メールマガジン「P.E.N.」バックナンバー

日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第55号2007年11月20日

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目次
1)「ペンの素顔」第2回・下重暁子副会長に聞く
2)10月6日 シンポジウム『女流文学者会の記録』
3)10月9日 ミャンマー政府に関する声明を発表
4)「電子文藝館」10月の新掲載作品
5)編集後記「ぺんぺん草」(高橋千劔破)

※前号に引き続き、世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」の続報もお伝えする予定でしたが、記事があふれてしまいましたので、フォーラムについては、近日中に発行する第56号で特集号としてお伝えします。

/////////////////編集長:高橋千劔破 編集:鈴木康之 記事:穂高健一////


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■「ペンの素顔」第2回・下重暁子副会長に聞く

──女流文学者会から女性作家委員会へ
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 日本ペンクラブ女性作家委員会・日本女流文学者会共催のシンポジウムが、10月6日、東京ウィメンズプラザ(渋谷区)で開催されました。テーマは『女流文学者会の記録』〜女性作家のこれまで、これから〜。

 日本女流文学者会は、約70年前に、吉屋信子、宇野千代、林芙美子らによって親睦会として生まれました。今回のシンポジウムが最後の活動で、長い歴史の幕を閉じます。同会の解散を惜しむ作家、文学者、文学愛好者が会場に駆けつけていました。

 シリーズ「ペンの素顔」は2番バッターとして、下重暁子さん(日本ペンクラブ副会長)にお願いしました。同シンポジウムで開会の挨拶をされた下重暁子さんは、これまで女性作家の地位向上に取り組んできました。終了した直後に同会場で、下重さんにインタビューしました。インタビュアーは高橋千劔破(ちはや)広報委員長です。

 続けて、シンポジウムの様子も紹介します。
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●日本ペンクラブ女性作家委員会の設立

[高橋] きょう日本女流文学者会の幕引きがなされました。日本ペンクラブの女性作家委員会への引継ぎを含めた、二つの会の視点からお話いただけますか。

[下重] 私が常務理事だったころ、1998年に、フィンランドのヘルシンキで開催された第65回国際ペン大会に参加しました。国際ペンには「女性作家委員会」があり、私はそちらに出席を要請されました。私が日本人だとわかった途端に、「従軍慰安婦問題をどう思うか?」と質問されたのにはびっくりしました。最初からシビアな問題に直面したわけです。一生懸命、私なりの考えを英語で説明しました。皆さんはわかってくれました。それは実に嬉しかったですね。そして、日本ペンクラブに女性作家委員会を作ってほしいと要請されました。

 帰国後、日本ペンクラブに、この案件を諮りました。「今の日本では女性作家は差別されていないし、今さら女性作家問題ではないだろう」という声が多くありました。「委員会は必要ない」という反対意見はむしろ女性から出てきたのでした。

 でも、私はどうしても女性作家委員会を作りたかった。私自身かつては同様に考えていました。しかし、男性作家、女性作家という問題だけではないのです。「日本ペンクラブがなぜ国際ペンの下にあるのか」、ここが重要な点です。開発途上国、とりわけアフリカや中近東では、女性が作品を発表する場すらない、書くこともできない、本を売ることすらもできない現状があります。

[高橋] それらの国々では女性であるということだけで、活動が制約されています。日本でも、つい最近まであったことですよね。

[下重] 作家の故・三枝和子さんに、女性作家委員会の設立についてご相談しましたら、即座に作りましょう、と言ってくださいました。三枝さんはフェミニズムに詳しい方で、最初の委員長も快く引き受けていただきました。

 1998年12月に女性作家委員会が発足してから、いろいろ考えてみると、日本には女性差別がまだいっぱいありました。当時の副委員長小谷真理さんなど、自分で書いた作品にもかかわらず、「これは亭主に書いてもらったんだろう」と言われたそうです。私自身も若いときに、「本当にあなたが書いたのですか。男に書いてもらったんじゃないですか」と疑われました。そういう事例がいっぱいあります。

 最近は状況が良くなったかにみえます。しかし、きょうのシンポジウムで津島(佑子)さんが指摘されたように、今の若い女性作家はジャーナリズムに乗せられ、チヤホヤされています。そういう女性を選ぶのは男性です。つまり、男の視点で選ばれた、男の考えで作られる部分もあるのではないでしょうか。現代の女性作家がこうしたジャーナリズムに乗せられているとすれば、過去の状況とはさほど変わっていない、という津島さんの指摘はとても正しいのです。

[高橋] 女性問題の奥行きは深いですね。

●日本女流文学者会から日本ペンクラブ女性作家委員会へ

[下重] そうです。いちばん大切な問題だと思うのです。「男から見た女」は表現としてたくさん出てきますが、「女が見た本当の女」と同じか、となると疑わしい。もちろん、違ってもいいんですよ。ただ、「女をみる男の視点で文学の世界が動いてはいないか」ということはあります。

 日本ペンクラブの女性作家委員会としては、きょうのシンポジウムを機会に、それらを検証する必要があります。日本女流文学者会が歩んできた長い歴史に立っても、日本女流文学者会が今やなくなった現状からしても、女性作家委員会がいっそう女性問題を取り上げることが肝要です。

 今まで女性問題というと性差別、社会問題としての取り上げ方が多かったと思います。しかし、文芸評論家の与那覇恵子さんが委員長となりましたし、これからは文学的な問題として取り上げていきたいです。きょうも提起されましたが、「女の物書きは戦争のときには何ができるか?」などの課題を文学のうえでとりあげていくことになるかと思います。

[高橋] 女性の書評家はいますが、文芸評論家はほとんどいないですね。

[下重] 文芸評論を専門に仕事にしている人はほんとうに少ないですね。与那覇さんも現代や近代の日本文学の研究を本業としつつ評論活動もするという感じです。こういう現状を考えても、女性問題に取り組むべき事柄は多いですね。

[高橋] 日本ペンクラブのなかには女性作家委員会があり、女流文学者会がやってきた仕事を総括して取り入れていく。文学のなかで、女性作家とは何なんだろうと、それらを突き詰めていく。きょうのシンポジウムを聞いていて、そういう方向性はとても良いと思いました。

[下重] 女性作家委員会としては、きょう改めて与えられた課題だと認識しています。

[高橋] 日本の文学界の現状のなかでは、男性と女性を比して、女性だから書けない、女性だから文学賞がもらえない、という差別の事例はなくなってきましたね。個々の例で仮にあったにしろ、全体としては薄らいできました。

[下重] ただね、津島さんがおっしゃったように、若いきれいな、可愛い女性作家をジャーナリズムに乗せ、商業主義で売るでしょ。あれは(文学の本質とは)ちょっと違うかもしれない。男の仕掛けた罠かもしれない(笑)。

●とくにアジア、中近東、中南米との関係

[高橋] 女性作家委員会としてもう一つの目的は、国際ペンが注視する世界の国々、とくにアジア、中近東、中南米との関係ですね。これらの国では女性で優れた表現能力を持っている人が、女性であるということだけで、発表の場を奪われている。日本がそれをどう支援していけるのか。女性作家委員会が日本国内で知らせていかないと、つい日本の内にのみに目を向けて、そういう現状から目を背けてしまう。

[下重] そうなんです。私はかつてエジプトに半年暮らし、アラブに興味を抱いています。国によって違いますが、アラブの女性はまさに作家活動の外に置かれています。社会的な立場からも、物書きとしては生きていけない。表現の自由の問題までは、とてもとても及ばない。「日本はもうそんなことはないよ、(女性問題に)取り組む必要がないよ」という意見に対して、私は反対ですね。それらの国々の実態にも目を向けていく必要があります。

 私自身は女性だからといって、差別の扱いを受けたことは比較的ない人間です。だから、あまりこだわらないほうですが、この場合「開発途上国の女性差別の問題」には拘泥(こうでい)したいと思います。
 アラブの場合には、宗教という奥の深い問題が絡み、そうかんたんに解決できるものじゃないのです。

[高橋] アラブでは宗教が絡み、開発途上国、たとえばアフリカ諸国などでは教育が絡んでいますね。教育を受けられない女性が大勢いる。作家活動にまで及ばない。

[下重] そう、女性はまず教育を受けるチャンスが少ない、その底流には貧困の問題があるからです。日本の今の価値観で、それら途上国を見ると間違います。きょうのシンポジウムを聞いていても、日本はついこの間まで、女は「主婦作家」だの「台所作家」だのと言われていました。それを忘れてしまってはいけない。

[高橋] きょう岩橋邦枝さんから、「円地文子さんの書斎が2階だった。夫は1階だった。円地さんは亭主の上で書いている、けしからんと言われた」という話が出てきたり、岩橋さん自身も、主婦作家といわれて珍しがられたり、と言っていました。

[下重] 私はインタビューをされるとき、「主婦の目で」と聞かれることがありました。そんなときは「主婦の目では言えません、私の目でならば言えます」と応えます。

[高橋] 女の目ならば、まだ良いですけれどね(笑)

[下重] 私が頑張って書いた文章でも、これはとても女には書けないという。誉めたんだか、貶(けな)したんだか、よくわからないけれどね。そういうことを年中言われていました。

●「男を書きたい」女性の新人作家

[高橋] 最近は、物書き志向の女性がすごく多い。私はある文学賞の選考委員をしています。候補作品を多く読みますが、面白いことには「ぼく」「おれ」「私」とか、男の一人称で書いた作品が圧倒的に女性の新人に多いんです。不思議な現象です。

[下重] 何でしょうね。

[高橋] どう見ても違和感があるんです。女として女性の感性を書くのでなく、男を書きたいんです。変わったな、と思います。

[下重] 女が男を書くというのはすごく難しいですけどね。

[高橋] 客観視して、男と女を書くのならわかりますけど、一人称ですからね。自分が男になって書いてみたいんですね。

[下重] 私は今ある組織のトップにさせられています。職員は約200人です。3分の1は女性なのに、管理職は1人もいない。私は必死になって、女性管理職を作ろうと思っています。やっとその手前にきた段階です。こういう現実はまだ多くあります。(女性差別問題は)甘いものではない。まだまだ戦うものがあります。戦うものがあるから良いものが書ける面がありますけれど。恵まれたら良いものは書けないし。

[高橋] 文学でみれば、人間の資質はまったく同じ、男女には差がない。ただ、男である、女である、という生物学的な厳然たる差はあります。若いときから、男になって男の気持ちで書いてやろうと思わないで、女性にしか書けないものを書いてほしい。

[下重] そうよ。女が男を書く場合はよっぽど面白く書かなければね。

[高橋] 人生経験の少ない新人では書けないですよ。男を一生懸命書きたがっているけど、きょうのシンポジウムでも、男の作家が書いている女は男にとって都合のいい女であって、女から見た女とは違うという話がありました。

[下重] 男の発想と、女の発想は違うし、ただ男のまねしないで自分の発想を大切にしなければいけない。

[高橋] 日本女流文学者会が消えても、日本ペンクラブの女性作家委員会がその精神を継承する。その方向性はとても良いと思います。メルマガの読者は、文学ファンの方々ですから、女性作家が抱えている問題を知っていただきたい。今後、日本ペンクラブの活動のなかで、女性作家委員会の活動にも注目していただきたいですね。

[下重] そうなんです。作家だけの問題ではないし、女性の問題なんです。きょうのシンポジウムをみても、ふだん会えないような、素晴らしい作家ばかり。何でもっと人が来ないのだろう、私はすごく腹を立てているのです。今後このような集まりがあれば、もっと広くお知らせいたしますから、男も女もぜひ参加していただきたいです。
(構成:穂高健一)

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■シンポジウム『女流文学者会の記録』〜女性作家のこれまで、これから〜
──10月6日、東京ウィメンズプラザホール

 約70年前に吉屋信子、宇野千代、林芙美子らによって、親睦会として「日本女流文学者会」が生まれた。女流文学者会の歩みが、このたび『女流文学者会・記録』(中央公論新社)として発刊された。

 それらを踏まえたシンポジウム(主催は日本ペンクラブ・女性作家委員会と日本女流文学者会)が10月6日に東京ウィメンズプラザ(渋谷区)で開催された。今回のシンポジウムをもって日本女流文学者会は活動を停止する。今後の活動は日本ペンクラブ・女性作家委員会に引き継がれる。

 総合司会・まとめは与那覇恵子(よねはけいこ)(女性作家委員会・委員長)で、「女流文学者会が果たしてきた役割を、会員の方から聞き、今後の方向を語り合っていきたい」と述べた。
 下重暁子(日本ペンクラブ副会長)が開会挨拶で、「女性作家の過去、現在、未来を話し合う場として、シンポジウムを開催いたしました」と述べた。

 第一部は『女流文学者会・記録』と女流文学者会について。スピーカーは岩橋邦枝、加藤幸子、津村節子、津島佑子、中沢けいの5人。司会・進行は川村湊である。
 歴代会長として平林たい子、円地文子、芝木好子、河野多恵子、大庭みな子らが名を連ねてきた。スピーカーは壇上で、それぞれの思い出話を重ね合わせた。

「デビュー当時は文芸誌のページが少なく、女流作家は発表の場が少なかった」(岩橋邦枝)
「芥川賞の受賞後は長く主婦作家といわれ、女性の作家は特別な人だとみなされていた」(津村節子)
「文壇はつねに男が中心だった。差別されていた女流作家が集まり、親睦を兼ねながらも、切磋琢磨する会として存続してきたのだ。日本女流文学者会がただ消えるだけではもったいない」(津島佑子)。
 同会が歩んできた道を本で記録を残そうと、2007年9月に『女流文学者会・記録』(中央公論社)を刊行したと、経緯と内容の紹介があった。

 第二部は、女性作家の現在とこれから。スピーカーは同じメンバー。
 時代の流れで、今や女性の社会的地位が高まり、性差別も、冷遇もなくなってきた。他方で芥川賞など文学賞となると、ジャーナリズムは若い女性作家の出現を持てはやす傾向にある。

「男が考える女、女が感じている女とはちがう。男作家が書いた女は不自然。女性作家の必然性を強調した」(加藤幸子)
「むかしの作家は、女子は着物、男性は着流し。今は双方とも洋服。文壇は男女の区別がなくなってきた」(中沢けい)

 司会・進行の川村湊(かわむらみなと)は、「ここで女流文学者会を止めるわけです。日本ペンクラブ・女性作家委員会は、あらためて過去70年余りの歴史を検証し、これからの女性作家の将来を見つめていく必要があります」と結んだ。

 同会委員長の与那覇恵子は、まとめとして「女流文学者会が日本文学に広がりを与えたことは確かです。かつては『男の見方』でしか文学が評価されなかった。これからは女性の視点、あるいは両方の視点から文学を評価していきたい。日本ペンクラブの女性作家委員会はそのような価値基準を求めていきます」と述べた。(文:穂高健一)

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■「ミャンマー政府による新たな言論弾圧、日本人ジャーナリストの殺害、僧侶、市民の拘束に抗議し、言論の自由の回復を求める声明」

 日本ペンクラブは、10月9日に上記の声明を発表しました。詳細は次のページをご覧ください。
http://www.japanpen.or.jp/seimei/071009.html

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■日本ペンクラブ「電子文藝館」のご案内

 10月に新しく掲載された文藝作品です。閲覧はすべて無料です。

*反戦・反核
開高 健(かいこう たけし 作家)「玉、砕ける」

*詩
司 茜(つかさ あかね)「若狭に想う」

*評論・研究
岩谷 征捷(いわや・せいしょう 文芸評論家)「記憶・記録・受苦・恩寵」

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html

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<<ぺんぺん草>>

 執行部(会長、副会長、専務理事、常務理事)を除く現理事29名のうち、小生が知るところのペンネームは、以下の人たちです。嵐山光三郎・井上ひさし・加賀乙彦・黒井千次・早乙女貢・立松和平・辻井喬の各氏。また倉橋羊村さんの羊村は俳号。
 号といえば初代会長島崎藤村の「藤村」は号で本名は春樹。藤村は他にも多くの別号を持っていた。「無名氏」「島の春」「古藤庵」「無声」「枇杷坊」「むせい」「葡萄園主人」「六窓居士」など。二代会長の正宗白鳥も号で、本名は正宗忠夫。読売新聞の記者時代には「白丁」「剣菱」「XYZ」「三木庵主人」「影法師」などの別号をよく用いた。
 その後の会長でペンネームに号を用いた人はいないが、十代会長遠藤周作の「狐狸庵山人」「雲谷斎狐狸庵」はよく知られている。初期の擬古文調のエッセイ集のタイトルに『狐狸庵閑話』と名付けて、以後狐狸庵山人を称した。同タイトルは「こりゃあかんわ」のもじり。「雲谷斎」は「ウンコ臭い」の当て字である。なお、本メルマガの記者で広報委員の穂高健一さんもペンネーム。山男でもあり、北アルプスの名峰穂高をペンネームとした由。(高橋千劔破)