物故会員

開高 健

かいこう たけし 作家。1930(昭和5)年12月30日—1989(平成元)12月9日。大阪市天王寺区に生まれる。1957(昭和32)年、『裸 の王様』で芥川賞受賞。1960年代半ば、新聞社から特派され、戦時下のベトナムに行き、最前線を体験し、九死に一生を得た。「輝ける闇」など、「闇」シ リーズは、この戦場体験を元に作品化した。掲載作「玉、砕ける」は、1978(昭和53)年3月、『文藝春秋』に発表。翌年、優れた短編小説に贈られる川 端康成賞を受賞。「玉、砕ける」には、直接的な戦場の描写はないが、己の肉体から擦り取られた「垢の玉」には、戦場の疲れや自己の影が、象徴されている。

「玉、砕ける」

 ある朝遅く、どこかの首都で眼がさめると、栄光の頂上にもいず、大きな褐色
のカブト虫にもなっていないけれど、帰国の決心がついているのを発見する。一
時間ほどシーツのなかでもぞもぞしながら物思いにふけり、あちらこちらから眺
めてみるけれどその決心は変らないとわかり、ベッドからぬけだす。焼きたての
パンの香りが漂い、飾窓の燦(きらめ)きにみたされた大通りへでかけ、いきあ
たりばったりの航空会社の支店へ入っていき、東京行きの南回りの便をさがして
予約する。香港で一日か二日すごしたいからどうしても南回りの便でないといけ
ないのである。予約をすませてガラス扉をおして歩道へでようとするとき、改行
なしにつづいてきた長い文章にピリオッドがうたれたように感ずる。つぎに改行
になって文章はつづいていくはずだけれど何が書かれるのかまったくわからない
とも感ずる。しかし、その未知には昂揚が感じられない。出国のときには純白の
原稿用紙をまえにしたような不安の新鮮な輝きがあり、朦朧がいきいきと閃きつ
つ漂っているのだが、帰国となると、点を一つうって、行を一つ改めるだけのこ
とで、そのさきにあるのはやはり朦朧だけれど、不安も閃きもない。ちょっと以
前までは、そんな、ただ行を一つあらためるだけのことにも、褪せやすいけれど
そこはかとない昂揚をおぼえたものだが、年をとるにつれて何も感じなくなって
しまった。行と行のあいだに何か謎のような涼しい淵があったのに、いまは水枯
れした、しらちゃけた河原を感ずるだけである。ホテルにもどってスーツケース
の荷作りをはじめると、確実に体の背後か左右のどこかに黴(かび)が芽をだす
のをおぼえる。エレベーターで上ったり下ったりし、フロントへいって勘定をす
ませ、スーツケースをはこぴだし、スーツケースと体を空港行きのバスにつみこ
み、せいぜいてきぱきと身ぶりにふけってみても、黴はたちまちはびこって体を
蔽いはじめる。肩、胸、腹、足のいたるところにそれはみっしりと繁殖し、私の
外形を完全に保ったままでじわじわと蚕食にかかる。東京に近づけば近づくだけ
黴はいよいよくまなく繁殖して、私は憂鬱に犯されるままになり、無気力になっ
ていく。長大なジュラルミンの円筒に入れられて綿雲の海を疾過しつつ、数カ月
の浮遊をふりかえって、昨日か一昨日かに終ったばかりのことなのに、まるで十
年以前のことだったような郷愁をさそわれる。知りすぎて嫌悪しぬいたあげくと
びだしたはずのところへふたたびおめおめと帰っていかなければならない。戦争
をしないうちに敗れてしまった軍の敗残兵のようにうなだれてもどっていかなけ
ればならない。毎度毎度性こりもなく繰りかえす愚行の輪、その一つをふやした
だけにすぎないのか。いまさらのようにその思いに圧倒されて、腕も足も狭いシ
ートに束縛されたままになる。羽田につけば税関のどさくさにまぎれてちょっと
忘れるだろうが、一枚のガラス扉をおしてそこをでてしまえば、ふたたび黴の大
群が、どうしようもなく、もどってくるのだ。一カ月か二カ月すれば私は青や灰
のもわもわとした黴に蔽われて雪だるまのようになってしまう。わかりきってい
るのだけれど、そこへもどっていくしかない。適した場所が見つからなかったば
かりにいやいやもどっていくしかない。消えられなかったばかりにはじきかえさ
れる。

 

 

 九竜半島の小さなホテルに入ると、よれよれの古い手帖を繰って張立人の電話
番号をさがして、電話をかける。張が留守のときには、私は菜館のメニュを読む
ぐらいの中国語しか喋れないから、私の名前とホテルの名前だけをいって切る。
翌朝、九時か十時頃にあらためて電話をすると、きっと張の、初老だけれど迫力
のある、炸(はじ)けたような、流暢な日本語の挨拶が耳にとびこんでくる。そ
こでネイザン・ロードの角とか、スター・フェリーの埠頭とか、ときには奇怪な
タイガー・バーム公園の入口とかをうちあわせて、数時間後に会うことになる。
張はやせこけてしなびかかった初老の男だが、いつも、うなだれ気味に歩いてき
て、突然顔をあげ、眼と歯を一度に剥(む)いて破顔する癖がある。笑うと口が
耳まで裂けるのではあるまいかと思うことが、ときにあるけれど、タバコで色づ
いた、そのニュッとした歯を見ると、私はほのぼのとなる。ニコチン染めのその
きたならしい歯を見たとたんに歳月が消える。
顔を崩して彼がいちどきに日本語で何やかや喋りはじめると、私は黴の大群がち
ょっとしりぞくのを感ずる。それはけっして消えることがなく、いつでもすきが
あればもたれかかり、蔽いかかり、食いこみにかかろうとするが、張と会ってる
あいだは犬のようにじっとしている。私は張と肩を並べて道を歩き、目撃してき
たばかりのアフリカや中近東や東南アジアの戦争の話をする。張ははずむような
足どりで歩き、私の話をじっと聞いてから、舌うちしたり、呻いたりする。そし
て私の話がすむと、最近の大陸の情勢や、左右の新聞の論説や、しばしば魯迅の
言説を引用したりする。数年前にある日本人の記者に紹介されていっしょに食事
したのがきっかけになり、その記者はとっくに東京へ帰ってしまったけれど、私
は香港へくるたびに張と会って、散歩をしたり、食事をしたりする習慣になって
いる。しかし、彼の家の電話番号は知っているけれど、招かれたことはなく、前
歴や職業のこともほとんど私は知らないのである。日本の大学を卒業しているの
で日本語は流暢そのもので、日本文学についてはなみなみならぬ素養の持主だと
はわかっているけれど、小さな貿易商店で働きつつ、ときどきあちらこちらの新
聞に随筆を書いてポケット・マネーを得ているらしいとしかわからない。彼は私
をつれて繁華なネイザン・ロードを歩き、スイスの時計の看板があって『海王
牌』と書いてあれば、それはオメガ・シー・マスターのことだと教えてくれる。
小さな本屋の店さきでよたよたの挿絵入りのパンフレットをとりあげ、人形がか
らみあっている画のよこに『直行挺身』という字があるのを見せ、正常位のこと
だと教えてくれたりする。また、中国語ではホテルのこと××酒店、レストランの
ことは△△酒家という習慣であるけれど、なぜそうなのかは誰にもわからないと
教えてくれたりするのである。
 最近数年間、会えばきっと話になるけれどけっして解決を見ない話題がある。
それは東京では冗談か世迷言と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。白
か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなけれ
ば殺す。しかも沈黙していることはならぬといわれて、どちらも選びたくなかっ
た場合、どういって切りぬけたらよいかという問題である。二つの椅子があって
どちらかにすわるがいい。どちらにすわってもいいが、二つの椅子のあいだにた
つことはならぬというわけである。しかも相手は二つの椅子があるとほのめかし
てはいるけれど、はじめから一つの椅子にすわることしか期待していない気配で
あって、もう一つの椅子を選んだらとたんに『シャアパ(殺せ)!』、『ターパ
(打て)!』、『タータオ(打倒)!』と叫びだすとわかっている。こんな場合に
どちらの椅子にもすわらずに、しかも少くともその場だけは相手を満足させる返
答をしてまぬがれるとしたら、どんな返答をしたらいいのだろうか。史上にそう
いう例があるのではないだろうか。数千年間の治乱興亡にみちみちた中国史に
は、きっと何か、もだえぬいたあげく英知を発揮したものがいるのではないか。
何かそんな例はないものか。名句はないものか。
 はじめてそう切りだしたのは私のほうからで、どこか裏町の小さな飲茶屋でシ
ューマイを食べているときだった。いささか軽い口調で謎々のようないいかたを
したのだったが、張はぴくりと肩をふるわせ、たちまち苦渋のいろを眼に浮べ
た。彼はシューマイを食べかけたまま皿をよこによせ、タバコを一本ぬきだす
と、鶏の骨のようにやせこけた指で大事そうに二度、三度撫でた。それからてい
ねいに火をつけると深く吸いこみ、ゆるゆる煙を吐きながら、呟いた。
「馬でもないが虎でもないというやつですな。昔の中国人の挨拶にはマーマーフ
ーフーというのがあった。字で書くと馬馬虎虎です。なかなかうまい表現で、馬
虎主義と呼ばれたりしたもんですが、どうもそう答えたんではやられてしまいそ
うですね。あいまいなことをいってるようだけれど、あいまいであることをハッ
キリ宣言してるんですからね、これは。これじゃ、やられるな。まっさきにやら
れそうだ。どう答えたらいいのかな。厄介なことをいいだしましたな」
 つぎに会うときまでによく考えておいてほしいといってその場は別れたのだっ
たが、張はつよい打撲をうけたような顔で考えこみ、動作がのろのろしていた。
シューマイを食べかけたままほうってあるのでそのことをいうと、彼は苦笑して
紙きれに何か書きつけ、食事のときにはこれが必要なんですといった。紙きれに
は『莫談国事』とあった。政治の議論をするなということであろう。私は何度も
不注意を謝った。
 その後、一年おいて、二年おいて、ときには三年おいて、香港に立寄るたびに
張と会い、散歩したり食事したりしながら——すっかり食事が終ってからときめ
たが——この命題をだしてみるのだが、いつも彼は頭をひねって考えこむか、苦
笑するか、もうちょっと待ってくれというばかりだった。私は私で彼にたずねる
だけで何の知恵も浮ばなかったから、謎は何年たっても謎のまま苛酷の顔つきの
朦朧として漂っている。もしそんな妙手があるものとすればみんながみんな使い
たがるだろうし、そういう状況は続発しつづけるばかりなのだから、そうなれば
妙手はたちまち妙手でなくなる。だから、やっぱり謎のままでこれはのこるしか
ないのかもしれなかった。しかし、ときには、たとえば張があるとき老舎の話を
してくれたとき、何か強烈な暗示をうけたような気がした。ずっと以前のことに
なるが文学代表団の団長として老舎は日本を訪れたが、その帰途に香港に立寄っ
たことがある。張はある新聞にインタヴュー記事を書くようたのまれてホテルへ
でかけた。老舎は張に会うことは会ってくれたが、何も記事になるようなことは
語ってくれなかった。革命後の知識人の生活はどうですかと、しつこくたずねた
のだけれど、そのたびにはぐらかされた。あまりそれが度重なるので、張は、老
舎はもう作家として衰退してしまったのではないかとさえ考えはじめた。ところ
がそのうちに老舎は田舎料理の話をはじめ、三時間にわたって滔々(とうとう)
とよどみなく描写しつづけた。重慶か、成都か。どこかそのあたりの古い町には
何百年と火を絶やしたことのない巨大な鉄釜があり、ネギ、白菜、芋、牛の頭、
豚の足、何でもかでもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮たてる。客はそ
のまわりに群がって柄杓で汲みだし、椀に盛って食べ、料金は椀の数できめるこ
とになっている。ただそれだけのことを、老舎は、何を煮るか、どんな泡がたつ
か、汁はどんな味がするか、一人あたり何杯ぐらい食べられるものか、徹底的
に、三時間にわたって微細、生彩をきわめて語り、語り終ると部屋に消えた。
「……何しろ突然のことでね。あれよあれよというすきもない。それはもうみご
となものでしたね。私は老舎の作品では『四世同堂』よりも『駱駝祥子』のほう
を買ってるんですが、久しぶりに読みかえしたような気特になりました。あの
『駱駝祥子』のヒリヒリするような辛辣と観察眼とユーモアですよ。すっかり堪
能して感動してホテルを出ましたね。家へ帰っても寝て忘れてしまうのが惜しく
て、酒を飲みましたな。焼酎のきついやつをね」
「記事にはしなかったの?」
「書くことは書きましたけれど、おざなりのおいしい言葉を並べただけです。よ
くわかりませんが老舎は私を信頼してあんな話をしてくれたように思ったもんで
すからね。それにこの話は新聞にのせるにはおいしすぎるということもあって」
張はやせこけた顔を皺だらけにして微笑した。私は剣の一閃を見るような思い
にうたれたが、その鮮烈には哀切ともつかず痛憤ともつかぬ何事かのほとばしり
があった。うなだれさせられるようなものがあった。二つの椅子のあいだには抜
道がないわけではないが、そのけわしさには息を呑まされるものがあるらしかっ
た。イギリス人はこの事を“Between devils and deep blue sea ”(悪魔と青い深
海のあいだ)と呼んでいるのではなかったか?……

 

 

「これは風呂屋ですよ。澡堂(そうどう)というのは銭湯のことです。ただ湯に
つかるだけではなく垢も落してくれるし、按摩もしてくれるし、足の皮も削って
くれるし、爪も切ってくれます。あなたは裸になって寝ころんでるだけでいいん
です。眠くなれば好きなだけ眠ればいいんです。澡堂もいろいろですけれど、こ
こは仕事がていねいなので有名です。帰りには垢の玉をくれます。いい記念です
よ。一つどうです。布を三種類、硬いのやら柔らかいのやらとりかえて、手に巻
いて、ゴシゴシやる。びっくりするほどの垢がでる。それをみんな集めて玉にし
てくれる。面白いですよ」
 明日は東京へ発(た)つという日の午後遅く、張と二人でぶらぶら散歩するう
ち、『天上澡堂』と看板をかけた家のまえを通りかかったとき、張がそういって
足をとめた。私がうなずくと彼はガラス扉をおして入っていき、帳場にいた男に
かけあってくれた。男は新聞をおいて張の話を聞き、私を見て微笑し、手招きし
た。張は用事があるのでこのまま失礼するがあすは空港まで見送りにいくといっ
て、帰っていった。
 帳場の男は椅子からたちあがると、肩も腰もたくましい大男であった。手招き
されるままについていくと、壁の荒れた、ほの暗い廊下を通って小さな個室につ
れこまれた。個室には簡素なシングル・ベッドが二つあり、一つのベッドに白い
バス・タオルを巻きつけた客が俯伏(うつぶ)せになって寝ていて、爪切屋らし
い男が一本の足をかかえこんで、まるで馬の蹄を削るようにして踵の厚皮を削っ
ていた。帳場の男が身ぶり手真似で教えるので私はポケットの財布、パスポー
ト、時計などをつぎつぎと渡す。男はそれをうけとると、サイド・テーブルのひ
きだしにみんな入れ、古風で頑強な南京錠をかけた。その鍵は手ずれした組紐で
男の腰のベルトにつながれている。安心しろという顔つきで男は微笑し、腰を
二、三度かるくたたいてみせて出ていった。服やズボンをぬいで全裸になると、
白衣を着た、慈姑(くわい)のような、かわいい少年が入ってきて、バス・タオ
ルを手早く背後から一枚、腰に巻きつけてくれ、もう一枚、肩にかけてくれる。
手真似で誘われるままに個室を出ると、草履をつっかけてほの暗い廊下をいく。
そこが浴室らしいが、べつの少年が待っていて、手早く私の体からバス・タオル
を剥ぎとった。ガラス扉をおすと、ざらざらのコンクリートのたたきがあり、錆
びた、大きなシャワーのノズルが壁からつきでていて、湯をほとばしらせてい
る。それで体を洗う。
 浴槽は大きな長方形だが、ふちが幅一メートルはあろうかと思えるほど広く
て、大きくて、どっしりとした大理石である。湯からあがった先客がそこにタオ
ルを敷いてもらってオットセイのようにどたりとよこたわっている。全裸の三助
が繃帯を巻きつけてその団々たる肉塊をゴシゴシこすっている。おずおずと湯に
つかると、それは熱くもなく、冷たくもなく、何人もの男たちの体で練りあげら
れたらしくどろんとして柔らかい。日本の銭湯のようにキリキリと刺しこんでく
る鋭い熱さがない。ねっとり、とろりとした熱さと重さでたゆたっている。壁ぎ
わにたくましいのと、細いのと、二人の三助が手に繃帯を巻いて全裸でたち、私
があがるのを待っている。たくましい男のそれがちんちくりんのカタツムリのよ
うに見え、やせた男のが長大で図太くて罪深い紫いろにふすぼけて見える。それ
は何百回、何千回の琢磨でこうなるのだろうかと思いたいような、実力ある人の
ものうさといった顔つきでどっしりと垂れている。嫉妬でいらいらするよりさき
に思わず見とれてしまうような逸品であった。それを餓鬼のようにやせこけた、
貧相な小男がぶらさげていて、男の顔には誇りも傲(おご)りもなく、ただ私が
湯から這いあがってくるのをぼんやりと待っている。私が両手でかくしながら湯
からあがると、男はさっとバス・タオルをひろげ、私に寝るように合図する。
 張がいったように垢すりの布は三種ある。一つは麻布のように硬くてゴワゴワ
し、これは腕や尻や背や足などをこする。ちょっと綿布のように柔らかいのは脇
腹とか、腋とかをこするためである。もっとも柔らかいのはガーゼに似ている
が、これは足のうらとか、股とか、そういった、敏感で柔らかいところをこする
ためである。要所要所によってその三種の布をいちいち巻きかえとりかえ、その
たびにまるで繃帯のようにしっかりと手に巻きつけてこするのである。手をと
り、足をとり、ひっくりかえし、裏返し、表返し、男は熟練の技で、いささか手
荒く、けれど芯はあくまでも柔らかくつつましやかにといったタッチでくまなく
こする。しばらくすると、ホ、ホウと息をつく気配があり、口のなかでアイヤー
と呟くのが聞えたので、薄く眼をあけてみると、私の全身は、腕といわず腹とい
わず、まるで小学生の消しゴムの屑みたいな、灰いろのもろもろで蔽われている
のだった。男は熱意をおぼえたらしく、いよいよ力をこめてこすりはじめる。そ
れはこするというよりは、むしろ、皮膚を一枚、手術としてでなく剥ぎとるよう
な仕事であった。全身に密着した垢という皮膚をじわじわメリメリと剥ぎとるよ
うな仕事であった。男は面白がって、ひとりでホ、ホウ、アイヤーと呟きつつ、
頭のほうへまわったり足の方へまわったりして丹念そのものの仕事にはげんでく
れた。そのころにはもう私は羞恥をすべて失ってしまい、両手をまえからはな
し、男が右手をこすれば右手を、左手をこすれば左手を、なすがままにまかせ
た。一度そうやってゆだねてしまうと、あとは泥に全身をまかせるようにのびの
びしてくる。石鹸をまぶして洗い、それを湯で流し、もう一度浴槽に全身を浸
し、あがってきたところで二杯、三杯、頭から湯を浴びせられ、火のかたまりの
ようなお紋りで全身をくまなく拭ってくれる。
「ハイ、これ」
 そんな口調でニコニコ笑いながら手に垢の玉をのせてくれた。灰いろのオカラ
の玉である。じっとり湿っているが固く固く固めてあって、ちょうど小さめのウ
ズラの卵ぐらいあった。それだけ剥ぎとられてみると、全身の皮膚が赤ん坊のよ
うに柔らかく澄明で新鮮になり、細胞がことごとく新しい漿液をみたされて歓声
あげて雀躍(こおど)りしているようであった。
 個室にもどってベッドにころがりこむと、かわいい少年が熱いジャスミン茶を
持って入ってくる。寝ころんだままでそれをすすると一口ごとに全身から汗が吹
きだしてくる。少年が新しいタオルを持ってきて優しく拭いてくれる。爪切屋が
入ってきて足の爪、手の爪、踵の厚皮、魚の目などを道具をつぎつぎとりかえて
削りとり、仕事が終ると黙って出ていく。入れかわりに按摩が入ってきて黙って
仕事にかかる。強力で敏感な指と掌が全身をくまなく這いまわって、しこりの根
や巣をさがしあて、圧したり、撫でたり、つねったり、叩いたりして散らしてし
まう。どの男も丹念でしぶとく、精緻で徹底的な仕事をする。精力と時間を惜し
むことなく傾注し、その重厚な繊細は無類であった。彼らの技にはどことなく重
量級の選手が羽根のように軽く縄跳びをするようなところがある。涼しい靄(も
や)が男の強靭な指から体内に注入され、私は重力を失って、とろとろと甘睡に
とけこんでいく。

 

 

「私のシャツ」
「…………?」
「昨日まで着てたシャツですよ」
「…………?」
 翌日、ホテルの部屋へやってきた張に、テーブルにのせた垢の玉をさしてそう
いったが張はひきつれたように微笑するだけだった。彼はポケットから一服分の
茶の包みをとりだし、全香港で最高の茶をさがしてきました、東京で飲んで下さ
いといったが、そのあと黙りこんで、ぼんやりしていた。三助、爪切屋、按摩、
少年、お茶、睡眠、一つ一つをかぞえて私はこまかく説明して絶讃し、あれほど
までに人と体を知りぬいて徹底的に没頭できるのは手に爆弾を持たないアナキス
トとでもいうしかないという意見を述べたが、張は何をいっても発作のようにう
なずいたり、微笑するだけで、あとは暗澹とした眼になって壁を眺めて茫然とし
ていた。あまりそれがひどいので、私は話すのをやめ、スーツケースの荷作りに
とりかかった。澡堂の個室で私は完全に気化してしまい、形をとりもどして服を
着て戸外にでたときは、服、シャツ、パンツ、靴、ことごとく肉とのあいだにす
きまができて薄寒いほどで、街の音や匂いや風のたびによろめくかと感ずるほど
だった。しかし、一晩眠ったら、骨も筋肉ももとの位置にもどり、皮膚には薄い
けれど濁った皮膜ができて赤裸の不安を消している。垢の玉はすっかり乾燥して
縮んでしまい、ちょっと指がふれただけでも砕けてしまいそうなので、注意に注
意して何重にもティッシュ・ペーパーでくるんでポケットに入れた。
 空港へいって何もかも手続を終り、あとは別れの握手をするばかりというとき
になって突然、張がそれまでの沈黙をやぶって喋りはじめた。昨夜、新聞社の友
人に知らされた。北京で老舎が死んだという。紅衛兵の子供たちによってたかっ
て殴り殺されたのだという説がある。いや、それを嫌って自宅の二階の窓からと
びおりたのだという説もある。もう一つの説では川に投身自殺したのだともい
う。情況はまったくわからないが、少くとも老舎は不自然死を遂げたということ
だけは事実らしい。それだけは事実らしい。
「なぜです?」
「わからない」
「なぜ批判されたんです?」
「わからない」
「最近どんなものを書いてたんです?」
「読んでない。わからない」
「…………」
 ふるえそうになって張を見ると、いまにも落涙しそうになって、やせこけた肩
をつっぱっている。日頃の沈着、快活、ユーモア、すべてが消えてしまい、怒り
も呪いもなく、ただ不安と絶望で子供のようにすくんでいる。辛酸を耐えぬいて
きたはずの初老の男が、空港の人ごみのなかで、眼を赤くして、迷い子のように
たちすくんでうなだれている。
「時間です」
「…………」
「また来て下さい」
「…………」
「元気でネ」
 張はおずおず手をあげると、軽く私の手をつまんで休をひるがえし、うなだれ
たまま、のろのろと人ごみのなかに消えていった。
 機内に入って座席をさがしあて、シート・ベルトを腰に締めつけたとき、突
然、昔、北京の自宅に彼を訪問したときの記憶がよみがえった。やせこけてはい
るが頑強な体躯の老作家が、突然、たくさんの菊の鉢から体を起し、寡黙で炯々
(けいけい)とした眼でこちらをふりかえるのが見えた。その眼と、たくさんの
菊の花だけが鮮やかな遠くに見えた。なにげなくポケットから紙包みをとりだし
てひらいてみると、灰いろの玉はすっかり乾いて粉々に砕けてしまっていた。

()
Kaiko Takeshi
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on Oct 25, 2007
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