主権在民史料
土佐藩論が大政奉還に決定的に傾いたあと、慶應三年(1867)六月十五日、坂本竜馬(さかもと・りょうま 1835-1867)は大政奉還後の日本国「政治綱領」としてこれを廟議にも加わっていた後藤象二郎に示した。これより先、六月九日、二人は長崎より海路兵庫にいたる途中これを協議していたので「船中八策」と題されるともいう。薩摩土佐らの上書「新政府綱領八策」の貴重な基となった。幕府にかわる天皇親政を求めつつ龍馬は上下両院設置と憲法制定を見越し、主権在民にいたる道筋をすでに提示していた。『坂本竜馬関係文書』に拠る。
一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜(ヨロ)シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
二、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スべキ事。
一、有材ノ公卿諸侯及(オヨビ)天下ノ人材ヲ顧問ニ備へ官爵を賜(タマ)ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クべキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採り、新(アラタ)ニ至当ノ規約ヲ立ツべキ事。
一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スべキ事。
一、海軍宜(ヨロシ)ク拡張スべキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムべキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クべキ事。
以上八策ハ、方今天下ノ形勢ヲ察シ之(コレ)ヲ宇内(ウダイ)万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テヽ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟(イヤシク)モ此(コノ)数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国卜並立スルモ亦敢(アヘ)テ難(カタ)シトセズ。伏(フシ)テ願(ネガハ)クハ、公明正大ノ道理ニ基キ一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。