メールマガジン「P.E.N.」バックナンバー

日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第13号2004年6月14日


第20回平和の日の集い(滋賀県)より 対談2〜俵万智VS中西進

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第20回平和の日の集いで行われた4つの対談より、2つめの対談をご紹介します。

対談2〜中西進(学者)VS俵万智(歌人)
テーマ「平和の日に想う万葉」
           (2004年3月3日 滋賀県大津市「びわ湖ホール」にて)

中西 近江(おうみ、古くは琵琶湖のこと、滋賀県の旧国名)の江は、淡海(あは
うみ)、淡水の海という意味ですが、近江の万葉で思い出す歌は?

俵 万葉の歌といえば、まず、思い浮かぶのが、額田王(ぬかたのおおきみ)の
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という歌ですね。

中西 「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」という大海人皇子
(おおあまのおうじ)の返歌も有名です。

俵 昔は男女が歌を交わして、心を通わせたんですね。恋の歌は和歌の本流で、額
田王の歌は人妻の恋をうたったものです。

中西 昔の夫と恋を交わしている。

俵 これは宴会の席で交わした歌で、秘めたる恋ではなかったということを、大学
で教わった。学問的にはそうなんですか?

中西 万葉集の最初のほう、7世紀中頃の歌は、セリフ劇があるオペラだと思いま
す。額田王をめぐる歌劇、壮大な歴史オペラ。「アイーダ」は古代エジプトの話で
すよね。万葉の歌も同じで、オペラを楽しむように、みんなで楽しんでいた。人妻
という言葉を使っていたのは、民衆なんですね。だから、あの歌は天武天皇が作っ
たというのは、嘘です。民衆の願望、幻想的自分が重なってくるからおもしろい。

俵 柿本人麻呂の「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」とい
う歌は、荒れ果てた大津京に思いを馳せています。

中西 現代語訳すると、「千鳥が鳴くと、どうして泣けてしまうのか」ということ
になりますね。その裏には、近江朝が滅んだという事柄があった。亡き人の魂は千
鳥になると言われていた。晩春の近江で、夕刻の琵琶湖の波間に飛ぶ千鳥は、過去
を秘めた魂ではないかということですね。廃墟を詠むという当時では新しい手法で、
過去を背負った現在を詠む。過去も背負っているという時間の重層性、時間を長く
たたえる風土、そういったものが近江にはあるような気がします。

俵 柿本人麻呂には他にも、近江の廃墟をうたった長歌があります。

中西 廃墟をうたうことが、当時には新鮮だったと思います。過去があって、今が
あるんだという時間の重なり、長い流れの中で何かを見ようとするのが、この歌の
特徴です。近江のたゆたっている風土、湖水の朦朧とした雰囲気を、芭蕉は「ゆく
春を近江の人と惜しみける」とうたっています。近江はそういう風土なんですよ。

俵 川のように流れ去って行くのではなく、時間をたっぷりとためている琵琶湖、
そんな目の前にないものを描き伝えることができるのが、言葉だと思いますね。

中西 人麻呂の歌に、亡くなった采女への挽歌があります。過去の悲しみを題材に
持ってきた。過去や目に見えないものをうたうという特色があった。

俵 人麻呂の歌を読めば、その頃の風景がその時の鮮度で蘇ってくるんですね。

中西 言葉と事柄、ということですね。

俵 言葉にすることで、事柄が目の前に表れてくる。

中西 言葉、歌の力の大きさです。

俵 五七五七七、千年以上にわたって同じ形式が続いている。五七五の俳句は、何
を見たかを表現し、和歌は七七で思いを述べるんです。言葉の力で言えば、与謝野
晶子の「君死にたまふことなかれ」の詩も、読んだ人それぞれの思いに広がってい
く。それが歌の力だと思います。

中西 晶子のリリカルな歌は社会的意識と結びついているところにおもしろさがあ
る。器の大きさ、鋼のような固い光を持ってますね。

俵 それをスローガンではなく、歌という形で届けているんですね。

中西 人間の最初の感動をうたうのが歌だと本居宣長は言い、「あ」という驚きで
表現した。歌は「あ」であり、この感覚を大切にしないといけない。

俵 教員時代、歌を教えるのに、ひとつの答え、ひとつの解釈で教えなければなら
なかったのがつらかったですね。

中西 万葉集には「淡海の海しずく白珠知らずして恋せしよりは今こそまされ」と
いう、琵琶湖の淡水真珠をうたった歌がありますが、近江の風土として白珠を大事
にしないといけませんね。

俵 みんな、心の中に沈む真珠を持っている。母性というか、母なる湖が生んだ豊
かな「真珠」を抱き続けていきたいですね。

中西 風土の豊かさ、心の豊かさを心がけていると、平和な社会になる。ギスギス
しないですからね。
                   〜構成・清原康正(文芸評論家)〜
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  次回は、落合恵子(作家)VS吉岡忍(ジャーナリスト・ノンフィク
  ション作家)のトーク「平和の日に想うこども」を掲載します。
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■最新刊『わたし、猫語(ねこご)がわかるのよ』
        (光文社・1400円+税・5月発行)

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  これは、猫好きの作家27人によるエッセイ集です。
  本書のあとがきの全文を、ご紹介します。
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あとがき
森 ミドリ(音楽家/エッセイスト・日本ペンクラブ編集出版委員会委員)

 あれは何年前だろう。
 神宮前にあるペットショップのレジで支払いをしていると、これ下さい、おいく
らですか、と声がして、赤いねこじゃらしが私の肩越しにスーッと現れた。

 えっ?と後ろを振り返ると、そこにいらしたのは作曲家の黛敏郎(まゆずみとし
ろう)さん。大学の大先輩だ。
「あ、こんにちは、黛さんって猫飼ってらっしゃるんですか?」
「あー、いえ、仕事場近くの公園にいる猫と遊ぶためです」
「.........」

 そうか、公園で使ってもいいわけだ、と妙な納得をしつつ、一瞬、想像してみた。
陽だまりのベンチに腰を下ろし、ほらほら、と言いながら猫と戯れる黛さんを......。
けれど、なかなかイメージできない。急いでいらした様子で、二言三言、言葉を交
わすと、小銭を置いて、では森さん、お先に、と静かに立ち去られた。
 新聞で黛さんの訃報を目にしたのは、それから数ヶ月のことだった。

 考えてみれば、家で生活を共にせずとも、さまざまなふれあいをもたらしてくれ
る身近な動物は猫しかいない。近所だけではなく、旅先でも思いがけず心癒される
ことがある。犬だとそうはいかない。殆どが首輪をし、ヒモでつながれているのだ
から。自由きまま、本能の赴くままの猫たちの行動に、多少なりとも憧れをもつ人
は少なくないはずだ。

 内閣府の調査結果「犬派が初めて減少し、猫派が過去最高に達した」というのも
何となく頷ける。

 さて、『犬にどこまで日本語が理解できるか』に次いでの、『わたし、猫語がわ
かるのよ』。
 先ず、タイトルがいい。実はこれ、阿刀田高さんがあの響くお声でポツリ、呟か
れたもの。......で、思い出した。

「女と猫」を描いて評判になった藤田嗣治(ふじたつぐはる)がアメリカの埠頭に
到着するなり、集まって来た記者から、質問攻めにあった。
「女と猫を描くのはどんな関係なのでしょうか?」
「女は全く猫と同じだからです。可愛がればおとなしくし、そうでなければ引っ掻
いたりする。ご覧なさい、女にヒゲとシッポをつければ、そのまま猫になるではな
いですか」

 でも、これは1929年のこと。今は、かなり状況が変わっていると私は思うのだが
......。

 フジタの、猫との最初の出会いはこうだ。
 ----夜遅く、盛り場からパリの石だたみを歩いての帰り道。ふと足にからみつく
猫がいて不憫に思い家に連れてきたのだが、2匹、3匹となり、モデルの来ぬ暇々に
眺め廻し描き始めたのが、そもそものきっかけです。ひどくおとなしい一面、あべ
こべに猛々しいところもあり、二通りの性格に描けるので、まことに面白いと思い
ました----
 誰しもそうだろうけど、出会いは不思議だ。

 私も、もともとは犬派だった。
 忘れもしない、大学院2年の時。ピアノのレッスンの後で先生に言われた。
「森クンはあっけらかんとしておおらかでいいけれど、女性には何を考えているか
わからないような神秘性もないとね」

 乙女心は傷ついた。後日、友人に電話をした折、そのことに触れると、
「じゃあ、猫、飼ってみる? そうそう、階下の姉さんのところで3匹産まれたか
ら見に来たら?」

 ......3日後から、神秘性促進を夢みつつ、彼女の名から一文字貰って庸瑤(よう
よう)と名付け、飼い始めた。いろいろなストーリーあっての16年半の付き合いだ
ったが、結局は猫の方が、犬のようになっただけだった。

 現在は、麗風丸(れふまる)、夢乃(ゆめの)、詩乃(しーにょ)という、極め
て穏やかな猫たちに囲まれて、猫ありてこその生活を送っている。犬派だった夫も、
今や「猫語が分かり過ぎちゃう生活」にドンと浸っている。

 第一、犬派猫派という言い方もおかしい。お父さんとお母さんとどっちが好き?
とか、山と海とどちらが好き?と同じで、首をかしげるものがある。
 それぞれの良さがあるのだから、対比すべきではないのでは......。

 中でもロシヤの猫、麗風丸は、志茂田景樹さんの文章にある、猫柄がいい、や猫
生、或いは浅田次郎さんの猫耳東風、にあやかっていえば、猫のいい猫で、別名、
ほとけのレフと呼んでいる。バラの剪定(せんてい)でとげにヒーッと掻かれるの
は日常茶飯事ながら、この10年、爪でやられたことなど一度もない。
 この子たちもやっぱり犬のようになってしまったということかしら。

 それにしても、読者の皆様にとっては、猫との暮しの中で見せる作家たちの、い
つもとは異なった一面を垣間見ることができて、それも大いに楽しめるのではない
だろうか。

 先ずは浅田次郎さんの「百匹の猫」。もう、しょっぱなから抱腹絶倒。未だ自分
のことがわからない愚かな私には、あと百年は書けない文章だ。そして、演歌まで
登場する太田治子さんのたおやかな、LL猫のお話。猫と暮したことが自然界に心
を寄せるきっかけになったという高田宏さん。序(つい)でながら難波利三さんの
「猫バカ日記」の中に、2文字訂正箇所を発見。(37ページ左から7行目の「美人」
は削除すべきと森本人からの強い要望あり。)

 2部では、猫のオバサマ、あ、失礼、オネエサマといっても過言ではない下重暁
子さんの「猫想い」に始まって、西木正明さんチの全てになみはずれているらしい
黒猫から、わが日本ペンクラブ会長・井上ひさしさんの義姉にあたる、米原万里さ
んの、熊のような猫のお話まで、溜息をついたり、心痛めたり、ニンマリしたり...
...。

 3部に入れば、ちょいと江戸まで遡った出久根達郎さんの「猫の似顔絵」、そし
て摩訶不思議な吉岡さんの透明猫から立松和平さんの「タマ----母親の威厳」まで、
ニャンとも温もりが一杯つまっている。

 以前、頼まれて、花をいとおしみ、花に教えられ、という言葉を色紙に書いたこ
とがあるが、猫の場合も同じような気がする。いえ、それ以上に、本来の人間らし
さを取り戻させてくれるのかもしれない。

 最期は必ず来る。だから飼うのはイヤだという人もいるが、厳粛に受け止めてこ
そ、共に生きた証しだし、寧ろ、そこで改めて生命の素晴らしさに気づくはずだ。
 庸瑤が天国に旅立った時、夫の膝で20分は泣いた。父が逝った時は勿論悲しかっ
たけれど、そこまでは泣かなかった。20分の号泣分、やさしくなれたかもしれない。

 この本に出てくる今も元気なはずの、グレ、キャラ、トモコ、ジャガー、あ、こ
れは犬だった......サンちゃん、プーコ、ぱるる、オカメ、クー、チビ、タマ、ハル
ミ、チョコ、チャア、チョビ、ムー、ノワ、チビ太、メイ、チャロミ、ちーこ、ビ
...ビンラディン......みんなに会いたくなってきた。

 あとがきにならないあとがきにあがいてしまった私を、どうか愛すべき猫たちに
免じてお許し下さいニャー。

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  全国の書店の新刊コーナーで好評発売中です。
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■シンポジウムのご案内

テーマ:「日本のジャーナリズムと言論表現の自由」

内容:「週刊文春」の裁判所による発売差し止め処分は、みなさんの記憶にも新し
いと思います。このシンポジウムでは、言論表現の自由とは何か、プライバシーの
保護、記事の公益性などについて、ジャーナリズムの第一線で活躍するパネリスト
たちが討論します。
 どうぞご参加ください!

▼日 時
 2004年7月9日(金) 16時開場 16時30分開演〜19時終了(予定)
▼場 所
 早稲田大学 大隈講堂
▼交 通
 地下鉄(東西線)→早稲田駅3出口(徒歩5分)
 JR(山手線)、西武線(西武新宿線)→高田馬場駅(徒歩20分)
 都バス →早大正門前
 都電荒川線 →早稲田駅(徒歩5分)
▼定 員
 750名 ※入場無料、予約不要
▼出演者
 パネリスト
 井上ひさし(日本ペンクラブ会長、劇作家・作家)
 梓澤 和幸(日本ペンクラブ人権委員、弁護士)
 猪瀬 直樹(日本ペンクラブ理事・言論表現委員長、作家)
 木俣 正剛(文藝春秋第一編集局次長、前「週刊文春」編集長)
 清水 建宇(朝日新聞社論説委員、前「ニュースステーション」キャスター)
 元木 昌彦(日本ペンクラブ言論表現委員、元「週刊現代」編集長)

 コーディネーター
 長田 渚左(日本ペンクラブ言論表現委員、ノンフィクション作家)

 総合司会
 篠田 博之(日本ペンクラブ言論表現副委員長、「創」編集長)

▼主 催
 日本ペンクラブ・早稲田大学文学部 共催
▼お問い合わせ先
 日本ペンクラブ事務局(安西)(電話 平日10:00〜18:00受付)
 TEL 03-5614-5391

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■日本ペンクラブセミナー『P.E.N.トークシアター』(大阪)のご案内

▼講 師
 渡辺えり子(劇作家、演出家、女優)
▼演 題
 「非戦の心」
▼開催日
 2004年6月19日(土)午後2時開演
▼会 場
 ヘップホール ( 定員200名 )
 大阪市北区角田町5-15ヘップファイブ8階
▼入場料
 前売券1000円 当日券1500円
▼販 売 ※全席指定席
 ・チケットぴあ ( 0570-02-9966 ) Pコード602-932
 ・ヘップホール事務局 ( 06-6366-3636 ) (11時〜17時電話予約も可 )

○講師・渡辺えり子さんのプロフィール
山形県出身。舞台芸術学院、青俳演出部を経て、1978年から「劇団3○○」を20年
間主催した。劇作家、演出家、女優として、また歌手として舞台、映像、マスコミ
のジャンルを問わず活躍中。毎日新聞、東京新聞などで、独自の切り口でのコラム
も好評連載中。『えり子の冒険』『思い入れ歌謡曲』など、戯曲以外のエッセイ集
も出版されたばかり。2001年、演劇の枠組みに捕われない自由な表現を求めてユニ
ット「宇宙堂」を旗揚げ。新人の育成のため、2003年より劇団に改めた。死者と生
者が同空間に現れ、現実と幻想の世界をリアルに表現する渡辺の世界は独特なファ
ンタジーとして定評がある。渾沌とした現代を生きる人間の困難さの中に生まれる
光を見い出そうとする作品群である。1986年「ゲゲゲのげ」で岸田戯曲賞、1987年
「瞼の女 まだ見ぬ海からの手紙」で紀伊国屋演劇賞を受賞。1996年「shall weダ
ンス?」にて報知映画賞、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。

 近畿地方にお住まいの方、どうぞご参加ください。

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■徳冨蘆花記念文学館 文学サロン講演会(群馬県)のご案内

▼講 師
 山本一力(直木賞受賞作家・日本ペンクラブ会員)
▼演 題
 「生き方雑記帳」
▼開催日
 6月21日(月)午後1時30分〜
▼参加費
 350円
▼募集定員
 100人(事前にお申込みください)
▼お申し込み・お問い合わせ
 群馬県伊香保町 徳冨蘆花記念文学館 TEL / FAX0279-72-2237まで

徳富蘆花記念文学館は、明治の作家、徳冨蘆花を顕彰する記念館で、温泉地とし
て名高い伊香保温泉にあります。

○講師・山本一力さんのプロフィール
1948年、高知県に生まれる。1966年、都立世田谷工業高等学校電子科卒。会社員
を経て作家に。1997年『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞、2002年『あかね空』
で第126回直木賞受賞。その他の著書に『損料屋喜八郎始末控え』『大川わたり』
『はぐれ牡丹』『深川駕籠』『深川黄表紙掛取り帖』『いっぽん桜』『草笛の音
次郎』などがある。最新刊『ワシントンハイツの疾風』は著者の自伝的小説。