●日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第39号2006年3月2日
米原万里講演「笑いのつくり方」
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去る2005年10月、日本ペンクラブの会員が京都に集まり、「京都例会」を
開きました。
米原万里さん(作家)の特別講演「笑いのつくり方」が行われましたので、
その抜粋をここに掲載してご紹介します。
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□米原万里講演「笑いのつくり方」
(2005年10月1日・京都ゆうりぞうと洛翠)
●笑わせてくれる本が好き
本は読む者の胸を揺さぶってさまざまな感情を私たちの中に呼び起こしてくれま
す。
怒り、悲しみ、喜び、幸福感、憎しみ......なかでも私が大好きなのは、笑いを呼
び起こしてくれる本です。だから、作家たちの中でも、笑わせてくれる作家が一番
好きですし、尊敬しています。
実際に自分が書く立場になってからというもの、どんな真面目な主張や悲しい物
語、悲憤慷慨調(ひふんこうがいちょう)の時評を著す時でさえ、うまくいったか
どうかは別にして、常に笑える部分を挿入しようと努めてきましたし、笑わせるテ
クニックについては、無関心ではいられませんでした。
笑わせる技術を発見するのに、ヒントになったのは、私はロシア語の同時通訳を
やっておりましたから、ロシア人が「アネクドート」と呼ぶ小咄(こばなし)です
。欧米では「ショートショート」とか「ジョーク」と呼ぶし、日本の落語にも「小
噺(こばなし)」があります。いずれも短くて笑わせてくれる話を指します。笑わ
せるという目的が明確な話ですから、余分な枝葉末節をそぎ落としてあって、笑い
のテクニック、その構造が非常に分かり易い形で出ている。
最初は私も小咄を聞いては、ただただ腹を抱えて笑い転げていたのですが、もち
ろん何がおかしいかと感じるのは個人差があるけれども、笑わされると何だか嬉し
くなって、それを誰かに伝えたくなるものです。伝えられた人も大笑いして気に入
ると、また誰かに伝えたくなる。
そうやって小咄というのは広まっていく。記憶違いのせいで何か抜け落ちたり、
付け加えられたり、語り手それぞれが脚色したりする。民話や諺と同じ口承文学で
す。文字にならない文学です。
文字にならないから、じゃあレベルが低いかというと、そうでもない。面白くな
かったら、次の人に伝わらないままに忘れ去られていく。文字化された本ですと、
権威ある文学賞を貰ったとか、あるいは有名な作家が書いたからとか、出版社が宣
伝費を惜しまず使ったから売れたりするけれど、口承文学には、いかなる権威もカ
ネも通じない。小咄そのものの中身だけで勝負する、要するに笑えたか笑えなかっ
たかだけで判断される、ある意味で、とてもシビアな世界です。
●面白い小咄は詐欺師の手口そのもの
さて、たくさんある傑作小咄を、まず手始めに分類してみました。テーマ別に分
類するのではなくて、その笑わせる方法論別に分類していったのです。
実は、これは空前の試みなんです。世の中には、無数の小咄集、ジョーク集が刊
行されていますが、どれもロシア・アネグドート集、イタリア・ジョーク集などの
地域別、江戸小噺集、19世紀のヨーロッパ・ジョーク集などの時代別、あるいは、
軍隊ジョーク集、艶笑小咄集などのテーマ別に分類したものばかりで、笑わせる手
口で分類したものは1冊も出ていないのです。
さて、分類していく中で気付いたことがあります。以前から感じてはいたのです
が、再確認したんですね。それは、傑作小咄のやり口は、ことごとく詐欺師の手口
にそっくりだということです。もう詐欺そのものなんです。
大体、傑作小咄の中に詐欺の手口を紹介するだけで終わっているものは、たくさ
んあります。たとえばロシアの有名な小咄ですが、こういうのがあります。
* *
イワンが隣の家のアブラハムを訪ねて頼み事をする......。(イワンというのは、
ロシア人の代表的な名前です。アブラハムというのはユダヤ人の代表的な名前)
「ねえ、1ルーブル貸してくれないかな。必ず2倍にして返すから」
「だめだめ。どうせ貸したが最後、酒に化けるんだから。返ってくる当てもない金
を貸すほど、こちとらはおめでたくないよ」と、アブラハムは断ります。
「そこを、なんとかしてくれないかな。ほら、この斧を担保にするからさ。なあ、
頼むよ」
アブラハムは、すばやくその斧を取り上げて、
「そうこなくちゃ」と言い、1ルーブルを手渡して提案します。
「ねえ、いっぺんに2ルーブルも返すの、大変だよ。無理しない方がいいんじゃない
かな。今のうちに、1ルーブル返しておいたら? 俺、残りの1ルーブル、あとでい
いからさ」
そう言われるとイワンは、のちのち苦しくなるのはイヤだなあ、と思えてきて、
貸してもらった1ルーブルを、すぐ返す。
「ありがとう。恩にきるよ」なんて言ったりする。そして、心から感謝をしながら
、帰宅する道すがら考え込む。
「借りるはずの1ルーブルは手元にないし、斧は手放してしまったし、あと1ルーブ
ルを返さなくてはならなくなった。でも、どう考えても、間違ってはいないんだよ
な」(笑い)
* *
我々はイワンの馬鹿さ加減を笑いながらも、実は私たち自身も引っかかりそうな
気がして苦笑するわけです。
日本は、アメリカから沖縄を「返還」してもらったはずなのに、基地は治外法権
でアメリカの領土のまま、毎年、基地経費の思いやり予算まで払っている顛末とか
、所得税に加えて福祉目的と喧伝されて導入された消費税、健康保険料を徴収され
た上で、さらに介護保険料を徴収されているとか、10兆円の血税で不良債権をきれ
いに整理した長銀をわずか10億円で外資に売って差し上げた経緯とか、この手のや
り口に日本国民は結構引っかかってるんですね。まったく、皆さん、笑っている場
合ではないのです。
ところで、イワンの借金の噺に似た上方落語の『壺算』という傑作小咄がありま
すね。ベストセラーになった青木雄二の『ナニワ金融道』とか、安部譲二の『塀の
中の懲りない面々』とか、全編あくどい詐欺の手口を紹介した本です。
ところが、皆、笑いながら読んでいる。あれだけ人気を博したのは、いかに人々
が他人の詐欺に引っかかる話を好むかということを証明していると思うのです。
では、単なる優越感、あるいは「他人の不幸は蜜の味」という、さもしい根性だ
けで笑ってるのかというと、それももちろんあるけれど、決してそれだけではない
と思うんです。一体、何に惹かれるのか、なんで我々は笑うのか。それを、もう少
し実例を挙げて考えてみましょう。たとえば、こんな小咄は、どうでしょうか。
* *
新任の教師は、担当するクラスの生徒たちに「間抜けのモイシャ」(これはニュ
ーヨークの話です。「モイシャ」とは、モーゼというユダヤ人の名前の愛称形です
。『旧約聖書』に出てくるモーゼと同じ名前ですね)とからかわれている少年のこ
とが気になった。早速、休み時間に、なぜそんな呼び方をするのか、生徒たちに尋
ねる。
「だって先生、こいつ、ほんとに間抜けなんだ。サイズの小さな10セント硬貨とサ
イズの大きな5セント硬貨を出して、『好きな方を取りな』と言うと、必ず5セント
硬貨の方を取るんだぜ」
そう言うと、その少年はポケットから硬貨を2つ取り出して、モイシャに「選べ」
と促す。モイシャは、いつもどおり5セント硬貨の方を選ぶ。教師は驚いて、なぜそ
うしたのか尋ねると、モイシャはこう答えます。
「こっちの方が大きいんだもん」
放課後、先生はモイシャを呼び寄せて聞きます。
「ねえ、モイシャ。5セント硬貨はサイズが大きいだけで、10セント硬貨の方がたく
さん物が買えるということ、まさか本当に知らないわけじゃないだろうね」
「先生、そんなことボク、分かってますよ」
「じゃあ、なぜ5セント硬貨の方を選ぶの?」
「だって、ボクが10セント硬貨を選んだりしたら、やつら、ボクにお金くれなくな
るもの」(笑い)
* *
最初の話は、神の視点で書かれていて、騙されていく詐欺の手口を手順を追って
紹介していくのに対し、2番目の話は、騙される生徒たちと教師の視点で叙述され、
最後に騙す側=モイシャの立場が明らかにされると同時に詐欺のカラクリが分かる
という構造です。最初からモイシャの視点で叙述したら、ちっとも面白くない話に
なります。
●小咄は「オチ」こそ命
本物の詐欺師は、計画をやり遂げるためには絶対に、被害者に対して詐欺の手口
を悟られてはいけない。手品もそうです。最後までタネや仕掛けは悟らせないです
ね。推理小説も同じです。なかには「倒叙法」といって、最初に犯人が分かってし
まう『刑事コロンボ』みたいな推理小説もあるけれども、その場合は、探偵がどの
ように真犯人と犯行の手口を暴いていくか、という謎解きのプロセスが最後まで読
者を引っ張るのです。
小咄作者も、それと全く同じです。小咄もオチを途中で悟られないように、さら
には、ミスリードしていることも悟られないように、最大限の配慮をしなければい
けない。
詐欺の目的は金品を巻き上げることですけれども、小咄の目的は相手を笑わせる
ことです。笑わせるためには、基本的にはオチが思いがけないほど良いわけです。
あらかじめオチが予測できてしまったなら......。オチというのは落差ですから、あ
らかじめ「こうなるだろう」と予想していたのに、意想外の結果だった、と。そう
なった途端に状況の全体像が見渡せて、本物だと思い込んでいたのに、それが全部
ウソだったということが分かる。
それが、いわゆる「オチ」なんですけれども、それが予測できてしまうと、落差
ができませんから、「オチ」にならないわけです。手口が相手に悟られると詐欺師
は失敗しますし、ネタバレの手品を喜ぶ観客はいませんからね。だから、このオチ
を思いがけないものにするために、我々は知力とエネルギーを惜しんではならない
わけです。
オチそのものを思いがけなくするという手もあります(オチそのものの作り方に
ついても幾つか手口はあるんです)が、差し当たって、まずオチそのものは大した
ものではなくても、話の作り方によってすごく笑える話になるということは押さえ
ておいてください。
たとえば名画の贋作を売り付ける詐欺師は、その贋作より額縁の方にお金をかけ
るのです。だから我々は、聞き手や読み手がオチとは異なる終わり方を想像するよ
うに、イメージするのとは逆の方に話をもっていくために、聞き手や読み手の想像
力を目一杯膨らませるためにこそ最大限の力を尽くすんですね。
ちょうど詐欺師が額縁にものすごくお金をかけるように、たとえば1万円でしかな
い贋作を1億円で売るために、額縁には100万円もかける。それと同じように、相手
をミスリードするために最大限、知力とエネルギーの限りを尽くすわけです。たと
えば、こういう小咄は、どうでしょう。
* *
まず、男は慌てることなく、優しい手つきでスカートを下ろした。はやる心を抑
えて、ゆっくりとブラウスをはいだ。次にブラジャーのホックをはずして引っ張る
と、ブラジャーはそのまま男の足下にパラリと落ちた。それから男は、一気にパン
ティを引きずり下ろした。
今や、男の目の前には、むき出しの洗濯ロープがあった......。(笑い)
* *
この洗濯ロープが最初から分かっていると、ちっとも面白くない話ですが、皆さ
んが何を想像したのか知りませんけれど(笑い)、そちらの方に想像力がいくよう
に最大限、力を尽くすわけです。そうすると、男が単に洗濯物を取り入れていると
いう平凡な風景が、笑い話になるわけですね。
だから、どちらかというと99パーセント、力をミスリードの方に、額縁を作る方
に注ぐわけです。そうすると大体、どんな話もオチを付けることができる。
詐欺に遭った場合、第三者は別として悔しい思いをするんですが、こうして小咄
に引っかかると、なんか悔しくないでしょう。嬉しくなるでしょう。予想した展開
と、実際のオチとの落差、ズレ、これが嬉しいんです。
なぜなんでしょう。おそらく、我々の想像力は、常識とか固定観念に凝り固まっ
た慣れにのっかってイメージを作っているわけです。その凝り固まった常識と固定
観念に塗り固められていた脳味噌の筋肉が、オチでガクーッとずれて、脳味噌をパ
ッと刺激して柔らかくなるんです。揉みしだかれるというか、その快感が笑いを呼
び、そして喜びになるのではないかと思います。
というわけで、どんな短い小咄も長い小咄も、オチそのものと、オチとして成立
させる落差のための前提部分とから成っています。これは、あらゆる小咄がそうで
す。落差によってオチがおかしくなるわけです。たとえば非常に真面目な文章で、
こんなのは、どうでしょうか。
* *
「周知の通り、チベットの人口に占める女性の比率は極めて低い。そのため、チベ
ットを訪れるほとんどの男性は山登りにいそしむのです。」
* *
両方とも真面目なガイドブックに、実は離れて別々に載っている文章なんですが
、この順序で並べると、おかしいですよね。つまり「チベットを訪れるほとんどの
男性は山登りにいそしむ」ということだって、また「チベットの人口に占める女性
の比率は極めて低い」ということだって、ある意味では両方ともふつうの情報なん
です。それ自体は大しておかしくない情報だけれども、それをこの順序で並べると
、ちゃんと笑いになるわけです。
前半部分は後半部分の演出になっています。演出があって初めてオチが可能にな
る。その意味では、オチをオチたらしめるミスリード部分が小咄作者の腕の見せ所
ということになるわけです。
●オチは最後にくるとは限らない
基本的には、オチは話の最後にくるというのがふつうですが、最後に来たからと
いって、ではオチになるかというと、決してそうではない。そもそも小咄を聞かさ
れる時は笑わされる側にいて、オチはオチになって聞こえてくる。しかし、話を作
る立場に立ってみると、オチは最初からオチの顔をしていないわけです。
たとえば次のような、皆さんのお手元に渡した紙があります。テレビドラマにこ
ういう場面が出てくると悲劇の一場面ですが、実は、この中に笑わせるオチが潜んで
いるんです。
* *
手術室の扉の前を、男が落ち着きなく行き来している。ようやく扉が開き、外科
医が出て来た。
「ああ、先生......。先生、女房は助かったんですか?」
「......。」(沈黙)
「ねえ、先生、助かったんですよねえ」(A)
「......申し訳ない。できるだけのことはしたのですが......、こちらの力不足で」(
B)
「......ウウウウウーッ」
男は、絶望的な呻き声をあげる。少し落ち着きを取り戻した頃合いを見て、医師
が男を慰める。(C)
「考えようによっては、この方が奥様にとっても、ご主人にとっても良かったのか
も知れません。助かったとしても、植物状態になる確率が高かったのですから。何
年も昏睡状態が続き、その間、一日何回もシモの世話をしていただくことになった
でしょう。それに患者の身体を常に清潔に保たなくてはなりませんから、毎日全身
を拭き、口の中を洗い、髪をとかし、時々爪を切ってあげなくてはなりませんでし
たよ。そこまでしても、患者があなたに『ありがとう』と感謝してくれる日は来な
かったでしょうなあ。昏睡状態のまま、10年、いや20年になるかなあ、最期を迎え
ることになったことでしょう。ご主人だって、このままどんどんお年を召していか
れて......。」(D)
「あ、あんたねえ、自分の不手際を棚に上げて......。」
男は恨みがましく言って、また思い出したように涙にくれるのだった。(E)
* *
これは、明らかに悲劇の場面です。でも、ここにちゃんとオチがあるんです。オ
チが潜んでいるんです。皆さんのお手元に渡した紙の中の(B)の部分、この部分
はオチになる素質をもっています。
(B)を最後にもってきてみましょう。そして(D)の部分を(B)に先行させて
みましょう。そうした途端に、これは悲劇から喜劇に転ずるんです。作り直してみ
ましょう。
* *
手術室の扉の前を男が落ち着きなく行き来している。ようやく扉が開き、外科医
が出て来た。
「ああ、先生......。先生、女房は助かったんでしょうか?」
「......。」(沈黙)
「ねえ、先生、助かったんですよねえ」(A)
「......ただ奥様は昏睡状態にあります。おそらく、このまま何年も昏睡状態が続く
でしょうなあ。その間、一日何回もシモの世話をしていただかなくてはなりません
。それに奥様の身体を常に清潔に保っていただきます。毎日、全身を拭き、口の中
を洗い、髪をとかし、時々爪を切って差し上げてください。そこまでしても、奥様
がご主人に『ありがとう』と感謝してくれる日は来ないでしょうな。昏睡状態のま
ま、10年、いや20年になるかなあ、最期を迎えることになるかも知れない。ご主人
も覚悟してください」(D)
「......ウウウウウーッ」
男は、絶望的な呻き声をあげる。少し落ち着きを取り戻した頃合いを見て、医師
は男を慰める(C)。
「......実は、できるだけのことはしたのですが......、こちらの力不足で」(B)(
笑い)
* *
これで悲劇が喜劇に転ずるわけです。(笑い)ちょっとブラックではありますが
、順序を変えるだけで、人間の精神は変わるんです。辻褄合わせのために字句をち
ょっと変えましたけれども、基本的な情報は変わりません。情報を提供する順序を
変えただけで、悲劇は喜劇に転ずるんですね。それで、(E)という愁嘆場があり
ましたけれども、これは不要になるわけです。
だから、オチはゼロから創出するというよりも、見いだして演出するものなんで
すね。ボーボワール女史の名文句に「人は女に生まれない。女になるのだ」とあり
ましたけれども、それをもじるならば「最初からオチなんてない。オチにしてやる
のだ」ということになります。
つまり、話の各構成要素の中から順序を変えて最後にもってくればオチになりそ
うな要素を見いだして、それをオチとして引き立てるために他の構成要素の順序を
変え、字句の修正、削除、加筆、登場人物の設定変更などの施しをするんですけれ
ども、その順序を変えることで小咄が「一丁あがり」という感じでできあがってき
ます。皆さんも試してみてください。深刻で悲劇的な短編小説の情報提供の順序を
変えて喜劇にしてみてください。
このコツで私は一度、短いエッセイを書いたことがあります。
* *
「米原さんの場合、人生最初の記憶ってなんですか?」
いきなり、友人のテレビプロデューサーNに尋ねられて、遠い過去の体験が生々
しく甦ってきた。(A)
「恐ろしく真っ暗で狭くて湿っぽいところにいたのを覚えている。胸の辺りまで液
体に浸かっていて、今にも溺れそうだった。頭上に丸い穴があって、そこからだけ
光が差し込んでくる。息苦しくて辛くて必死でもがいていると、穴の外側から大き
な手が伸びてきて、私の身体をつかみ、穴の中から引きずり出してくれた」(B)
「エエーッ、いろんな人に同じ質問してるけど、誕生の瞬間を覚えてる人なんて空
前ですよ。人間の己に関する記憶は、ふつう3歳前後から始まると言いますからねえ
」(C)
Nがあまりにも手放しで感激しているので、そのまま誤解させておくことにした
が、これは、私が母の産道からこの世に出てきた瞬間などではない。(D)単に、
当時、わが家が間借りしていた家の汲み取り式便所に落っこちて助け出された顛末
なのだ。(E)しかし、あの瞬間から私の意識的な人生が始まったとするならば、
あの間借り先の便所は私にとって産道のようなものだった、と言えないこともない。
(F)
* *
Fは、エッセイとしての形式を整えるための部分で、ABCDEが小咄を形成し
ている。これは、実際にあったNプロデューサーとの会話を元にしていて、そもそ
もは、以下のようにAEBの順序で進んだ単純きわまりない面白みのないやり取り
だったんです。
* *
「米原さんの場合、人生最初の記憶ってなんですか?」(A)
「そうそう、下宿の汲み取り式便所に落っこちて助け出されたことかな。(E)そ
こは、恐ろしく真っ暗で狭くて湿っぽくて、胸の辺りまで液体に浸かってしまって
、今にも溺れそうだった。頭上に丸い穴があって、そこからだけ光が差し込んでく
る。息苦しくて辛くて必死でもがいていると、穴の外側から大きな手が伸びてきて
、私の身体をつかみ、穴の中から引きずり出してくれた」(B)
* *
答え終えた瞬間に、EとBの順序を逆転させればEは小咄のオチになる、と閃き
ました。そして、Bによるミスリードを際立たせるために、Cを捻出した。しかし
、基本は、あくまでもE→BからB→Eへの逆転。つまり、Eそのものがオチなの
ではなくて、EがBの後に来るからこそオチになるのです。情報提供の順序次第で
、オチを演出し、小咄を作ることができるということです。
●順序を変えるだけで笑い話になる
次の話は、友人の医師が私にした自慢話を元にしています。
* *
金森先生は金森総合病院の院長。15年ほど前に現役を退き、診察の現場を若い同
僚たちに任せ、病院全体をつかず離れずに見守っているという立場だ。ある日、い
つものように病院内を歩いていて「オヤッ!」と立ち止まった。金森夫人が、病院
に飛び込んできたのだ。
金森夫人は院長より7つ年下の81歳なのだが、掃除、洗濯、炊事、庭いじり、今も
元気に家事万端をこなす。生まれてこのかた、お産の時以外、入院したことがない
。いや、毎年一度だけ、夫の病院に入院する。いわゆる「ドック」に入って、徹底
的に健康診断してもらうためだ。そして、いつも「非の打ちどころのない健康体」
という太鼓判を押してもらっている。「風邪をひいた」という話さえ聞いたことが
ない。
だから夫人の姿を病院で認めて、金森先生が驚いたのも無理はない。予約もせず
に切羽つまった様子である。ちょうどベテラン医師たちが忙しかったので、最近、
赴任したばかりの鶴巻医師が診察することになった。鶴巻医師は大学を卒業仕立て
の、どことなく頼りなげな青年だ。
夫人が診察室に入って3分もしないうちに、診察室の扉が開いた。すさまじい形相
の夫人が診察室から飛び出してきて、大声で泣き叫びながら廊下を走り抜けた。
長い廊下の突き当たりで金森先生の姿を認めた夫人は「あなたっ!」、大柄の先
生にしなだれかかって泣き崩れた。夫人が落ち着いたところで事情を聞き出した院
長先生は、憤慨した。
鶴巻医師の診察室に向かいながらも、院長先生は反省することしきりだった。鶴
巻君を採用したのは、やはり間違っていたかな。ちょっとエキセントリックなとこ
ろがある。他のベテラン医師や看護師たちが案じていたのに、自分が押し切るかた
ちで採用してしまった。だから診察室の扉を開けつつ、自然に顔が強張り、声には
怒気がこもり、いつの間にか尋問口調になっていた。
「一体全体、どうしたことだね。鶴巻君、大丈夫かね。いくら最近は医療ミスが流
行っているといったって、こんな分かり易い誤診をしておったら、病院の信用はガ
タ落ちじゃないか」
普段は穏やかな院長先生が口角泡を飛ばしているというのに、鶴巻医師は涼やか
な顔をして机に向かい、何やらカルテに書き込んでいる。
「家内は、もうすぐ曾孫ができる身なんだよ、キミ。それに、俺は、もうその、ウ
ーン......。その家内に向かって『おめでたですね』とは何事だ!」
鶴巻医師は、ちらっと顔を上げると、ニコリともせずに呟いた。
「でも、止まったじゃないですか、奥様のシャックリは」(笑い)
* *
つまり、ネタ元は今、鶴巻医師と名づけた医者の典型的な自慢話。「昨日さ、シ
ャックリを治してやったんだ、一発で。80歳過ぎのバアさんなんだけどね。『おめ
でたですね』と言ってやったら、泡食って、たちまちシャックリが止まっちまった
よ、ハハハ」という内容だった。自慢話ほど自慢する本人以外にとって退屈で不愉
快なものは、ありません。でも、この話も、シャックリの治療ということを最後ま
で伏せてオチに仕立てれば、愉快な小咄になるのです。情報の順序を変えることで
、深刻な話からも、退屈な話からも、自慢話からも、悲劇からも、笑い話は作れる
ということです。
情報の順序はとても大事なんです。人の心を動かすのに、情報の順序次第で笑え
たり、退屈だったり、嫌味だったり、悲しかったりするのです。
きょうは笑いのつくり方の一番基本のところのごく一部をお話しいたしました。
実は、12月中旬に集英社新書として刊行される予定の『必笑小咄のテクニック』
(注・05年12月刊行)のさわりの部分なのです。詳しくは、ぜひそちらをご覧くだ
さい。(拍手)
(まとめ=会報委員会委員・平木滋)
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■ペンクラブ「電子文藝館」のご案内
2月に新しく掲載された文藝作品です。
*招待席
若松 しづ子(わかまつ しづこ 作家)「忘れ形見」
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「ぺんぺん草」
3月3日岩手県盛岡市にて、第22回「平和の日」いわての集いを開催します。
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おかげさまで、入場のお申込みが定員の1800名に達しました。
それぞれのトークの内容は、後日、このメールマガジンでご紹介させて頂きます。
どうぞおたのしみに。


