●日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第16号2004年8月31日
井上ひさし講演「近代文学における環境文学とは」
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■基調講演「近代文学における環境文学とは」
井上ひさし(日本ペンクラブ会長)
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今春、日本ペンクラブ環境委員会によるシンポジウム第5回「環境の
集い」が東京都内アルカディア市ヶ谷で開催されました。
その催しより、今号では、第1部・井上ひさしの基調講演「近代文学
における環境文学とは」を、次号以降は、第2部の新井満さん、金丸弘
美さん、高橋千劔破さんのスピーチを、ご紹介します。
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●文学者の目と耳
文学は時に無力に見えますが、実はいい文学が誕生しますと、そのとき新しい自
然を発見する場合があります。わかりやすい例で言えば、汚い例えで申しわけあり
ませんが、もし芭蕉が野グソを美しく詠んだとすると、野グソが今ほど汚いと思わ
れていたかどうかわからない。
第一級の文学、素晴らしい文学は、それまで普通の人が気づかなかった自然を発
見する。そしてその発見は普通の人たちのものになる。つまり作者が皆さんの代わ
りをしているわけです。皆さんは実業にお就きになって、きちんとまともなお仕事
をなさっている。我々は朝いつ起きてもいいんです。お昼からビールを飲んでもか
まわないんですね。そして、早く寝てもいいですし、夜更かしをしてもいい。勝手
気ままな毎日をおくっているのですが、たった一つ責任があるとするなら、そうい
ういい加減な楽な生活を誰にさせてもらっているかをよく考えること、皆さんの目
と耳と、多少頭の代わりをしながら、忙しくきちんと仕事をなさっている皆さんの
ために、世の中のことを監視すること。忙しい皆さんに代って、世界を見ること。
それが我々に課せられた責任だと、思っています。
つまり、皆さんの目となり耳となり鼻となって、世の中の変化、それから世の中
の移り変わり、そして人間の本質、人間とは何ぞやということを考えて、それを作
品にして発表する、それで気ままな生活を許されているのです。
いい文学は、時代の変わり目に必ず新しいことを考えていきます。皆さんが
「おっ」と思いながら、やがてそれに慣れてくると、その作品なら作品の目を持っ
て物事を眺めていくと、そういう関係になっているその例を一つ申し上げます。
●二葉亭四迷がツルゲーネフ「あひゞき」を翻訳してから
二葉亭四迷という明治の小説家をご存じだと思います。日本に最初に"口言葉"
といいますか話し言葉の小説を書いた。日本で最初にそういう大冒険をやった作家
の一人です。代表作に「浮雲」や「平凡」とかありますが、この二葉亭四迷が、明
治21年7月、8月に2回にわたって『国民の友』という、当時としては国民的な総合
雑誌に「あひゞき」という短編小説を掲載しました。これはツルゲーネフの翻訳で
す。当時、二葉亭四迷は24歳でした。
この翻訳は、海外のきちんとした小説の、日本では走りの翻訳です。それまでい
ろいろな翻訳がありました。でもそれは大衆的な──つまりちょっとした珍しさ、
それからちょっときわどさを持った小説の翻訳はありましたけれども、今でいう純
文学の翻訳としてはこれが日本で最初です。
「この『あひゞき』は先年仏蘭西(フランス)で死去した、露国(ロシア)では
有名な小説家、ツルゲーネフといふ人の端物──端物というのは半端物、短編のこ
とです(井上註)──の作です。今度徳冨先生の御依頼で訳して見ました。私の
訳文は我ながら不思議とソノ何だが、是でも原文は極めて面白いです。」という前
書きがありまして、本文は、次のような文章です。この翻訳をほんのちょっと、2、
3行読んでみます。
これは、日本で最初にあらわれた西洋流の自然描写を、翻訳ですけれども、二葉
亭四迷が初めて日本語にして活字にしたというところを頭のどこかに置いていただ
いて、お聴きください。
「秋九月中旬といふころ、一日自分がさる樺の林の中に座してゐたことがあった。
今朝から小雨が降りそゝぎ、その晴れ間にはおりゝゝ生ま煖かな日かげもさして、
まことに気まぐれな空ら合ひ。あわゝゝしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思ふと、
フトまたあちこち瞬く間雲切れがして......」というふうに、樺の林、そこに小雨が
降る。ときどき日も射す、そういう林の自然描写をずうっと書いてある短編小説で
す。これを二葉亭四迷が大変気に入りまして、厳密な翻訳をしました。
ロシア語の本文が、例えば「秋九月中旬といふころ」というのが、ロシア語の文
章で3つの言葉からなっているとすると、3つということはないのですが、僕はロシ
ア語がわかりませんので、まあ5つでも7つでもいいのですが、日本語も7つの単語で
やっていくという、じつに厳密な翻訳なんですね。
●国木田独歩「武蔵野」
さて、これからちょうど10年後、国木田独歩という、これも皆さんよくご存じの
作家が、明治31年(1898年)、20世紀が始まるほんの1、2年前、今からちょうど
105年か106年前ですが、これまた同じく『国民の友』に「武蔵野」という続き物を
載せました。27歳の時です。これもちょっと読ませていただきます。ちょっと長い
のですが、我慢してお聴きねがいます。
「昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもつて絶類の美を鳴らしていたように言い
伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といってもよい。
すなわち、木はおもに楢の類で冬は悉く落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出づる
その変化が秩父嶺(秩父山脈)以東十数里の野一斉に行なわれて、春夏秋冬を通じ
霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に緑陰に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙は
ちょっと西国地方または東北の者には解しかねるのである。」
これ、東北をばかにしてますが。(笑)
「元来日本人はこれまで楢の類の落葉林の美をあまり知らなかったようである。
林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の
奥で時雨を聞くというようなことは見当たらない。自分も西国の人となって少年の
時学生として初めて東京に上がってから十年になるが──つまり、東京に上がって
17歳の時に彼はこの「あひゞき」を読んだんですね──なるが、かかる落葉林の美
を解するに至ったのは近来の事で、それも左の文章が大いに自分を教えたのである」
自然をこういうふうに描写するのは全く新しいことだという時代があったのです。
それを最初にツルゲーネフに見つけて、日本語に写した「あひゞき」を、17歳の少
年国木田独歩が読んで、日本の新しい林の美しさを発見していきます。
●チェーホフの小説「女学生ナージェニカの夏休みの宿題」
ロシアにチェーホフという作家がおりました。彼がまだ20歳で、チェーホンテと
いうペンネームで書いていた、つまり1880年。「あひゞき」の翻訳が出たのが1888
年で、これから読むものをチェーホフが書いたのが1880年ですから、チェーホフの
ほうが8年早いのですが、初期のチェーホフの滑稽小説に「女学生ナージェニカの夏
休みの宿題」という本当に短い短編小説があります。この中にやはりツルゲーネフ
を一所懸命チェーホフが真似している。そこをちょっと読んでみます。
「私はたくさん本を読んだが、ツルゲーネフなどを愛読した。自然は素晴らしかっ
た。」(池田健太郎訳)
ここからツルゲーネフに真似て、あるいはツルゲーネフを引用しながら、自然描
写をやっていく。
「自然は素晴らしかった。若い木々はひどく狭苦しく生い茂り、だれの斧も形の
良いその幹にはまだ触れていなかった。」
つまり、木こりはその斧で若い木々をまだ切っていないということですね。
「濃くはないがほとんど隙間のない陰が小さな葉から落ちて、金鳳花の金色の帽
子や、桔梗の白い点や、撫子の真紅の十字架などを一面に散りばめた柔らかな細い
草の上に横たわっていた。」
これはチェーホフ自身、括弧して、(ツルゲーネフの「無風地帯」より)と書い
ている。
ここまでをまとめますと、ツルゲーネフが、それまでの自然描写を一新した。そ
してこの「あひゞき」とか「無風地帯」とか短い作品で、今までだれも見たことの
ない──実は見ているんですけれども──それまで普通の人が見逃していた自然、
特にツルゲーネフの場合は林ですけれども、林の美しさを小説にした。それを読ん
ですぐに、若き20歳のチェーホフが、ツルゲーネフを引用したり、ツルゲーネフに
ならって自然描写をやって勉強している。
そのまた8年後、日本では二葉亭四迷という作家がロシア語の原文を読んで、感じ
るところがあって、自然描写というのはこうでなきゃいけないということで、「あ
ひゞき」を翻訳し、かつ、それを読んだ国木田独歩が、これは10歳年下ですが、や
がて「武蔵野」を書く。
つまり、こういうように一人の作家がみんなが見落としているものの美しさを書
いた瞬間に、それが今度は新しい自然の見方になりまして、自然はこういうふうに
見るんだということで、日本だけではなくて、本国のロシア、それからイギリスの
詩人たちというところへ影響が及んでいく。これがすなわち文学の力です。
日本にも和歌、俳句で自然描写はたくさんあります。「平家物語」でも何でもい
い、江戸後期の傑作本でも何でもいいんですが、自然描写はもちろんある。江戸後
期の大衆小説にも自然描写はある。ただしその自然描写はそれまでの描写、つまり、
嵐はこう書く、小雨はこう書くというふうに、それまでの文学的伝統がつくり上げ
てきた自然描写をそのまま使う。和歌、俳諧では、さすがに、それぞれの詠み手が
自然と対峙しながら、どうやったらこの自然を五・七・五、あるいは五・七・五・
七・七の形の中へ取り入れるかを真剣にやっていたのです。調べたのですが、国木
田独歩が言っているように、楢の雑木林の美しさを芭蕉は、詠んでいませんね。
(あとで判ったことですが、高橋千劔破さんによれば、芭蕉は雑木林の美しさを作
品にしているそうです。井上註)
国木田独歩が発見して書いているように、それまでは楢の雑木林を通っても、こ
れを美しいというふうに、──もちろん個人としてはいいなとか、林の隙間からも
れてくる、葉っぱの隙間からもれてくる日の光とか、きれいだなと思っていたにし
ろ──それを文章という形にはしていなかった。別のものが美しいと思っていたの
です。松の枝にかかる月とか、そういうものが自然の美しさだというふうに信じ込
んでいた。
こういうふうに、その時代その時代の自然の見方は、だれかがつくった自然に対
する見方だった。そしてその見方で私たちも自然を見る。誰かに教わった、何かで
読んだ、自然というのはこう見なきゃいけないとか、そういうものに寄り掛かって、
自然を、人を、すべてのものを見ている。
環境文学というものがあるとすれば、今の自然をまったく違うふうに、これほど
水が枯れるのは本当に恐ろしいことだということを上手な素晴らしい文章で書いた
時、それを読者が読んだ時にその目を持つ。本当の環境文学というのは、これから
私たちが読者と一緒につくっていかなきゃいけない。論理的結論としてはそうなり
ます。
●「国民文学」の自然描写
国民文学というのがありまして、この定義は僕なりにいたしますと、一行ぐらい
は暗唱できるものがあるということで、これが不思議に、すべて自然描写なのです。
啄木も、自然描写の大家です。「東海の小島の磯の......」小島の磯の白砂で、ず
うっと望遠レンズを使って近づいていく。「われ泣きぬれて蟹とたはむる」、日本
全土からびゅーっと、すごい望遠レンズで焦点を当てていくという、大変な力業の
短歌です。
賢治で言いますと、もうこれは自然描写ばかりと言っていい。町場と山の間に広
がる草原、原っぱ。この原っぱというのは人間のものでもあり、動物たちのもので
もある。ここで人間と動物が一緒に住むと。そのときにどういうことが起こるか、
何が必要かというのは、これは賢治が一生かかって書いたことなんですが、林の中
を吹き抜けて行く風の描写は、いまはわたしたちの風に対する感覚そのものになっ
ています。
藤村の「木曽路はすべて山の中である。」とか、志賀直哉の「暗夜行路」は、結
末の大自然がないとあの長編は終わらなかった。荒れ狂う自然の中に自分を置きな
がら父親との関係を考えて、そこで答えを出していく有名な場面がありますが、自
然がないとこの小説は成立しない。
「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」これもそうですね。
こういうふうに例を挙げればきりがないです。
キリスト教国では、神がすべてをつくったとされている。山も川も海も空も、人
も動物も草も木も、すべて神様がつくったものという考え方ですから、人間と山、
人間と川、人間と海、みんな同等なんですね。ですから、それに手をつけても一向
に差し支えない。そういう割り切った合理主義が出てくる。神様がつくったのだか
らすべては平等、人間がどう使おうと、人間の役に立てばいいというふうな考え方
で西洋文学というのはできている。
ツルゲーネフにしてもそうです。林がある、それで自分がいる、これははっきり
しているのです。ところが日本の場合は、人間が知恵を働かせて自然に働きかけて
いくというのは、これはごくごく自然な話なんです。
●伊能忠敬の治水事業
アジアの場合は、すべてが渾然としている。自然も人間もだれがつくったという
のではなくて、中にお互いに切り離しがたく一緒に暮らしている、一緒に生きてい
るという感覚があります。治水事業は大事業ですが、その川の流れをうまく生かし
ながら水を治めていく。これは村長時代の伊能忠敬が一所懸命やったことですが。
今、日本は完全に西洋型になっています。つまり、人間が自然の中にいるのでは
なく、自然と対立しながら、その自然をどういうふうに人間のために利用していく
かという考え方です。
先ほど、司会の斎藤さんがおっしゃったように、戦争は最大の環境破壊です。し
かし、依然として戦争は行なわれ、水の事情は大変悪くなっています。
日本ペンクラブでアンソロジー集『水』(光文社文庫、2003年)を編みましたが、
中にいろいろな資料を集めて載せています。この資料を一目見ただけでも、水は大
変なことになっている。
例えば、中国に黄河という大きな川がありますが、この川の出口の水の量が1年の
うち8ヶ月ぐらいなくなってしまうのです。上流でダムをつくりますので。下流や川
口(かこう)まで水が流れてこない。日本の川もそうですね。昔の川は満々と水をた
たえていたのですが、大井川にしても何川にしても、今はちょろちょろちょろちょ
ろとしか流れていないですね。それは上流でいかに水を取っているかということな
のですね。
人間の好き勝手でどんどんやっているうちに、いろいろなほころびがはっきりし
てきました。
アメリカを悪者にするわけではありませんが、アメリカが京都議定書から離脱し
た。日本は怒るべきなのです。議定書というのは条約です。日本の議長国としての
面子は丸つぶれです。ブッシュ大統領になってから離脱するのですが、アメリカ国
内の企業の利益を守るためという理由をつけて、二酸化炭素の量を制限しようとい
う集まりから抜けました。ご存じかどうか、アメリカは世界の二酸化炭素の25パー
セントを出している国ですから、その国がそういうところから抜けてしまうという
ので、なかなか足並みが揃いません。
●飲料水の輸入国・日本
日本は、本当に世界でも指折りの水の、降水量の豊富な国なんですね。世界で4番
目ぐらいでしょう。1年間に2500ミリ近く降りますから。尾鷲とか屋久島なぞは、
1年間に4000から5000ミリ降りますから、これは世界でも有数の降水量です。
その国が今はペットボトルの水を飲んでいる。これはふしぎな光景です。世界で
5本指に入る水の豊富な国の人たちが、フランスやスイスから水をわざわざ買って飲
んでいる。後世の歴史家が見たら、そのコメントはどんなものになるでしょう。
私たちは、水一つを例にとっても、非常に乱暴な使い方をして、もう水道の水が飲
めなくなってきている、特に都会地では......。そういうことを、やはり私たちは、こ
ういうお説教ではなくて、おもしろい作品を書いて、その中に、水なら水に対する読
者の考え方が、がらりと変わってしまうような、そういう小説や詩を、特に小説が出
てきてくれればいいと、私(ひそ)かに願っているところです。
私たちは、ある時期のある時代の見方で自然や人を見ている。別の、もっといい見
方を誰かが書くと、皆さんも、その目で自然を眺めるようになる。ですから、今ほど
新しい自然についての文学、しいていえば「環境文学」が待ち望まれている時代はな
いと思います。地球危機というこの時代に、ぜひそういう環境文学というのが確立し
てほしいというふうに個人的に願っています。どうもありがとうございました(拍手)
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■イベントの報告『日本のジャーナリズムと言論表現の自由』
日本ペンクラブの言論表現委員会は、大隈講堂において、7月9日(金)、早稲田大
学文学部と共催で、シンポジウム『日本のジャーナリズムと言論表現の自由』と題す
るパネルディスカッションを開催。
2時間半にわたって、白熱したディスカッションが展開されました。
その全容を、ペンクラブのHPに掲載しました。
出演者は、以下のみなさんです。
パネリスト
井上ひさし(日本ペンクラブ会長、劇作家・作家)
梓澤 和幸(日本ペンクラブ人権委員、弁護士)
猪瀬 直樹(日本ペンクラブ理事・言論表現委員長、作家)
木俣 正剛(文藝春秋第一編集局次長、前「週刊文春」編集長)
清水 建宇(朝日新聞社論説委員、前「ニュースステーション」キャスター)
元木 昌彦(日本ペンクラブ言論表現委員、元「週刊現代」編集長)
コーディネーター
長田 渚左(日本ペンクラブ言論表現委員、ノンフィクション作家)
総合司会
篠田 博之(日本ペンクラブ言論表現副委員長、月刊「創」編集長)
どうぞご覧ください。
http://www.japanpen.or.jp/committee/genron/040709/040709.html
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■講演会のご案内
日本ペンクラブセミナー「P.E.N.トークシアター」(大阪)
▼講 師
玉岡かおる(作家)
▼演 題
「流れる川とはるかな日本の文化の旅〜せおりつ姫に会うために」
▼開催日
2004年9月18日(土)午後2時開演
▼会 場
ヘップホール ( 定員200名 )
大阪市北区角田町5-15ヘップファイブ8階
▼入場料
前売券1000円 当日券1500円
▼販 売 ※全席指定席
・チケットぴあ ( 0570-02-9966 ) Pコード603-185
・ヘップホール事務局 ( 06-6366-3636 ) (11時〜17時電話予約も可 )
○講師プロフィール
1956年、兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。1989年、神戸文学賞受賞作
の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で新潮社より文壇デビュー。
著書には、播磨に生きる祖母、母、娘の物語『をんな紋』3部作(角川書店)、幻
の名画コレクションを主題にした『天涯の船』(新潮社)など、多数。
また、『婦人之友』に連載中の『銀のみち一条』も、近代化の波を受ける生野銀山
を舞台に、文学をこころざす明治の女の半生を描いて好評。
最新刊は、現代女性の苦悩と再生を感動的に描いた長編小説『蒼のなかに』(角川
書店)。同時に、初のノンフィクション『タカラジェンヌの太平洋戦争』(新潮社)
も上梓。戦争という制限を受けつつ懸命に生きたタカラジェンヌたちの足跡と歌劇に
とっての一時代を、軽快な文体でたどる1冊。
執筆のかたわら「ブロードキャスター」(TBS系・土曜22時〜)のコメンテイタ−
をはじめ「ワイドABC みよ缶」(朝日放送・月曜16時〜)や「2時ワクッ!」(関西
テレビ・14時)など、テレビでもおなじみ。
ほかに、日本河川協会(財)理事、先端医療センター生命倫理委員会委員、兵庫県
県土整備部公共事業審査会委員など、行政へのご意見番としても活躍中。
兵庫県加古川市在住。家族は歯科医の夫と二人の娘とビーグル犬。
公式ホームページは、
http://homepage3.nifty.com/t-kaoru/
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■ペンクラブ「電子文藝館」のご案内
8月に新しく掲載された文藝作品です。
*詩
山田 隆昭 「うしろめた屋」
岩佐 なを 「岩佐なを初期詩選」
*小説
川島 民親 「ぼくの動物記 1」
久保田 匡子 「フェンスの中」
*招待席
太宰 治 「裸川」
幸田 露伴 「処女作天魔談」
有島 武郎 「惜しみなく愛は奪ふ」
田山 花袋 「私の歩んで来た道」
青柳 菁々 「雪のワルツ抄」
招待席に太宰治、幸田露伴、有島武郎、田山花袋、青柳 菁々の作品も掲載されまし
た。
閲覧はすべて無料です。
ぜひご覧ください。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html
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「ぺんぺん草」
アテネ五輪が終わりましたね。会期中は、つい夜ふかしをして観戦し、日本選手の
応援をしました。今回は、世界から200をこえる国々が参加したそうです。
さて、日本ペンクラブも、国際組織の一員です。
国内の文筆家団体であると同時に、ロンドンに本部を置く国際ペンの日本支部でも
あります。アメリカのペンに次ぐ会員数、規模を誇っています。
毎年、世界各国のペン代表が、一同に会し、国際ペン大会が開かれます。
今年は、ノルウェーのトロムソで9月に開催されます。北緯約69度、北極圏内に位
置する港町で、北スカンジナビア最大の都市です。
日本からは、作家で専務理事の阿刀田高さん、女性作家委員会の茅野裕城子さんが
参加します。


