読者の庭

真岡 哲夫

まおか てつお 北海道札幌市在住 1962年 長野県に生まれる。 研究者・植物病理学。

読書欲と電子文藝館
−読みたい気持ちは「電子文藝館」からどこへ行く−

 はじめに

 

 日本ペンクラブが運営する「電子文藝館」は、二〇〇一年に創設され、現在開館四年目を迎えて、六百近い作品を常時・無料で鑑賞できる「電子読書室」に成長した。

 この文藝館は、主に二つの異なるカテゴリーから成り立っている。

 その一つは、日本ペンクラブ「正会員」が出稿した作品群で、いまひとつは、電子文藝館委員会が選定した作品群である。後者は、近代日本文学の軌跡を俯瞰できる「招待席」、日本ペンクラブの存在証明となる「反戦・反核」「出版・編集」「主権在民史料」の三つの特別展示室から成り立つ。

 これに加え、最近、ペンクラブ会員向けの「会員広場」のほかに、読者向けの「読者の庭」が新設され、さらにガイダンス的な「展観道案内」が加わり、読者は、これらのカテゴリーから好きなものを選んで、あるいは著者名索引などの別な入口からも自由に入館、閲覧できるようになっている。

 インターネット情報網の最大の利点は、ユーザーが住んでいる場所の地理的条件に全く影響されることなく、平等に各種情報を入手できることにあり、後述するように「電子文藝館」の読者もその恩恵に充分あずかっている。

 しかしユーザーはネット上でバーチャルに生活しているわけではなく、都鄙さまざまな地域社会の中に実存しているわけだから、入手したインターネット情報は、端末から取り出された瞬間に地理的条件の制約を受けることを忘れてはならない。

 わかりやすい例をあげてみよう。ここにインターネット情報に精通している読者がいたとする。しかし現在のインターネット環境では、「すべての」読書ニーズをネット上で供給することは不可能なので、この読者は「電子文藝館」で読書体験をしたり、他のサイトで読書情報を得たりはできても、最終的に読書を完結するためには、本や雑誌を購入するか、地域の図書館を利用するなどして、ネット上から「紙の本」に「降りて」読む形態に移行していかなければならない。そして、「本や雑誌を購入する」「地域の図書館を利用する」行為は、居住地の地理的条件に大きな制約を受けているのである。

 いいかえれば、電子媒体であり容量に一定の制限もある「電子文藝館」による読書は、それだけで完結するものではなく、多くの場合、紙媒体を併用または紙媒体に引き継がれる形態をとるであろうし、またそうなってこそこのサイトでの読書経験が発展性をおびてくることになる。

 そこでここでは、「電子文藝館」を核に、インターネットと居住地環境、電子媒体と紙媒体の関係にとくに注目し、「電子文藝館」にアクセスする読者が、収録作品を読んだ後、その読書体験を各居住地でどのように深化できるか、あるいは電子媒体の読書体験をどう紙媒体に受け渡せるかを、具体的なシミュレーションを通して考察してみたい。これにより、「電子文藝館」の持つ機能や将来展望が明らかになることを期待している。

 ただし筆者は、文筆業や図書館・情報学を専門とするものではなく、単なる一読者に過ぎない。また、本論は、市場リサーチでも学術的な調査報告でもないので、いささかの趣向も用意してみる。

 

 シミュレーションの設定条件と方法

 

「電子文藝館」の具体的な利用事例をシミュレートするために、ここでは、異なる居住地に生活する「二人の読者」を想定した。一人は東京都下に居住する東くん、もう一人は沖縄県石垣島に居住する沖くんである。

 二人のインターネット利用環境は同等で、いつでも「電子文藝館」にアクセスして好きな作品を鑑賞することができるものとする。ただし二人の生活環境は大きく異なっており、東くんは東京都心に勤務または通学しているので、必要とあれば大手書店や国立国会図書館に出かけて、読みたい本を購入・閲覧することができる。これに対して沖くんは、日本最南端の石垣島で生活しているので、島内の書店か、石垣市立図書館、沖縄県立図書館八重山分館でしか本を購入・閲覧する手段がない。

 さて、東くんと沖くんが「電子文藝館」で百作品を読んだとしよう。そして、その作者の本がもっと読みたくなった、あるいは、抄録作品の全編を通読してみたくなったと仮定する。

 この仮定にもとづいて、二〇〇五年八月九日現在、「電子文藝館」著者索引に掲載されている五八〇作品から、二人が読む百作品を無作為に抽出した。具体的な抽出方法は、まず全作品にコンピュータを用いて、〇から一の間の乱数を割り当て、その値の小さい方から百作品を選抜することによって行った。ランダム抽出された作品は次の通りである。

 

 中島 俊子   年頭社説

 岡本 かの子  老妓抄

 野口 米次郎  われ山上に立つ

 堀 辰雄    ルウベンスの偽画

 新居 格    文藝と時代感覚

 陸 羯南    「日本」創刊

 永井 荷風   花火

 中野 京子   霞む街

 渡辺 通枝   五行の神

 宮沢 賢治   イーハトヴの氷霧

 三田 誠広   碧眼

 加藤 弘一   コスモスの知慧 石川淳論

 陽羅 義光    暗愁

 小林 一郎   吉岡実の長篇詩

 土田 耕平   青杉

 川桐 信彦   世界状況と芸術の啓示性

 金 史良    光の中に

 濱 幸子    日本の文様

 木島 始    日本共和国初代大統領への手紙

 坂本 四方太  夢の如し

 三谷 憲正   「城の崎にて」試論

 森 秀樹    アポカリプス雑考

 上島 史朗   比叡・愛宕嶺

 遠藤 周作   白い人

 佃 實夫    わがモラエス伝・序章と一章

 笠原 三津子  マヌカンの青春

 山口 瞳    卑怯者の弁

 大原 雄    新世紀カゲキ歌舞伎

 船木 倶子   あなたとおなじ風に吹かれた

 小山内 美江子 3年B組 金八先生

 寺田 寅彦   喫煙四十年

 若山 牧水   別離 上巻 抄

 太宰 治    満願

 幸徳 傳次郎・堺 利彦 「万朝報」退社の辞

 中原 中也   盲目の秋

 三島 佑一   地球タイタニック

 志賀 葉子   露草

 宮地 嘉六   煤煙の臭ひ

 平林 朋紀   北斗七星

 猪瀬 直樹   『黒い雨』と井伏鱒二の深層

 佐藤 公平   林芙美子の年齢

 千家 元麿   自分は見た 抄

 望月 苑巳   雪月花

 荒畑 寒村   艦底

 武川 滋郎   黒衣の人

 戸坂 潤    認識論としての文藝学

 石川 啄木   性急な思想・硝子窓

 高安 義郎   母の庭

 沖 ななも   樹木礼賛

 淺見 淵    「細雪」の世界

 加能 作次郎  乳の匂ひ

 長谷川 時雨  旧聞日本橋(抄)

 三遊亭 圓朝  牡丹燈籠

 阿部 政雄   バグダードとメソポタミア

 十一谷 義三郎 仕立屋マリ子の半生

 田才 益夫   カレル・チャペックの闘争 (抄)

 島崎 藤村   伸び支度

 片岡 鐵兵   幽霊船

 高橋 健二   ゲーテの言葉

 新井 満    函館

 豊田 一郎   性と愛

 倉橋 羊村   有時(うじ)

 児玉 花外   失業者の自殺

 臼井 史朗   紙を汚して五十年

 小島 勗    地平に現れるもの

 菊村 到    硫黄島

 山田 岳    エピタフ(墓碑銘)

 今 東光    痩せた花嫁

 増永 直子   駒鳥の血

 西垣 通    N氏宅にて・・ルイス・キャロルと思考機械

 假名垣 魯文  安愚楽鍋

 白井 喬二   大盗マノレスク

 大塚 保治   ロマンチックを論じて我邦文藝の現況に及ぶ 抄

 深田 久彌   あすならう

 大久保 智弘  海を刻む

 物集 和子   七夕の夜

 片岡 鐵兵   止めのルフレヱン

 戸川 秋骨   自然私観

 井上 靖    北国

 有島 武郎   An Incident

 アーシュラ・K・ル・グウィン American Wars

 田口 鼎軒   日本之情交論

 笹沢 信    桜の記憶

 直木 三十五  討 入

 若松 賤子   いなッく、あーでん物語

 十返 肇    文壇と批評

 薄田 泣菫   ああ大和にしあらましかば

 岩佐 なを   霊岸その他

 篠原 央憲   いろは歌の謎

 佐高 信    遺言と弔辞

 岩淵 喜代子  螢袋に灯をともす

 三宅 花圃   藪の鶯 第一回

 近松 秋江   黒髪

 小熊 秀雄   蹄鉄屋の歌

 石久保 豊   兜

 牧野 信一   西瓜喰ふ人

 菊池 寛    父帰る

 福原 麟太郎  人生の幸福

 梅原 猛    闇のパトス

 中村 稔    鵜原抄 抄

 

 まず抽出された百作品が、全作品(母集団)の構成比率を正しく反映しているかを見てみよう。

「電子文藝館」のトップページ上方にある「招待席」、「特別三室」(「反戦・反核」「出版・編集」「主権在民資料」)の各カテゴリーに掲載されている作品数と、総目次下段の会員別索引のうち一般会員(P会員・E会員・N会員の合計)と物故会員の作品数を総数(六一八作品)に占める割合で比較すると、「招待席」四割、「特別三室」一割五分、会員三割、物故会員一割五分になる(調査日二〇〇五年八月十五日)。

 これに対し抽出された百作品の比率は、「招待席」三割五分、「特別三室」一割、会員四割、物故会員一割五分で、「招待席」の作品がやや少なく会員作品がやや多く抽出される結果となったが、全体的な構成比率は似ており、これら百作品は母集団の六分の一ながら、その構成比率をほぼ反映していた。したがって、これから展開するシミュレーションの結果は、この百作品についてのみならず「電子文藝館」の全作品についてもおおよその傾向を示していると考えてよい。

 

「電子文藝館」にアクセスした、東京都の東くんと石垣島の沖くんとは、

 その後、何冊の本を実際に買うことができるか

 

 次に、東くんと沖くんが、これらの百作品を読んで感銘を覚え、その作品を紙媒体に「降りて」あるいは全編を通して読みたくなったと仮定し、書店でその本を購入することができるかを調べた。

 東くんと沖くんとの住環境では、書籍購入の難易度に差がありすぎるので、ここでは、インターネットの電子書店を通して本を購入することとした。インターネット上での書籍の購入は、アマゾンの和書詳細サーチ(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/static/-/books/search/249-0754184-8564359)を用い、著者名と作品名を入力して検索を行った。

 なお、二〇〇五年三月にヤフーが実施した市場調査では、ネットショッピングで購入される品目で最も多いものは「本・書籍」で、食料品やCDを抜いて第一位となり、ネットによる書籍購入がごく一般的になっていることを示している。

 さて、東くんと沖くんは「電子文藝館」の百作品のうち、はたして何作品をアマゾンで買うことができただろうか。実際に百作品について、著者名と作品名を入力して検索したところ、購入可能な作品は、全体の二割六分、二六作品だけだった。参考のために、購入可能だった作品を以下に示してみる。

 

 岡本 かの子  老妓抄

 永井 荷風   花火

 宮沢 賢治   イーハトヴの氷霧

 金 史良    光の中に

 遠藤 周作   白い人

 山口 瞳    卑怯者の弁

 船木 倶子   あなたとおなじ風に吹かれた

 小山内 美江子 3年B組 金八先生

 若山 牧水   別離 上巻 抄

 太宰 治    満願

 中原 中也   盲目の秋

 高安 義郎   母の庭

 長谷川 時雨  旧聞日本橋(抄)

 阿部 政雄   バグダードとメソポタミア

 田才 益夫   カレル・チャペックの闘争 (抄)

 高橋 健二   ゲーテの言葉

 豊田 一郎   性と愛

 倉橋 羊村   有時(うじ)

 西垣 通    N氏宅にて・・ルイス・キャロルと思考機械

 井上 靖    北国

 岩佐 なを   霊岸その他

 篠原 央憲   いろは歌の謎

 佐高 信    遺言と弔辞

 近松 秋江   黒髪

 小熊 秀雄   蹄鉄屋の歌

 菊池 寛    父帰る

 

 アマゾンで買えない「電子文藝館」の作品は、

 図書館でなら読めるか。

 

 上の作品をのぞく七四作品はアマゾンで購入できなかったので、東くんと沖くんは途方にくれてしまう。さて、残りはどこにいけば読むことができるだろうか。「電子文藝館」で芽生えた二人の「読書欲」はどこで満たされるだろうか。

 二人が次に考えつくのは図書館である。そこで、二人が居住している地域のそれぞれの図書館で、「電子文藝館」収録の百作品をどの程度閲覧・貸し出しできるかを調べた。

 東京都在住の東くんの場合は、収蔵数七六八万冊でおそらく日本で最も多いであろう国立国会図書館を利用することを想定して、同図書館の書誌拡張検索サイト(http://opac.ndl.go.jp)を、石垣島在住の沖くんの場合は島内の石垣市立図書館または沖縄県立図書館八重山分館を利用することを想定して、沖縄県内図書館横断検索サイト(http://www.library.pref.okinawa.jp/cross/)を用いて検索を行った。なお、沖縄県下の公立図書館(沖縄県立図書館、名護市立中央図書館、うるま市立中央図書館、沖縄市立図書館、浦添市立図書館、西原町立図書館、那覇市立図書館、糸満市立中央図書館、石垣市立図書館)は相互貸借制度を実施しており、収蔵図書の相互取寄せが可能である。

 全ての検索は、二〇〇五年八月九日から八月十三日の期間に行い、どのサイトでも、まず著者名と作品名を入力して検索を行い、ヒットしないものについては、著者名単独、作品名単独、掲載誌名などいくつかの追加的検索を試みた。

 

 まず東くんからみていくことにしよう。

 上で述べたように、アマゾンで購入可能な作品は二六点あった。念のためこれらの作品を調べてみたが、すべて国立国会図書館に収蔵されていた。

 次に、アマゾンで購入できなかった七四作品が国立国会図書館に収蔵されているか検索したところ、四二作品が閲覧でき、三二作品は「見つかりませんでした」と表示された。このうち一二作品は、「電子文藝館」に書き下ろし、または初出の作品だった。したがって、これをのぞいた以下の二十作品が、公刊された書籍類があるにもかかわらず、著者名、作品名で検索しても書籍に行き着けなかったことになる。

 

 中島 俊子   年頭社説

 野口 米次郎  われ山上に立つ

 陽羅 義光   暗愁

 小林 一郎   吉岡実の長篇詩

 濱 幸子    日本の文様

 三谷 憲正   「城の崎にて」試論

 大原 雄    新世紀カゲキ歌舞伎

 寺田 寅彦   喫煙四十年

 幸徳 傳次郎・堺 利彦 「万朝報」退社の辞

 志賀 葉子   露草

 平林 朋紀   北斗七星

 猪瀬 直樹   『黒い雨』と井伏鱒二の深層

 臼井 史朗   紙を汚して五十年

 山田 岳    エピタフ(墓碑銘)

 大久保 智弘  海を刻む

 片岡 鐵兵   止めのルフレヱン

 笹沢 信    桜の記憶

 十返 肇    文壇と批評

 薄田 泣菫   ああ大和にしあらましかば

 福原 麟太郎  人生の幸福

 

 これらの作品を詳細に見ると、例えば中島 俊子の「年頭社説」は「女學雑誌」に、野口米次郎の「われ山上に立つ」は「三田文学」に収録されている。そこで上の作品についてあらためて収録誌名で検索をすると、十一作品は国立国会図書館にあることがわかった。つまりこれらを除いた九作品が、東くんが八方手を尽くしても入手できない作品ということになる(寺田 寅彦の「喫煙四十年」は青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)に収録されていたが紙媒体では入手不可能だった)。

 ちなみに入手できなかった作品のジャンルをみると、小説四、詩二、随筆一、講演一、評論一だった。

 国立国会図書館に行った東くんは、検索条件を工夫するなどしてがんばった結果、「電子文藝館」初出一二作品を除く八八作品のうち七九作品を閲覧できることになり、閲覧できない作品数はわずか九点だけという結果になった。

 

 次は沖くんの場合である。

 沖くんも東くんと同様アマゾンで本を探したので購入可能な作品数は二六作品だった。東くんの場合はこれらすべてを国立国会図書館で閲覧することができたが、沖くんの場合を調べると沖縄県内図書館で借りられるものは二一作品で、五作品は県内の図書館に蔵書がなかった。さらに、アマゾンで購入できなかった七四作品について沖縄県内図書館に収蔵されているか検索したところ、一七作品が閲覧でき、五七作品は収蔵されていなかった。このうち、「電子文藝館」書き下ろしの一二作品を除外した四五作品が、沖くんが入手できない作品数という結果になった。

「電子文藝館」書き下ろし作品をのぞく八八作品のうち、東くんが実際に閲覧できるのは七九作品、沖くんが入手できるのは四三作品、この差の三六が、首都圏と地方のインフラの相違であり、インターネット社会といえども埋めようのない地理的条件の制約が具体的に数値化されたものといえる。

 

 この項の最後に、上の百作品で行ったシミュレーション結果を、「電子文藝館」に掲載されている全作品に敷衍してみると、こうなる。

 あなたが「電子文藝館」のある作品を読んだ場合、その作品を書店で実際に購入できる確率は三割に満たない。でも、もしあなたが国立国会図書館へ行くことができれば、九割方すべての本を閲覧することができる。ただし、地域図書館(沖縄県)の場合はこの確率は五割程度に低下してしまうのである。

 はたして「電子文藝館」を訪れる読者の何割が、国立国会図書館でじっくり読書する時間を持てる環境にあるだろうか。ほとんどの読者にとっては不可能ではあるまいか。そうなると、大多数の読者は東くんよりも沖くんに似た読書環境にあるといってよく、読んだ作品を実見できる確率は、五割程度ということになろう。

 

 読者が期待する「電子文藝館」の姿と形

 

 ここでもう一度「電子文藝館」の設立目的をふり返ってみよう。「電子文藝館」は「パブリック・ドメイン=公共の文化資産」たる大きな「展示館」「読書室」として開館し、会員各自のいわば「自己証明」の場であると共に、近代文学の「豊かな軌跡」を示す諸先輩作家たちの秀作・異色作・問題作を展示し、その名と業跡とを永く後々に伝える目的で運営されている。さらに、作品の収録にあたっては、現在なお書店等で入手の楽な作品は避け、異色作、問題作、あるいはもう忘れられかけている、しかし生前には力ある優れた仕事をしていた、残念ながら湮滅直前の書き手たちの仕事を、大切に、敬意を払って再現することに意を用いている。

 また、新世紀ウエブ環境の新しい読者たち、さらには、どんな年齢層の読者にも、作品に「出逢い・親しみ」作品を「読めて・楽しんで」もらえるような表記を心がけている。(以上トップページのメッセージから抜粋)

 もともと書店で入手できる作品は避け、忘れられた名作を掘り起こすことに目的があるのだから、石垣島の沖くんが「電子文藝館」で読んだ作品の半数を実見できないのも無理はない。

 逆に考えれば、沖くんは「電子文藝館」で、書店でも図書館でも読むことのできない作品に五割の確率で出会えているのである。ここまでは、「電子文藝館」の作り手の意図は、うまく読者に届いているといえよう。

 ただ問題は、せっかく「電子文藝館」で出会えた名作や作者に、沖くんは今後どうやって親しんでいけばいいのかということにある。

 ある作品を読んで感銘を受けたとき、その作家のほかの作品を読んでみたい、全編を通して読んでみたいという気持ち、「読書欲」は当然起きてくる自然な感情である。「電子文藝館」には多くのインターネットユーザーに新しい「読書欲」を喚起する機能がある。ただし現在の「電子文藝館」には、喚起された「読書欲」の次の行き先が示されていない。せっかく星の数ほどあるネットのサイトから「電子文藝館」を選び、名作との「出逢い・親しみ」の機会ができたのである。「電子文藝館」で経験できた「読んで楽しんで」もらう感動を、さらに増して、文学のリピーターになってもらう「次の一手」を、具体的に考えるべき時が来ているのではないだろうか。

 東くんの場合にも、問題がないわけではない。確かに東くんは国立国会図書館に行けば「電子文藝館」で読んだ作品の九割を閲覧することができる。しかし東くんは今後千冊以上に達しようとしている「電子文藝館」の蔵書から、何をどのように選んで、名作との「出逢い・親しみ」を得たらいいのだろうか。

 ここでは、最近新設された「展観道案内」が文字通り良い道案内となってくれることだろう。しかし、残念なことに、もう一つ配慮があればと思うことがある。

 まず第一に、始めてこのサイトを訪れたユーザーでも「展観道案内」へ行けばいい情報が得られますよ、という明確なメッセージが「電子文藝館」トップページにない。他のサイトで汎用されているような、たとえば「始めてご利用の方へ」などのカテゴリーを設けて、そこから「展観道案内」へ到る道筋がつけられていると、新しい読者の入館を助けることにならないだろうか。

 第二には、「展観道案内」と各作品の間にリンクが張られていない。例えば、「展観道案内」を見て、最高齢者の石久保豊さんの「兜」という作品が読みたくなったとき、読者は、「招待席」に戻って、上から順番に石久保さんの名前を探して画面をスクロールするか、一回総目次まで戻って、著者名索引から探さねばならない。スピード感のあるネット操作に慣れているユーザーにとって、いわゆる「サクサク」と目的サイトに到達できない焦燥感は、かなり「読書欲」を減退させるものとなる。

 ネットの大電網に埋没してしまわないためには「始めてご利用の方へ」→「展観道案内」→石久保豊さんの「兜」という具合に、クリック三回でダイレクトに作品に行き着ける簡便さが是非とも必要に思われる。

 

 おわりに

 

 ここでは、一般的なネットユーザーが「電子文藝館」を訪れた場合を想定し、「電子文藝館」を読んだあとの読者のゆくえを、読者の側から検証してみた。そこから、「電子文藝館」は入手できない作品を広く読者に提供しているが、そこで喚起された読者の「読書欲」の行き先についてはまだ考慮していないこと、本来情報の平等性があるネット上で展開する「電子文藝館」においても、読者の地域環境に応じて、読後に大きな差がでてきてしまう、というような現況が描き出されたように思う。

 

 以上の考察は、図書館・情報学、あるいはWebデザイナーなど専門家にとっては、あたりまえのことを述べたにすぎないのかも知れない。また、シミュレーションの設定にしても、例えば古本屋の存在などを考慮していない点など不備もみられるだろう。しかし、それを考慮に入れても、次のことは確実に言える。

 読者にとっては、名作に触れる機会、名作を読んで感動する機会は、職業、性別、居住地にかかわらず、本来だれにも平等にあってほしいものである。またそのような環境を提供することこそ、PEN憲章を掲げる日本ペンクラブの活動としてふさわしいものではないだろうか。インターネットの平等性を活かし、「電子文藝館」が居住地による読書環境の地域格差是正に役立つ可能性があることを特に強調しておきたい。

 「電子文藝館」は、まだ開館四年目で、機能的には発展途上にある。今後の充実により、パブリックドメインとしての機能に加え、希少秀作のデータベースとしての機能もあわせ持ち、読者にとっては、インターネット上から本屋または図書館へ、あるいは電子媒体から紙媒体への「橋渡し」をしてくれる強力なサイトになってくれることを期待している。

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Maoka Tetsuo
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on Nov 17, 2005
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