メールマガジン「P.E.N.」バックナンバー

日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第7号2004年2月20日

■阿刀田高講演「クリエーターの仕事」〜その1

      2003年10月4日 ペンクラブ京都例会(ゆうりぞうと洛翠)にて

●始まりは雑文書き
 私は子どもの時から大変に読書が好きで、小説もよく読んでおりました。し
かし、小説家になろうと思ったことは、ほとんどありませんでした。なんとな
く大学の文学部に入りまして、在学中に肺結核に罹り、二年ほど療養生活を送
りました。そのせいもあって就職には大変苦労しましたが、国立国会図書館が
採用してくれたので「ああよかった、よかった」と思いました。(笑い)

 遅れず休まず、ちゃんと勤め上げて、共済組合年金というのを頂いて、老後
は静かに菊の盆栽でも作って一生を送ろうと、本当にそう思って図書館に勤務
しましたが、ここは給料が少し安かった。

 給料が安いというのは骨身にしみて辛いわけで、何とか収入がないものかと
思案しましたところ、雑文書きという仕事を覚えました。何しろ後ろに国会図
書館という大変に資料の豊かなところがありますから、まあ大概のことは何と
かなるんです。

 あるとき、東北の大きな企業から広報誌に夏祭りのシーズンだから「民謡に
ついて原稿を書け。会津磐梯山という民謡がよかろう」と言われまして、書庫
の中に入ると「民謡の本」なんて、山ほどあるんです。「会津磐梯山」と言わ
れたので、目次を見ながら探しました。

 会津磐梯山という民謡は、数ある日本の民謡の中でも際だって明るい民謡の
ひとつで、歌と歌との間に、お囃子が入ります。(ここで阿刀田氏うたう)

 ♪オハラ庄助さん
   何で身上つぶした
 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで
   それで身上つぶした
 アーもっともだ もっともだ♪

 この「オハラ(小原など諸説あり)庄助さん」というのは実在の人物で、歌
まで詠んでいる。いわく「小原庄助に、酒はいつ飲んだら旨きかと尋ぬるに、
小原庄助の答えて詠める......」
 小原庄助さんは、五・七・五・七・七の大和歌で答えたんですね。

「朝もよし 昼もまたよし 夜もよし
   食前食後 その間もよし」(笑い)

 こういうのは、雑文書きにとって"三重丸"なんですよ。(爆笑)
 私は、これを書き写して、その前後に何か、ちょこちょこと書きまして原稿
を送ると、何ほどかの原稿料を頂ける。(再び笑い)

●物書きは独創的であること
 物を書く仕事というのは、当然のことながら独創的でなければなりません。
他人と同じことを書いていたのでは意味がないわけで、しがない雑文書きの私
でも一応そのことはよく知っていました。

 そのうえで我と我が身を省みると、あちらの本から少し、こちらの本から少
しと、さながらネズミが餌を引くように、ちょろちょろ集めてきては原稿を書
いていたわけです。「これは物書きの本道ではないな」「いつの日か独創的な
見解を発表しなければなるまい」と、忸怩たる思いで日々を過ごしておりまし
た。

 実を申しますと、民謡「会津磐梯山」について書いた原稿が、私の独創性を
示した第一号です。「朝寝 朝酒 朝湯が大好きで」という部分に注目して、
小原庄助さんは全国的にこう歌われているけれども、その小原庄助さんも朝酒
と朝湯の日には朝寝をしなかったのではないか、その論理的矛盾をついたわけ
です。(大笑い)

 おわかりかと思いますが、朝寝と朝酒は同時にできません。
 朝酒と朝湯を同時にしたら、これは危険ですらありますし、小原庄助さんが
朝湯と朝酒をしようと思ったら、その日は少しは早く起きたのではないか。あ
るいは、いつものように朝寝をしていたら、その日は昼酒、昼湯になったであ
ろうと書きました。

 もちろん、このことを書いたからといって世のためになることは何ひとつと
してないんですが、自分としては誰も書かない独創的な見解を発表したなと思
って、少しは良い気分になっておりました。

 結果的に考えますと、こんなことに能力があったらしく、だんだんと原稿の
注文が多くなりました。やがて本来の図書館勤務の給料より、雑文書きの収入
のほうが多くなってきました。それくらい元の収入が安かったという考え方も
当然に成り立つわけです。(苦笑)

 そうなると、物を書くことにも関心があるし、ひとつやってみるかというこ
とで、退職して雑文書き一本を生業としたわけです。今、考えても背筋に汗が
流れるほどの大変危険な決断でした。片方は石より硬い国家公務員ですし、片
方はもうコンニャクよりひどい雑文書きですから、えらいことになったなあと
思いました。

 それでも字を書いて、お金をもらえる仕事は何でもこなし、せっせと励みま
した。そうして一年ほど経ったあたりで、親しい編集者から「いつまでも雑文
ばかり書いていても、仕様がないじゃないか」(笑い)、「もう少し、スカッ
とした仕事をやったらどうだ」と言われました。

 そう言われてみると「そうだな、では何ができるか」と考えました。小説は
好きで読んでいたから、やはり小説を書くかなと思ったのが、もう30代の半ば
になっておりました。しかし小説はよく読んでいたけれど、一度も小説を書こ
うなどと考えなかったので、どう書いたらいいか分かりません。

 それでも「推理小説なら、どうやら書けそうだ」と思い至りました。殺人事
件が起きて探偵が出てきて、犯人を捕まえる。こいつが何で犯人か、いろいろ
屁理屈を言う。「あれなら、どうも書けそうだ」と思いました。
 
 ちょうどその頃、ある三流の出版社の三流の雑誌から「小説を書いてみない
か」と誘いがあったものですから、推理小説を書きました。そうしたら、その
三流の雑誌の一番低いレベルは通過したらしく、初めて書いた小説を活字にし
てもらい、原稿料も何ほどか頂きました。さらに「もうひとつ」と言われたか
ら、もうひとつ書いて「またひとつ」と言われたから、またひとつ書いたりし
たわけです。

 その時、さんざお世話になっていながら、今ここで三流の出版社だの三流の
雑誌だのと言うは、まことに仁義に悖(もと)るような気もするんですけれど
(苦笑)、ここのところをちゃんと話さなければ話は何も通じないわけです。
一流はもちろんのこと、二流の雑誌でも小説家として何の実績もない人間に小
説を書かせ、原稿料を払ったりすることは、ほとんどしないだろうと思います。

 たしかに我ながら読んでみても、あんまり良くないんです。自分の書いた小
説が、松本清張に似ているけれども、あれほど該博な知識はないし、佐野洋に
も似ているけれど、あれほど軽妙ではなし、森村誠一にも似ているけれど、あ
れほど怨念がこもっていない(笑い)。それぞれの作家が持っている一番の特
徴は確実に欠いている。それはもう出がらしみたいなものを書いていたわけで
す。

 これでは、どうもイカンなと思って、どうしたらいいか、デビューするとは、
どういうことかなと考えたりしました。それで、どんな世界でも先にそのこと
をやっている人がいるわけです。後から来てその人と同じことでは仕様がない。

 それまでの人が10の仕事をやっているとしたら、11とか10.5とか10.3とか
10.1とか、何か新しい物を加えていかなければ仕様がないのではないか。加え
る物は、ほんの僅かでもいい。みんな一生懸命やっているんだから、そんなに
多くを加えられるはずがない。加えるのは0.3か0.1くらいか知れないけれど、
この0.1は確実に、この人によって具体化したと言えるものを出した時に、初
めてその人はデビューできるのではないかと考えたりもいたしました。
       
●欧米の短編集を読んで
 先に私は学生時代に療養生活を送ったと申し上げました。その病床の徒然に
欧米の短編小説を、せっせ、せっせと読んでいました。何かの目的があって読
んだわけではなく、ただ読んで面白いものですから、無聊を慰めるために欧米
の短編小説を来る日も来る日も読んでいました。

 モーパッサン短編集、O・ヘンリー短編集、サモセット・モーム短編集、ヘ
ミングウェイ短編集、チェホフ短編集、マンスフィールド短編集と、もうカタ
カナの作家の下に「短編集」と書いてある文庫本は全部読んだのではないかと
思うくらい、せっせと読んでいました。

 そうすると、漠然と欧米の作家の特徴というものを自分なりに感ずるものが
ありまして、あとで何を書くかと悩んだ時に役立ちました。それは、欧米の短
編小説みたいな味わいを日本人を主人公にして、日本の風土の中で書いてみた
ら私の0.1ができるのではないか。そういう方向に向かって少しずつ習作を重
ねていきました。

 幸い一年くらいの短い期間のうちに自分の意図するような作品が書けまして、
それから長くない間に直木賞を受けることになりました。こうして、職業作家
としてデビューできたことは本当に幸運でした。

 こういうものを作りたいと思うことと、その通りのものができあがるという
ことの間には若干の距離があります。もしかしたら、この間の距離というのは
絶望的に遠い距離かも知れません。

 小説も同じで、こういう小説を書こうと思っても、その通りには書けないと
ころがあって、理屈と実践との間には常に相当な距離があります。それを私の
場合、わりと短い間にクリアできたのは何だったのだろうかと考えると、やは
り20歳そこそこの若い脳味噌で来る日も来る日も欧米の短編小説を読んでいた。
そのことによって、私の脳味噌が何ら意図したわけでもないけれども、偶然そ
ういう脳味噌になってくれていて、私がデビューしなければダメだなあと考え
ている時、押っ取り刀で助けに来てくれたのかなあ、というのが実感として持
っていることです。

 では、どんな小説かと言われれば、まあ読んでいただくのが一番いいわけで、
たとえば初期の『ナポレオン狂』とか『冷蔵庫より愛をこめて』(いずれも講
談社文庫)という短編集を読んでいただくと、なるほど今までの日本の私小説
的な伝統と明らかに違うな、というプロセスが見えてくるのではないかと思い
ます。
(次号に続く)

====================================
■ペンクラブの催しのご案内

第20回「平和の日」びわこの集い

▼日 時
 2004年3月3日(水) 午後1時開演、4時40分終了

▼会 場
 びわ湖ホール大ホール(大津市打出浜15-1)

▼最寄駅
 京阪電鉄「石場」駅徒歩3分
 JR大津駅からバス5分・徒歩15分(JR大津駅までは京都駅から快速で9分)

▼駐車場
 有料 (854台)

▼主 催
 日本ペンクラブ・滋賀県・大津市


《プログラム 》
 【オープニング】
   挨 拶  日本ペンクラブ会長 井上ひさし
   挨 拶  滋賀県知事 
   挨 拶  大津市長 
   司 会  松本 侑子・高橋 千劔破

 【リレートーク】(対談形式のトークが4組あります)
   ▽テーマ
    平和の日に想う いのち・万葉・こども・水

   ▽出 演
    立松 和平 VS 夢枕  獏
    俵  万智 VS 中西  進 
    落合 恵子 VS 吉岡  忍
    阿木 燿子 VS 井上ひさし

▼入場料
 無料

▼申し込み方法
 ( 先着1800名 ) 
 往復ハガキの往信用に「平和の日」参加希望、住所、氏名を、
返信用に宛名明記の上、下記に申込んでください。

  〒520-8577 大津市京町4-1-1 (電話077-528-3514) 
  滋賀県健康福祉部健康福祉政策課宛 
 例年、観覧ご希望の方が、定員数を上回りますので、
どうぞお早めにお申し込みください。
======================================
■ペンクラブ「電子文藝館」のご案内
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html

1月に新しく掲載された文藝作品です。閲覧はすべて無料です。

2月に新しく掲載された文藝作品です。閲覧はすべて無料です。
木下 径子  「雪の夜」
下中 弥三郎 「大百科事典の完結に際して思い出を語る」
笹沢 信    「桜の記憶」
米田 利昭   「子規の従軍」
臼井 史朗   「紙を汚して五十年」
与謝野 晶子 「そぞろごと」
北村 隆志   「加藤周一『ある晴れた日に』論」
野間 清治 「『キング』創刊前後」
松田 章一   「花石榴」