●日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第41号2006年4月13日
「子どもと母に語り聞かせる『万葉』」中西進
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「文学サロン 愛する人へ」が、去る2005年10月29日、栃木県大田原市と日
本ペンクラブの共催により、那須野が原ハーモニーホールで開催されました。
第1部は、ペンクラブ副会長の中西進さん(京都市立芸術大学学長・奈良県立
万葉文化館館長)が、「子どもと母に語り聞かせる『万葉』」と題して、講演を行
いました。
投影機を使って、『万葉集』の自然と家族に対する愛の歌などを紹介しながら、
万葉歌の魅力を語りました。
第2部では、前号でお届けした遠藤周作元日本ペンクラブ会長の長男でテレビ局
勤務の遠藤龍之介さんと、作家北杜夫氏の長女でエッセイストの斎藤由香さんが、
「父よあなたは変だった」と題して対談をしました。
今号では、中西進さんの講演の要約を掲載します。
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□中西進「子どもと母に語り聞かせる『万葉』」
●砂には命がある
まず最初に、こんな歌を紹介いたします。
(投影機で『万葉集』巻第9・1799番 柿本人麻呂の歌を紹介)
玉津島
磯の浦みの
真砂にも
匂ひて行かな
妹が触れけむ
これが『万葉集』の歌です。その口語訳は「玉津島の海岸の砂で、体を美しく染
めて行こう。大好きな人が手を触れた砂だから」という意味です。有名な柿本人麻
呂の歌です。
ここで「玉津島」というのは、今の和歌山市です。そこの海岸、磯は湾曲してい
ますので「浦み」と申しますが、海岸の真砂、つまり砂で「匂ひて行かな」という
のは体を美しく染めて行こう、ということであります。
なぜかというと、その砂はかつて「妹が触れけむ」とあります。大好きな女性が
手を触れた砂だから、私(人麻呂)は、その同じ砂で体を染めて行こう。そういう歌
でございます。
察するところ、これに先だって人麻呂の愛する人が、この海岸にやって来た。こ
の愛する「妹」と呼ばれる人は、すでに亡くなっております。その故人を偲んで、
こういう歌を作ったということであります。大好きな人が、かつて海岸に来て砂を
拾い、遊んだということを思い出して、その大好きな人を失った男性が砂を取り上
げ、その砂で体を美しく染めようという歌です。
さあ、そこで問題は、砂で体を美しく染めるということが、あるのかどうか。こ
の歌を現に小学校6年生に教えたのです。すると、みんなが理解してくれましたので、
私は嬉しくなって、大田原でも同じ歌を紹介することにしました(笑い)。
その思い出の砂を手に取って、握りしめたり、そっと体に当ててみたりする。そ
のことで、自分の体が美しく彩られるような気持ちを持つことが大事なんですね。
これと同じような歌が『万葉集』にあります。たとえば川原の石ころでも、自分
の大好きな人が踏んだ石だったら、それを「玉」として拾っていこう、という歌が
あります。普通の人が見たら単なる「石」ですが、その石を愛する人が踏んだとい
うだけで「玉」になるという歌です。皆さんも宝石が欲しいなと思ったら、旦那様
に踏んでもらった石を宝石店に持っていって、それにリングを付けて指にはめてお
けばいいという。ですから『万葉集』は大変、便利な本なのです(笑い)。
この歌でも、たかが相手は砂であっても、それを手に持つことによって体が美し
くなるという考え方が大事なのです。ひるがえって、近代の有名な歌人・石川啄木
の歌があります。
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
(石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』新潮文庫より)
啄木は、砂には命がないという。握ると、さらさらと指のあいだから落ちてしま
うと歌います。
それに対して人麻呂は、砂には命があると言ったのです。自分の体を輝かせるよ
うな命がある、これが砂というものだと考えました。
むろん自然科学的に申しますと、啄木の方が正しいでしょう。しかし我々は、自
然科学で証明されるようなことだけの中で生活しているのではありません。むしろ、
もっと理不尽な、理屈の通らない中で生活していないでしょうか。もし合理的に、
ずっと人間生活が行われるのでしたら、私は世の中に夫婦喧嘩はないと思うので
す。あれは思い込みで喧嘩をしておりますから、犬も食わない(笑い)。
そういう思い込みがあるから、家庭というものが楽しかったり、いさかい合った
りするはずです。ですから、砂に命があると考えるのが人間にとって正しいのか、
命がないと考えるのが正しいのか、そこが問題です。
私は、やはり砂といえども、命があると考えます。その砂に命を与えたのは何か
といえば、愛する人への追憶、たった一つ思い出があると、その砂にも命があると
言えるのではないでしょうか。
しかも、それが「匂ふ」というのは大変大事な言葉です。「に」というのは「あ
かい」ということです。「ほ」というのは、それが「パー」と現れてくるという意
味であります。あかい色というのは、ジッとしていません。この花(壇上に飾られ
た花を指す)を、ごらんください。真っ赤ではありませんが、赤い色に近いですね。
この花をずっと見ていると、だんだんと皆さんの方に浮き出し、ただよって行くと
いう考え方が「匂ふ」なのです。
鼻にかぐ匂いではありません。赤い色、美しいものというのは彩りです。輝いて、
動いて、ただよって、迫ってきます。それを「匂ふ」といったのです。そういう考
え方を「万葉びと」は持ちました。
とにかく、砂といえども命があるんだ。亡き人の思い出をこめて、それを私が握
りしめることによって、体が美しくなるんだという人生観、世界観を持って生きた
のが万葉びとです。
●いっしょうけんめい働いているから
では、次の歌にまいりましょう。
(投影機で『万葉集』巻第11・2651番 作者不明の歌を紹介)
難波人
葦火焚く屋の
煤してあれど
己が妻こそ
常めづらしき
こういう歌です。今度は最初から一緒に読んでみましょう。私が「ハイ」と合図
しますから、ご一緒に大きい声を出して、お読みください(会場の聴衆と3回、繰り
返し読み上げる)。
歌の内容は「大阪の海岸に住んでいる人は枯れアシを燃料にする。すると家中が
煤で真っ黒になる。それと同じ。真っ黒になって働く私の妻は、いつもかわいい」
というものです。
葦というのは、古代では生活に一番大事な植物でした。葦で船を造りまして、葦
船と呼んでおります。あるいは葦を燃料にしたり、また編んで茣蓙にもしました。
壁にも使いましたし、あらゆるものに葦を利用したのです。
難波には、その葦が沢山はえています。枯れ葦を燃料として火にくべますと、家
中が煤で真っ黒になります。ですから、ここまでは葦で火を焚いた大阪近辺の家が
真っ黒になっている様子を歌っています。
さて、そこからパッと転換して「己が妻」の話になります。この転換が『万葉集』
の歌い方の常でありまして、いきなり「己が妻こそ常めづらしき」となります。
ここで「めづらしき」というのは「かわいい」という意味です。ですから、煤のよ
うに真っ黒になって働く私の妻は、いつも、かわいいというわけであります。私は、
これを名づけて「煤妻」と呼びました(笑い)。煤のように真っ黒になって一所懸
命に働く奥さんが良いのだ、という話です。
この歌も小学校6年生に教えました。子どもですから、妻というのを「お母さん」
に置き換えて、あらかじめ選択肢を2つ挙げて予習の問題としました。
1番目は「いつもお化粧をして、きれいにしている」お母さん。
2番目は「いつも働いて、真っ黒になっている」お母さん。
そのどっちが好きですか、と書きました。
さて、この時は、私も困りました。最初にマイクを向けた女の子が、ブスッと呟
くように「どっちも、お母さんはお母さんだから......」と答えるんですよ(笑い)。
たしかに、その子にとって同じお母さんです。それが間違っていれば「違う」と言
えますけど、お母さんは一人です。
それで私は、仕方なく「そうでしょう、キミが言うのが正しいね」と言いまして、
しかし「場合があるでしょう。真っ黒になって働いている時と、お化粧をしている
時と、その場合は一致しないんだから、その2つの場合があるね」と、そう私が言
ったら「ウン」と頷いたんです。
これで私は、もう勝ったようなものです。そこに活路を見いだしまして、「じゃ
あ、どっちの方がキミはより好きかと思う?」と聞き方を変えました。そうしたら、
今度は「家事を何もしないでデレデレしているお母さんは、きらい」と答えたので
す。
私は決して自分から正解を言ってないのです。まず子どもたちに発言してもらう。
全部そういう形で授業を進めていまして、その時も「ああ、すごく良い意見が出た
ねえ」と褒めました。そして「今の意見に賛成ですか?」と言ったら、ほとんど全
員が手を挙げるんですよ。びっくりしました。
このあいだ、子どもが母親を殺した事件がありました。あの子は、なんと言った
か。「家事を何もしないで、勉強のことばっかり偉そうに言う」と。だから「癪に
さわって殺した」と言ってます。これは大変なことでしてね、お母さんが家でデレ
デレして家事を何もしないで、お化粧をして遊んでいるのは嫌だ、と子どもは思っ
ています。念のために、そのことを忘れているお母さんがいらっしゃるかも知れな
いので、あえて申しておきます。
最後に「常めづらしき」とありましたが、これと同じような歌は『万葉集』に多
くあります。いつもかわいいというのは、要するに万葉びとは「恒常性」というも
のに価値を置いているのです。普段が大事です。そんなに華やかでなくてもいい、
いつも清く美しくありたい、というのが万葉びとの歌です。ですから『万葉集』で
大事な言葉は「常」ということです。ひとことだけ覚えるとすれば、この「常」と
いう言葉を覚えておいてください。
●もみじの美しさ
3番目に紹介する歌は虫くいになっておりますが、こんな歌です。
(投影機で『万葉集』巻第10・2177番 作者不明の歌を紹介)
春は萌え
夏は緑に
紅の
○○○に見ゆる
秋の山かも
もちろん『万葉集』では○○○の部分に言葉が入っています。これはクイズ仕立
てにして、言葉を抜いてあるだけです。
さて「春は萌え」というのは、春には芽が萌え出すわけです。子どもなどに聞き
ますと、この芽が萌えるということと、火がボゥーと燃えることとは別ものだと考
えている人が非常に多い。中国人は漢字を使いますから、別のものと考えるわけで
す。
しかし日本人は、両方とも「もゆ」という言葉で表現しました。ですから、春の
芽ぶきを、ちょうど火が燃えるように感じたわけです。たとえば赤い芽などがバァ
ーと出ますと、本当に火が燃えているように赤いですね。それが「春は萌え」とい
うことです。
夏は何かというと、「夏は緑に染まる」といいます。緑をグリーンだと考えると
「緑の黒髪」という表現が分からなくなります。緑という言葉は、単にグリーンで
はありません。若々しいものを「みどり」と表現しました。だから「みどり子」と
いう言葉がありますね。ですから「夏は緑」というのは、若々しいという意味です。
それで、今度は秋です。秋は紅が○○○で、何に見えるでしょうか。ここは小学
校ですと、クイズ仕立てにして何が入るかを、いくつか例を挙げて当てさせるよう
にしました。たとえば「きれい」とか「まっか」とか「まだら」とか、三文字を選
んで入れるわけです。
ここで30秒だけ私が黙っていますので、皆さんお考えください(沈黙)。さあ、
何が入っているかというと、これは「まだら」という言葉が入っているのです。「
まだらに見える秋の山よ」と、歌っているのです。
たしかに秋になると、真っ赤な紅葉があります。あるいは黄色い黄葉もあります。
しかし、それだけではなくて、緑の葉っぱもあるということです。つまり紅葉しな
い葉っぱもあると、言いたいのですね。その方が「まだら」であることが目立ちま
す。黄色と赤だけよりは、やはり緑があることによって一層カラフルになります。
美しい彩りに見えます。つまり、この歌は紅葉しない緑の葉っぱも含めて、まだら
に見える秋の山が「いいな」と言っているのです。
この歌についても、子どもたちに聞きました。「キミたち、これをどう思う?」
と、私が質問します。すると、子どもの口から小さい声で「全部、真っ赤だったら、
こわい」と言うのです。私は、ギョッとしました。だから「そうだねえ、本当にそ
うだねえ」と、私もまた嬉しくなりまして、子どもに教えるのを生き甲斐に感じて
おります。子どもは、全部「真っ赤だったら、こわい」と感じているのです。もう、
ちゃんと分かっているのです。
そこで、今度は「赤い葉があり、黄色い葉があり、緑の葉もあるのは、どうして
良いのだろう」と私が尋ねます。すると、子どもはなんと答えたと思いますか?
なんと「葉っぱにだって、個人差がある」と言うんですね。(笑い)これには私も
アッと驚きました。本当に子どもから教えられることばかりです。
ちなみに申しますと、ここには冬の山がありません。冬の山はどうするかという
と「眠る」のです。「山眠る」という俳句の季語があります。
今日は3つくらいの歌しか紹介できませんでしたが、要するに『万葉集』には、い
ろいろ多面的な価値観、対象に対する見方がありまして、汲めども尽きないものが
あります。
繰り返しになりますが、砂にだって命があるということ、そういう実体を超えた
普遍的なものの見方があります。それから、さらに「煤妻がいい」という話もしま
した。皆様のご家庭に必ずや変化が起こるに違いないような歌も『万葉集』の中に
あります。そして最後に「まだら」こそ良いのだという秋山の新しい季節感も、お
持ち帰りいただきたいと思います。
それでは、私の話を終わります。ご清聴ありがとうございました。
(文章=会報委員会副委員長・松本龍見)
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て、雑誌「世界」1988年8月号で掲載したものの再録です。
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