招待席

小川 芋銭

おがわ うせん 画家 1868年〜1938年 茨城県出身。本名は、茂吉。芋銭という画号は、「徒然草」に登場する芋の好きな坊さんに因んで付けたとも、絵を 売って芋を買う銭を手に入れるという意味で付けたともいう。芋は、里芋のこと。東京・新富町の小間物屋に奉公後、小間物屋主人の親戚・尾崎行雄に推挙さ れ、朝野新聞社に客員入社。帰郷後、農業をしながら、地元紙に漫画や俳句を発表し、正岡子規に認められる。幸徳秋水の知遇を得て、「平民新聞」にも、漫画 や俳句を掲載した。国木田独歩、長塚節、田岡嶺雲らを知る。「牛久の画聖」、「沼畔の仙人」、「河童の芋銭」などと呼ばれたほど、現在の茨城県牛久市の牛 久沼の畔に長らく住み、好んで河童の絵を描いた。横山大観の推挙で、日本美術院同人となる。主な著作は、「草汁漫画」、「三愚集」、「河童百図」など。掲 載作は、平民新聞などに初出。1965年筑摩書房刊の「明治文学全集」のうち、「明治社会主義文学集(一)」に所収。

春の句など

▲枯川先生今日獄を出づると聞き

あら清し麦秋の天に練雲雀

時鳥ほととぎす四谷の空の月七日

注:枯川は堺利彦の号。堺は「萬朝報」で日露戦争反対の論陣を張っていたが、社主が開 戦論に転じたために「萬朝報」を離れ、幸徳秋水らと「平民新聞」を創刊した。芋銭は挿絵画家として「平民新聞」に参加した。(電子文藝館編輯室)

▲秋水先生の病を訪ふ

短夜やパツプは冷めて鶏の声

  老父の病を護りつゝ  芋銭生

注:パップは粘土を基材にした湿布薬。この当時は水か湯でこね、布の上にのばし、患部 にはりつけた。(電子文藝館編輯室)
(「週刊平民新聞」明治三十七年七月三日)

●春の句            芋銭人

△清 新

初空や水は流るゝ足のも と

△召波が風趣を感じて一茶が寝正月を喜ぶ

元日やおれも寝て見る窓の麦

今朝の春一茶は虱取るべいか

△子を残して軍に死する農夫の家にて

二つ子に箸取らす雑煮悲しさよ

△貴族とか云ふに教ふ

蓬来の山から米は生へ●(そうろう、難字、候のくずし字)

(「週刊平民新聞」明治三十八年一月八日)

俳句              芋銭子

貧農を憐れむ

一雨が税にも足らぬ陸米お かほかな

菊喰ふて酒か もしたるう らみかな

雀等よそれ豊年ぢや豊年ぢや

(「光」1-1、明治三十八年十一月二十日)
Ogawa Usen
日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室
This page was created on Nov 21, 2008
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