招待席

高山 樗牛

たかやま ちょぎゅう 評論家 1871.1.10 - 1902.12.24 山形県鶴岡に生まれる。 十九世紀末明治の文壇に「美的生活」論と美文の駆使により弱冠よく一世を風靡したといえる批評家。「作風」は樋口一葉の名作にささげた掲載の頌辞にも露わで、これを発表の明治二十九年(1896)、著者は森鴎外との論争華々しく、二十六歳にして第二高等学校教授の地位にいた。

一葉女史の「たけくらべ」を読みて

 本郷台を指ケ谷(サスガヤ)かけて下りける時、丸山新町と云へるを通りたることありしが、一葉女史がかゝる町の中に住まむとは、告ぐる人三(み)たりありて吾等辛(やうや)く首肯(うなづ)きぬ。やがて「濁り江」を読み、「十三夜」を読み、「わかれみち」を読みもてゆく中(うち)に、先の「丸山新町」を思ひ出して、一葉女史をたゞ人ならず驚きぬ。是の時「めざまし草」の鴎外と、なにがし等との間に、詩人と閲歴の争(あらそひ)ありしが、吾等は耳をば傾けざりき。

 一葉女史の非凡なることを、われ等「たけくらべ」を読みてますます確めぬ。丸山新町に住むことに於て非凡なることも、又小説家として其の手腕の非凡なることも。

 まことや「たけくらべ」の一篇は、たしかに女史が傑作中の一なるべき也。

 吾等の是の篇を推す所以(ゆゑん)の一は、其の女主人公の性格の洵(まこと)に美(うる)はしく描かれたるにあり。姉なる人は、憂き川竹の賎しき勤め、身売りの当時、めきゝに来(きた)りし楼の主(あるじ)が誘ひにまかせ、養女にては素(もと)より、親戚にては猶更なき身の、あはれ無垢なる少女の生活を穢土(ゑど)にくらし過ごすことの何とも心往かず、田舎より出でし初め、藤色絞りの半襟を袷(あはせ)にかけ着て歩るきしを、田舎もの田舎ものと笑はれしを口惜しがりて、三日三夜泣きつゞけし美登利(みどり)。男の弱き肩持ちて、十四五人の喧嘩相手を、此処は私が遊び処、お前がたに指でもさゝしはせぬ、と物の見事にはねつけし美登利。額にむさきもの投げつけられしくやしさに、親でさへ額に手はあげぬものを長吉づれが草履の泥を額に塗られては踏まれたも同じこと、と好きな学校まで不機嫌に休みし美登利。我は女、とても敵(かな)ひがたき弱味をば付け目にして、と祭の夜の卑怯の処置(しうち)を憤り、姉の全盛を笠に着て、表一町の意地敵(かたき)に楯つき、大黒屋の美登利、紙一枚のお世話にも預らぬものを、あのやうに乞食呼ばはりして貰ふ恩は無し、と我儘の本性、侮(あなど)られしが口惜しさに、石筆を折り、墨を捨て、書物も十露盤(そろばん)も要(い)らぬものに、中よき友と埒(らち)も無く遊びし美登利。お侠(きやん)の本性は瀧つ瀬の流(ながれ)に似て、心の底に停(とゞま)るもの無しと見えしはあだなれや。扨(さて)も是の道だけは思(おもひ)の外(ほか)の美登利。浮名を唄はるゝまでにも無き人の、さりとては無情(つれな)き仕打、会へば背き、言へば答へぬ意地悪るは、友達と思はずば口を利(き)くも要らぬ事と、少し癪にさはりて、摺れ違うても物言はぬ中(うち)はホンの表面(うはべ)のいさゝ川、底の流は人知れず湧き立つまでの胸の思(おもひ)を、忘るゝとには無きふた月、三月。秋の夜雨(よさめ)の檐下(のきした)にしほらしき人の後影見るとはなしに、何時(いつ)までも何時までも見送りし心の中は、やがて胸倉捉へてほざき散らさむずお侠(きやん)の本性もあはれや。今は紅入(あかいり)の友禅に赤き心を見する可憐の少女、是より後は中よき友とも遊ばず、衣(きぬ)ひきかづきて一と間に籠る古風の振舞、生れ変りたらむ様(やう)の美登利は、有りし意地を其まゝ封じこめて、こゝしばらくの怪しの態(てい)を誰(た)が何時(いつ)言告(いひつ)ぐるでも無く、格子門の外にかゝる水仙の作り花は、龍華寺(りゆうげぢ)の信如(しんによ)が、なにがしの学校に袖の色変へぬべき当日のしるしなり、とはあはれあはれ。たけくらべ、あへなく過ぎし昔の夢を思ひやるだに、いと床(ゆか)しや。

 一葉女史いかなる妙手あれば、是の間(かん)の情理をかくまでに穿(うが)たれしや。是の平淡の資材を駆りて、此の幽妙の人心を曲(つ)くせるは、たしかに女史が「十三夜」以上の作と云ふべし。正太も、三五郎も、信如も、各自の性格に於て洵(まこと)によく其一致を保てども、かへすがへすも面白きは美登利なり。吾等つらつら是の作を読みしとき、人情の自(おのづ)からなる美(うる)はしき、人生の本末(もとすゑ)の果敢(はか)なさ、くさぐさの思ひに堪へざりき。見よや女子の勢力、と言はぬばかりの春秋知らぬ五丁町の賑ひに、美登利の眼に女郎といふもの、さのみ賎しき勤めとも思はねば、姉の全盛を父母への孝養と羨ましく、お職を通す姉が身の憂いのつらひの数も知らねば、廓(くるわ)のことよろづ面白く聞きなさるゝ年はやうやう数への十四、習(ならひ)は性を移す世に、是の末如何(いかゞ)の運命に到るべき。玉の如く清き少女の初恋は、あはれや露の如く脆く消えて、恐ろしき浅ましき前途の、蛇(ぢや)の口を開いて待ち居るとも知らで、あへなき夢を忍ぶらむ美登利の身の哀れさよ。生れにはなど変りなき人の種。十三四の友どちは、げに無邪気なる天人の群れとも見るべくも、年経ち、心長(た)けては、濁り江の底なき水に交りて、本(もと)の雫の珠の影だにあらず。たけくらべ、あはれ床(ゆか)しく忍ばるゝ吾れ人の昔かな。一葉女史が是の篇は、やがて吾等が懺悔録として見べきに非(あら)ざるか。

 是れ吾等が「たけくらべ」を読みて感ずる所なり。敢て批評とは謂はじ。

 

──明治二十九年五月──

()
Takayama Chogyu
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on Aug 30, 2002

招待席 | 評論

総目次