電子文藝館 展観道案内

「ペン電子文藝館」展観の「道案内」集

電子文藝館委員会  05.8.1設営

(今後、新しく書き加えた「立て札」を、上へ上へ積み上げて行きます。)

 

 

* 孤高の雄峰

いつしかに歴史の波に洗われ、今も屹立して孤高を保っている記念碑のような文学があるものです。もはや発表当時の時流や主張や思想をすら問題にせず、作品自体の魅力ゆえに、読めばきっと感銘を受けるといった性質の、まぎれもない作品たちです。それでも烈しい時勢はともするとそれらを置き去りにしようとします。電子文藝館の「招待席」「物故会員」室は、心してそういう秀作に心をとめてきました、これからも、そうありたいと思います。
岩野泡鳴「醜婦」 上司小剣「鱧の皮」 近松秋江「黒髪」 鈴木三重吉「千鳥」 白柳秀湖「駅夫日記」 宮地嘉六「煤煙の臭ひ」 加能作次郎「乳の匂ひ」 宮嶋資夫「坑夫」 吉田絃二郎「島の秋」 長田幹彦「零落」 水上瀧太郎「山の手の子」 前田河廣一郎「三等船客」 葉山嘉樹「淫売婦」 牧野信一「西瓜喰ふ人」等々、近代の半ば以前で拾おうとしても追いつかないほどです。世間の「有名」だけが優れた文学の基準ではありません。 (秦、05.9.25)

 

* 純文学と私小説

よく使われることばですが、文学史的に狭義には、いわゆる「私小説」こそ純文学であるとされてきた久しい経緯があり、それから押しひろげて、藝術的な文学と通俗読み物とを区別した際の前者を広義に「純文学」とつかうこともあり、無意識にこの使い方がむしろ一般化していると言えるかも知れません。
  私小説にも難しい議論が繰り返されてきましたし、それを此処でおさらいすることはしませんが、私小説に自ずから或る両面の表われの観られることも現実です。議論抜きに、例えば、瀧井孝作「結婚まで」と、嘉村礒多「七月二十二日の夜」牧野信一「父を売る子」を読んで、あなたの感想を育んでください。 (秦、05.9.25)

 

 

* 兵隊文学

こんな呼称が文学史的に在ったかどうかは別として、明治から昭和の敗戦まで「兵役」がありました。出征、兵舎、戦地、戦闘、傷病、戦死、帰還、銃後、遺族、また階級や服命服務や武器や、さらに天皇制とも関わって、巨大な圧力に堪えた国民の体験でした。
「電子文藝館」には、そういう兵隊文学の傑作・秀作が既に幾つも展観されています。
与謝野晶子の有名な「あゝをとうとよ戦ひに」と歌った詩もそうでしたが、より直接に兵隊の日々や姿を書いて優れた、新井紀一怒れる高村軍曹細田民樹多忙な初年兵黒島傳治渦巻ける烏の群伊藤桂一雲と植物の世界阿川弘之年年歳歳菊村到硫黄島結城昌治軍旗はためく下に五味川純平不帰の暦三原誠たたかい小田実玉砕神坂次郎今日われ生きてあり」など、すべて胸に迫る文学です。異色の、これも銃後の断章、崎村裕マリの出征」もあります。
火野葦平「麦と兵隊」野間宏「真空地帯」大岡昇平「野火」梅崎春生「桜島」その他、当館にぜひ展観し、心新たに広く読まれたい兵隊文学の名作・力作は、まだ数多くあります。
兵隊なんて、過ぎし昔のこと? いいえ。「イラク派兵」等にみられるように、歴史は、今しも危うく繰り返されようとしています。 (秦、05.8.29)

 

* 優れた文学か、悪意の算術か

小泉八雲の文学から、よく思案して最初の展観に選んだのが、東京帝国大学に赴任して初回の「文学」講義録です。題して「文学と世論」。多くの外交努力よりも真に優れた文学が「国」のイメージを一新し、外国世論の尊敬を一時にかちえた例に、八雲先生は「ロシア」を挙げています。プーシキンにはじまり、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ等々世界文学の至宝となった作品が出るまでのロシアは、ヨーロッパの眼にはただの野蛮国だったと謂うのです。ロシアが本当の敬意と称讃をえたのは、戦争や外交によってでなく「文学」の力であった。日本からも、そういう「文学」「文学者」出でよという気持ちで自分は講義を始めると、八雲は静かに講壇で語り始めたのでした。「悪意の算術」は「戦争」や「外交」を諷した当座の造語で、八雲がそう謂ったのではありません、念のため。 (秦、05.8.29)

 

* 演説の名人

弁論・雄弁・講演は近代知識人の得意技でしたが、とびぬけて聴衆をとらえた一人が、小説家徳冨蘆花でした。彼が日露戦争のあとに、満場水をうって感銘を与えたのが「勝(利)の悲哀」でした。日露戦争に名目上勝ったのは日本でしたが、内情は薄氷をふむ危うさ。戦後の講和に時の外務大臣小村壽太郎は身を削る思いをし、国民は弱腰に憤激し暴動も起こしました。蘆花はそんなさなかに渾身の叫びをもって演説したのでした。また「大逆事件」に大勢の死刑判決がでたとき、蘆花は迸る言葉で、明治天皇その人にうったえたのが「謀叛論」として名高い演説でした。二つともその記録が当館に展観されています。
夏目漱石もまた数々の文化講演により、近代日本を批評し、創作に匹敵する感銘を与えました。「私の個人主義」は代表的な優れた一つとして有名です。 (秦、05.8.29)

 

 

* 三代の小説家

美術工藝や藝能には狩野派、土佐派、或いは成田屋、中村屋、音羽屋などと世襲家系がしられていますが、文学・文藝ではなかなか「三代」と続いた家はなかったものです。そこに文学・文藝の或る意味で「才能」の難しさが感じられますが、近年は「二代」に及ぶ作家の家も増え、珍しくなくなっています。読みたい人より書きたい人の方が多いと揶揄される世情と関わりがあるのでしょうか。
坪内逍遙より二歳若い廣津柳浪(一八六一生)の名や作品は、もうよほど遠く感じられる昨今ですが、「黒蜥蜴」のような日清戦争ごろの深刻な秀作を遺し、子に廣津和郎、孫に廣津桃子と続きました。柳浪より六歳若い幸田露伴(観画談など、一八六七)にも、娘幸田文、孫幸田玉青があります。それ以外には容易に見つかりません。 (秦、05.8.26)

 

* 初恋

初恋を書いた作品は数多くあります。ところが「初恋」と題した日本の小説は意外に見当たりません。幕末生まれ嵯峨の屋御室(一八六三生)の「初恋」は、近代初の初恋小説の秀作で、二葉亭四迷(あひゞきなど、一八六四)の「浮雲」と並んで、明治文学の幕開きを立派に飾っています。伊藤左千夫(左千夫短歌抄、一八六四)の有名な「野菊の墓」に先立ち、情のあつい優れて清潔な筆に、力が感じられます。以来、秦恒平(清経入水など、一九三五)が昭和五十三年に発表した作以前に、同じ「初恋」題の小説が思い出せずにいます。不思議な気がします。 (秦、05.8.26)

 

* 歴史小説の筆頭

歴史小説というとむろん文豪森鴎外(身上話など、一八六二生)の「阿部一族」などを思い浮かべますが、当館に展観した目下筆頭の歴史物は、石橋忍月が明智光秀を高らかに歌い上げた渾身の叙事詩「惟任日向守」でしょう。山田美妙(一八六八)の言文一致をこころがけた「胡蝶」も時代に先駆けた顕著な記念作ですが、忍月作には主君信長を筆誅し逆臣光秀を歎いて一種言うべからざる志気と哀情が迸ります。優れた文藝批評家山本健吉は忍月の子息です。 (秦、05.8.26)

 

* 文藝批評の先駆

斎藤緑雨(一八六七生)は、時に鴎外や紅葉や露伴らと並び称され、辛口の批評家として大きな存在感で時代に臨んだ文士でした。樋口一葉の才能に早くも目を向けた一人でした。当館が展観している緑雨作品は、しかし、批評そのものではない。「わたし舟」という一場の歌舞伎舞台を髣髴させる短編で、舟の客となるただ一人の母親の凄惨な造型に、口説に、読者は思わず息をのみます。添えました「小唄」数編は、縹渺濛々の川面を流れる、人生わたし舟の深い哀れを、さも聴かせるかのようです。これとても、緑雨が人間に向けたつよい「批評」かと思われます。 (秦。05.8.26)

 

 

* 好一対

「ならび称する」という物言いは、人麿・赤人や清少納言・紫式部の昔から、好奇心や関心をひきよせるうまい物言いでした。近代文学史にも、優れた例が幾つもあり当館にも展観されています。あまりに常識的ですがまた大きな指標の如くに、森鴎外(安井夫人など)と夏目漱石(吾輩は猫であるなど)、幸田露伴(幻談など)と尾崎紅葉(金色夜叉など)、北村透谷(各人心宮内の秘宮など)と島崎藤村(藤村愛誦詩選など、)志賀直哉(好人物の夫婦など)と谷崎潤一郎(夢の浮橋など)、菊池寛(父帰る)と芥川龍之介(一塊の土など)、横光利一(マルクスの審判など)と川端康成(片腕など)などは大勢の記憶に刻まれた大きな名前です。対照的といえる一対も優れた同行者といえる一対もあり、もう古典といえましょうか。読み比べるとお互いの個性や作風がまざまざと見てとれます。
そんななかで際立った対照の妙を光らせているのが、例えば徳田秋聲(或賣笑婦の話など)と泉鏡花(海神別荘など)とです。二人とも金沢市出身、尾崎紅葉の同門として出発し、秋聲は師を離れて自然主義散文の絶巓と頌えられ、鏡花は師の薫陶のもとに日本語の魔術的天才と称讃され、お互いに極北の地位を競ってきました。
だいじなことは、常識の「好一対」「好敵手」のほかに、自身の読書体験から自分でまたいろいろな作家の、また作品の組み合わせを創り出すのも創造的読書といえるでしょう。数百もの作品を読みに読んで展観してきた実感です。例えば明治に生まれ明治のうちに死んでいた夭折の天才に、樋口一葉(わかれ道など)と石川啄木(文学論二題など)があった、などと。生没年を確かめてみてちょっとビックリして下さい。 (秦 05.8.24)

 

* 健在最高齢

最近、優れた「読み手」としても知られた一詩人に声を掛けられ、「電子文藝館」の或る女歌人自選歌のすばらしさに目をみはった、この気持ちを作者に伝えてくれないかと頼まれました。「招待席」の 石久保豊さん「」八十八首への讃嘆の弁でした。石久保さんは一九○七年六月三十日に東京都文京区に生まれた、電子文藝館展観作者の健在最高齢、来年は白壽。病を養いながら、短い小説や随筆を老人たちの仲間誌に書き継いできた全く在野の人ですが、「毅く、確かで、人生の生気が真実だけの持つ迫力で迫ってくる」という詩人の思いを裏切らない生彩に満ちています。この歌人と同年に、高見順、中原中也、井上靖が生まれ、二年後に中島敦、太宰治が生まれています。一冊の歌集ものこさず、プロの文藝家ではない女性でしたが、電子文藝館は、真に優れた創作者への目配りも欠かすまいと努めています。
現会員出稿者で現在最高齢者は、やはり共に歌人である、菊地良江さん(鼓打つ・一九一五元旦生。)加藤克巳氏(ひとりのわれは・同年六月生)です。二年若く伊藤桂一氏の秀作「雲と植物の世界」が展観されています。 (秦 05.8.24)

 

* 作者の生年

生年順展観作者一覧」を、「分野別展観作者(生年順)一覧」とならべて電子文藝館は常に用意しています。近代文学の流れに目をむけるとき、これは限りなく有用で興味深いものです。「長幼」は、幾分の問題もはらみつつ日本人の生活意識に力を持って働きかける指標ですし、時にそれが不思議な眩暈を起こさせます。
二葉亭四迷(あひびきなど)が有名な「浮雲」を書くときに坪内逍遙(小説三派)の助言を得ていたのも、逍遙が五歳年上だったと知ると納得できたり、しかし正岡子規(万葉集巻十六)を熱烈に敬愛し師事した伊藤左千夫(伊藤左千夫短歌抄)が師より三歳年長、並び称された子規門の歌人長塚節(鍼の如く・全)とは十五歳も年長と分かると、思わず声が出たりするのも文学愛読のひとつの景気といえるかも知れません。作者の生年を知っていることは作品の理解を深める上で、十分ではないが極めて必要な条件であると思います。「一覧表」を時にはそれだけで楽しんでください。またちなみに出身地の東西南北ないし海外を確かめておくのも、不思議なほど文学鑑賞に役立つのです。 (秦 05.8.24)

 

* 一葉だけ? とんでもない。

明治時代に主に活躍した女流文学者は、樋口一葉(十三夜など・一八七二生まれ)ひとりではありません。少女の身で皇后に進講し転じて女権運動に挺身し教育者としても閨秀作家としても活躍した中島湘烟=岸田俊子(終焉日記など・一八六三)も、「小公子」などを紹介した優れた翻訳家若松賤子(いなッく、あーでん物語、一八六四)も、岸田俊子に触発されて現れた熱烈な革命家福田英子(獄中述懐、一八六五)も、みな幕末に生まれています。小説家として活躍した清水紫琴(したゆく水、一八六八)の生まれ年が明治維新。同年に樋口一葉を作家へと大いに刺戟した人気の売れっ子先輩三宅花圃(藪の鴬、一八六八)も生まれており、一葉と同歳の先輩木村曙(操くらべ、一八七二)の活躍もめざましかったのです。
そして一葉誕生の翌年に、女性ジャーナリストの嚆矢で教育者羽仁もと子(半生を語る、一八七三)が続き、ずっと遅れて歌人与謝野晶子(あゝをとうとよ戦ひになど、一八七八)や思想家平塚らいてう(元始女性は太陽であつたなど、一八八六)らが続くのです。 電子文藝館は、記憶から埋もれかけていた明治大正の優れた女性作家たちを、もう何人も再発掘しています。水野仙子の「神楽阪の半襟」や伊藤英子の「凍った唇」など、忘れがたい異色を放っています。 (秦 05.8.24)

 

 

* 近代に先駆けた読み物

今まで電子文藝館に展観されてきたいちばん最高齢の文学者は誰でしょう。
歌舞伎作者の河竹黙阿弥(1816.2.3 - 1893.1.22)です。今年(2005)数え年百九十歳になります。ザンギリ(散髪)ものといわれる明治新風俗の名作舞台「島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ) 序幕」台本が本館で読めます。
続いて戯作者假名垣魯文(1829.1.6 - 1894.11.8)の「安愚楽鍋(あぐらなべ)初編が、どうしてバカにならない気概を感じさせるしたたかの作で、美味いんです。
さらに噺家の名人三遊亭圓朝(1839.4.1 - 1900.8.11)の代表作「牡丹燈籠 第壱編壱貳回」があります。二葉亭四迷が言文一致嚆矢の「浮雲」を書くに当たり学んだといわれる未曾有の名演でした。
新聞記者岡本勘造(1853. - 1882.7.20)の「夜嵐阿衣花廼仇夢(よあらしおきぬはなのあだゆめ)」は、いわゆる「キワモノ」隆盛期の毒婦もの講釈・講談のようなものです。
歌舞伎・戯作・人情噺・キワモノ。こういう文藝読み物を経て、ようやく近代文学者の大先輩坪内逍遙(1859.5.22 - 1935.2.28)らが明治の世に登場し、紅葉、露伴、鴎外や漱石、子規や一葉、鏡花らの時代に繋がります。日本の近代文学は佳い意味でも通俗の中から生まれ出たのでした。今日でも一二をあらそう出版社の社名が「講談社」である遠い歴史的背景が「電子文藝館」で眺望できます。 (秦 05.8.16)

 

* 近代に先駆けた論説・エッセイ

近代小説や詩歌の本格の作は明治二十年頃まで待たねばならなかったのに比べ、明治維新の前後に、すでに優れた論説・エッセイが続出しています。それらの多くが、いわゆる近代初発・初代の「知識人」たちにより書かれました。明治維新は、或る意味こういう知識人たちの参与で支えられたのです。
電子文藝館での最高齢論者は、洋学と外交に働いた栗本鋤雲(1822.3月 - 1897.3.6)で、今だと百八十四歳ほどになります。「岩瀬肥後守の事歴」は、彼等明治の知識人の優れた一先達の生きた幕末波瀾の経緯と意義とを、角度鋭く照射しています。
優れた啓蒙家西周(1829.2.3 - 1897.1.31)からは、多くの哲学用語等の翻訳の恩恵を享けてきました。「百一新論・抄」はおもしろい議論です。
時代をリードした知識人の一人中村敬宇(1832.5.26 - 1891.6.7)の「人民ノ性質ヲ改造する説」や慶應義塾の創始者福澤諭吉(1835.1.10 - 1901.2.3)の高名な「学問のすすめ・初編」さらに優れた教育者で基督者新島襄(1843.1.14 - 1890.1.23)の「同志社設立の始末」らが続き、一段と政治思想的に前進した中江兆民(1848.11.1 - 1901.12.13)の「君民共治之説」が唸らせます。
ラフカディォ・ハーンこと小泉八雲(1850.6.27 - 1904.9.26)の「文学と世論」は、東京帝国大学での就任初の講義だったのです。これが示唆に富んでみごとなものです。そして要約に論説が「文学」の話題に及んできています。ちなみに小泉八雲は、英文学者夏目漱石の帝大前任者でした。
文語文もまじりますが、苦手な人も、極力読みやすく起稿してありますので、どうか目をむけて近代の黎明をみあげてください。 (秦 05.8.16)

 

 

* 山口瞳の「卑怯者の弁」

「反戦反核」特別に招待してあります。日本ペンクラブは一昨年(平成十五年=2003)に編著『それでも私は戦争に反対します』(平凡社)という本を出しました。ペンらしい好企画でよく読まれました。私も中に「電子文藝館」の「反戦反核」室のことを書きました。特にその中の山口瞳のエッセイに読者の注目を促しました。
エッセイの書かれたのが昭和五十五年(1980)、イラ・イラ戦争の頃でした。二十余年を経て、すでに西に米英のイラク撃滅があり、東は北朝鮮の「核」脅威に揺れ、「有事」はまさかで済まなくなり、対岸の火事では全くなくなっています。
戦後といえどもう昔、清水幾太郎という「平和論」者が声高に日本中をアジっていた時機がありました。彼の国家平和論は、明瞭な再軍備・軍事依存の均衡平和論なのでした。手短に言えば、平和とは戦争していない状態、その状態は各国軍事力の均衡・緊張で辛うじて保たれている状態の意味であり、国家を愛するなら、平和のために力で備えねばならず、国民は意欲的に挺身すべきだ、というのでした。
清水の論に反対する声は、敗戦から年数を経ないうちは、なおさら、いとも燃えやすく沸きました。山口瞳の「反戦」の、論も、情も、よく分かり情味に優って訴えてきました。心ある者は、みな、こういう山口の論調で「反戦」を訴え続け、実はいまも変わらないのです。
では清水は完敗かというと、悩ましいことに、彼は平和を「有事」の緊張・均衡状態ととらえて、「反戦」であるよりも「有事の平和」を論策していたと言えるのです。少なくも清水が現在も存命であったなら、見たことかと大声で政府与党を煽っていたかも知れない。その必要すらなく、先頃の或るテレビ討論に登場していた、まさに清水が期待していたかのような戦後派うるさ型の若い論者たちは、こぞって清水の論調に呼応するように喋っていました。「反戦」の真情なら、断然山口瞳に票が寄るでしょう。「有事」の議論となると、むしろあの頃よりも現状にあって、清水は、公然と胸を張るのではないかと思わせるようでした。
 山口瞳は大岡昇平の『俘虜記』にならって、自分はまたもし戦争ともなるなら、「撃つ側でなく断然撃たれる側に立つ」と明言しています。さて、撃たれるとは鉄砲に撃たれるだけではない、占領され支配され、もっと危うい目もみるということです。具体的にいま北朝鮮の核攻撃と侵攻と占領支配を前提にし、日本人の何人が「撃たれる側に立つ」「敵を撃たない」という「平和・反戦」に手を挙げるか。四半世紀前と違い、そういう事態が、あながち仮定・架空の空想ではなく、眼前に迫っています。
 山口と清水の論は、あの時と少しも変わりなく「反戦」と「有事」との衝突を分母にして、分子に「平和」の二字を据えていました。少し乱暴に要約したけれど、まず、間違いはありません。
「有事に堪えて反戦・拒戦」可能な「平和」論が、新たに強力にどう起きうるか。山口稿を校正していて、何度も何度も立ち止まり、唸りました。あらためて問いかけたくなるのです、あなたは、自分の心中をどう読みますかと。 (秦 05.8.10)

 

* 小栗風葉の「寝白粉」

風葉は尾崎紅葉の愛弟子で人気作家の一人でした。力も有りました。「寝白粉」は一代の傑作の一つともいえましょう。電子文藝館にこの作品を載せようかどうかと迷いました。文学表現としては優れていますが、小説は或る兄妹を主人公に、露骨な「人間差別」を書いていて、後の藤村による「破戒」ほども問題意識なく、小説のための手法として差別自体を利用したかの苦い読後感ものこしているのでした。
委員会で討議しましたが、委員のなかに、あるまじき人間差別を、差別されてきた人達の身になり理解しようとする知識や姿勢を欠いていることがハッキリし、文学的に優れているのなら問題ないであろうという声が多数でした。一任された館長は、この作品を展観しないと結論しました。小栗風葉には他にも作品がありますし、人権問題では闘おうという姿勢の日本ペンクラブが、人が人を人外に差別している小説を「電子文藝館」に「招待する」ことはないと考えたからです。だから、この「立て札」には該当する作品が存在しません。 (秦 05.8.10)

 

* 原爆の広島

戦後の原爆情報はGHQ(占領軍)により厳しく管理され、関連文書の日本人による公表も難しかったのですが、そんな中で、今思えば奇跡的に原民喜の凄絶な被爆体験「夏の花」「廃墟」が「三田文学」昭和二十二年(1947)六月十二月に掲載されていました。原爆の惨害を描いて歴史的な証言の名作です。それよりなお早く「世界」昭和二十一年(1946)九月には阿川弘之氏の「年年歳歳」も発表されています。原爆直後の広島へ戦地から帰った体験が一種美しい静謐を湛えて書かれています。これまた歴史的な復員の一面を語るみごとな文学作品でした。
今年も広島・長崎の日を迎え送りました。原爆の悲惨をうたいつづける橋爪文さんの「夏の響き」その英訳である井上章子さんの「SUMMER REVERB」も忘れがたいものです。いずれも「反戦反核」特別室に展観されています。 (秦 05.8.9)

 

*「ゲド戦記」の作者の詩

大人にも子供にも深い感銘とともに世界的に愛読されている「ゲド戦記」等の著者アーシュラ・ル・グゥイン女史の「アメリカ」を叱る心打つ詩「American Wars」が「反戦反核」特別室に招待されているのに気が付いてられますか。高橋茅香子さんの訳「戦争に戦争を重ねるアメリカ」とともにお読み下さい。 (秦 05.8.9)

 

 

*「大逆事件」を知っていますか。

大逆とは天皇へ叛意の陰謀や実行をいいますが、「神聖にして侵すべからず」とされた明治天皇への大逆事件は、秘密裁判で大勢を死刑執行し、明治末期を震撼させました。事件の実態は、多くが思想弾圧のための國権による「フレームアップ=でっちあげ」であったことが今では明らかになっています。ちょっとした車座でなんでもなく話題にしていた批評や会話の端々が、途方もなく過大に扱われて極刑が科されました。経緯は「主権在民史料」室に展観されている隅谷三喜男『大逆事件 明治の終焉』で読むことが出来ます。そんな時代はもうとうに過ぎた事と思われない、「共謀法」のような新法案の成立が、この二十一世紀にまたも目論まれたりしているのです。
電子文藝館は、大逆事件にかかわる更に四つの優れた作品を展示しています。どれも死刑執行の前後に書かれ、作者・筆者は、四人ともこの事件や裁判の内実に痛切な関心を寄せていましたし、作品はみなじつに優れています。
 小説 平出  修 「逆徒」 作者はこの事件の弁護人でもありました。
 詩  与謝野鉄幹 「誠之助の死」 大石誠之助は死刑でした。
 評論 石川 啄木 「時代閉塞の現状」 洞察するどい考察です。
 講演 徳冨 蘆花 「謀叛論」 満場に響いて大感銘を与えました。
隅谷氏の歴史記述とあわせ、お読み取り下さい。  (秦 05.8.8)

 

* 創業出版人のタイプ

「出版・編集」特別室には、著名な出版社を創業した人達の言葉がもう何人も収録されています。現在までにまだ、 岩波書店・岩波茂雄  新潮社・佐藤義亮  平凡社・下中弥三郎  講談社・野間清治  中央公論社・嶋中雄作  改造社・山本実彦  第一書房・長谷川巳之吉 等々ですが、一人一人の業績や解雇の言葉等から窺われる「出版」の理想や目的が、それぞれに微妙に異なるところを読みとってみるのも無意味でないでしょう。ひたむきに良い本を。売らんかなより多く。この二極を揺れて動くしかない近代の出版が見えてきますが、それでも、この創業者たちの時代はまだ「創意・創作=creation」を十分重んじ、作品の「製作・生産=production」へ雪崩れをうつことはなかったようです。「紙の本」文化の智者・勇者たちの、出自に目を向けてみるのも大事な見どころです。 (秦 05.8.8)

 

 

* なぜ「主権在民」か

「象徴天皇」と共に在る立憲民主主義日本として敗戦日本は再生への道を歩み出し、六十年を経てきました。しかし、われわれはそれへ到達する更に以前の、近代日本の苦闘に満ちた長い足取りを、とかく忘却しています。突如として六十年前に「戦争放棄の平和主義」や「基本的人権を認めた民主主義」がよそから与えられたかのように勘違いします。
そうではない。それへ至る苦闘の「近代日本」を日本人は経てきました。その百数十年の重い重い歴史を、「電子文藝館」のなかで、「あらまし」でも通観できるようにと、電子文藝館は、「主権在民史料」特別室に、一巻の書物のように通読の利く、下記七編を、敬意をこめて筆頭に置いています。折にふれ、戦争を知らぬ世代に、一人でも広く多く読まれて欲しいと願って。

『近代日本 主権在民への荊の道』
  井上   清  近代天皇制の確立 新しい権力のしくみ 
  色川  大吉  自由民権 請願の波 
  隅谷 三喜男  大逆事件・明治の終焉 
  今井 清一  関東大震災 
  大内 力  ファシズムへの道 準戦時体制へ 
  林 茂  太平洋戦争 総力戦と国民生活 
  蝋山 政道  よみがえる日本 占領下の民主化過 (秦 05.8.7)

 

*「あたらしい憲法のはなし」

憲法が大きな話題になっています。近代以降の日本は、明治の「欽定(天皇が下付した)憲法」と昭和の「新(主権在民)憲法」を経てきました。この二つの憲法は、ともに電子文藝館「主権在民史料」として展観されています。その大きな差をぜひ判読してください。また併せて、明治天皇と昭和天皇の有名な「五箇条の御誓文」「人間宣言」も一続きの大きな「意図」として読まれたいマニフェストです。平成の現天皇即位の第一声が「いまの憲法を守る」であったことも忘れたくありません。
明治にも昭和にも、それぞれの憲法が成立する前には、各界から多くの「憲法案」が熱心に提出されています。自由民権運動の燃えあがった明治期の特色ある幾つかを、本館は紹介しています。
さらに昭和新憲法の、貴重な一史料を展示しています。新憲法成立直後に、当時の「文部省」が広く学校等に配布した政府公式の憲法理解「あたらしい憲法のはなし」です。現憲法の掛け値のない本真のところが日本政府見解として示されていたのです。いずれも「主権在民史料」室に展示されています。 (秦 05.8.7)

 

 

* 歴代会長

昭和十年(1935)十一月創立以来、平成十七年(2005)現在、日本ペンクラブは十四人の会長を擁してきました。とりまとめ順番に、名前と掲載作品を紹介します。一冊の選集かのように通読するのも近代文学の流れを感じ得て、一興かと。
 島崎 藤村   嵐  伸び支度  藤村愛誦詩選
 正宗 白鳥   今年の秋(讀賣文学賞)  人生の幸福(戯曲)  口入屋
 志賀 直哉   邦子  好人物の夫婦
 川端 康成   片腕  新進作家の新傾向解説
 芹沢光治良   死者との対話  ブルジヨア
 中村 光夫   知識階級
 石川 達三   蒼氓(最初の芥川賞)
 高橋 健二   ゲーテの言葉(翻訳)
 井上  靖   道  北国(詩集)
 遠藤 周作   白い人(芥川賞)
 大岡  信   原子力潜水艦「ヲナガザメ」の性的な航海と自殺の唄(長詩)
 尾崎 秀樹   「惜別」前後─太宰治と魯迅
 梅原  猛   闇のパトス(処女作)  王様と恐竜(戯曲)
 井上ひさし   金壺親父恋達引  明くる朝の蝉
さらに追々に作品を増して行くつもりです。 (秦 05.8.6)

 

* 物故会員のこと

日本ペンクラブの現会員(2005.8月現在、約二千余名)の内規に適した「出稿」は、「会員」の権利として無審査で掲載されています。言い換えれば内容は「会員」の自己責任になっています。
その外に、昭和十年の創立以来今日までに逝去した元会員を「物故会員」として随時に遺作を遺族・著作権者・関係者にお願いして掲載していますが、現在のところ、「現会員」と「物故会員」とが「検索」上で区別されていないため、一瞥で見分けることが出来ません。遠からず対策して、「検索」でも見分けられるようにしたいと思います。
すでに作品の掲載されている「物故会員」には、歴代会長十四人のうち十一人、他に土井晩翠、与謝野晶子、岡本綺堂、徳田秋声、谷崎潤一郎、長谷川時雨、瀧井孝作、吉川英治、江戸川乱歩、前田河廣一郎、横光利一、林芙美子、岡本かの子、三木清、伊藤整、高見順、福田恆存、吉田健一等々、錚々たる文学者の名と作品とが見当たるはずです。こういう人達も会員だったんだと思い当たりながら、「物故会員」作品に行き逢ってください。 (秦 05.8.6)

 

 

*「ペン電子文藝館」の開館

「電子文藝館」は、電子メディア委員会(委員長・秦恒平理事)が提案、平成十三年(2001)十一月二十六日「ペンの日」を期して島崎藤村以降(当時)十三人の歴代館長作品等を揃えて開館(初代館長=梅原猛当時会長)しました。平成十五年(2003)四月総会(井上ひさし新会長)より電子文藝館委員会(委員長・館長=秦恒平理事)として独立し、今日に至ります。平成十七年(2005)春、開館三年半で、河竹黙阿弥・福沢諭吉らに始まり平成の作家・詩人らに至る約六百作を展観しています。平成十七年五月総会を経て、現在、秦恒平館長・理事、城塚朋和委員長、委員二十余名(担当役員・米原万里常務理事)で運営されています。 (秦 05.8.4)

 

*「ペン電子文藝館」の構成

検索ロゴが示しますように、大別して「本館」及び「ジャンル別展示室=小説・評論・詩・短詩形・戯曲・随筆・和洋翻訳・ノンフイクション・児童文学」「招待席」「特別三室=反戦反核室・出版編集室・主権在民史料室」「会員広場」「読者の庭」「展観道案内」および「(ペンクラブ)広報」で構成されています。以下に概略を説明します。 (秦 05.8.4)

「本館」 梅原初代館長の「開館宣言」(和英)以下、電子文藝館の諸資料=館蔵作品の作者生年順リストやジャンル別リスト等各種の記録等を揃えています。多方面にわたりますので、なお不十分ですが整備に努めています。

「ジャンル別展示室」 区分も類別もなお微妙で、この先に試行錯誤が必要ですが。現在は此処に、現会員・物故会員(往時、昭和十年創立以来のペンクラブに在籍し名簿に名を残している諸先輩)の作品を、いっしょに展示しています。

「招待席」 昭和十年(1935)十一月二十六日の日本ペンクラブ創立以前に亡くなっている近代の文学者・編輯者等、及び創立後も会員にはならなかった優れた文筆家たちに敬意を表して、その秀作力作・異色作・問題作等を招待し、時代の推移に湮滅させてはならない優れた名と作品をも心して集めようとしています。それにより、近代百数十年の日本文学の大きな流れが観てとれることをも期待しています。

「特別三室」 開館以来一年を刻むごとに記念の特別室を提案しせっちしてきました。
 「反戦反核」特別室  平和を願う国際ペン憲章にもとづいて発足した日本ペンクラブとして、当然の意図として原民喜「夏の花」はじめとする作品を集め始めています。戦争文学でなく、反戦・反核の願いを籠めます。
 「出版編集」特別室  日本ペンクラブの会員には多くの出版編集人が加わっています。文藝活動の大きな一端を担った人たちの、また異色の活動を経てきた人達の言説をとりあげます。
 「主権在民史料」特別室  電子文藝館は、戦争に反対し平和と基本的人権の安全を守ろうとする思想団体でもあり、文藝の基盤をなしてきた近代百数十年の歴史の動向にも深い関心を払わずにおれません。折柄憲法問題一つでも時代は烈しい波に揉まれています。自由民権・主権在民を願った明治維新以来の歴史のあらましを、この特別室は冒頭の七篇「主権在民への荊の道」で示したいと考えました。多くの史料を有意義に此処へ収載し、のちのちへ申し継ぎたいと願います。

「会員広場」 二千人の会員が、自由に発言できる広場です。活用されますように。

「読者の庭」 館と読者の「絆」として設けました。展観作品や作者に触れて、「論考・批評・鑑賞・感想」等を投稿していただく広場です。「創作」は扱いません。掲載料不要・原稿料も出ません。投稿は委員会で十分審査して採否を決めますが、採否への異議や質疑は受け付けません。優れて新しい批評家の誕生を此処で待望します。

「展観道案内」 いま読まれているような案内の立て札を、展示館蔵作品について、いろんな角度や工夫で、より興味深くアクセスし読んで頂けるように努めます。委員たちで随時に書き加えて行きます。それぞれの末尾に「文責」と「日付」を姓で示します。

「広報」 日本ペンクラブ広報室の記事へ連絡しています。 以上 (秦 05.8.4)

©2001 社団法人日本ペンクラブ
日本ペンクラブ電子文藝館編輯室
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