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日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第51号2007年6月12日

日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」井上ひさし・彭見明ほか
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目次
1)日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」
2)電子文藝館の新作紹介

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 日本ペンクラブでは、中国ペンの文学者と相互に訪問して交流する活動を、
12年前から、毎年実施しています。
 昨秋は、中国の作家を迎えて、公開シンポジウム「文学と映画」を
開催しました。

 日本でも上映されて評判となった映画『山の郵便配達』原作者の彭見明氏も
参加されたことから、まず映画が上映され、感動さめやらぬ中、シンポジウム
に移りました。

 討論は創作の奥義にまでわたって、文学的感興が会場を包みこみました。
 その公開討論の様子を、ここにお届けします。
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■日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」
              (2006年10月12日 市川市文化会館小ホール)

 □中国側発言者
  焦祖堯〔小説家〕
  彭見明〔小説家、書道家〕
  劉震雲〔小説家〕
  夏天敏〔小説家〕
  李錦(※1)〔中国作家協会外連部〕
    (※1『』→『王』偏に『竒』)
  
 □日本側発言者
  井上ひさし〔劇作家・小説家〕
  浅田次郎 〔小説家〕
  茅野裕城子〔小説家〕

 司会・吉岡忍〔ノンフィクション作家〕
 通訳・宮首弘子(張弘)

●創作の秘儀──見えないものを見る
吉岡 『山の郵便配達』の映画を見たばかりですから、まず原作者の彭さんにお聞
きします。どういうきっかけでこの作品を書こうとし、どんな取材をなさいました
か?

彭見明 私は中国の南部、湖南省の山奥で農家の暮らしを見て育ちました。私の文
学の出発点はそこにあります。外の世界から山を越してやってくる郵便配達員は子
どものころからのあこがれで、郵便配達員を書くことは山の生活そのものを書くこ
とですから、特段、新たな取材をする必要はありませんでした。

吉岡 私はまず原作を日本語訳(集英社版)で読んでから映画を見ました。父親の
仕事を継ぐ若者が一目で村の娘に心引かれ、はにかむ場面があります。映画ではそ
れだけにとどまらず、その娘と情熱的に踊るシーンが加わっていましたが、原作者
としてどう思いますか?

彭見明 小説は言葉、映画は映像の芸術です。映像的な追求が過度に行われること
もあり得ます。観客サービスにもなるでしょう。この映画は、ほぼ原作に忠実で、
作者として満足しています。

吉岡 映画は映画として独自の再創造が行われるということですね。焦団長のお考
えはいかがでしょうか?

●映画化にも独自の発見、虚構を
焦祖堯 文学作品の映画化は、単に原作を映像的になぞるだけでは「原作に忠実」
ということになりません。原作からインスピレーションを得るだけでなく、独自の
発見、原作以上の大胆な虚構と想像力が必要になります。凡庸は創作の敵です。

吉岡 焦さんのレポートによると、中国では現在、長編小説が年間1千点、映画は
300本くらい作られているということです。この映画の中に小説に題材を求めたも
のも数多くあると思いますが、焦さんの目から合格点に達した作品はどのくらいあ
りますか?

焦祖堯 映画のほか、テレビドラマは中国全土で年間1万回以上放映され、そのう
ち約2割が小説を原作にしています。映画、テレビとも成功した作品は必ずしも多
くはありませんが、すぐれた小説がすぐれた映像作品を生んでいるのも事実です。
中国の4大古典と言われている『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』『紅楼夢』、
そして中国近代の文豪、魯迅、巴金、茅盾、老舎らの作品は何度も映画化、テレビ
ドラマ化され、多くが好評です。

吉岡 『山の郵便配達』を見て、浅田次郎さんの『鉄道員(ぽっぽや)』を連想し
ました。どちらの作品の主人公も人の見えないところで律義に仕事をし続け、生き
方も不器用です。浅田さんのこの映画にも原作にないシーンがいくつかありました。
例えば炭坑の合理化と労働運動が激しかったころ、九州の炭坑から流れてきた男が
いた。小さな子どもを連れていたが、炭鉱事故で死んでしまう。こういう映画的仕
掛けと小説的仕掛けについてどのように考えますか?

●原作を提供するのは娘を嫁に出す心境
浅田 『鉄道員(ぽっぽや)』というのは、すごく短い小説なんです。原稿用紙で
50枚しかないので、2時間の映画にするとなると、多少のサイド・ストーリーを入
れないともちません。私はこれまでに劇場公開用の映画を8本撮ってもらいました。
最初のころは不満を持ったりしましたが、そのうち「これは無理もないだろう」
と思うようになりました。

小説を映画化するためには、いろいろな制約がつきます。一つには時間です。『鉄
道員(ぽっぽや)』は50枚で2時間の映画に、『壬生義士伝』は1200枚で、これも2
時間にしなければならない。ですから、ここを削ったの、ここを増やしたのって文
句は、とても言い出せなくなりました。予算の制約というものもあります。小説家
は作品を作るのに一番お金のかからない職業ですが、映画では予算によって作れる
シーンと作れないシーンがあります。『地下鉄(メトロ)に乗って』という映画の
とき、私の気に入っていたシーンはいくつもカットになってしまいました。

もう一つ付け加えると、映画は興行というものを考えなければなりません。少々台
詞回しが悪くても、人気俳優とか話題のある人を役につけなければならない。原作
に忠実にやってほしいというのは、おそらく全作家が考えていることですが、しか
し、それを厳しく要求するのは少し酷なのではないか。

今の私の心境から言うと、娘を嫁に出す親の気持ちです。監督さんに「精一杯心を
込めて育てたつもりですが、できるだけこの娘のいいところは変えないようにして
下さい」と祈る気持ちでお渡しするようにしています。(拍手)

吉岡 夏天敏さん、『ようこそ、羊さま』という小説は、雲南省の農村である日、
県のお偉いさんからもらった羊を育てていくというお話です。市場経済下、高度成
長の続く中国では雲南省も大きく変わっているのではないかと思います。夏さんが
お書きになった朴訥で平穏な農村風景も少なくなっているのではないでしょうか?

●経済格差と農村の貧困
夏天敏 中国は発展途上の国です。広い国土の中で地域的な格差は大きく、経済発
展のテンポにも差異が生じています。中国南西部の雲南省は、東部の経済発展から
取り残され、僻地の問題、貧困の問題を抱えています。私はここで生まれ、育ちま
した。政府は農村改造と貧困の撲滅に取り組んでいますが、一部の役人は官僚主義、
事大主義の悪弊に染まっており、これを克服するのは容易ではありません。

私の小説はこういった中国社会の弱点を明るみに出し、批判していますが、農村の
貧困が一日も早く改善されることを願う気持ちを書いたものです。これを映画化し
た作品は、私の気持ちに忠実に作られています。

吉岡 今回、中国の皆さんからいただいたレポートの中で、なかなか怖いことを書
いた方がいました。劉震雲さんです。文学と映画が一緒になるのは、いわば悪人同
士の結婚みたいなものとおっしゃるのです。さらに言えば、82歳の老人と18歳の娘
が結婚して、娘の方はだんだん磨かれ、落ち着いてくる一方、老人の方も第2の青
春を楽しんでいるのではないかと、ちょっとシニカルなご指摘です。

劉震雲 ノーベル賞を受賞した中国系アメリカ人の物理学者、楊振寧氏が中国に来
て、80歳を越すご高齢にもかかわらず精力的な講演活動続ける中、20代の女性と知
り合って結婚しました。これを聞いて、ご老体の健康に差し障りがあるのではない
かと心配しましたが、その後の報道を見ますと、ますますお盛んということで、女
性の方も臈(ロウ)たけた落ち着きを見せてきたということであります。文学と映
画の関係も、おそらくこのようなものではないかと考えています。

吉岡 劉さんがお書きになった小説で今、日本語に翻訳されているのは『温故一九
四二』という作品です。"歴史・ルポ小説"というジャンルに分けられるでしょう
か。これは日本でも翻訳前から話題になりました。記録文学者である「僕」が主人
公で、1942年に故郷の河南省で起きた大飢饉に取材に出かける。この大飢饉は3000
万人が流浪の民と化し、300万人が餓死したという大災害だった。

この年は日本の真珠湾攻撃の翌年で、1月に米、英、中(国民党政府)、ソなど26
カ国がワシントンで「国連宣言」に調印し、中国大陸では日本占領軍が蒋介石の国
民党軍、毛沢東の八路軍などと泥沼の戦闘を続けていた。この大飢饉に対して蒋介
石と国民党政府は省みることがなかったが、主人公の「僕」は蒋介石に対して恨む
気持ちを持たなかった。きっとワシントンで外交交渉に忙しく、自国民の被災にま
で頭が回らないのだろうと考える。

そのうちアメリカのメディアがこれを大々的に報道し、国際的な救援活動が始まっ
た。しかし、腐敗した官僚主義によって救援物資は現地に10分の1ほども届かない。
そこへ日本軍が河南省へ入ってくる。日本軍は国民党軍が飢えた農民から奪ってた
めこんでいた兵糧を少しずつ農民に与え、戦略的に国民党軍からの離反を図ろうと
する。ここで主人公の「僕」が考えたことは、民衆というのはどうやって生きてい
くのかということだった──この小説について日本では、最近流行の「日本ナショ
ナリズム」の中で妙な持ち上げ方をされました。「ほら見たことか、中国人の作家
が書いている。日本軍は中国人に食料を配った。日本軍が中国でしたことは悪いこ
とばかりではなかったんだ」と、こんな受けとめ方、こういう歴史の見方を劉さん
はどう考えますか。

●人間的な角度から見る歴史の事実
劉震雲 この作品が日本で翻訳される前から、日本のメディアから取材の申し込み
が何件もありました。文学と政治は見る角度が違います。文学は人間とその生活の
描写から出発します。例えば新聞記者として殺人犯を取材したとき、彼はおしゃれ
な、かっこいい服装をしていたとします。殺人犯はもちろん悪い人ですが、だから
といって汚い格好をさせるわけにはいきません。日本軍の行動に一つだけ付け加え
ると、日本軍が配った食料は一粒たりとも日本国内から運んではこず、すべて中国
国内で略奪したものだったということです。

吉岡 茅野さんはヨーロッパやアメリカを放浪し、中国にも行って北京大学に留学
しました。『韓素音(ハン・スーイン)の月』という小説では、中国語もできない、
歴史のことも知らない女の子が中国へ遊びに行って、男友達を作ったり、とりとめ
のない生活を続ける中、たまたま見た『慕情』という映画がきっかけになって自問
が始まります。なぜ自分はここにいるのだろう。自分のよって立つところはどこな
んだろうかと、一歩踏み出そうとするところで、この小説は終わります。この小説
では映画が場面を転換する役割を果たしていますね。

●同時代の作家、映画監督の共同制作
茅野 私が北京へ行ったのは90年代です。中国の映画界に友人がたくさんできて考
えたことは、特に80年代以降の中国では同時代の作家と映画監督との結束が日本よ
り強いということでした。中国では映画を世代によって時代分けして、張芸謀や陳
凱歌は第5世代と言われています。彼らは自分と同時代の作家を自分の映画と共に世
界に広げていこうと考えています。

当時、日本の雑誌に中国のいろんなジャンルの若い芸術家を紹介しないかと声がか
かったとき、小説家では王朔を紹介しました。彼は日本で言えば村上春樹ぐらいの
売れっ子でした。取材を終えたその日、夜中に私の部屋をとんとんと叩く人がいる。
誰かと思ったら、王朔でした。取材のとき話が面白かったので、もう少し話を続け
ましょうと言うのです。

彼は一人ではなく、馮小剛という人気の脚本家を連れていました。2人は一緒に組ん
で映画やテレビのドラマを作っている関係でした。彼らはブラックユーモア的な、
ちょっとやくざっぽい、当時の中国にはまれな面白い題材を扱っていました。中国
でもこんな才能が生まれていたのか、自分たちにこんな近い感性を持った人がいる
のかと思ったことを今でも忘れられません。

その馮小剛という人は今では中国を代表する映画監督になってしまいました。実は
その彼とずっと組んで仕事をしているのが、ここにお見えの劉さんなんです。劉さ
んは自分の作品を提供するだけでなく、馮小剛の映画にも出演したという話も聞き
ました。さっきの話によりますと、馮小剛が10代の娘で、劉さんご自身が80代の老
人ということになりますが、いかがですか。(笑)

劉震雲 彼は著名な映画監督の一人ですが、皆さんは彼の顔を見たことがないと思
います。はっきり言って、彼は中国の男性の中では「醜男(ブオトコ)」に属しま
す。しかし、彼の細君は中国で活躍している女優で、大変な美人です。私は奥さん
の方と親しくしてもらっています。

吉岡 話がだんだん微妙なところにずれていくような気がします。井上ひさしさん
の演劇作品『父と暮せば』は映画にもなりました。これをご覧になった方は多いと
思います。小説を書くことと演劇作品を書くこと、そして映画を作ることは、違う
仕事なのでしょうか。

●時代の底で私たちを基本的に動かしている力
井上 同じです。見えないものを見えるものにするのが表現者にとって最大の、そ
してたった一つの仕事だと思います。見えないけれど何かありそうだ、見えればい
いな、確かめたいなと私たちがどこかで思っていることを、ある方法を用いて目の
前に「これですよ」と見せる、それが小説家、劇作家、詩人、映画監督、脚本家た
ちのやるべきことなんです。

もう一つは、今、私たちが生きている時代の底の方で私たちを基本的に動かしてい
る何かがあります。今の世の一番底にあってこの世を動かしている恐ろしい、ある
いは美しいもの、そういう力が私たちと同時代にありながら、私たちには見えない
んです。これが後世になると、ああ、あの時代を基本的に動かしていたのはこれだ
ったのかと気がつきますが、今の時代は残念ながら知ることができない。これをし
っかりした見える形にする、それが表現者の重要な役割だと思います。

●文学は映像表現より優位に立っているか
浅田 今の言葉をしっかりメモしました。表現というものに共通しているものは、
未来でしか分からない、今の世の中を動かしている得体の知れない動力を底の底か
ら引っ張り出すという作業で、それはその時代の表現者にしかできないことかもし
れません。

今、映像と文学はとてもナーバスな関係にあります。文学というのは僕らの国では
すでに2千年くらい、中国はこの倍の時間をかけて淘汰され、進化してきました。こ
れに比して、映像表現はたかだか100年の歴史です。表現の段階において、文学が
優位に立つべきであると思いたいところですが、現状はそうもいきません。

本にどのくらいの読者がいて、映画やテレビを見ている人はどのくらいいるのか。
単純に数を比較したら、映像先導の世の中になっているのは明らかです。表現の本
質がどうこうということではなくて、享受する人の絶対的な数字がそう出ているか
らには、小説がいかに歴史があるからといって、映像表現よりも優位に立っている
とする考え方は間違っています。

ですから、私は娘を嫁に出したら、よく育てたつもりですが、化粧ぐらいは変えて
も構いません。でも、なるだけ性格は変えないようにお願いします。そちらの家の
家風に染まるぐらいは構いませんが、性格を変えるような仕打ちだけはなさらない
で下さいと、下手に出たお願いをするのがフェアではないかと考えています。

吉岡 夏天敏さんにうかがいます。夏さんのレポートには「魂で書く」とあり、さ
らに「これは私の生存の様式である」と続いています。この「魂」の意味はなんで
しょうか?

夏天敏 作家は「良知」をもって書くべきという考えです。人々の意識、人間関係
が急激に変わりつつある中国社会では、さまざまな社会現象が続出して、進歩と呼
ぶより、暗澹とすることが多々あります。一例を上げれば、役人の腐敗、汚職です。

「魂で書く」ということは、作家として自分が住んでいる土地、国を愛する気持ち
を持ち、自分の良心をよりどころとして、社会現象の暗い部分、醜い部分に光を当
て、批判するということです。それはまた、作品を通して一般大衆の苦しみを映し
出すということで、決して単なる批判に終わるものではありません。(拍手)

吉岡 彭さんも農村の現実を見つめながら作家活動を続けてきました。夏さんは魂
で書くということですが、彭さんは何で書きますか?

●東山魁夷の絵に感動して美の追究
彭見明 作家として認められるということは、まず美の追求と芸術的な達成があっ
たかどうか、その評価に関わることだと思います。私は子どものころ、日本の画家、
東山魁夷さんの絵を見て、しびれてしまいました。この作品に籠められている大き
な力に驚き、その美しさに圧倒されました。

今から考えると、私が『山の郵便配達』を書いたとき、深いところで東山先生の影
響を受け、自分の目と心に映る美しいもの──自然の美しい景観、人間の美しい感
情を作品に映し出そうとしていたのだと思います。「魂で書く」という夏さんの発
言に同感しますが、私の場合、私の心を震わせたもの、私の心が受けとめた美しい
ものを、私の心の中から掘り出して描き出すことです。作家としてこれ以上の喜び
はありません。(拍手)

吉岡 茅野さんの『バービーから始まった』は、バービー人形のお宝コレクション
にまつわるお話です。それがアメリカ生まれだと思っていたら、実は昭和30年代、
東京の下町で人々の共同作業で作られていたということが分かった。これも美との
出会いですね。

茅野 一つの小さなもの、その一つ一つに人間一人ひとりの思いと物語が込められ
ています。命を持たない存在にも目を凝らせば、昭和30年代の東京の下町に灯され
た希望の光、仕事の喜びが見えてきました。表現者として自分が見たいものにフォ
ーカスを当てる──焦点を絞りこむことが大事だと思います。

吉岡 私はノンフィクションを書くことから自分の仕事を始め、近年、その書き方
が変わってきました。文章が映像的になってきたせいか、風景の描写にしても、そ
こに漂っている雰囲気まで書き込んでいこうとしています。なぜそうなったかと言
うと、日本の社会のあらゆる場面に、映像が絵画や写真も含めて入り込んできたこ
とがあります。読者も活字だけではノンフィクションのややこしい話についてこら
れなくなりました。一つの言葉、一つの物を言ったとしても、それに対して一人ひ
とりの人が喚起するイメージは異なってきて、多数の読者に一つの焦点を結ばせる
ことはもはや不可能です。こういう中、日本や中国の文学はどうなっていくのでし
ょうか。それは映画とどう関係するのでしょうか。

●瓶(カメ)の水を揺らす魯迅の創作手法
焦祖堯 中国社会は市場経済の中で、人間として醜いところ、弱いところ、理解に
苦しむところが多々、社会現象として浮かび上がってきています。しかし、生活の
断片や社会の現象を、単にあれこれあげつらうだけでは文学作品とはなり得ません。
新しい時代の人間像を描き出すには、これまで書き慣れた平面的、一方的手法では
もはや間に合いません。

魯迅によれば、社会を水の入った瓶(カメ)とすれば、普段は瓶の水は静かに澄ん
でいますが、棒で揺すったら下に沈んでいた泥や砂、ロバや羊の糞が浮かび上がっ
てくるということです。これまでまるでなかったかのように深く沈んでいた社会や
生活の澱(オリ)をかき立てることが魯迅の手法でした。

社会的現象は、よかれ悪しかれ、その背後に隠れている原因と理由があります。小
説にせよ、映画にせよ、表現者の仕事はそれを深いところから掘り出して読者の目
に触れさせることだと思います。(拍手)

吉岡 井上さんのお考えも今の焦さんに重なるものがあると思います。激しく変わ
る現実の中で、文学は力を発揮できるのでしょうか。

●人類と共にある物語への欲求
井上 私たちは、人があるプロセスを経てどうなっていくかという物語に対する欲
求を、人類の原初のころから持っています。混乱した人間関係やある状況を推理す
るとき、その物語の枠組みを使って「ああ、この本質はこうなんだ」と理解してい
きます。この物語の力というものは、もちろん小説、演劇、詩歌、映画やテレビド
ラマ、新聞記事にもありますが、これは人類と共にあり続けるものと思います。神
話や民話、おとぎ話にもある人間の認識のある基本的パターン、世の中の移り変わ
りの基本的枠組みというのは、必ず物語の中に入っています。

物語の力は人間にとって最大の武器だと思います。つまり、面白い話、悲しい話、
朗らかな話、いい話というのは軽々と国境を越えてしまいます。表面的な言葉は翻
訳でなくなりますが、そこにある構造的なものの中に潜んでいる物語の力は、人間
であればどこにでも伝わるものだと思います。(拍手)

吉岡 通訳をしていただいている李さんは、中国作家協会で文学の国際交流を担当
すると共に日本文学の研究者でもいらっしゃいます。井上ひさしさんの『父と暮せ
ば』を中国語に翻訳なさいましたね。

李錦(※1) 井上先生と井上文学は私にとって高くそびえる山であり、豊かな
田んぼでもあります。『父と暮せば』を読んで、原爆問題に対する認識を深めるこ
とができました。加害国にしても、被害国にしても、戦争は一つの地獄です。これ
からは平和で友好的な交流の基盤を共同の努力で固めていかなければならないと考
えています。原爆の前で人間は弱いものですが、文学は人と人を結びつける強い力
をもっています。これから原爆に対する共通の認識を深めていくことができるので
はないでしょうか。

吉岡 これからの日本と中国の文学交流について、茅野さんはどのようにお考えで
すか?

●言いたいことを言い合えるフランクな交流を
茅野 私は個人的にも中国、台湾、韓国の作家たちと交流しています。ですが、
「日中友好」という言葉を聞かされると、一歩引いてしまう気持ちを持っています。
「友好」とあえて言わなければいけない"腫れ物"の意識ではなく、お互い言いた
いことを言い合えるようにしていくことが次の一歩なのではないかと考えています。

吉岡 浅田さんは中国を舞台とした作品をたくさんお書きになり、何度も中国へい
らっしゃっていますが、こういう膝を交えるような近しい場で議論をすることはあ
まりなかったと思いますが。

浅田 私はとても中国が好きで、前世は中国人なんですよ。本好きな方はどなたで
もそうだと思いますが、若いときに打ち込んだ作品が一生ずっと自分のベースにな
りますよね。私にとっては中国文学がそうでした。世界で最高の小説とは何かと聞
かれたら、迷わずに『史記』と答えますし、最高の文章は何かと聞かれたら即座に
陶淵明と答えます。

私はそれを異国の文化と認識していません。漢文として日本語のように習ったので、
私には日本と中国の文化は一体化しているということなんです。

日中の間にはいろいろ不幸なことがありましたが、今、私たちがまずやることとい
えば、とにかくできるだけ行き来しようじゃないかということではないでしょうか。
北京や上海へ行くのは、日本で温泉旅行するより安いんです。しかも飛行機でたっ
た2時間か3時間、時差がほとんどないも同然ですから、ハワイへ行くよりずっと楽
な旅ができます。これから中国からも大勢の観光客がお見えになると思いますから、
どんどんこちらからも出かけて、わざわざ「日中交流」と言うまでもなく、そうい
う庶民レベルの交流が本当の交流なのではないかと思います。(拍手)

●郭沫若を匿い、記念館を建てた市川市に感謝
焦祖堯 数十年前、ある中国の著名な作家が亡命という形で9年近くこの市川市に匿
われていました。その作家は本国で物故しましたが、現在、市川市にその記念館が
建てられ、また公園にもその名が付けられていることを知り、感動を深めました。
その名は郭沫若と申します。(拍手)

今回は短い訪問でしたが、市川市の文化的な雰囲気に強い印象を受けました。中国
と縁の深い街で、市民の皆様からいただいた友好的な歓迎、その温かいお気持ちを
中国に持ち帰り、みなに伝えたいと思います。(拍手)

井上 市川市のみなさんにお招きいただいたおかげで、こういう内容のつまった立
派なシンポジウムができました。ありがとうございます。

 ここで二つだけ、聞いていただきたいことがあります。この国が本当に国家主権
を回復して独立したのは、ご承知の通り昭和27年、サンフランシスコ平和条約が国
会で批准された瞬間です。

この11条に、日本は主権を回復することと引き替えに東京裁判や国内、国外で行わ
れた戦争犯罪法廷の結果を受諾し、同時に日本とこの条約を交わした国々は日本に
対する賠償の請求を放棄するという内容が盛られています。

東京裁判の判決は一部の軍国主義者だけが悪くて、その他の日本人はみんな被害者
だったというものですが、これは一種のフィクションとしか言いようがありません。
その他の日本人は本当に罪がないのですか?

しかし、フィクションではあっても、これを日本人が認め、受け入れるなら、日本
を再び国際社会に受け入れるというのがサンフランシスコ平和条約です。次に中国
が日本と平和友好条約を結ぶとき、この枠組みを中国が受け入れました。

●過去を忘れずに書き続ける
 日本の教科書に載っている数字ですが、あの15年戦争で日本人は310万人死んでい
ます。一方、アジアの人は1554万人亡くなっており、これは日本人が殺したといっ
ていい数字です。その中で中国人は1000万人で、これは日本政府が認めた数字です。

この責任は一部の軍国主義者のもので、日本人でさえ被害者なのですから、被害者
から賠償は取れないと、周恩来さんがおっしゃった。つまり中国はサンフランシス
コ平和条約第11条を認めた日本人を認めて、日中両国の友達関係が始まったわけで
す。中国政府は1000万人の中国人が殺されたのはみな、一部の軍国主義者の仕業だ
というフィクションを引き受けてくれたということになります。

ところが1978年に厚生省と靖国神社が一部の軍国主義者を神様にして合祀してしま
った。ここで中国の立場になってみると、戦争の責任者がいつの間にかいなくなっ
てしまった。だから中国の人は怒っている。

過去のことをしっかりと考えていれば、現在のことが分かるんですね。中国や近隣
のアジアの国々とちゃんとしたおつき合いをするためには、しっかりと戦争と戦後
の記憶を踏まえていかなければならない。過去を忘れないということを、作品を通
して言い続けることが、作家の務めの一つではないかと考えています。(拍手)

実は今日驚いたことが一つあります。訪日団の団員の方から、もしや市川市は東山
魁夷先生のいらした町ではないか、その旧宅を見学したいという予定外の要望が出
されました。(拍手)これからそちらへ参ります。本日はどうもありがとうござい
ました。

                        (文=会報委員・菱沼彬晁)

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■ペンクラブ「電子文藝館」のご案内

 4月〜5月に新しく掲載された文藝作品です。

*招待席
ジョアン・リーダム=アッカーマン(作家、ジャーナリスト)
            「The Role of P.E.N. in the Contemporary World」
青地 晨(あおち しん 評論家)「横浜事件」

*随筆
江口 滉(えぐち あきら エッセイスト、陶藝家)「陶藝家の述懐」
松 たか子(まつ たかこ エッセイスト、女優、歌手)「松のひとりごと」

*小説
秦 恒平(はた こうへい 小説家)「初恋」
佃 實夫(つくだ じつお 小説家)「わがモラエス伝 第四章 第五章 第六章」
杉本 利男(すぎもと としお 小説家)「うぶげの小鳥」

 閲覧はすべて無料です。ぜひごらんください。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html

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「ぺんぺん草」

 久しぶりの発行です。読者の皆様には大変お待たせをいたしました。

 日本ペンクラブでは2年毎に理事の選挙が行われますが、今年はその改選の年。
 先日、第15代会長に作家の阿刀田高さんが就任いたしました。

 新しい体制のもとで、さらに様々な活動を行っていく予定です。
 今後とも、ご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。