●日本ペンクラブ・追手門学院共催セミナー
「デジタル環境下における文学と図書館」報告
第1部
開会挨拶 鈴木多加史氏(学校法人追手門学院長・追手門学院大学長)
講演 吉岡忍氏(作家、日本ペンクラブ常務理事)
「文学にとって図書館とはなにか」
講演 中井万知子氏(国立国会図書館
関西館長)
「国立国会図書館の資料デジタル化はなにを変えるか―図書館・文学・書物」
第2部パネルディスカッション
「デジタル環境下における文学と図書館」
パネリスト:吉岡忍氏、中井万知子氏、
篠原健氏(追手門学院大学・経営学研究科長、総合情報教育センター長)、中西秀彦氏(中西印刷株式会社専務取締役、日本ペンクラブ言論表現委員、大谷大学
非常勤講師)
司会:湯浅俊彦(夙川学院短期大学准教授、日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長)
閉会挨拶 山田健太氏(日本ペ
ンクラブ言論表現委員会委員長)
2010年1月24日(日)、午後2時~5時、追手門学院大阪城スクエアにおいて開催されたセミナーは104名の参加者を集め、大盛況であった。会場となった大阪城スクエアの6階「大手前ホール」は青空の下、大阪城が一望でき、じつに気持ちのいい空間であった。
■ 開催趣旨
グーグルによる書籍全文検索サービス「ブック検索」著作権訴訟和解案について当初は米国でのことだと誰もが考えていたが、この和解案が米国外で出版された書籍にも適用されることが明らかになったために、日本の著作権者や出版社にとってはまさに「黒船来航」のような事件となった。
一方、国立国会図書館では所蔵資料をデジタル化するとともに、電子出版物を納本制度に組み入れる新しい枠組み作りを検討している。
本セミナーはこのようなデジタル化とネットワーク化を特徴とする大きな時代の変化の中で、文学と図書館の関係について改めて整理し、文学作品の自由な流通と長期的保存をめざす今後の道筋について文学者、図書館関係者、学校関係者はもとより、メディアに関心のある方や本が好きな多くの人々に呼びかけ、共に討論したいと考え、開催された。
■「文学にとって図書館とはなにか」(吉岡忍氏)
作家の吉岡氏は文学にとって図書館とは何かというテーマを、『古事記』との関係で語った。以下はその要旨(文責:湯浅)。
『古事記』は日本で一番古い歴史書であり、「ふることふみ」と呼ばれた。この世界がどう始まったのか、残酷でもあれば、ユーモラスでもあるエピソードによって綴られている。しかし、中巻下巻になるほど統治する権力者の正統性を強調する物語になっていく。ところがこの『古事記』、それから1000年くらいは見向きもされなかった。江戸期になって本居宣長が研究しようとしたとき、原本がない。結局彼は各地に散在した写本を訪ね歩くしかなかった。宣長は図書館というものの必要性を最初に感じた人だったにちがいない。写本には異同があるが、これは聖書も同様で、写筆した人の読解力や想像力によって変形していく。これはこれで、人間と想像力の関係を考える面白いテーマとなり得るかもしれない。
『古事記』の現代語訳は私の手許にも十数種類ある。鈴木三重吉、福永武彦、梅原猛など文学者が手がけたものも多いし、阿刀田高のエッセイによる解釈、桐野夏生の小説による解釈もある。想像力とは言葉を使って生きるということであり、文学は人間の外界と内界を言葉によって描くものだが、『古事記』はいまも文学者の想像力を刺激しつづけている。
共同体の始まりと全体性を描こうとする文学は、現実のディテールを蒐集するという意味では、図書館の原型であるとも言える。作家は共同体を意識しながら作品を作り上げるが、共同性を離れると読者との了解事項が失われ、物語世界が成立しない。しかし、作家は独自であればあるほど、無数に氾濫する現実から、すでに流通している物語とは別の世界を起ち上がらせようとする。その喚起力が、統治する者たちが作った物語世界と対立し、衝突する。文学が本質的に危険な存在となるのは、ここからである。
『古事記』の上巻と中下巻とのあいだに横たわる溝は、このことに関係する。上巻にあふれる数々のエピソードとその奔放さは、統治の正統性の強調へと傾斜していく中下巻と対立し、わきへわきへと外れていく。この矛盾、そりの合わなさが、『古事記』の面白いところだと私は思う。書物というものの原初に、奔放さと統治の意志の両方が存在していること、この両義性は、本のデジタル化を考えるときも見落としてはならない事実だと思う。
ゴヤや藤原定家や方丈記についてなど、歴史小説をたくさん書いた堀田善衛は、勝者の視点で書かれた「官製文章」と、敗者の視点に基づく「民間文書」という分け方で作品を論じたことがある。敗者はたんに敗れたのではなく、このように闘い、生きたのだと描くことによって、その生の意味を捉え直すことが作家の仕事だというエッセイだった。本の歴史には、統治する者たちの切実さと、それに抵抗し、あるいはそこから逃れようとした者たちの必死さの両方が詰まっている。本のデジタル化、グローバル化を技術的な問題に矮小化するのではなく、すでに『古事記』にもはらまれていたような両者の対峙関係を見据えながら考えなければならない。それは、想像力が豊かになるのか。想像力は死んでいくのか、という問題にもなる。むろん私は想像力が羽ばたく方向で何ができるのか、ということを考えたい。
私は主にノンフィクションを書いてきたが、本や資料を読み、関係者の話を聞き、現場を歩きながら、認識ということのなかにある「身体性」のリアリティーについて考えてきた。ものを知る、理解する、ときには難渋し、停滞する。そのこと自体に、スピード感や高揚感がある。そういう身体性をともなったとき、情報はたんなる情報ではなく、知や思考や認識になっていく。それを言葉にし、文章にしていくとき、言葉のひとつひとつ、一行一行の文章に身体性が宿っている、という実感がある。作品を書くとは、情報を書くことではなく、この身体性をともなった言葉の世界を作り出していくことだと思う。本のデジタル化をめぐる問題はたくさんあるが、ものを知り、想像力を働かせる全過程にどれだけ身体性が宿っているか、ということも考えていく必要があるのではないだろうか。
■「国立国会図書館資料のデジタル化はなにを変えるか―図書館・文学・書物」
(中井万知子氏)
つづいて、国立国会図書館関西館の中井万知子館長が国会図書館のデジタル化の動向をふまえながら図書館の役割について語った。以下はその要旨(文責:湯浅)。
図書館は書き手が作り出す文学の世界では、最後のところに位置している。デジタル環境下でそれぞれがどう変化するのか。そのことを考えてみたい。
出版における「文学」の割合を『出版指標年報2009』でみると、2008年の新刊点数が一般書全体で6万8千点、うち文学が1万4千点で21%。また発行部数でみると一般書全体が3億5千万部、うち文学が1億3千万部で37%を占めている。
一方、図書館蔵書における「文学」の割合は京都市図書館を例に挙げると中央図書館では成人書全体が22万4千冊、うち文学が5万7千冊で13%。区内図書館では成人書全体が5万6千冊、うち文学が2万4千冊で43%を占めている。やはり利用者は読み物を求めて図書館を利用し、図書館の発展に文学が寄与していることが分かる。
図書館の性格を表わすものとして、日本十進分類法(NDC)という分類体系がある。文学は9類で、言語と文学形式で細分する。それぞれの著作の主題は無視し、件名はつけない。オリジナリティを追求する文学に対し、システマティックな秩序を求めるのが図書館であり、生み出すというよりは蓄積し、組織立てる、つまりどこに何があるかを探し出せるようにすることに重きを置く。
そのような図書館もつねに変容してきた。近代的図書館の姿は、出版文化の発展とともに形成され、権力者の図書館から市民の図書館へ変わっていった。書物が読者に手渡し続けられる場であり、知識の社会的基盤として存在している。同じものが刊行される「出版物」を主な所蔵物とする図書館は、どこにでも作られやすい、無料で気軽に利用しやすい、目録や分類など標準化が進みやすい、という特徴をもつことになった。
コンピュータの発達により目録データベース化が進展し、総合目録や図書館間相互貸借などの仕組みが実際のものとなった。そして、インターネットの普及によって知識流通が変化し、紙からデジタルへ、電子情報の氾濫という状況の中で、図書館でも資料を探すための目録などの「二次情報」から資料そのものである「一次情報」がデジタル化され、提供されるように変わってきている。
図書館による所蔵資料のデジタル化という一次情報の発信は、「いつでもどこでも誰でも」利用できる「電子図書館」を実現するチャンスでもあるが、お金と制度など課題は多い。かえって電子的にしか公表されないボーンデジタル情報が図書館を素通りすると、知識基盤の位置づけが地盤沈下するとの危機感もある。特に納本制度を持つ国立図書館にとっては深刻な問題である。
一方、デジタルの世界で、情報を作り、発信していくことでは他の情報プロバイダーと一線に並ぶことになるが、そこでいかに図書館の性格を生かしていくかということが課題になってくる。
1990年代中頃から世界的な電子図書館の潮流があり、国立国会図書館では情報処理推進機構(IPA)とのパイロットプロジェクトを経て、1998年に資料のデジタル化とインターネット情報の収集保存をめざす「国立国会図書館電子図書館構想」を策定した。関西館設置をひかえ、電子図書館構築に着手したのである。そして2000年度補正予算で明治期刊行図書のデジタル化及び著作権調査経費約1億1000万円を予算化した。私は2000年4月から電子図書館推進室長としてこの仕事を担当した。
「近代デジタルライブラリー」は明治・大正期刊行図書の資料本文をデジタル画像で閲覧できるサービスである。2002年10月にインターネット公開、3万3千冊を収録し、2009年段階で15万6千冊を収録した。現在も大正期の著作権調査とデジタル化を継続中である。
「近代デジタルライブラリー」は、ある時代の図書を網羅的にデジタル化したということであり、Googleが図書館と提携し大規模デジタル化を開始するまでは世界の図書館でも先駆的な取り組みであった。「近代デジタルライブラリー」は画像(モノクロ)である、インターネットで無料公開、著作権法の枠内という3点が特徴と言える。
「近代デジタルライブラリー」の著作権処理フローは、①著作者の洗い出し、②著作者の没年調査、③著作権者の連絡先調査、④許諾処理、となるが、連絡先が不明な場合は⑤文化庁長官裁定を受けてデジタル化、という流れである。この文化庁長官裁定は2005年から2006年に公開調査、関係機関への照会等を経て、7万2500件の著作について申請し、裁定を受けて、収録している。利用期間を5年間としたため、現在2005年裁定分について再申請作業を実施中である。古い時代の出版物を扱い、著作権処理に相当の努力をはらうバランス型の電子図書館であり、2008年には700万画像が閲覧されている。しかし、著作者が外国人で没年が不明や著作者が11人以上と多い場合などデジタル化できない図書の問題や、時代が新しくなれば保護期間満了しているものが減少すること、文化庁長官裁定までに長い道のりがあること、マイクロからのデジタル化か、原資料からのデジタル化かといった問題は増大している。そして、Googleが進出し、絶版本をデジタル化、公開し、多くの図書館がインターネット上での「可視化」をGoogleとの協力によって求めることになった。
Googleや、Europeana(ヨーロッパ電子図書館)などの動向を背景に、2007年3月から文化審議会著作権分科会過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会により、利用の円滑化、アーカイブ事業の円滑化、保護期間のあり方、意思表示のシステムが検討され、2008年4月に中間総括が出され、「資料デジタル化及び利用に係る関係者協議会」が設置され、2009年3月に第一次合意が発表された。また、2007年4月に長尾館長が国立国会図書館長に就任され、大きな転換期を迎えることになる。
2009年に、著作権法の一部改正により国会図書館における資料のデジタル化に関する新規追加が施行され、また2009年度に127億円の所蔵資料デジタル化経費を予算化、さらにインターネット資料の収集に関して国立国会図書館法の一部改正が行われた。
また2009年から2010年にかけて、納本制度審議会への民間の電子出版物の収集制度化へ向けての諮問、「日本書籍検索制度提言協議会」の立ち上げ、経済産業省の調査事業として、ビジネスモデル実験の実施、総務省、文部科学省の取り組みなどが新たな動きとして挙げられる。
情報や出版流通のあり方が変われば図書館も当然変わる。デジタル環境では従来よりももっと緊密な関係があるはずである。いつもそこにあるために、古くて新しい基盤としての図書館の役割を模索していきたいと考えている。
■パネルディスカッション
出演者:吉岡忍氏、中井万知子氏、篠原健氏(追手門学院大学・経営学研究科長、総合情報教育センター長)、中西秀彦氏(中西印刷株式会社専務取締役、日本ペンクラブ言論表現委員、大谷大学非常勤講師)
司会:湯浅俊彦(夙川学院短期大学准教授、日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長)
講演の後に、吉岡さんが5年ほど前から行っているというPDFによる本の利用法を実演していただいた。吉岡さんは仕事で使う本などをスキャナーで表紙を取り込んで、カッターで本の背表紙を裁断して本文を両面スキャンし、外出用ノートパソコンに保存している。会場では吉岡さんのノートパソコンをプロジェクターにつないで、コミック本や単行本などを実際に見せていただいた。
このあと篠原健氏、中西秀彦氏を加え、私の司会でパネルディスカッションに移り、図書館におけるデジタル化された出版コンテンツの取り扱い、今日のデジタル化とネットワーク化が文学に与える影響、これからの図書館と文学の関係を展望する討議が行われた。
来年も関西の地で日本ペンクラブ・追手門学院共催セミナーを開催する予定である。この企画にご協力いただいたすべての方々にこの場を借りて心からお礼申し上げる次第である。
湯浅 俊彦(言論表現委員会副委員長)


