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逸見 猶吉

へんみ ゆうきち。1907(明治40)〜1946(昭和21)。栃木県藤岡町生まれ。『詩と詩論』『新詩論』などに作品を発表。草野心平、中原中也等と詩誌『歴 程』を創刊。草野心平をして日本のアルチュール・ランボーと言わしめた詩人であるが、関東軍報道隊員として当時の満州(中国東北部)に派遣され、昭和21 年、肺結核、栄養失調のため当時の新京(長春)で死去。享年38歳。掲載作は死後に刊行された『逸見猶吉詩集』(昭和23年、十字屋書店刊)からの抄録。 一部差別的な表現もあるが、歴史的な作品なのでそのままとした。

『逸見猶吉詩集』抄

目次

兇牙利的(ウルトラマリン第二)

レイタンナ風ガ渡リ
ミダレタ髪毛ニ苦シク眠ル人ガアリ
シバラク太陽ヲ見ナイ
何処カノ隅デ饒舌シヤベルノハ気配ダケカ
毀ワレタ椅子ヲタタイテ
オレノ充血シタ眼ニイツタイ何ガ残ル
サビシクハナイカ君 君モオレヲ対手アイテニシナイ
何処ニモナイ君ノヨロコビノ為ニ元原ノ表出 彼ノ大樹ノ
 裂カレタ幹ニ 君ノ光栄アル胸ヲ飾レ
イノチ有ルモノニ歌ハシメヨ 歯モ露ハニ眠ルモノ 君ノ
 眼窩ニ千年ヲへヨ
アア 吹キ捲ル風ニ撓ンデ 殷賑タレ

ある日無音をわびて

ぺこペこな自転車にまたがつて
大渡橋をわたつて
秩父颪に吹きまくられて
落日がきんきんして
危険なウヰスキで舌がべろべろで
寒いたんぼに淫売がよろけて
暗くて暗くて
低い屋根に鴉がわらつて
びんびんと硝子が破れてしまふて
上州の空はちいさく凍つて
心平の顔がみえなくて
ぺこぺこな自転車にまたがつて
コンクリに乞食がねそべつて
煙草が欲しくつて欲しくつて
だんだん暗くて暗くて

眼鏡

どすぐろい男らがいつさんに馳けてゆき
どすくろい女らがいつさんに馳けてゆき
自然はいちどに憔悴する
工場は一度に燃えあがる
これはなんといふ兇悪な眼鏡の仕掛けであらう
どすぐろい男らがいつさんに倒れ
どすぐろい女らがいつさんに倒れてゆき
あらゆる眼鏡は屠られてしまつた
あ この悲しめる世界の中黙
遠く嵐ははげしく呼ばれ
この鉄橋はさかんにたゝかれてゐる
どすぐろく倒れゆく者等いつさんに重りあひ
やがて曇天が墜落しよう

黒龍江のほとりにて

アムールは凍てり
寂としていまは声なき暗緑の底なり
とほくオノン インゴダの源流はしらず
なにものかげしさのきはみ澱み
止むに止まれぬ感情の牢として黙だせるなり
まこと止むに止まれぬ切なさは
一望の山河いつさいに蔵せり
この日凛烈冬のさなか
ひかり微塵となり
風沈み
滲みとほる天の青さのみわが全身に打ちかかる
ああ指呼の間の彼の枯れたる屋根屋根に
なんぞわがいただける雲のゆかざる
歴史の絶えざる転移のままに
愴然と大河のいとなみ過ぎ来たり
アムールはいま足下に凍てつけり
大いなる
さらに大いなる解氷の時は来れ
我が韃靼の海に春近からん

人傑地霊

巻きあげる龍巻を右とみれば
きまつてクエイの仕業と信じ
左に巻き上る時
これこそシエンの到来といふ
かかる無辜にして原始なる民度の
その涯のはて
西はゴビより陰山の北を駆つて
つねに移動して止まぬ大流沙がある
それは西南の風に乗つて濛々たる飛砂となり
酷烈にしていつさいの生成に斧をぶちこむ
乾燥亜細亜の一角にきて
彼はこの土地を愛さずにゐられない
目には静かな笑ひを泛べ吃々として物を言ふ
熱すれば太い指先は宙に描がかれ
それはもう造林設計が形の真に迫る時だ
彼は若く充実せる気力にあふれ
喜びも苦しみも
ともに樹々のいのちとあるやうに見える
樹々は彼の幅ひろい胸をとりまき
樹々はみな彼の愛をうけついで向上する
まことに愛は水のやうに滲透する
彼はふり濺ぐはげしい光を浴びながら
さうしてゆつたりと耕地防風林の中に入つてゆく
私は彼とともに人傑地霊を信じる者だ

Henmi Yukichi
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on Jan 30, 2008
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