メールマガジン「P.E.N.」バックナンバー

日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第46号2006年11月24日

平和の日の集い(盛岡市)対談IV〜井上ひさしVS宮沢りえ
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目次
1)第22回「平和の日」の集い・対談IV「私たちの暮し」〜井上ひさしVS宮沢りえ
2)文化庁・ペンクラブ共催「国際文化フォーラム」文学と災害 11月28日(火)の
ご案内

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 45号に掲載した、「平和の日」いわての集いのリレートーク、最終回として、
井上ひさし(日本ペンクラブ会長)と、宮沢りえさん(女優)が、
「私たちの暮し」と題して語り合ったトークをご紹介します。
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■対談IV「平和の日に思う・私たちの暮し」〜井上ひさしVS宮沢りえ

井上 宮沢りえさんはひょっとしたら、宮沢賢治の遠縁ですか?(笑)。そんなこ
とはないですね。

宮沢 さっきから「宮沢賢治」「宮沢賢治」と名前が出ているたびに、私の出番か
なと思って、楽屋でドキドキしてたんです(笑)。

井上 岩手は初めてですか?

宮沢 いいえ。小学生のころ、まだモデルをしているときに、『遠野物語』を題材
にしたコマーシャルを資生堂という会社が作って、その撮影で来たことを思い出し
ました。

井上 じゃあ、岩手はそのとき以来ですね。それで盛岡は?

宮沢 そのときに、盛岡に最初に来ました。

井上 盛岡は戦争中、駅の近所に少し空襲があっただけで、ほとんど無傷で生き残
ったんです。古い建物がまだたくさんあって、それを盛岡の方は大切に保存してる
んですよ。

宮沢 ええ。そのときも古い建物のところで撮影をしました。

井上 ところで、今日、宮沢りえさんをこの場にお迎えしたのは、映画がきっかけ
になってるんです。私が書いた『父と暮せば』という芝居を、映画監督の黒木和雄
さんが「どうしても映画にしたい」とおっしゃった。私は冗談で「この美津江役は、
宮沢りえさんしかいない」と言ったんです。「絶対、可能性がない」と、私も含め
て誰もが思っていたんだけれど、黒木監督は真面目な人ですから、宮沢さんに頼ん
だ。

宮沢 ええ。

井上 そして、決まった瞬間、皆、喜んだと同時に、「何ということを、監督は」
と呆れました(笑)。りえさんの事務所に打診がいったときに、どう思われました?

宮沢 最初に台本をいただいたときに、とてもすばらしい本だと思いました。母が
井上ひさし先生の大ファンでして、母にとっても特別な思いがまず根本にあったよ
うです。

井上 ありがとうございます。

宮沢 1回目に読んだとき、本当にすごく感動しました。感動に浸りながら読み終わ
って、「あれっ、これ、私が演じるんだよな」ということを思い出して、青くなっ
てしまいました。とてもリアリティのある、すばらしい台詞の山なんですね。舞台
では完全に二人芝居で、映画では架空の人物の青年が出てくるんですが、それでも
ほとんどが父と娘の会話じゃないですか。

「本当にすばらしい本だけれど、私には重荷過ぎる」と母に言ったんです。やりた
いかやりたくないかということを決める選択は、ほとんど私なんですが、「これは
できないと思う」と言ったことに対して、母が初めて「これは絶対にやってほしい。
女優として演じているあなたを見てみたいという気持ちもあるけれど、一人の人間
として、この作品に参加するということの意味は絶対にあるはずだ」と熱弁をふる
ったんです。そんな話を母と1日して、「そうか」と思って、お受けすることにな
りました。

井上 ありがとうございます。お母さまには一度だけしかお目にかかってませんが、
よろしくお伝えください。今、宮沢りえさんがおっしゃったように、これは父親と
娘のたった二人だけのお話なんですね。父親役は原田芳雄さんでした。

映画が完成して挨拶をしたときに、黒木監督からこんな話を聞きました。原田さん
は撮影の最初の日に、「りえちゃん」と呼んでいた。そして本読みが始まったら、
そのときにはもうすでに、宮沢さんの頭の中には台詞が全部入っていた。

しかも、広島にいらっしゃって、現地の取材というか勉強もなさっていたことを知
って、原田さんはショックを受けたらしいんです。最初の日は「りえちゃん」と言
っていたのが、次の日からは「宮沢さん」になった、と聞きました(笑)。

宮沢 で、撮影が終わったら、また、「りえちゃん」に戻ったんですよね(笑)。

井上 私たちが「エーッ、宮沢りえさんが出てくださるんだ」「ワーッ、バンザイ」
とか言って、もう狂喜乱舞しているうちに、宮沢さんはもう広島へいらっしゃった
んですね。

宮沢 そうですね。この役をやると決めてからは、居ても立ってもいられないとい
うか、台本から膨らんでくるイメージと自分が本当に想像ができることのギャップ
が、あまりにも大きくなり過ぎて......。もちろん、小学校や中学校の授業で広島、
長崎の原爆について教わったことがあったり、図書室には広島の原爆の写真集など
もありました。

小学生のころ、「図書の時間」でその原爆の写真集を開いたんです。「子どもって
残酷だなあ」と、私は今だから思えるんですけれど、そのときに「気持ちワル〜イ
!」って、友達とその写真集を投げ合った記憶が強く残っていたんですね。原爆の
意味というものを知らずに、写真だけを見て、「気持ち悪い」とか「怖い」という
だけで、目をそむけ、通り過ぎてきた自分がすごく恥ずかしくなりました。過去の
現実というものに向き合わなければ、この役は絶対にできない。「じゃあ、どうし
たらいいんだろう。とりあえず、広島へ行ってみよう」と思って、原爆資料館に伺
ったりしました。

小学生のときに投げ合った写真集を覚えていました。防災頭巾をかぶった2歳か3歳
の子どもが表紙でした。その子はかすり傷程度で済んだんだけれど、その子の両親
はもう亡くなって、ただ呆然としている子どもの表紙だったんですね。それがたま
たま、資料館で売ってたんです。「ああ、これだ」と思い出して、それを買って、
撮影中は、その写真集を台本よりも多く見ていましたね。

井上 私もあの芝居を書いている間、妹を背負った少年が呆然と立っている有名な
写真を、目の前じゃなくて、ちょっと遠くへ飾ってました。長崎の写真ですけれど、
背中の妹はもう死んでるんです。この少年もやがて2、3日後に死んでしまうんです。
その写真を見ながら、「この人たちは何か言いたかったことがきっとあるに違いな
い」と思って書いていました。兄と妹ですけれど、これを父と娘に置き換えて、
「この人たちの言いたかったことを、とにかく言わなきゃいけない」と思いながら
書いていたのを、今のお話で思い出しました。

宮沢 そうなんですか。

井上 ええ。撮影が始まる前に黒木監督からじきじきに電話があって、1カ所だけ台
詞を変えたいとおっしゃった。「宮沢さんが変えたいと言ってるんじゃなくて、私
としては、これはどうしても変えたい」──僕もピンときました。

父親の台詞に、「お前は美人でもないけれど、通る人がのけぞるような美人でもな
いが、しかし、普通の顔である。それはワシの責任じゃ」というのがある。でも、
これはちょっと宮沢さんに合わない......。誰が考えたって、宮沢さんは「のけぞる
ような美人」ですから(笑)。これでは嘘になるので、「ここだけ削っていいです
か」と黒木監督がおっしゃるんですね。それで私は、「もう存分になさってくださ
い」と申し上げました。それで映画は、日本中の賞を全部、独り占めにしましたね。

宮沢 これも本当に、井上先生の最初の冗談のようなお願いが、私にとってはとて
もご褒美になりました。冗談って、言ってみるもんですね(笑)。

井上 そうですね。もう本当に最初は冗談で、誰もそうなるとは思っていなくて、
そうなったときの驚きと喜び、それは今でもよく覚えてます。映画『父と暮せば』
は、現在、世界中に出て行っています。英語の字幕がついて。ただ、大きな国際映
画祭では、予備審査で原爆は全部ダメなんですね。

宮沢 そうなんですってね。

井上 だから、国際映画祭というのも簡単には信用できないなと思いました。つま
り、大きな資本が動いてますから、原爆を扱った作品などは、本選に出ない前に落
としてしまうんですね。あの映画が国際映画祭でちゃんと上演されていたら、宮沢
さんはきっと世界中の賞を獲ったかもしれません。でも、おかげさまで、映画がも
う独り立ちして、今、カナダ、アメリカ、ドイツとかあちこちでどんどん広がって
います。

宮沢 すごくうれしいことです。

井上 ここで皆さんを代表して、宮沢さんにいくつか質問していいですか?(笑)

宮沢 はい、どうぞ(笑)。

井上 いやいや、くだらない質問ですよ。たとえば、昨日1日の食事の回数と召し上
がったものとか(笑)。その前に、撮影があったり舞台があったりいろいろでしょ
うが、基本的にはどういう毎日ですか? 全然寝てないとか?

宮沢 意外と寝る時間も遊ぶ時間もたっぷりあります。ただ撮影に入ったときには、
やっぱり夜遅くなってしまうことがありますけれど、寝る時間がないというほどの
仕事は、今までほとんどしたことがないんです。

井上 仕事を選んでらっしゃるというのは、全然関係のないところから見てても、
よく分かります。

宮沢 私は不器用なので、本当に「これは」と思ったものじゃないと、右手と右足
が一緒に出ちゃうようになっちゃうので......(笑)。

井上 普通に暮らしているわけですね。

宮沢 夜はちゃんと寝て、朝はすごく早起きです。仕事が入っているときは目覚ま
しを掛けますが、目覚ましを掛けなくても、6時とか7時とか、朝日が昇るころに必
ず目が覚めます。どの国に行っても、朝日が昇るころに目が覚めるので、私は時差
ボケがないんです。

井上 ああ、太陽の申し子なんだ。

宮沢 ええ。太陽が昇っていく瞬間を見るのが大好きで、そういう時間に必ず起き
ています。だから、冬はちょっと遅く起きて、夏はすごい早起きになっちゃうんで
すけれど。

井上 フィンランドやアイスランドなんかに行ったら、お天道さまは4時間ぐらいだ
から困りますね(笑)。

宮沢 そうですね、白夜は苦手かもしれません(笑)。

井上 くだらない質問を引き続いてさせていただきますが、好きな食べ物は?

宮沢 生魚が大好きで、嫌いなものというのはほとんどないんです。

井上 盛岡はわんこ蕎麦が有名で、おいしいですよ。もうお食べになりましたか?

宮沢 食べた記憶がないんです。盛岡冷麺というのもおいしいそうですね。

井上 盛岡冷麺も有名になりましたね。蕎麦では、宮沢賢治が農学校の生徒を連れ
てよく行った蕎麦屋というのが3軒あったと言うんですね。そのうちのどれが本当な
のか、よく分からないんですが(笑)。

宮沢 私、蕎麦も大好きです。休みの日なんか、昼間からお酒を飲みながら......
(笑)。

井上 宮沢さんは酒豪なんですね。

宮沢 お召しにならないんですか?

井上 一滴もダメなんです。

宮沢 岩手のお酒、おいしいの、いっぱいありますね。「南部美人」や「寒山」、
私は日本酒が一番好きなんです。東北のお酒が好きですけども、夜はお米を飲んで、
そして朝はお米を食べます(笑)。

井上 なるほど。宮沢さんはやはりスターですから、何か全然違う生活をしてらっ
しゃるみたいな誤解をしてましたけれど、普通の人と同じですね。

宮沢 そう思います。私はごく普通に下町でもどこでも歩きますし、本当に制約は
ありません。居酒屋にも入っちゃいますし......。

井上 渥美清さんは、変装して映画館に行くんです。でも、大きなマスクに汚いレ
インコート、登山帽をかぶってるんで、すぐ分かってしまうんです(笑)。

宮沢 だから私は変装はまったくしないんです。帽子はおしゃれでかぶるぐらいで、
サングラスもしませんし。どうせ隠しても分かるのだったら、隠さないで分かった
ほうがいいかなあ、と。

でも、自分の映画を観に行くときだけは、始まる寸前にこそっと入って、終わって
エンドロールが流れたら、すぐ出ます。その日観た瞬間のイメージってあるじゃな
いですか。美津江さんのあのモンペ姿のイメージから、パッと横を見たら、破れた
ジーンズをはいている私がいると、お金を払って映画を観てくださった方に失礼だ
と思うので。そのほかはごく普通にしています。

井上 じゃあ、映画館でよくご覧になっているんですね。

宮沢 そうですね、やはり映画館で映画を観るというのは最高ですね。

井上 話は変わりますが、『たそがれ清兵衛』にお出になってましたね。あのとき
もたくさんの賞をとって、2、3年後にまた賞をおもらいになった。トロフィーとか
楯とか、どういうふうに保管なさってるんですか?(笑)。  
                  
宮沢 飾っています。実家や私の部屋にも飾っています。ダイニングとか玄関とか、
家のあちこちですが、賞状はさすがに貼ってないですけれど......。

井上 さっき伺った、仕事を「これはやろう」「これはやらない」ということを、
本を読んで決めるんですね?

宮沢 はい、そうです。

井上 そうすると、僕の芝居なんか間に合わないですね、本がないですから(笑)。

宮沢 本がないなんて、想像しただけでも、もうドキドキしちゃいますね。

井上 この頃は少しは早いんですけれども、ちゃんと本ができたときには読んでい
ただけますか?

宮沢 もちろんです。光栄です。

井上 もちろん断ってくださっていいんですから。何か逆に、僕に質問あります?
(笑)

宮沢 脚本が遅くなるのは、なぜなんですか(会場から大拍手)。やはり、練りに
練ってということですか?

井上 これは長い話になるんです。芝居の脚本を書く場合、その日初めて芝居を観
る人が、お客さんの中に一人か二人はいるということを必ず意識して書くんです。
初めてちゃんと自分でお金を払って、ちゃんとした芝居を観るんだというふうな、
おそらく若い人だと思うんですけれど、そういう人たちが必ずおられるんですね。

そういう人が最初にいい芝居を観ますと、芝居を信頼してずっと生きていくことが
できるんです。人類が発明した面白い表現形式の一つである芝居を初めて観たとき
に、それがつまらないと、その人は一生、芝居を観ないんです。

ところが、最初に観た芝居がすごくいい芝居だった場合は、人間の考え出した表現
形式に対して信頼ができるので、その後、どんなにつまらない芝居を観ても(笑)、
最初に観たときの感動を思い出して、芝居にはいい芝居と悪い芝居があって、とい
うふうに考えてくれるようになるんですね。だから、一人でも「つまんないな」と
思われちゃいけないというのが、まず第一ですね。つまり、芝居に関わっている人
間として、「芝居の形式はつまらない」と言われたら、芝居の歴史に対する裏切り
ですから......。

宮沢 それを考えてしまうと、やはり遅くなるわけですね(笑)。よく分かりまし
た。ぜひ今度、舞台、ご一緒させてください。

井上 ありがとうございます。その場合は、本をずっと前に書き上げて、お読みに
なる時間を......(笑)。

宮沢 いや、書かれている間、横にいて、こうやってずっと見ててもいいですか?

井上 それでは絶対に書けない。それは無理ですね(笑)。宮沢さんは芝居にもず
いぶんお出になってますね。野田秀樹さんが多いですね。

宮沢 そうですね。去年、野田さんとお芝居をやって、また今年も12月と来年1月
に2ヵ月公演があります。

井上 題名は何ですか。

宮沢 今、ちょうど書いている最中とのことでした。

井上 あ、着手が早いですね(笑)。野田さんもすばらしい作家であり、演出家で
役者でもありますから、楽しみにしています。

宮沢 ありがとうございます。

井上 ところで、ほかに私に質問は?(笑)

宮沢 いっぱいあるので......。私はお酒を飲んで「フワーッ」とした華やかな気分
が好きなんですね。それが私のリラックス方法でもあるんですが、井上先生がふっ
と自分を解放させるときって、どういうときなんですか? 本を書かれるときとか
お芝居を作られるときって、すごくいろんなことを考えられていると思うのですが......。

井上 歩くことでしょうか。それから寝ること。人間は寝ながらも考えてるんです
ね。行き詰まると、「もうこの世の終わり」というぐらいに悲惨になってしまうん
ですけれど、一晩寝てから歩くと、「何でこんなことに悩んでいたんだろう」と、
悪いところが分かるんです。とにかく1日1時間ぐらいずつ歩くんです。それとやは
り映画が大好きですから、DVDをたくさん買い込んで、寝る前に必ず1本は観てい
ます。

宮沢 毎日1本ですか?

井上 毎日です。とにかく映画を観て寝る。寝る前の儀式です。

宮沢 そうですか。私は「一番好きな映画は何ですか」と聞かれると、すごく迷う
ので、その質問はしません。自分が困るので......(笑)。でも、今までで一番数多
く観た、何回も観たという映画は何ですか?

井上 ヴィットリオ・デ・シーカというイタリアの監督がいる。フェリーニのお師
匠さんです。このデ・シーカに『ミラノの奇蹟』という映画があります。これは孤
児院の話で、孤児が孤児院を出てからも世の中でうんと苦労するんです。でも、な
ぜか、その孤児がお祈りすると、すべてが叶っていく。ファンタジー喜劇で、音楽
がたくさん入っていて、気が沈んだときは、これを観て元気になる......。DVD屋
さんに行くと、ずっと売れずに、埃にまみれていつもありますけれども(笑)。

宮沢 すごく気になります、それ。

井上 それから、『父と暮せば』は何回も観てますね。   
          
宮沢 私も何回も観てます。

井上 まあ、どんな映画も皆、面白いですね。特に戦後すぐぐらいのB級と言われ
ている映画、10日ほどで撮っちゃったという映画なんかも、すごく面白いですし、
人間が作ったものは、やはり、すべて面白いんじゃないでしょうか。お酒でも、料
理でも、もちろん小説でも、詩でも、芝居でも、みんな面白い。で、型通りですけ
れども、10年後の宮沢さんは、ご自分でどうなっていると思いますか?

宮沢 やはり何かを表現するということは、やめていないと思います。30を過ぎて
から、演じる仕事をしていないときでも、すごく絵が描きたくなったり、すごい詩
的なものが自分の内側から溢れてきたりして、苦しくなる。それをパッと吐き出す
と、すごくスーッとしますが、でも、私にとって「演じる」ということがなければ、
きっと首をしめられるような苦しみになると思います。演じるか、表現する何かが
なければ、多分、私は生きていけないのかなあと思います。

井上 じゃあ、10年後も何か表現しつつ演じているわけですね。

宮沢 それが10年後だと、私は43歳になっているんです。

井上 歳を明らかにしていいんですか(笑)。

宮沢 大丈夫です。やはり、しわが素敵な表現者でいたい、そういう女優さんでい
たいなあと思いますし、『父と暮せば』みたいなハードルの高いものに出会って、
それを演じると、「もっと高いの」という気持ちが出てくるんですね。これからも
10年後でも、登れるか登れないのか分からないような高い塀を、よじ登っていたい
と思いますけれども......。

井上 つまり、自分が簡単に乗り越えられるような仕事じゃなくて、絶えず頑張ら
ないと越えられないような仕事を、ずっと踏み上っていくということですね。

宮沢 はい、そうですね。

井上 『父と暮せば』にもう一度戻りますが、あれは舞台のための台詞ですから、
すべて長いんですよ。

宮沢 長かったです、本当に。

井上 映画の場合はできるだけ台詞を少なくしますね、映像で表現しようと。でも、
宮沢さんの息の継ぎ方とか、本当に感心しました。

宮沢 ありがとうございます。

井上 舞台の美津江役の梅沢昌代さんは本当に達者な役者さんですから、あの人の
ために書いたんです。もし、宮沢さんでしたら、もうちょっと違う台詞があったん
ですが、しかし、よくご自分のものになさいましたね。

宮沢 明日は大体、この辺まで撮影があると分かりますから、それに備えて5ページ
から6ページぐらいの長い台詞を覚えていくんです。撮影が終わって、「はあー、今
日の長い台詞は終わったあ」と思って、「明日はどこだ」と台本を見てみると、ま
た5〜6ページあって(笑)。「あれっ、また、明日もあるんだ」と思いました。

原田さんもお酒の好きな方で、撮影が終わってからリラックスして飲むのが大好き
なんです。私もそのタイプなんですが、あの撮影中は二人とも、「昨日、飲んだ?」
「いや、昨日は飲めませんでしたね」「僕も飲めなかったよ」という会話が、長い
間、続きました。でも、あまり長い日が続いて、照明を直しているときなどに、二
人でコーヒーを飲みながら、「ああ、お母さん役とか出てくると、台詞がもう少し
減るのにねえ」とか、冗談ですけれど言ってました(笑)。

毎日が葛藤で、台詞を覚えて言うということだけに必死になってしまうと、心にあ
るものが言葉より先に行きたいのに、それがもう出てこなくて、台詞だけ先走って
しまう。「すごい気持ちが悪いから」と言って、もう1回演技をやり直させてもらっ
たりしました。毎日、終わってから、「ああ、絶対、私は女優に向いてない」と思
い、家に帰ってからも、「私は多分、女優やらないほうがいいと思う」と母に言っ
たりして、もう周りは大変でした。でも、これはやるしかないと思って......。

井上 じつに初歩的なことですけれど、劇作家やシナリオ作家が台詞を書きますが、
それをそのまま、俳優さんが口移しで出てくるということは、書いているほうは考
えてない。

それは宮沢さんなら宮沢さんの身体の中に入って、宮沢さんじゃなきゃできない方
法で再創造してほしいと願いながら書いている。「宮沢りえさんでないと、この言
い方はできないよ」ということを頼りに書いているんです。あ、そろそろ時間だそ
うですが、ちょっと聞いていただきたい話があるんです。時間がなくなったときに、
突然、思いつくのが私の悪いクセでして......(笑)。

宮沢 どんどん、思いついちゃいましょう!(笑)

井上 この盛岡には、昔から盛岡白百合女学校というミッション系の女学校がある
んです。石川啄木の奥さんも出た女学校で、明治も早い時期に東北で一番最初にで
きたミッション女学校です。

いろんな人材が出た中に園井恵子さんという女優がいました。彼女は白百合に入っ
てすぐに家の事情で小樽へ引っ越してしまうのですが、小樽の女学校時代に、ちょ
うどできたばかりの築地小劇場の地方巡業を観るんですね。それで「自分の進むべ
き道は舞台だ」「体で表現するのが私のやるべきことだ」と舞台を観た瞬間に気が
つくんです。

でも、家が貧しいので、演技の勉強ができない。お金をくれて勉強できるところは
宝塚だ、と思って、それで家を飛び出して、宝塚に行くんです。そしたら試験がも
う終わっていて、「来年、いらっしゃい」と言われたのに、「いえ、私は今年入ら
ないと、このまま女給さんになるか女郎さんになるか、どっちかです」と脅かす。

宮沢 女給か、女郎か、女優なんですね。みんな「女」がつきますね(笑)。

井上 それで3日ねばるんです。事務所の前の芝生で寝たり起きたり、アンパン買い
に行って食べたりなんかしながら、ずっとねばっている。そこへ宝塚の社長の小林
一三が通りかかって、事情を知って、「宝塚に欲しいのは、こういう子なんだ」っ
て、無試験で入学させた。彼女は宝塚でスターになっていくんですけれど、やがて
宝塚の演技に飽きちゃうんですね。つまり、部屋に入るとき、いったん後ろへ下が
って手を広げて入って来るとか、そういう演技が嫌になってくる。

宮沢 ええ、よく分かります(笑)。

井上 それで新劇を目指すんです。丸山定夫という名優をお師匠さんにして、一緒
にずっと芝居をやっているうちに、広島で被爆する。昭和20年当時は、映画を撮る
フィルムもないので、芝居を作って陸軍病院などへ慰問に行くんです。

地区ごとに劇団が付属でついて、民芸は北海道、文学座は金沢とか中部地区のお抱
え劇団になる。中国地区の本部が広島にあって、丸山定夫と園井恵子さんの劇団が
そこのお抱え劇団「さくら隊」となった。それでちょうど8月6日に園井さんたちは
広島にいて、被爆してしまいます。あっ、終了1分前ですね。僕が最後しゃべり切り
ますけれど、いいですか?

宮沢 大丈夫です。延ばしちゃえ(笑)。

井上 被爆した園井恵子さんは、劇団の若い子と一緒に必死になって神戸まで逃げ
る。その若い子は13日に死んでしまう。園井さんはここ盛岡に疎開させていたお母
さんに、「これからは何でもできる世の中になりました。もう一度初めから演劇を
勉強し直します。また一緒に住みましょうね」という手紙を書いて、ポストに入れ
たのが17日。手紙を出して、帰って来て、お風呂に入って、風呂上りの髪に櫛を入
れたら、髪がズズーッと抜けてきた。それから苦しみ抜いて、8月23日に亡くなっ
てしまいました。

だから、映画、演劇、音楽、小説、詩というのは、戦争がないというか、皆がとに
かく自分らしく生きることができるという状態があって初めて存在するものなんで
すね。僕は盛岡に来るたびに、この園井恵子さんのことを思い出すんです。お母さ
んに手紙を書いて、「これからです」と書いた直後に亡くなっていくというのを聞
くと、何事もなく毎日が続いていくことが一番大事なんだな、というふうに思う。
すいません。私の一人しゃべりで。最後に、宮沢さんにひとこと、何かおっしゃっ
ていただければ......。

宮沢 私は美津江さんの台詞の中で、「自分が生きているのが申し訳のうてならん」
っていうのが、強く印象にあるんです。彼女は生き残った人間ですけれど、被爆か
ら3年経ったときにでも、そういう気持ちを抱いて生きている。

多分、私たちみたいに、今、この平和な、何を平和と言うのか分からないですけれ
ど、愛する人とも一緒に暮らせて、おいしいものも食べて、いいものも着て生きて
いる時代の私たちにとっては、この「生きているのが申し訳のうてならん」という
台詞は、本当に理解が難しい言葉だ、と。生きることさえ意識してない今の時代と
いうものに、やはり私はずっと疑問を持ち続けたいなあと思います。

私も普段の生活をしているときには、何が平和か、何が幸せなことなのかというの
を忘れてしまう瞬間もありますけれど、でも、そのことを知ることができたという
こと、今、こうして笑って、愛する人が横にいるということを、ただ当たり前にだ
けは思わないで、幸せなことなんだと思う人が一人でも増えたらいいなと思います。

井上 とてもいい結論を出していただきましたね。今日は本当にありがとうござい
ました(大拍手)。

(文=理事・会報委員会委員長 清原康正)

※来月発行の次号では、椎名誠さん(作家)の講演の抄録をお届けします。
 お楽しみに!

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■「第4回 国際文化フォーラム」文化庁・日本ペンクラブ共催

開催日:平成18年11月28日(火)17:00〜20:00

会 場:MY PLAZAホール(東京都千代田区丸の内)
    http://www.myplaza.jp/index.html
    
交 通:JR/東京駅丸の内南口・有楽町駅国際フォーラム口 徒歩5分
    地下鉄/千代田線二重橋前駅 3番出口直結


座 長:阿刀田高(作家/日本ペンクラブ専務理事)

基調講演:「浅間山大噴火と人間」立松和平(作家/日本ペンクラブ理事)

パネリスト:
リンダ・クリスタンティー(作家/インドネシア)
楊黎光(作家/中国)
クワンユーン・ルークチャン(作家/タイ)
阿刀田 高
立松 和平

入場料:無料
定 員:一般公募300人

●お申し込み方法

A)インターネットの場合:
 下記アドレスにアクセスの上、お申し込みフォームで入力・送信して下さい。

 文化庁「国際文化フォーラム」
 http://www.bunka.go.jp/forum.2006/index.html

B)FAXの場合:
「座談会『文学と災害』傍聴希望」と明記し、
 お名前、ご住所、電話番号、FAX番号をご記入の上、
 下記までお送りください。

 FAX宛先・問い合わせ先
第4回国際文化フォーラム事務局
 TEL:03-5511-1514(受付時間:平日10時〜17時)
 FAX:03-5511-1505

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「ぺんぺん草」

 11月28日(火)17時〜20時、文化庁との共催で、シンポジウム『文学と災害』を
開催します。
 場所は、東京駅から徒歩5分の東京・丸の内「MY PLAZAホール」です。

 座長は、作家の阿刀田高さん。
 基調講演は、浅間山の噴火をテーマに小説『浅間』(新潮社刊)を発表した作家
の立松和平さん。

 そしてパネリストを3名、海外からご招待しています。

 中国からは、楊黎光さんが主に1998年の洪水災害について。
 インドネシアからは、リンダ・クリスタンティーさんが、日本でも大きく報じら
れた2004年の地震・津波災害について。
 タイからは、クワンユーン・ルークチャンさんが、同じく2004年の津波災害につ
いて、お話をされます。
 シンポジウムには、阿刀田高さん、立松和平さんも参加します。

 私たちの国、日本も、洪水、地震、津波といった自然災害と無縁の国ではありま
せん。
 人間と自然が向き合う「場」である「災害」に対し、文学が持つ可能性とは何な
のか、世界の様々な災害の現場で書かれた文学について論じ合います。

 事前のお申し込みが間に合わない場合は、当日、直接会場にお越しください。
 入場料は無料です。どうぞご参加ください!