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日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第52号 2007年8月2日

第23回「平和の日」の集い(秋田市)より 対談1〜西木正明VS立松和平
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目次
1)第23回「平和の日」の集い(秋田市)より 対談1〜西木正明VS立松和平
2)電子文藝館の新作紹介

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  日本ペンクラブは、1985年より、毎年3月3日に、全国各地で「平和の日」の
集いを開催してきました。

  23回目となる今年は、秋田県の秋田市文化会館大ホールにて、日本ペンクラ
ブ、および第23回「平和の日」秋田の集い実行委員会の主催で開催されました。
 
 1000名収容の大ホールのお席に、3000名の方々からご応募を頂いたため、当日
は小ホールも開放して、イベントの模様を大画面スクリーンに映してご覧頂きま
した。

 司会は、高橋千劔破(文芸評論家)と松本侑子(作家)が担当。

 今年のテーマは、「平和の日に想う 風土・美しさ・ことば・私たちの暮し」
 以下の8人が出演して、4組にわかれて対談を行いました。

1)立松和平(作家)VS西木正明(作家) 〜風土
2)俵万智(歌人)VS浅田次郎(作家) 〜美しさ
3)加藤登紀子(歌手)VS新井満(作家) 〜ことば 
4)斉藤とも子(女優)VS井上ひさし(劇作家) 〜私たちの暮し

 メールマガジン「P.E.N.」では、これから順次、対談の要旨をご紹介します。
  まず最初は、立松和平さんと西木正明さんのトークです。

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■対談1「平和の日に想う 風土」〜立松和平VS西木正明

西木 立松さんは栃木県の出身ですが、栃木の風土は一言で言うと、どんなところ
ですか。

立松 人は善良で、どっちかと言うと秋田もそうかもしれないけれど、保守的です
ね。そこがいいところだから、これでいいんじゃないかというところが栃木にはあ
るんですよ。栃木に帰ったら、「栃木はどうしたらいいか」とか、答えようのない
質問をよく受けるんですが、僕はいつも「このまんまでいいべ」って言うんです
(笑)。

西木 なるほど。そういうふうに思えるのは、やはり立松さんが非常によい形でふ
るさとに向き合っていらっしゃるからだと思いますね。秋田はすごい好きなところ
なんですが、よそでは秋田の悪口ばっかり言っています。去年の岩手県盛岡市での
「平和の日」の集いで、秋田の人がいないことを願いつつ、悪口を言ったんですね。
そしたら秋田の人がいて、あとでゴシャガレました(笑)。

 ただ秋田は、何しろ土地柄としては非常に豊かなところで、そこは威張れるとこ
ろかもしれませんね。つまり、東北の日本海側にしては気候が非常に温暖で、隣の
岩手県から吹いてきた東風が、山を越えるとフェーン現象で温度が上がる。その結
果、夏場の気候が非常に温暖で、米の育ちがいいんですね。ですから、冷害とか旱
魃には比較的縁のないところです。1993年に日本中が米の不作で大騒ぎになったこ
とがありましたね。岩手の方だとか山形の農家の方はみんな、「大変だ、大変だ」
と言っていたわけですが、秋田の農家の方も一緒になって、「大変だ、大変だ」と
言ってたんですね。でも、「大変だ」と言いながらも目が笑ってたんです(笑)。

 あのときは唯一、秋田だけが平年作でした。県北の一部はそうでもなかったんで
すが、平年作に近い状態で、秋田の農家の方は、自主流通米、当時で言えば闇米が
非常に高くなって、ずいぶん潤ったところもあったようです。

立松 あのときはね、僕も宮城県の山のほうで米を作ってたんですよ。本当に青米
しか穫れなくて、実に厳しい年でした。だけど、秋田は穫れたんだよね。何でだべ?

西木 要するに、気候の変動幅が他県に比べて少ないからなんですね。

●秋田は日本酒の消費量が日本一

立松 やはり海の恵みというのがあると思うんですよ。栃木と秋田を比べると、根
本的に栃木が負けるのは、海がないことです。ですから、海の魚がないわけです。
海があるとないとでは、外に向かって開けていく交通路や歴史の形成の仕方もまた
違ってきます。海がない県という、そのことで自虐的にならざるを得ないところが、
栃木にはあるんですね。

 秋田は、海も山もあり、酒はうまいし、米はうまいし、民謡もいいし、秋田美人
までいるし、何か、「もういい加減にしなさい」って、実はそういう気持ちがあり
ます(笑)。

 僕は秋田の友達が結構いるんだけれども、やはりみんなすごい酒飲みですね。そ
れもちょっとほろ酔い加減で気持ちがいいとかじゃなくて、倒れるまで飲む(笑)。
いつまでも飲む。そして最後は、決着をつけようと大喧嘩をする。

 例えば、「秋田のハタハタと青森のハタハタとどっちがうまいか」というような
ことで喧嘩をする。「ハタハタ心が違う。秋田のハタハタは心がよいけれど、青森
のハタハタは心が悪い」とか言ってね(笑)。僕から見るとちょっと異常な感じが
して、善良なんですけれど、酒を飲ませると、豹変する人が本当に多い(笑)。秋
田は日本酒の消費量が日本一なんでしょう。

西木 そうですね、本当に秋田の酒飲みを褒めて頂いて、ありがとうございます
(笑)。

立松 もう尊敬しています。ああはなれないなぁと思って(笑)。

西木 私は山奥の方ですが、秋の取り入れが終わると「ヤサラ」という行事があり
ましてね。もともとは神様に豊作を感謝する行事だったらしいんですが、集落ごと
に当番を決めて、その家に集落の人たちみんなが料理と酒を持ち寄って、三日三晩
飲み通すんです。最初は非常に和やかに始まるんだけれども、途中からどうでもい
いようなことで議論が始まって、最後はハサという稲を干す長い棹を振り回して立
ち回りになる。子どもの運動会のときは、父兄は子どもたちが走っているのに、運
動場に背中を向け、ゴザの上で車座になって酒を飲んでいた。そういう素晴らしい
土地ですよ、ここは(笑)。

立松 もう最高峰の酒飲みというんですかね。秋田の悪口を言って、外に出られな
くなったら困るんで、褒めますけどね(笑)。

西木 いや、全然、悪口じゃない。褒めてもらっています。

立松 悪口じゃないんだ。ここまで言って悪口じゃないという、この心の広さも秋
田ですね(笑)。秋田の人は心根がいいと、僕は正直思っています。そうやって喧
嘩しながらも、憎んでやっているわけじゃない。酒が冷めれば、一切の記憶がない
という(爆笑)、そういう善良さを持っているんですね。

●秋田の純情、一途な思い

立松 僕の友達で、毎日新聞社の名古屋東海地区の編集局長をやっている男が秋田
高校出身で、奥さんも秋田高校出身で、本当に秋田美人だなと思うきれいな人でし
たが、亡くなったんです。それで彼は本を出したんですね。新聞記者だから転勤が
多い。たいていの記者は単身赴任なんだけども、彼女はいつも一緒で、彼は単身赴
任してないんですね。ずっと一緒に暮らしてきたことを書いて、そして最後の結び
は、「これからは一生単身赴任です」と宣言している。つまり、もう結婚はしない
ということですよ。だから僕は、彼と会うたびに「後添えをどうしよう」ってから
かうんですけれども、奥さんが亡くなってから十年、彼はずっと独身でいます。娘
も息子も結婚したけど、彼は奥さんの面影を抱いて、ずっと生きていくというふう
に決めたんですね。秋田の純情って言い切っていいのか、彼の個性なのか、よく分
からないけれども、何かそういう心根の優しい一途な思いというものを感じますね。

西木 いや、本当、ありがとうございます。秋田にはそういう人もいるんだなと思い
ながら聞いていたんですけれどもね(笑)。

立松 西木さんを批判しているわけじゃないです(笑)。

西木 実はその彼は、僕の高校の後輩で、早稲田の後輩で、早稲田大学の探検部の
後輩なんですよ。だから、もうほとんど同じ道を歩んできた。同じような道を歩ん
で、何で一方はそんな立派になって、片方はどうしようもないんですかね(笑)。

立松 それは個性の問題というか(笑)。僕は彼と早稲田大学で出会ったから、学
生時代からの付き合いなんです。彼が出した『秋田はラテンだ』というタイトルの
本の解説を頼まれて書いた。秋田人というのは、あまり物事にこだわらず、時々、
異常なほど陽気になる。嫌なことがあっても、酒飲んでメシ食って寝れば忘れると
いう、非常に陽気な人たちである、という内容です。「秋田はラテンだ」と言い出
したのは、西木さんなんですね。

西木 日本海側のことを裏日本と、差別用語みたいな言われ方をした時期があった
んですけども、実は僕は、非常に誇りを持って「裏日本」と言ってました。そうい
うところで暮らすには、暗い冬をいかに笑い飛ばして生きるかということなんです
よ。その点で、非常に性格が陽性な人が多い。酒が入って、しゃべり出したら、も
う止まらないでしょう。

立松 東京に秋田出身の友達がたくさんいるんだけれど、確かにおしゃべりが多い
ですね。だけど、秋田弁はなまりが強いのに、パッと直る人が多い。ところが、栃
木弁はなかなか直らない(笑)。本当に微妙に直らなくてね。僕の文章を読んだ校
正者が「文章のどこがおかしいのか分からないけれど、何かおかしく感じる」と言
うんですよ。「いや、そんなことない、正しい日本語だ」と思っていたら、文章が
栃木弁でなまっていた(笑)。

西木 立松さんの栃木弁は、はっきり言って「立松弁」になっていますからね。

立松 だって、これしかできないんだもの、しょうがない。

西木 日本には240通りの方言があって、例えば秋田弁と栃木弁はまだ近いところ
があるんで通じる。ところが、私が『週刊平凡』という雑誌の編集をやっていたと
きに、秋田出身の桜田淳子さんと熊本出身の水前寺清子さんの2人の歌手による方
言対談を企画したことがあるんですよ。標準語を一切使わずに、秋田弁と熊本弁だ
けでということで、念のためにいくつかのフレーズを方言で言ってもらって、その
テープを相手に聞いてもらったら、これが全く通じない。おそらくフランス語、イ
タリア語、英語なんかよりも、秋田弁と熊本弁のほうが違うと思いますね。

立松 ヨーロッパでよく言われていることですが、例えばスペインの端っこから歩
き出して言葉をしゃべっていくと、ずいぶん遠くまで言葉がつながるらしいですよ。
だから日本列島も、鹿児島から各地を少しずつたどっていけば、きっと通じるんだ
ろうけれど、間を抜くと分からなくなるんでしょうね。

●「まずな」と「へばな」

西木 秋田弁に関して言うと、一つだけ自慢できることがある。おそらく日本で最
も短縮化された言葉だと思うんですね。自分のことを「わ」と言うんです。これは
古語で、室町時代辺りの京都弁がなまったものと言われていますが、もっと便利な
言葉があります。「まずな」と「へばな」で、この二つを覚えていれば、秋田では
ほとんど不自由しません(笑)。

立松 「まずな」は、OKという意味?

西木 いや、「まず」なんです。例えば酒の席で喧嘩になると、誰かが割って入っ
て、「まずな」って言ってまとめるわけです。そのうち、みんなくたびれてくると、
「へばな」と言って、いなくなっちゃうんです(笑)。

立松 「それじゃあな」っていう意味?

西木 そうなんですけれど、ただ問題は、居酒屋でみんなで飲んでいて、一応は割
り勘の約束になっていたとするでしょう。ところが、「へばな」と言ってトイレに
行く振りをしていなくなっちゃう人がいる。気が付くと、1人だけ残ったりなんか
するんですよ(笑)。

立松 それは悪辣ですねえ。そう言えば、この間、テレビで「奥様は魔女」という
リバイバル番組を見ていたら、主人公のサマンサを魔女と疑っている隣の奥さんが
東北弁風なんですね。翻訳のものでも、田舎者とか悪い人間はなぜか東北弁なんで
すよ。ところが、翻訳者がちゃんとした正しい東北弁を使い切れないで、ずっと薄
まって栃木弁になるんですよ(笑)。「奥様は魔女」の隣の奥さんの言葉も、わざ
とらしくなまっているんですが、栃木弁なんですよね。アメリカで栃木弁が知られ
ているわけがないんで、何かそういう言葉に対するいわれなき偏見を栃木が一身に
受けているのではないかと、受難の気持ちがないわけではない(笑)。でも、秋田
弁はまねができないんですね。

西木 難しいでしょうね。私自身、秋田の人間なのに、秋田弁でまだ分からないこ
とがいっぱいある。高校時代に山奥から秋田市へ出て来て、学校で何か言ったら、
「おみゃ、すったこといってしょしくないか」って言われた。意味が分からないの
で「何だ」って聞いたら、「おみゃ、しょしわからねえか」と言う。これは「恥ず
かしい」という意味なんですね。僕の出身は田沢湖の近くなんですが、あの辺では
「恥ずかい」を「カンジョ悪い」と言う。「カンジョ」というのは「便所」の意味
もあるんですけれどね(笑)。それくらい、県内でも言葉が違います。

立松 僕が知っている秋田の酔っ払いども(笑)は、いざとなったら秋田の中に逃
げ込む。秋田の袋小路の中に逃げ込むようなところがあって、何を言っているのか
分からなくなる。向こうはこっちを攻撃しているのに、攻撃の意味も分からなくな
ってしまう。そういう独自の言語文化を持っていますね、秋田は。

●南極探検の白瀬矗(ノブ)を小説に書きたい

西木 でも、お互いに全く分からないというのは、平和のもとなのかも知れないで
すね。立松さんは今、秋田のある人間についてすごく興味を持っているとのことで
すが......。

立松 秋田の皆さんはよくご存じでしょうけれど、仁賀保町出身の白瀬矗という人
物です。この1月に極地研究所の人に誘われて、南極に行って来たんですが、昭和
基地でも文献を読んで、すごい人だと思いましたね。明治44年、1911年に、南極点
到達をノルウェー人のアムンゼンとイギリス人のスコットの2人の探検家が競って
いました。結局、アムンゼンが最初に南極点に到達し、その後に南極点に到達した
スコット隊は、帰途に遭難して全員死んでしまう。このとき、アムンゼン、スコッ
トに続く第三の男として南極にいたのが、白瀬矗なんですね。

 白瀬矗は、開南丸という202トンの漁船で南極に行って、1912年1月に南極大陸に
上陸しました。アムンゼンは白瀬がすごいぼろ船でやって来たことに驚いて、最初
は「何だ、こんな船で」と軽蔑したんですね。ところが次の瞬間に、「よく来たな」
とものすごく尊敬したというんですね。僕は南極でノルウェーの基地にお世話にな
ったんですが、「白瀬矗」の名前はとどろいていましたね。それから「白瀬氷河」
という南極で最も速く流れる氷河があって、白瀬の名前は地名に残っているんです。

 この白瀬矗のことを小説に書きたいなと思いました。昭和基地にあった白瀬矗の
『南極記』の復刻本を、基地の隊長が「あげるよ、持っていきなよ」と言ってくれ、
ありがたくもらってきました。日本に帰って来て、「白瀬矗に興味を持っている」
と言うと、白瀬ファンというか、尊敬している人が多く、あちこちから資料がどっ
と送られてきました。仁賀保の記念館にも行こうと思っていますが、すごい人物が
秋田県人ですよね。秋田県人だけじゃなくて、日本人全体の誇りですね。

西木 秋田の県民性と言っていいのかどうか、その一つの特徴に、さっさと外へ出
て行くという傾向があるんですよ。白瀬さんのほかにも、同じ20世紀の初めに、県
南のお寺の住職になるべき人が単身シベリアに入り込んで、ウラル山脈の向こうに
まで行っちゃった。その間、ロシア人を集めて芝居の一座を作って、公演しながら
シベリアを回った。間諜、つまりスパイの疑いをかけられたりもしたんですが、一
座のロシア女性の中の1人を連れて無事に日本に帰って来たんです。そのロシア女
性はお寺さんのおカミさんになったわけですが、その娘さんの1人が、スタルヒン
という野球選手の二番目の奥さんになっています。

 秋田の人間というのは、だいたいどこかに行っちゃうんですよ。私も他人のこと
はとやかく言えない。今、南極の話をしながら、そう言えば自分は大学時代、勉強
が好きで、6年も7年も大学にいて、なおかつ北極に行って二冬ほど過ごしたなぁ
って思い出していたんですけれどもね(笑)。

●秋田県人の正統な後継ぎ

立松 6年も7年もいて、最後は大学に返して出てきたんですね、勉強したことを。

西木 いや、7年目になって、そろそろ周りも白い目で見始めたので、就職でもし
なきゃいかんかなぁと思って、出版社に新卒の予定で潜り込んだんですよ。そうし
たら、大学のほうから「やっぱりもう1年やれ」という話になった。で、出版社に
そのことを話したら、「仕方がないだろう」と言うんで、大卒ではないのに学歴詐
称をして、大卒の給料をもらって14年ほど会社にいました。そういう意味では、僕
は本当に秋田の正統な後継ぎだと思ってます、幸せなほうのね(笑)。

立松 今の西木さんの北極行きの話で思い出したんだけれど、白瀬矗も最初は北極
点を目指したんですね。でも、アメリカ隊が先に北極点に到達してしまったので、
南極へ方向転換するんですよ。白瀬は子どものころから北極探検への一途な思いが
あって、酒は飲まない、タバコは吸わない、夜寝るときには窓を閉めない、とか本
当に徹底して訓練してきた。

 南極へは樺太のアイヌの人たちやカラフト犬を連れて行くんだけれども、帆船で
赤道を越えなくちゃいけない。暑いところはみんな苦手なんですね。犬がサナダム
シか何かでたくさん死んでしまったり、食糧が腐ったり、赤道を越えるのにすごく
時間を食ってしまった。暑い赤道を越えるのがどういうことかを考えないで行った
節がある。これって、秋田っぽくないですか?

西木 まあ、その辺りは実によく分かる。あまり計画性はないですよ(笑)。

立松 南極へは行ったけど、南極点には着けなかった。アムンゼンたちと同じ年で
した。それでナンバー3になった。

西木 当時のちっちゃな帆船に冷房なんかあるわけもないしね。今の話を聞いて一
つ思い出したんだけど、白瀬さんの自己鍛錬の中に「お茶を飲まない」というのが
あったじゃないですか。あれは不思議ですよね。何か理由があったのでしょうかね。

立松 自分にいろんな課題を課して、それを超えるという、これも秋田っぽい、な
どと言っちゃうと怒られちゃうかな(笑)。

西木 うーん、まあ、酒を飲まないというのは一応理解しますけどね。

立松 秋田で酒を飲まないというのは、大変な決意だったでしょうね。

西木 秋田人ですからね。それはよく分かりますね。

立松 何かを自分に課して、我慢してやり遂げて、もっとその上の目標に向かって
行ったんだね、白瀬はね。

●栃木県の誇りは田中正造

西木 白瀬矗のような探検家でなくてもいいのですが、すごく面白いことやったと
かそういう人は、栃木人ではどんな人がいますか?

立松 僕が尊敬しているのは、田中正造ですね。田中正造は、政治家といえば政治
家なんだけれども、一切を投げ打って日本で最初の公害事件である足尾鉱毒事件に
関わった人です。議員を辞めて明治天皇に直訴し、最終的には村に入って、農民た
ちとともに生きて死ぬんですけれど、僕は『毒─風聞・田中正造』という作品を書
きました。

 秋田県にも鉱山がたくさんありますが、足尾は山が全部、煙害と無謀な伐採では
げ山になってしまった。その山に木を植えて、もう15年ぐらいになりますね。「足
尾に緑を育てる会」というNPOを作ってやっているんですけれど、毎年、地元で
は1日1500人ぐらい植林に来るようになりました。大変な数で、主催者としても、
もうギブアップ状態で、今年から2日に分けてやることにしたんです。田中正造が
できなかった渡良瀬川の源流域の保全をやっていこうという運動で、僕にとっての
大切なものの一つなんです。

西木 足尾銅山事件というのは、日本の公害問題の原点みたいなところがあります
からね。本当に、よくぞ、あの時代に、真っ向から国策に立ち向かったな、と思い
ます。偉い人だと思います。

 栃木と言うと、昭和20年代の後半、僕が中学生か高校生ぐらいのとき、秋田から
夜汽車で行くと、黒磯とか宇都宮辺りで夜が明けるんです。朝鮮戦争のころで、宇
都宮から大きな荷物を背負った買い出しの人たちがドカドカと乗って来る。闇米を
東京へ売りに行く人たちです。次の小山辺りで停まると、警察が乗り込んで来て、
列車の中で捕物が始まる。われわれ乗客はみんな、買い出しの人たちの味方でした。
だから栃木と言うと、戦後の一番食糧事情が厳しかったころの、闇米の担ぎ屋さ
んたちのことを思い出しますね。

●秋田の冬に雪のないのが心配

立松 あと10分とのことなので、最後にちょっと気になっていることを話します。
今年の秋田は雪がないことです。雪がなくなって、これからちょっと心配な部分が
ありますね。

西木 そうですね。とくに秋田県なんかは、毎年、雪の除雪費用で各自治体が苦し
められているのですが、ものすごく大雪だった去年のツケを今年は返してもらって
いるみたいなところがある。でも、山に雪がないと、田植え時期以降の水、灌漑用
水の問題が出てきますね。

立松 南極から帰って来て、だいたい1か月ぐらいですが、「地球温暖化は大丈夫
か」ってよく聞かれるんです。10日間ぐらいしか南極にいなかったから分かるはず
はないのですが、それでもやはり、いろんなことを考えてきましたよ。南極は氷の
塊で、一番厚い氷が4000メートルぐらいの厚さです。平均2000メートルぐらいの氷
に囲まれていて、地球上の氷の9割が南極に集っていると言われています。これが
解けたら大変ですよ。

西木 海面が相当数、上昇するでしょう。今、問題になっている島々がいくつもあ
りますね。

立松 もし南極の氷が解けたら、海面が50数メートル上がるんです、計算では。日
本隊が研究のために氷を掘っていて、今年の1月にその機械が動かなくなって止ま
ったんだそうです。4、5年かけて掘っているんですが、3035メートルまで掘ったら、
底が水だった。凍ってないわけです。だから、刃が空回りして掘れなくなった。つ
まり、南極の岩盤に近いところは水なんです。南極の氷の下には大きな湖があって、
その湖は絶えず動いているというんですよ。氷を掘って、中に閉じ込められている
空気を調べると、72万年の地球の歴史が分かる。地球温暖化の原因となる二酸化炭
素が、この200年間で非常に多くなっていることも観測されています。間違いなく
温暖化に向かっているんですね。

西木 僕も北極圏に割と頻繁に通っているので、それは実感します。この40年間通
い詰めていますが、氷河の端が、長いところで1キロ以上、短いところでは数百メ
ートル、引っ込んでしまってますね。

立松 10万年ごとに温かい季節と氷河期が繰り返されていて、前の氷河期のときは、
海面が今より150メートルぐらい低かったらしいです。ベーリング海峡なんかは陸
続きだった......。

●酒飲みの遺伝子はどこから来たか

西木 そう。ベーリングランドブリッジと言って、昔はつながっていたんですね、
あそこは。

立松 だからモンゴリアンがアメリカ大陸へ渡ったと言われていますよね。サハリ
ン(昔の樺太)や北海道はアジア大陸とくっついていた。津軽海峡も凍っていたか
ら、人が自由に往来できたわけですよ。そのときに秋田に、コーカサスだかあっち
のほうから人がやって来たんではないかとする研究者もいる。

西木 考古学的なこと、あるいは人種的なことはよく分からないけれど、日本で男
女ともに平均身長が一番高いのは秋田人という統計がある。

立松 アジア大陸のどこかからやって来た人たちの遺伝子が濃く残っているのでは
ないかという研究があるんですね。

西木 酒飲みも、その遺伝子ですかね(笑)。

立松 酒飲みはあとから獲得した美質ではないですかね(笑)。

西木 例えば、関西以西のいわゆる弥生文化の地域は、やはり朝鮮半島とか中国の
影響が強いわけですね。こっちの縄文系というのは、だいたい北方系だと言われて
いる。日本海の向こうはロシアでしょう。ロシア人はもう世界的に有名な酒飲みで
すから......。

 ちょっと不思議でしょうがないのは、エスキモーを含めて、北方少数民族は、ヤ
クートもラップもチュコトも際立った特徴がある。一つは文字がないこと。もう一
つはアルコール文化がないことです。文字がないから、いろんな文化は全部伝承で
す。それから酒がなかったんで、みんな平和だったんです。最近、急に酒を飲むよ
うになったので、飲み方が分からない。そういう辺りには、秋田の人が行って、酒
の飲み方を教えたほうがいいかと僕は思っていますけれどね。

立松 先週、ミクロネシアのポナペという島に行ってたんだけど、そこはまさに歌
と踊りで文化を伝承して、酒がない。シャカオというショウガを絞った黄色い液体
を飲んで、みんな酔っ払っていますよ。一方、酒飲みは、「酒飲み文化」と言うん
ですか、酒の飲み方をどこかしっかりと身に付けているわけでしょう。身に付け過
ぎているところもあるけれど(笑)。そういう酒の飲み方というのを、ちゃんと指
導していく必要がありますね。

西木 酒飲み文化の伝承ということですかね、堅く言うと。でも、それはわれわれ
が言わなくても、みんなちゃんとやっているように思いますね。

立松 秋田ではね(笑)。

西木 今日は「風土」ということで、栃木と秋田の風土をしゃべろうと思っていた
ら、南極まで話がいっちゃって、いろいろ勉強になりました。

●地球は人間にやさしくない

立松 「地球にやさしい」って言い方がありますが、地球というのは生物に対して
やさしくない、と僕は思うのです。南極に行って、そう思いました。と言うのは、
地球には10万年ごとにすごい気候変動があって、その都度、ある生物が全滅したり、
ある生物にはチャンスがあったりして、今、人類が地球を支配しているというか、
栄えているわけです。だけど、地球は地球を生きているだけなんですよ。例えば、
人類が滅ぶとしますね。でも、それは地球にとっては何でもないことなんです。人
類が滅んでも、別の生物が栄えるだけ、ということですよ。

西木 そうなると、今のわれわれの社会システムに問題があるような気がするんで
すよ。葬式の話なんだけれども、日本では今ほとんど土葬が禁止になっていて、火
葬にしますから、骨もかなり砕け散っちゃいますよね。例えば、学者がやるように、
人骨を発掘して、それを組み立てて、そこからいろんなことを推測していくでしょ
う。恐竜の骨などから、当時の生き物はこうだったとか、ジュラ紀辺りの地球のこ
とを組み立てていくじゃないですか。だから、今みたいに全部火葬にしちゃうと、
何も残らない。化石が残るような形をしておかないと、後世に続いていかないです
よ。

立松 そうなんですよ。せめて物質として還元するということですね。与那国島の
サトウキビ畑で働いていたときに、そこの農家のおやじが酔っ払うと、「人間、畑
の肥やしにもならん」と必ず言っていた。せめて畑の肥やしになったほうがいいん
じゃないかと、われわれはそのぐらいしか地球に恩返しできないんじゃないか、と
いうふうに思うんですね。

西木 じゃあ、せいぜい頑張って、畑の肥やしになるようになりましょう(笑)。
そろそろ時間ですよね。

立松 じゃあ、そういうことで終わりましょう。ありがとうございました(拍手)。

西木 ありがとうございました(拍手)。

(文=会報委員会委員長・清原康正)
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■声明

日本ペンクラブでは、6月15日(金)、「自衛隊の監視活動」に対する声明を
発表し、マスコミで報じられました。

声明の全文は、ペンクラブのホームページに掲載しています。
http://www.japanpen.or.jp/seimei/070615.html

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■ペンクラブ「電子文藝館」のご案内

 6月〜7月に新しく掲載された文藝作品です。

*随筆
青樹 生子(あおき しょうこ 随筆家)「記憶たずさえて」
薄井 八代子(うすい やよこ 作家)「壺井榮二題」
渡辺 通枝(わたなべ みちえ 随筆家)「八十路生きていく」


*詩
平賀 勝利(ひらが しょうり 詩人)「『サクのコタンで』」
望月 洋子(もちづき ようこ 作家)「江戸後期文人の世界」
田中 眞由美(たなか まゆみ 詩人・植物病理学者)「指を背にあてて」

*反戦・反核
今井 清一(いまい せいいち 現代政治史家・横浜市立大学名誉教授)
               「戦略爆撃と日本」
小田 実(おだ まこと 小説家)「百二十八頁の新聞」


 閲覧はすべて無料です。ぜひごらんください。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html
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「ぺんぺん草」

 日本ペンクラブは、来年2月下旬、国際的な催しを開催します。

 テーマは「災害と文化」
 アジアを中心に世界各国から多くの文学者と表現者を招いて国際フォーラムを
実施します。

 先月、企画発表の記者会見を開いたところ、多くのメディアの方々にお集まり
頂き、活発な質問を頂きました。

 イベントの内容が決まり次第、このメルマガでも、詳しく告知させて頂きます。
 どうぞお楽しみに!