雄的行為」が、その後、バラードに作られ、ピリーはサモアのヒーローに
なっていく。まさに大衆社会でヒーローが作られていく、その過程そのものだ。
語り手の「私」は、そのことも見抜いていく。
「なかなかユーモラスで、いい作品です。伝統と近代、災害による社会の亀裂
など、ほんとうはシリアスなテーマを扱っているんです。暴力の問題もある。それ
を、ドタバタのユーモア小説にしたのは、相当な力量だと思います」
なお、アルバート・ウェントさんはサモアを含め、南太平洋の島々にある文化を
壊していくものとしてのアメリカやオーストラリアなどの文化を「巨大文化」と呼
び、これらにいかに対抗するか、どうやってみずからのアイデンティティを創り上
げていくかが課題だ、と言う。これは、現代世界の大問題だが、小さな災害の
なかにも、こうした視点を持ち込んだことに、この小説のもうひとつの意味があ
る。
●リンダ・クリスタンティ『スルタンの杖』
インドネシアからは、女性作家のリンダ・クリスタンティさんが参加する。小説は
『スルタンの杖』だ。舞台はスマトラ島北部の、アチェ特別州。インド洋、アンダ
マン海、マラッカ海峡に面したアチェは、海洋的な開放感があり、東南アジアの
なかでも早くからイスラム文化が定着したことで知られている。文化の独自性
の主張も、昔から行なわれてきた。
スマトラ島の歴史を見ると、西欧列強による植民地獲得の時代からポルトガ
ル、イギリス、オランダなどの侵略にさらされてきた。ヨーロッパからの侵略者の
前で、アンダマン海周辺の地域やインドネシアのほとんどは屈服していくが、ア
チェは最後まで抵抗し、独立を維持した歴史を持つ。その後は、日本軍も入って
きた。戦後は、スカルノ、スハルトからメガワティ政権等の現代に至るまで、ア
チェの分離・独立の運動は続けられ、他方で、折々に激しい弾圧も行なわれて
きた。
「この小説はまずアチェの歴史を押さえておく必要があります」と、吉岡さんは言
う。
語り手はファフミという若い男だが、彼がずっと年上の姉のことを語る形で物語
は進んでいく。彼は子供のときから、近所の老人たちからアチェの昔話を聞い
て育った。アチェの絶頂期は16世紀、伝説的なスルタンのもとで、たくさんの人
と文化と富が集まってきた。とりわけ彼は、「スルタンの杖を洗った池の水を浴び
ると、その人は特別の才能を授かる」という話が気に入っていた。
一方、姉は50歳近いが、簡易宿泊所を経営する「肝っ玉母さん」のようなオバ
さんである。彼女は娘時代から自由奔放、開けっぴろげで、思ったことはすぐ行
動する生き方をしてきた。しかし、伝統的な家では、結婚相手を自分で選べな
い、夫が言い出すまで離婚はできない、などの制約のなかで生きてきた。とはい
え、彼女は別段、政治的な人ではなく、街中で暮らし、働く、普通のオバさん
だ。
1999年、30年間に及んだスハルト軍事政権が倒れ、インドネシアでも民主化
の波が広がった。アチェの独立機運もいっきに高まった。しかし、2003年に東京
で行なわれたインドネシア政府とアチェの和平協議は失敗に終わり、アチェの
代表たちはジャカルタ空港に着いたとたん、インドネシア政府に身柄を拘束され
てしまった。さらには独立運動シンパの人たちもインドネシア軍や警察に逮捕さ
れていく。そのなかに、その肝っ玉オバさんがいた。
だが、刑務所に入れられた彼女は、めげない。それどころか、人気者になって
いく。そんななか、彼女は自分の50歳の誕生日を、盛大に祝おうと考える。
そして、その日がきた。スマトラ沖で大地震が起き、アチェは大津波に襲われ
る。
姉の留守を預かり、簡易宿泊所を切り盛りしていた弟は、巨大な水の壁が襲っ
てくるのを見る。彼も、家族もあっという間に呑み込まれていく。水は2階まで溢
れた。彼らは屋根に上がり、何とか生き延びた。
そして、姉は......。弟は、海に面した刑務所を訪れる。
「これは(400字詰め原稿用紙にすると)2000枚から3000枚の大長編小説で
す。しかし、それほど長大な作品を読み上げるわけにはいきません。他の作品も
そうですが、長いものは別途、作家本人を交え、朗読版を作成しています。それ
をプロの朗読者と作家本人に読んでもらいます」と、吉岡さんはつけ加えた。
●莫言『秋の水』
莫言(モー・イェン、中国、1956年生まれ)さんの作品は『秋の水』という短編。
彼は中国文学を世界文学に接続した、と評されるダイナミックな手法で知られ
る。「赤いコーリャン」など、映画化され、世界的な話題となった作品も多い。
吉岡さんがあらすじを語ってくれた。「若い男女が結婚に反対された。両親を絞
め殺し、駆け落ちした。人が住まない原野の高台に、ふたりは小さな粗末な家
を造って暮らしはじめた」。大洪水はこの後に起きた。
妻は臨月だった。長雨が降りはじめたが、降り止まない。高台のまわりは洪水
で、死体まで流れてくる。原野に孤立したふたりの姿が、莫言独特の文体で描
かれていく。
そこへ、紫色の装束をまとった、正体不明の女が現われる。彼女はうんうん
唸っている臨月の妻を見ると、たもとから拳銃を取り出し、脅迫する。びっくりし
た妻は、その途端に、元気な赤ん坊を産み落とした。
その夜、嵐が荒れ狂うなか、今度は黒装束の男と、白装束の女の子が流れ着
いた。男はひどく乱暴者で、射撃が上手い。女の子は目が見えず、三絃の琴を
弾く。洪水に浮かんだ狭い高台に、5人が揃った。
そこで事件が起きるのだが、これはあとのお楽しみ......。
「これは、ある村の創世の物語です。社会形成の最初のストーリー。そのなか
で、偶然と血の匂いと暴力が混じり合っている。この小説はそこを描いている」
世界P.E.N.フォーラムでは、1つの舞台は、1時間から1時間半で構成される
ことになっている。単なる作品の朗読ではない。作者+プロの語り手という組み
合わせがある。そのうえ、背景には、イラスト、人形、写真など多彩な映像企画
が織りなす。
たとえば、莫言さんの小説は、名だたる講談師が読み、招かれてカーネギー
ホールでも演奏したという中国琵琶奏者が演じる。もちろん莫言さんも、クライ
マックスシーンをみずから朗読する。背景の絵は、新進のフィギュア作家と双子
のアーティストのコラボレーション。こうした試みは、世界的フォーラムとしてはも
ちろん初めてのことだ。(構成:穂高健一)
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次回は映像、音楽、朗読のコラボレーションについて、ご紹介します。チケット
の一般向け発売は12月1日の予定です。購入方法については、次回のメールマ
ガジンと日本ペンクラブのホームページでお知らせします。
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■世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」の出演者に直撃インタビュー
──『安政大変』を朗読する出久根達郎さん
出久根達郎さんの『安政大変』は、幕末最大の大地震を舞台にした、江戸庶民
の姿を描く短篇集だ。出久根達郎さん(1944年、茨城県生まれ。93年、『佃島
ふたり書房』で直木賞を受賞)は、同短編の一部をフォーラム用に書き直した作
品をみずから朗読する。
「私は、『安政大変』で、江戸時代の民衆のエネルギーを描きたかった。大地震
が来ても、庶民はめそめそしていなかった。フォーラムでは、歌と音を入れて、面
白くやりたい」と張り切っている。
『安政大変』の表紙には、「なまず絵」が描かれている。赤なまずが暴れ、武士
が戦々恐々としている構図だ。出久根さんは、「なまず絵は、為政者を批判する
ものです。だから、奉行所は取り締まり、発禁処分にしてきた。しかし、民衆はし
たたかですから、それでもなまず絵が出回る。現在でも何百種類も確認できま
す」と教えてくれた。
地震が起きると江戸の貧しい庶民は泣き叫ぶ──今までの作家の多くは、地
震を悲惨なもの、不幸なものとして描いてきた。出久根さんの視点は180度ち
がう。
「貧しい庶民は長屋住まい。地震がどかーんときて家が倒壊しても、店子は、失
うものがない。災害復興の活況で、大工や職人たちは地震が飯の種になる。逆
に明るさを見出していた」。多くの民衆は、ふだんの閉塞感から解放されたの
だ。
「天変地異は『世直し』と、庶民は受け止めていました。地震は決して不幸な出来
事だけではなかった。庶民は災害後、前向きに生きていたし、町の復興は早かっ
た」
江戸の庶民の心情としては、金持ちは一夜にして文無し、こちらは仕事にありつ
ける。凋落する豪商などを見て、「ざまあみろ」、と喜んでいたのかもしれない。
「フォーラムの舞台では、朗読は他人に任せず、私がやります。着流しに角帯の
姿を考えています」と張り切る。どんな朗読なのか。「落語調の朗読ですか?」と
探りを入れてみたが、笑ってごまかされた。
「江戸の歌をアレンジした。ヨイトマケに似た、労働歌も創作しましたから」
出久根さん自身が歌うのか。歌唱力はどの程度か、と今から興味を覚える。本
人はまだ作戦を練っている最中のようだ。「世界P.E.N.フォーラム」で直接、観
て聴いてみるより策はなさそうだ。
出久根さんの書き直し原稿はすでにペン事務局に届いている。
「井戸掘り職人と、夜鷹との会話で、ストーリーを運んでいます。面白がって、字
は躍っていますよ」と事務局長は教えてくれた。
「掛詞、艶歌などがたくさんあり、英文の翻訳は大変でしょうね」
(構成:穂高健一)
(記事で紹介したフォーラムの内容は変更になることがあります)
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<<ぺんぺん草>>
来年2月下旬の「世界P.E.N.フォーラム」に向けて、ペンクラブはフル稼働態
勢に入りつつあります。関係理事や委員、事務局は早くも大わらわです。皆、「世
界P.E.N.フォーラム」だけに専念していればいいという訳ではなく、11月26日
には「ペンの日」懇親会が開かれます。1935年11月26日が、日本ペンクラブ
の発足した日で、毎年この日には日本ペンクラブの会員と関係者が400〜500
人集います。日本ペンクラブの年中行事のなかでも、最大のパーティーです。
また、フォーラム終了直後の来年3月3日には、「平和の日」が大分県で開かれ
ます。阿刀田高・浅田次郎・新井満・井上ひさし・立松和平さんら、日本ペンクラ
ブの主要メンバーが出演するリレートーク形式のイベントで、毎年各地方自治体
とタイアップして催され、1500人前後が集います。この催しは1984年の国際ペ
ン大会(東京で開催)の平和委員会で、毎年3月3日には世界中のペンセンター
が文学者による平和の集いを行なおう、という決議に基づくものです。このほか
にも、執行部会や理事会、会報の発行、各委員会活動など、定例の活動があり
ます。この年末年始は、どうなってしまうのか......といった状況で、大わらわという
訳です。
「世界P.E.N.フォーラム」の運営委員会は、今夏より毎月1回開かれていて、
広報委員も参加していますが、各出演者ごとの個別の打合せも始まり、いよい
よ尻に火が付き始めました。先日、出久根達郎さん担当の『安政大変』の朗読
劇の打合せで、吉澤一成事務局長と吉岡忍、森ミドリさんが会い、人足と夜鷹
の掛け合いの猥歌をどうするかで、大いに盛り上がった由。森さんはエッセイスト
で企画事業委員会の副委員長ですが、本業は作曲家でピアニスト。さてどんな
歌がつくのやら。(高橋千劔破)


