●国際ペン「ロンドン代替代表者会議」報告
2001年11月27日〜30日
ロンドン(イングランド)
小中陽太郎 日本ペンクラブ専務理事
2001年も押し詰まった11月27日から30日までロンドンで開かれた国際ペン会議は、ロンドン代替代表者会議という呼称でおわかりのように、本来マケドニアで9月に開かれるはずの国際ペン大会が政情不安のため中止となり、まったなしの議事の為に緊急に召集された。ところが9月11日のテロでここもまた決して安心とはいえない状況となった。
緊急な要件とは、今年で半数が改選される国際ペン執行委員会(理事会とこのとき改名)補充選挙と国際ペン事務局長の再選問題、テロやパレスチナ問題への態度決定である。
執行委員選挙は定員7人のうち下位3人の改選に対し11人が立候補、日本ペンからは新顔の堀武昭氏(チェコ、カレル大学客員教授)を立てて臨んだが、前回涙をのんだアメリカ西海岸ペンセンターが、この2年間アフリカ諸国のペンセンターの支持を取り付け45票、ついで英連邦のお膝元とあってオーストラリアペン25、ロシアペン20、日本ペンはマケドニアペンと一票差の16、アジア勢の出席ゼロの不利な状況の中で孤軍奮闘したとはいうものの力足りず、残念である。ただしアメリカは不在者投票をフルに生かし、オーストラリアもニュージーランドの代理投票を持ってきていた。さりとてアジアは日本が中国ペンや韓国ペンの白紙委任をもらうことも感心しないし、正攻法しかない。もっともフランスペンなどは二人も出して落選、さすがにブロック前国際ペン事務局長は、テリー・カールボムの再任とあいまっておかんむりだった。2002年は、ふたたびマケドニアで予定されている国際ペン大会で残り上位4人の執行委員改選の予定だが、アジア勢はすくなく楽観できない。独立中国筆会(Independent Chinese Writers Centre)という名称のセンターが国際ペンへの加盟を申し出たので、わたしは独立の意味を質問した。
ところで、選挙後、何人かの役員から、「アメリカについで国際ペン分担金を負担している日本には何らかの形で力を貸してほしい」との申し出もあり、慎重に検討中である。
決議では最終日に出された二つの緊急動議について報告したい。イギリス、アメリカ、カナダ、デンマークの各政府に向けたもので、これらの政府が、テロ撲滅に名を借りて、言論・報道の自由に制限を加えたり、基本的人権を制限する規制を強めていることは、世界人権宣言19条に定めた作家、ジャーナリストの権利侵害である、とう緊急決議である。わたしも、ここぞと手を挙げて、日本政府もまた、太平洋戦争開戦からちょうど60年後のいま、インド洋に自衛艦を派遣したこと、日本ペンクラブは、国際紛争を武力を持って解決しないことを誓った「ペン憲章」を持っていることを報告、我々の声明の一部を紹介し、この抗議の対象国に日本を加えることを修正動議し可決された。このとき12月18日開催予定の日本ペンクラブ講演会『いま「戦争と平和」を考える』も予告できた。自国の政府を批判する決議に参加することの光栄と悲惨を思った。
もう一つの問題決議は、2001年5月、スロベニア、ブレド市で開かれた国際ペン平和会議で可決されたもので、イスラエルが占領地区でパレスチナの子供の教育の権利や表現の自由を奪っていることを非難するものであった。イスラエル代表が、「イスラエルの子供の誰一人として祖父母を知らない。全てホロコーストで殺された」と訴えたが、多くの代表は、だからといって今イスラエルがパレスチナを弾圧していいことにはならないと反論した。テリー・カールボム国際ペン事務局長は、翌年の平和会議に差し戻そうとしたが、国際ペン平和委員長でもあるスロバニアのタウフェル委員長は承服せず、翌日に持ち越し、そこでも翌年の平和会議に差し戻すか否かが問われ否決、直ちに表決が行われ50対2票で可決した。イスラエルペン代表は、わたしのとなりで男泣きに泣いて、退場した。これまで国際ペンはイスラエルのホロコーストに同情的だったが、今のシャロン・イスラエル首相の強硬政策によって、心は離れている。国際ペン大会の世界がぐらりと大きく変わった一瞬を見たと思った。
2002年度の国際ペン大会はマケドニアが復活(9月)、2003年はメキシコ、2004年ノルウエーと続く。
国際ペン大会は通常、文学会議も併行開催し、レセプションが続く。今回はそれらは割愛かと思ったが、イギリスペンが、ブリティッシュ・ライブラリーでエドムンド・ホワイトらによる自著朗読を、またランカスターハウスでの外務省の招宴があり、緊張の連続の合間に、文学者の世界ならではの至福だった。ランカスターハウスへと、ホメロ・アリディス国際ペン会長夫妻と夜露のおりた落ち葉を踏んで歩くと、庭園に一本銀杏の木。あれは日本原産の「ginkgo-nut だろう」とアリディス会長。日本未見という会長に銀杏並木を見せたいと思った。
文学会議場はマルクスが学んだ大英博物館の近く、新装なった図書館ドームにたたずむと、史観はかわれど、文明は続くと実感した。
最終日、空港への地下鉄に急ぐと、入り口で"ビートルズのジョージ・ハリソン死す"の新聞広告がロンドンの風に揺れていた。


