せきね ちか 情報のユニバーサルデザイン研究者 長崎県佐世保市生まれ。 美作大客員教授 東京女子大等の非常勤講師。主な著書は、『「誰でも社会」へ』 、『スローなユビキタスライフ』など。 掲載作は、「情報の科学と技術』59巻8号 (2009年)に初出。
海外の図書館では、多様なユーザーの姿を多く見かける。ベビーカーを連れたパパやママ、小さな子どもたち、杖をついたシニア、外国か らの旅行者、 移民と思われる人々、学生たち、ビジネスマン、主婦、車いすユーザーや視覚障害者も、ごく当たり前のように図書館を利用しているのである。図書館は、欧米 では地域コミュニティの中心の 1つとして認識されている。そこは、誰もが使えることが当たり前の場所、という意識が、市民にも図書館スタッフにも浸透しているようだ。
だが現在、日本の一般の図書館で障害を持つ利用者を見かけることは多くない。図書館もハートビル法の対象であるため、車いすユーザー のアクセシビ リティは一応確保されている。受付では、聴覚障害者向けに筆談器が置かれているところもある。一部の地域図書館では、対面朗読やDAISY(Digital Accessible Information System) 図書、拡大写本の作成などを手がけ、館内にも拡大読書器を設置するなどのサービスを行っている。だが日本では、図書館法の中に障害者サービスに関する規定 が存在しないため、一部の意識の高い地域図書館が要綱を作っている以外は、図書館サービスのユニバーサルデザインを保障する法律や制度は、まだ存在せず、 2010年の国民読書年に向けて「読書バリアフリー法」の制定を求める声が当事者から挙がっているところである。
また、図書そのもののアクセシビリティの確保は、著作権法との関係もあり困難である。進歩する情報通信技術も、まだ一部しか活用され てはいない。 2009年6月に著作権法が改正され、拡大写本や学習障害者にも一定の配慮が認められたのは朗報であるが、やはり、図書館が全ての人のためのもの、という 意識の違いは市民の間にも温度差があると思われる。欧米では多様な障害当事者が図書館の読者として存在することが当たり前なのに、この差異はどこからくる のだろうか? 主にアメリカの現状から見てみたい。
アメリカには、Library Services and Technology Act(LSTA)1)という図書館サービスに関する法律がある。これは、す べての年令の読者に対してあらゆるタイプの図書館の情報資源へのアクセスを、テクノロジー(技 術)を活用して向上させていくためのファンドを準備するもので、1996年に制定された。分離政策をとってきた日本と違い、海 外ではインテグレート(統合) が基本方針であるため、点字図書館等が独立して存在することは少なく、一般的な図書館が多様なユーザーへのサービスを提供することが多い。アメリカの小さ な地域図書館で、車椅子に乗る子どもの写真が玄関に張ってあるのを見たことがある。多様なユーザーがくるのが当たり前というイメージは、全米で浸透してい る。この法律が施行されてから、遠隔地や生涯学習などへの情報提供が強化され、一般の図書館もデジタルデバイドを解消し、誰もが図書や情報が使えるよう に、ユニバーサルデザインが重視された。図書館は、多様な市民のためのものであり、特に、多様なニーズを持つ人々のために存在する。その多様な市民への サービスを可能にしているのが ITである。弱視の人やシニアには大活字本に加えて拡大読書器を、視覚障害者には点字本やオーディオブックに加えてデジタルブックや DAISY形式の図書を、肢体不自由の方には特殊なキーボードやマウ スでデジタル図書を読めるようにと、ITでそれぞれのニーズをカバーすることが、一般的になってきているのである。図書館サービスのユニバーサルデザイン は、ITが可能性を広げているのである。
2009年の 3月に、ロサンゼルスの図書館を 2つ訪問した。1つはダウンタウンにある、ロサンゼルスの中央図書館である。ここのロービジョンセンターは、弱視のユーザーへの対応が充実していた2)。 拡大読書器やデジタルデータの拡大ソフトが整備されている閲覧室が各階にあり、寄贈者の名前のついた特別な部屋にも整備されているのが印象的だった。もち ろん、オーディオブックや大活字本のコレクションは大変多く、それだけで 1個の部屋が成立するくらいであるが、これもユニバーサルデザインの1つである。海外では車で通勤する人が多いため、日本のように電車通勤のときに本を読 めない。そのため、車の中で運転しながら聞けるよう、オーディオブックが紙の本と同時に発売されることも多い。これは視覚障害者にとっても、人気の新刊書 がいち早く読める(聞ける)という意味でメリットが 大きい。また大活字本も、日本の出版物か らすると、かなり小さめのフォントであり、一般人が読んでも違和感がない。それを読むシニアなどに、特別なものを使っていると思わせず、読書の楽しみを共 有できるものとなっている。またその大活字本も、それぞれの部屋に設置された拡大読書器などでさらに拡大して読むことができるため、強度弱視の方への対応 も可能である。この図書館では、デジタルブックや OCR での読み上げなどは確認できなかったが、機能としては装備されているとのことであった。
2つめに訪問したのは、ロサンゼルス南部トーランス地区の図書館である3)。 ここ は、先ほどの LSTA で障害者支援に対するファンドを得て、優れた対応をしている図書館である。訪問した日は、専任の担当者は後述する CSUNの障害者支援技術の展示会に参加しており、不在であったが、別のスタッフが的確にこちらのニーズを理解し、さまざまな機器の説明を始め、多様な ニーズの方にどのようなサポートサービスを行っているか、説明してくれた。普段からそのような活動を継続的に行っているために可能なのだろう。
ここでは弱視者向けの拡大読書器やオーディオブックはもちろん、視覚障害者向けの読み上げツール、肢体不自由者向けの特殊なキーボー ドやマウス、 スイッチや入力補助装置が完備されていた。専用のエリアに 2 台の PC が設置してあり、それぞれに拡大ソフトなどの支援技術が導入されていた。また、そばには特殊な入力機器の収納ボックスが設置されており、いつでも必要なも のを選び、USBポートなどに挿して利用できる環境になっていた。専任ではないので詳しくないのだが、と前置きしながら説明してくれた70代と思しき女性 の図書館員は、多様なユーザーのニーズに詳しく、支援技術や IT の扱いにも慣れており、専任といってもおかしくないほど障害や加齢、情報技術に対する知識が豊富であった。他のスタッフも、同様の知識は図書館員として常 識的に持っているレベルであるという。トーレンスはアメリカの郊外ではごく一般的な地域であり、特に高齢者や障害者が多いというわけでもない。トーレンス 地区の図書館の障害者サービスはごく普通のレベルで、新しくオープンしたロングビーチの図書館のほうがもっと先進的であるという。各地域で多様なニーズを 持つ来館者にどのようにサービスを行うべきか、図書館員同士の勉強会や情報交流が、ふだんから行われているとのことであった。
障害者とテクノロジー(Technology & Persons with Disabilities)会議4)は、ロサンゼルス空港近くで、毎年開催されてきた障害 者支援技術のカンファレンスである。主催者であるカリフォルニア州立大学(California State University of Northridge)の頭文字をとって、一般にはCSUN(シーサン) と呼ばれている。24年間ロサンゼルスで開催されてきたが、来年2010年は初めてサンディエゴで開催される予定だ。障害を持つ人々が、技術、特に ITを活用することによって、どのようにエンパワメントされ、社会の中で発言力を増し、重要な位置を獲得しているかを知ることができる重要な機会である。 視覚、聴覚、肢体不自由、学習障害、発達障害、高齢者向けなど、多様なニーズを持つあらゆる年令層の人々に対する最新技術と適用事例が発表される。筆者は 1993年から毎年参加している。
その中でも、読書障害(Print Disability) に対する技術や事例発表は、毎年拡充されている。視覚障害者向け録音図書の国際規格データフォーマットである DAISY(Digital Accessible Information System)に関するものも多く、DAISYコンソーシアムは毎年、展示ブースも設けている。また各地 の図書館の障害者支援に関する取り組みなど、さまざまな事例や新技術が発表されている。今年は、Bookshare5)の活発な発表が目立った。Bookshare とは、2002年にシリコンバレーで設立された米国を本拠とする読書支援の NPOで、2009年現在、英国、カナダ、インドの英語圏に支部を持っている。読書障害を持つ児童生徒のために、要望された書籍をデジタル化してデータを 送付する。2009年3月時点では、5万人の個人会員、5千を超える組織会員を擁し、4万5千冊の蔵書を持っているが、この蔵書も毎日数百冊ずつ増えてい るとのことであった。
このような図書館や Bookshareの 取り組みを見ると、コンテンツをどのよう に障害者に対してアクセシブルにするかに対し、アメリカでは国を挙げて取り組んでいることがわかる。そのための法整備や財源確保といった国の姿勢ととも に、シリコンバレーのベンチャー企業が、社会の役に立ちたいという動機から起業し、自分たちの持つ技術を人々のために活かしているのも印象的である。これ までは、どちらかというと大企業が社会貢献プログラムとして技術を活用してきた感のある IT のユニバーサルデザインであるが、社会的起業家がゼロから取り組むといった新しい時代に入ってきたのかもしれない。
今回の CSUNでは見る機会が少なかったが、アメリカで爆発的に普及しつつある電子書籍端末である Amazon のKindleも、今ではアクセシビリティを考慮するようになってきている。表示画面の拡大、縮小、白黒反転はもとより、音声読み上げ(Text to Speech:TTS)の機能も備えており、全盲の ユーザーには細部では使いにくい点もあるが、多様な障害者の利用が可能なものとなってきている。2009年の 2月に発売された Kindle2 は軽く薄く、これ 1冊で書籍 1,500冊分をダウンロードでき、TTSの機能も持っている。
だがその合成音声があまりに聞きやすくて美しいために、オーディオブックの市場を脅かす存在になったとして、米国の作家団体からは TTSの停止を求められてしまった。オーディオブックに関しては、作家は出版社に対し二次利用など別の契約を結んでおり、これに対しても印税を受け取るこ とが可能だが、Kindle2 の本体で聞く人が増えれば、オーディオブックの売り上げに影響するかもしれないからである。これに対し、米国の読書障害に関する当事者の意見集約組織であ る「読む権利同盟(Reading Rights Coalition)」9)は、読書権の侵害であるとして、作家団体に対し、強い 抗議声明を出した。この同盟には、視覚障害関連のアメリカの主要な団体、DAISYコ ンソーシアム、学習障害の団体や大学の研究機関などが参加している。Bookshareの ような著作権除外の対象となる組織からは、登録者はデータを無償で受け取れるが、それでも新刊を依頼すれば 2週間近いタイムラグは起きてしまう。Kindle2が有している 23万タイトルの書籍や新聞・雑誌にリアルタイムにアクセスできるユニバーサルデザインの読書環境にようやく技術がたどり着いたのに、その権利をまた剥奪 されるのかといった、強い怒りの声が上がった。アクセシビリティは完全ではなかったが、その機能がなくなるよりは不完全でも存続させたいという視覚障害、 学習障害を始めとする団体の意見が強かったためか、現在も Kindle2の TTSは停止されることなく、そのまま提供されている。
2009年5月に出された Kindle DXという 9.7インチの新型モデルは、これまでの 6インチのモデルからすると、画面が見やすく大きくなり、明らかに雑誌の印象に近づいている。27万以上に増えたタイトルの中から、3,500冊をダウン ロードできる仕様となっている。今回も、アクセシビリティの機能は全盲者にとっては完璧とはいえないようだが、TTSの機能などは前回と変わらないうえ、 画面が大きく見やすいため、弱視の学生やシニア層、新聞の代替として、人気を博している。アメリカの空港では、PC や携帯電話、PDA を見る人々の中に、Kindle で読書をするビジネスパーソンを、徐々に見かけるようになってきた。PCよりも薄く軽く省電力であり、新聞も雑誌もブログも最新版が読めるというメリット が理解されてきたのだろう。現在の機能に加え、マルチモーダルに音声読み上げや動画へのリンクが追加されていけば、今後は新たな電子本の時代に入ると思わ れる。現段階ではまだ画面もモノクロであるが、カラー画面も鋭意研究されており、早ければ 2009年のクリスマス商戦には、カラー版が出てくる可能性がありそうだ。
なお、この Kindle の新型モデルに関しては、プリンストン大学、アリゾナ州立大学など数校が、教科書を電子的に配布してこの機器で授業を受けるということで、2009年の夏 から学生に配布する予定である。教科書の電子的配布は、今後、世界で大きな話題となると思われる。紙の教科書の配布は、コストとともに環境負荷が大きいか らである。人口の多いインドや中国では、新しい教科書を生徒全員が入手することはできず、上級生から譲られた教科書を何年も使いまわしている場合もある。 これでは教育課程の更新ができず、数代使ううちにぼろぼろになってしまう。紙の教科書をすべて安価な電子教科書に置き換えることがもし可能となれば、森林 資源の節約にも貢献できる。Kindle のような電子ブックは、LCD に比べ電気の消費が100分の1 以下という試算もあり、PC よりもはるかにエコであるといわれる。今後、価格が下がって普及していけば、世界中の学校で、紙の教科書から電子ブックに切り替わる可能性もある。辞書や 参考書など、データ容量が増えても全く問題がなく何冊も持ち運べるし、電気のない自宅でも勉強が継続できる。サーバー経由、または USB で内容の更新も可能だ。発展途上国においてこそ、必要性が高いと思われる。
その他、BlackBerry や携帯電話においても、アクセシビリティを高めたモバイル機器は、世界でどんどん数が増えてきている。読み上げや拡大表示、色反転やタッチディスプレイに よる直感的な画面操作なども、ごく当たり前になってきた。iPodも、コンテンツを視覚障害者向けには無償でダウンロードできるようになったという。今 後、多様な携帯端末で書籍を読む人も増えると考えられ、サードパーティから出されるさまざまなツールやソフトの動向に、目が離せない状況となっている。
2005年に Googleが、全米の図書館とともに、その蔵書をスキャンし、表示する計画「Google ブックサーチ」10)を 発表してから、4年経つ。そのときは、全米出版社協会と作家団体が差し止めの訴訟を起したが、2008年10月に和解への合意が成立している。もともと は、全米の多くの大学や公共の図書館などにおける絶版本を中心に、パブリックドメインのものや著作権のパートナー契約のものをスキャンして部分的に掲載 し、オンラインでデータを一部閲覧したり、そこから書籍を購入したりするためのものであった。絶版本のデジタル化はこれまでもデジタルアーカイブとして行 われており、ユネスコも同様のプロジェクトを展開している11)。 読者の側にとっては、紙 の書籍を購入する前に、立ち読みするような感覚で、一部を見ることができ、その場で紙の本かデータかを選べるというのは、大変便利なものである。書籍とい う人類の知恵に対するアクセシビリティの確保という観点からも、意義がある。もはや入手が困難となっている絶版本を、どこの図書館にあるかわからない状態 で探すよりも、データとして検索でき、有償で入手できるとしたら、障害者のみならず、離島や中山間地域の在住者、海外在住の研究者などにとってもメリット は大きい。特に一部が読めるサービスは、立ち読みができない視覚障害者には朗報である。
全米出版社協会は、最初はデジタルデータでの配布に難色を示したが、Google側の示した和解提案の内容に、出版社および著者に とってのメリッ トが大きいと判断し、和解に応じた。Kindleなどの爆発的なブームを見るにつけ、書籍というものが、紙から電子データへ移行するという時代の流れを、 観念した上での判断と思われる。
国立国会図書館東京本館では、建物のバリアフリーは、一応確保されている。受付には筆談器が設置してあり、車いすユーザーが図書館員 と話す席もア クセシブルだ。情報障害者へのアクセシビリティも、拡大読書器の設置や Web OPAC などで、一定の配慮はなされている。だが、場所柄やユーザー層の違いもあって、館内に障害を持つ人はほとんど見当たらない。館内の端末には、拡大や音声読 み上げの機能、および特殊な入力装置などの支援技術は追加されていないようである。館内の複数の図書館員に、視覚障害の来館者がきたらどうするのか質問し てみたが、ほとんど来館がないのでサポートの経験がないとのことであった。「もし、いらしたら検索をお手伝いします」 と前向きな姿勢ではあったが、当事者の自由なアクセスを支援するためにも、端末のアクセシビリティ確保や支援技術の導入などで、日本の図書館のお手本と なってほしいものである。
国立国会図書館関西館を始めとして、大阪府・京都府・墨田区など各地の図書館員は、地道に勉強会などを行い、多様なユーザーへの配慮 を学びあっている12)。 だが現在の図書館法の中に、LSTA のような、サービスのユニバーサルデザインを義務付ける法律がないため、各図書館員の個人的な努力に支えられているのが現状である。また、コンテンツに関 しては、蔵書をデジタル化してアクセシビリティを確保し、障害者の読書を支援するという取り組みを行っているのは、千代田区の千代田 Web図書館13)など、ごく少数の図書館に限られている。この課題に 対しては、2009年6月の著作権法の改正で少し改善され、また 2010年の国民読書年に向け当事者団体から「読書バリアフリー法」の制定が提案されている14)。
日本の図書館は、これまでは視覚障害者に対する情報提供機関としての点字図書館と、障害を持たない読者のための一般図書館との二本立 てで進んでき た。点訳に対しては、著作権処理を必要としないため、点字図書館で長年、主にボランティアによる点訳が行われてきた。音訳も同様である。しかし一般図書館 では、音訳に関しては個々に著作者に許可を求めねばならなかった。拡大本に関しては、大きな文字の出版は一般人も読めるという理由でなかなか著作者の許諾 が得られず、少数の企業が細々と出版を続けている状態が長く続いてきた。音訳図書も、一般的なオーディオブックでない障害者向けのものは、音訳サービス Jなどの小さな企業で作成・販売されているが、高額になってしまうこともあり、なかなか市場には出回っていない15)。
これは、教科書ですら同じ状況であった。盲学校で使われる教科書は、検定教科書に対しては点訳・音訳は可能であったが、ネット上での 送信が認めら れるまでには時間がかかった。2009年現在では、点訳の「ないーぶネット」と音訳の「びぶりおネット」などから登録者には点訳・音訳ファイルがダウン ロード可能となっている。拡大教科書に関しては、受け取った教科書が読めない子供のために拡大コピーをすることさえ違法とされる時代があった。教科書無償 という国の政策の範囲外であったため、1990年代の初め頃から長年にわたり政府に法律の改正と写本への資金援助が要望されていた。各地のボランティアが 手書きの写本を作り、それを富士ゼロックス等の社会貢献室がカラーコピーし、細々と各地で紙の拡大本が作られていたが、2004年にようやく拡大教科書も 無償配布の対象となっている。視覚以外の障害に関しては、学習障害を始め、自分でページをめくることのできない肢体不自由の生徒に対しても、全く支援がな い状態であった16)。
このような事態は、昨年2008年のいわゆる「教科書バリアフリー法」の成立、その後の著作権法改正により、かなり前進している。す なわち、弱視の子どもや学習障害を持つ児童生徒に関し、全盲と同様に検定教科書の権利制限を緩め、DAISYや PDFなどのデジタルデータでも受け取れるようになったのである。これは歓迎すべきことだが、参考書や一般書は対象ではない。また、高等教育に関しては、 高校は対象だが、有償であり、大学については検定教科書がないため、対象外となっている。高等教育や、統合教育の環境における教科書以外の書籍へのアクセ シビリティの確保は、まだこれから、というところである。
このように、日本でもようやく全盲以外の障害に対して進歩はあるものの、欧米の状況と比較すると、その歩みはかなり遅いと言わざるを 得ない。当事 者が、書籍をデジタルデータで受け取り、個々人の責任において、自分の必要な媒体、機器、状態でそれを読みこなしていくという文化には、まだなっていると はいえない状況である。
米国・英国・カナダ・インドで活動を展開しているBookshare のような非営利企業が日本では活動できないのは、法制度の違いもあるが、読書を「健康で文化的な最低限度の生活」の一部であるとする文化が、日本には根付 いていないせいでもある。特に学生にとっては、教科書を始めとする多くの書籍にアクセスすることは、生きることと同様に最低限保障されるべき権利である が、日本では読書権という概念そのものが確立していない。また、その権利は、著者や出版業界の利益と、ときに激しくぶつかる。米国において作家団体が障害 者団体が Kindle2 の TTS の機能差し止めで戦ったように、デジタルでアクセスしようとすると、必ず著者側の反対が起きるのである。
Googleのブックサーチは米国では和解したが、スキャンされたデータの中にアメリカでは流通の少ない日本の作家のものも米国内絶 版として含ま れていたことから、日本国内では日本文藝家協会などから猛反発を受けた。そのため、せっかくスキャンされて使えるようになった英語圏のデータに、日本から はアクセスができない状態である。著作権法のあり方や流通の仕組みが異なる中での Google の通告にも課題はあるが、書籍へのアクセシビリティを高める上では、日本における一刻も早い合意を望むものである。
音楽の流通が、サロンでのコンサートからレコード・ラジオ・テレビの登場で劇的に変わったように、書籍もパピルスへの手書きから、 グーテンベルグ の活版印刷で大きく変化した。おそらく、現在起きているデジタル化とネットワークの波は、書籍のあり方を大きく変えることになるだろう。アレクサンドリア の図書館を再現しようとする動きのように、オンライン上ですべての書籍を集約していくプロジェクトは、ユネスコや Google のみならず、国立国会図書館の長尾館長の構想も含めて、どんどん世界の図書館を巻き込んでいくはずである。スウェーデンや韓国など、著作者と読者の双方に 目配りした例も出てきた。それは、これまで読書障害とされてきた人々にとっては、朗報だ。
Bookshare のような権利処理の行われたデータを登録された人に確実なセキュリティとともに渡す方法も、しばらくは有効だと思われる。ぜひ、日本でも同様の手法を検討 すべきだ。またXMLによるDAISYフォーマット でファイルを作ることは、索引などのある書籍には大変有効であるが、この作り方もより改善が必要である。出版社や新聞社からのデータをリアルタイムで読む といったニーズには、プレーンテキストや電子ブックの併用も考えるべきだろう。
人がものを読むという行為が、この IT の進展の中で、今後どのような形態になっていくのか、著作権の最終的な解決策がどのようなものになるか、まだ明確でない点は多い。だが、個々人の特定が可 能な携帯端末において、きちんと対価を払ってアクセシブルなデータを受け取り、自分の見やすい形式で編集して読み、それを違法に他者に転送しないという明 確なルール作りが必要とされていることは明白である。日本でこのような状態が可能になるのが、何年後かはまったくわからないが、今後も各国の動向や読書バ リアフリー法のゆくえを見極めながら、読書権のあるべき姿を考えていきたい。