●日本ペンクラブ・シンポジウム「死刑――作家の視点、言論の責任」
2009年3月5日(木)午後6時30分~9時
日本プレスセンターホール
3月5日(木)夜、日本ペンクラブのシンポジウム「死刑----作家の視点、言論の責任」が、日本プレスセンターホールで開催された。主催は日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会、言論表現委員会で、第27回WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日の記念イベントを兼ねたもの。参加者は約200人だった。
シンポジウムは、浅田次郎日本ペンクラブ専務理事の挨拶から始まった。続いて「獄中作家の日」について今野敏日本ペンクラブ・獄中作家・人権委員会委員長から説明がなされた。
全体は2部構成で、第1部は瀬戸内寂聴さんの講演だった。
瀬戸内さんは作家活動を始めて間もなく、大逆事件で幸徳秋水とともに処刑された菅野須賀子について作品を書いた。
25人が処刑された中で唯一の女性だった菅野須賀子が獄中で書いた日記をも材料にして書いたという。その作品を書く過程で彼女の夫だった荒畑寒村にも直接話を聞いたが、処刑された菅野須賀子の遺体が棺桶に入れられたのを見ろと言われたが、どうしても見ることができなかった、と言っていた。後に永山則夫死刑囚ともつきあいをしたが、「そうやって死刑に処せられた人たちの心情を思うと、自分がのんきに暮らしていることが空恐ろしい気もします」という。
そうした経験を踏まえて、瀬戸内さんは死刑に対する思いを次のように語った。
「ものを書く人間は想像力が第一です。自分が死刑にならないでも、死刑になる人の心情、あるいは死刑になる瞬間の心情を想像することはできます。そして、彼らの苦悩、あるいは悔しさ、無念さ、それから恐怖。そういうものを私たちは想像することはできます。
私は宗教者としての立場から、あるいは文学者としての良心からも、死刑に反対して残るわずかな人生を生きていきたいと覚悟しています」
「私は京都の寂庵という所で毎月法話をしております。その時に死刑の話などをいたしますと、必ず手が挙がって、『その死刑囚に殺された人の立場、被害者の立場に立ってものを考えろ』と叱られます。その意見も真っ当なことで、『もしもお前の身内が殺されたら、それでも死刑反対と言えるか』という質問もよく受けます。それは非常に鋭い問いでございますが、私は『それでも死刑に反対するだろう』と答えてまいりました。
私は幸いにして仏教者でございますから、出家者の立場として声を大にして死刑反対が言えるのです。どういうご縁か仏縁があって出家してしまいましたので、私は体を張って死刑反対を唱えていこうと思っております。」
自分の思いをそんなふうに語った後、瀬戸内さんは、法話の時にそうであろうように、会場から質問を受け、対話するという形で話を進めた。フロアからは次々と手があがり、率直なやりとりが交わされた。
「あらゆる死刑に反対ということなら、例えば戦争犯罪を犯した戦犯の処刑についてはどう考えるのでしょうか」という質問も出た。瀬戸内さんは、「うーん、それは難しい問題ですね」と言った後、「誰か会場にいる方で答えられる人いますか?」と呼びかけた。残念ながらそれに応える人はいなかったのだが、そんなふうに率直に聴衆に語りかける瀬戸内さんの話の進め方に、会場は和やかな空気に包まれた。
質疑応答を含めて1時間ほどで瀬戸内さんの講演は終わり、10分間の休憩をはさんで第2部に移った。
第2部はパネルディスカッションで、パネラーは作家の森達也さん、篠田博之・月刊『創』編集長(日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長)、文芸評論家の川村湊さん(日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会委員)の3人。司会は山田健太・日本ペンクラブ言論表現委員会委員長だった。
最初に山田さんが、資料をもとに、世界各国での死刑をめぐる動向や、日本における死刑確定者数の変化などについて説明した。世界的に死刑廃止の動きが広がっている中で、日本はそれに逆行するように、先進国では例外的に死刑判決も執行も急増している。そういう実情を統計をもとに解説した。
次にパネラーの発言に移り、最初に森達也さんが話した。森さんは昨年、『死刑』という著書を上梓し、死刑問題について様々な場で発言を続けている。自分が死刑問題に関わることになったきっかけをこう語った。
「岡崎一明さん、今は宮前一明さんという死刑囚がいます。あの坂本弁護士一家殺害事件実行犯の一人です。彼の死刑が確定する前に、僕は何度も面会しました。自分の死刑を覚悟して、アクリル板越しににこにこと笑いながら話す彼を見ながら、この人が数年後に殺されるのだと考えて、とても居心地が悪くなったんです。不思議な感じがしました。そこで気づきました。死刑という制度を自分は知っていたつもりだったけれど、実は何も実感できていなかったのだということを」
死刑についての取材は始めてみると予想以上に大変で、本にするまでに3年かかってしまった、という話をしたうえで、森さんは、日本で死刑に関する世論調査をすると81.5%が死刑存置を支持するというこの特殊性が何によってもたらされているのかについて語った。
「いろんな要因がもちろんあります。でもここで指摘したいのは、ひとつはメディアの報道ですね。死刑判決は90年から95年と、2000年から2005年、この5年間の数を比較すると3倍になっています。この間にあるのはオウム事件です。
映画を作る過程でオウムの信者たちと接してわかったのですが、彼らは普通の人たち、善良で純粋な人たちです。純粋で優しい彼らがなぜ大量に人を殺したか、それを考えることが重要なのに、マスメディアのオウムをめぐるレトリックは、凶暴・凶悪な殺人集団か、麻原に洗脳されたロボットのような不気味な集団という、ふたつの視点に終始しました。要するに、彼らは自分たちとは違う存在だということですね。
視聴者や読者がそれを求めたからです。あんな凶悪な事件を犯したオウムが自分たちと同じだと信じたくないし、同じだとしたら善悪の基準がわからなくなってしまう。だからオウムは凶暴な集団とされ、マスメディアも社会のこの願望に従属して、いかにオウムが邪悪で不気味で意味不明であるかを報道し続けた。その帰結として危機管理意識が高揚し、善悪二元化が加速し、悪を成敗せよとの意識が強くなる。要するに厳罰化です。この究極が死刑判決と執行の急激な増加に結びついている。
もうひとつの理由は、死刑という制度と現実が、この社会から不可視の領域に置かれてしまっているという現実です。概念なんです。だから被害者感情に安易に依拠して、深い悲しみや苦しみを共有しないままに、表層的な応報感情だけが強くなる。
死刑については僕も常に揺れています。でも揺れながらも、人が人を殺しちゃいけないという、瀬戸内さんもおっしゃっていた単純な原理に立ち返るべきだ。そう思うのです。」
続いて発言したのは篠田編集長。連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚と12年間接触するなどした体験を、昨年『ドキュメント死刑囚』という著書に書いた。
「昨年6月17日の宮崎勤の処刑には衝撃を受けました。なぜ衝撃を受けたか考えてみると、処刑を告げられたその朝、彼が自分がなぜ死ぬのか、その意味を理解したかどうか疑問だからです。同じ本で紹介した宅間守の場合は、死を覚悟して事件を起こしたわけで、処刑の1カ月ほど前に彼は獄中結婚した女性に、自分の遺体を人間としての体のまま拘置所から出してほしいと頼んでいます。自分が死ぬことの意味を理解するというのは最低限保障されるべき人間としての誇りだと思うのですが、宮崎死刑囚は果たしてそれができたのか。大きな疑問を感じるのです。」
死刑制度の是非を論じるといったこととは別に、生身の死刑囚とつきあうことで、彼らが罪を償うとはどういうことなのか考えざるをえない。死刑囚がどういう生活をし、どんなふうに自分の死と向き合っているのか、本当はそれを理解したうえで死刑論議をすべきなのに、死刑囚についての情報はほとんど遮断され知らされていない。篠田編集長は、確定死刑囚の外部交通権が保障されていない現状を説明し、自分が宮崎死刑囚と接見するのをどんなに阻害されたか具体的に説明した。
裁判員制度の導入で一般の市民が死刑判決をくだすことになるのに、死刑囚の情報が全く隠蔽されたままなのはおかしい、と疑問を呈した。
そしてもうひとつ、奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚とのつきあいから感じたこういう疑問も語った。
「小林死刑囚はもともと社会から疎外され、死にたいと考えていた人物で、彼にとって死刑は抑止にならなかったばかりか逆に背中を押す要因となりました。それは、社会に復讐して死んでやろうと児童の無差別殺害を行った宅間守死刑囚の場合も同様だし、昨年の秋葉原事件もそうです。かつては理解できなかったこういう凶悪犯罪に我々はどう対処すべきなのか。彼らを処刑することが果たして裁いたことになるのかどうか。罪を償うとか、犯罪者を社会が裁くというのはどういうことなのか。我々はそういう根源的なことを考えるべき時期に来ているのではないでしょうか」
三番目に発言した文芸評論家の川村湊さんは、大道寺基金による死刑囚の表現展の審査員を務めている。最初に昨年の応募作品の幾つかを映像で公開してから、川村さんはそれについて説明した。
「ビル爆破事件で死刑が確定している大道寺将司さんのお母さんが死刑廃止運動をなさっていて、亡くなった時にその遺産で大道寺基金というのを作りました。死刑囚の方から文字作品や絵画作品を募集して選考し、それに賞をあげるというものです。応募資格は死刑囚にのみ限定するという厳しいもので、受賞作品の幾つかは本にもなっています。
私は文芸評論家と名乗って小説などたくさん読んでいるつもりですが、死刑囚の作品はそういうプロの方とは違った意味で迫力があり、胸に迫るものもあります。毎年たくさんの方が応募しており、日本には死刑囚がこんなにたくさんいるのかと、応募の多さを見て感じます。中には応募の後に執行されてしまった方もいて、その場合には作品だけが残されるわけですが、文字通り死刑囚が全身で表現した作品で、我々はそういう表現にも目を向けるべきではないかと思います」
さらに死刑囚の表現についてこうも語った。
「私は永山則夫さんの『無知の涙』を読んだのがきっかけで、死刑囚というのはどんな人達なんだろう、死刑という制度はどうなっているのだろうかと興味を持ってきました。私は幸い犯罪を起こさず今日までやってきましたけれども、じゃあ彼と私がどう違うんだ、あるいは私が永山則夫さんのようになっていても不思議ではない。結局、普通の人が死刑囚になりうるんですよね。ですからいつ自分がそういうふうになるかもしれない。死刑囚の手記的なものを読んでいると、犯罪に至る、殺人に至るプロセスがよくわかります。
死刑囚の表現というのは、私は貴重なものだと思っています。死刑囚になった体験をぜひ表現してほしい。死刑囚が罪を償うなんてことはできないと森さんはおっしゃったけれど、償う方法は私は一つだけあると思います。それは自分の体験を表現することだと思うのです。死刑廃止とか存置とかそういうことの前に、まず死刑囚の方に体験を表現して頂きたい。そして法務省とか刑務所の人達に言いたいんですが、もっと死刑囚に表現の自由を認めてあげてほしい。
場合によっては被害者遺族たちを逆なでするようなことを言う人もいるし、またそういうものが書かれるかもしれません。しかしそれをまさに直視するというか、それすら非常に大事なものなんだと私は思っています」
その後は会場から集めた質問用紙をもとに、もし死刑を廃止した場合、それに代わる措置としてどういうことがあり得るのか、といった質問に3人がそれぞれ答えるといった形で発言が行われた。
まとめ=言論表現委員会副委員長・篠田博之


