●第68回国際ペン大会報告
2002年9月17日〜24日
オフリド(マケドニア)
オフリド国際ペン大会に出席して
日本ペンクラブ代表 堀 武昭
第68回国際ペン大会(Congress)は2002年9月17日から24日にかけ、岩山と高原の湖で囲まれたリゾート地、オフリドで開催された。といっても会場は町から更に7キロほど山に入ったアルバニア国境に近い湖畔のホテルで、まさに文明から隔離された地での開催となった。一番近い隣接ホテルでさえ一キロは離れており、周囲には店一軒見あたらない。そこに世界から65のセンター代表(登録時)とマケドニア・センターのほぼ全会員100人、合計で 250人を超える人が参集したのだからホテルはまさに国際ペン一色となった。タクシーすらいちいち町から呼ばねばならず、軽い気持ちで外へ出かけることもできない。まさに四六時中ホテルで、ペン会員と顔を合わせねばならない缶詰状態となった。 食事も朝晩すべてホテル内で済ますのだから、すぐに全員の行動や好き嫌いが見えてくる。今回は執行理事に立候補しており、事前運動をするには絶好の機会となったが、そんなことでもなければ、すっかり気が滅入ってしまったに違いない。
本来、2001年に開催される予定であったが、コソボ地域におけるアルバニア独立解放軍の動きが不穏なため急遽、今年に延期されたものである。今まで開催された数多くの国際ペン大会会場の中でも最も辺境で開催された一つであるといっても過言ではなかろう。日本からのアプローチも至難で、私の場合、乗り継ぎ時間を含めると片道30時間を超える長旅となった。これだとアルゼンチンやブラジルにも楽に到達できよう。
本論の前の余談が長くなってしまったが、今回の会議はこうした環境もあって極めて有意義、かつ活発な議論が交わされたことは特筆に値する。国際ペンの、今後の発展のためにも慶賀すべきことであろう。ただ、会期中の緊急決議案が次から次へと間断なく提出される傾向がいまや恒例化してしまった感があり、今後考えなおす必要があると思われる。
思い余って、私は最も活発な獄中作家委員会ならびに言論・平和委員会で発言を求めた。「鳩首し決議案を作成、可決させるのは一種のドラマであり、大変な作業を強いられることも十分理解できる。しかし、真の問題は可決した後にある。どこに提出し、それがどんなインパクトを与えたのか。その後のフォローアップは誰がしているのか。私が記憶する限り、そうした評価報告がなされたという記憶がない」と。会員は嫌味と受け取ったようで、会議後早速「その幹事役をお前がやれ」と押しつけられそうになったのはヤブヘビ以外のなにものでもあるまい。
国際政治情勢が大会に大きな影を落とすのも昨今の傾向で、ややもすればパレスチナ・イスラエル紛争に収束してしまうのは避けられない。しかし9.11テロ以来、欧米の間でアメリカに対する意見の食い違いが顕在化してきた。とりわけ、アメリカのイラクに対する一方的宣戦布告に近い態度に対しては、ドイツが強硬に反対したのが注目される。ブッシュ大統領を名指しで非難する決議案がドイツから出されたが、当初執行部は、政治的過ぎるという理由で有無も言わせずに審議を却下、それに怒ったドイツと執行部がマイクの取り合いを演じたのは醜態だった。議長の制止も無視して発言を続けるドイツに対し、やがてフランスが同調。それを契機に、会場はドイツの動議を支援する声が次第に大きくなり、執行部の意向を無視して強行可決される始末であった。一枚岩といわれた西欧の結束に大きな亀裂が入ったという意味でも時代の変化を感じさせた。
以下、特に日本ペンに関係が強い案件について概況を報告する。
(1)最大のニュースは国際ペンの会費値上げ案が唐突に近いかたちで本会に出され、あまり議論をすることもなくあっという間に可決されてしまったことであろう。世銀やIMFに見習い、国をGNPで四つに分類し、トップグループは16ドル、最貧国は5ドルに決めたいというのであった。類推するに執行部内でかなり念入りな作戦が練られた可能性がある。日本としてはそう簡単に飲める案ではないため、敢えて発言を求めた。本来、個人として発言、行動することに最重点を置く国際ペンが、いざ財政面になると国家基準での負担を口にするのは言動不一致も甚だしい、それは国際ペンの理念にも反するのではないか。もしもこの主張が通るなら日本としては1センター1票という制度そのものの見直しを求めたい、と強硬に主張した。が多勢に無勢、有無を言わさず強硬突破されてしまった。採決では日本のみが反対、あとはすべて賛成という何とも奇々怪怪の表決であった。会議が終わった途端、あんな発言をして理事選挙に響きますよ、と脅かされたが国際会議の赤裸々の実態をかいま見た瞬間であった。こうした動きが進むなら日本は会員を国内会員と海外会員とに分ける必要も出てくる気がする。
(2)過去、ロシア・センターは日本に対してややもすれば批判的な態度を取り続けてきた。しかし、今回のグレコリー・パスコ再逮捕事件ではこちらが完全に脱帽、日本としても完全支持を打ち出さざるを得なくなった。ウラジオストク港に係留されてきた原子力潜水艦が、老朽化のため相次いで解体されていることは、周知の事実である。しかし、その原子炉や各汚染産業廃棄物が、むやみに日本海に投棄されている詳細な情報を、ジャーナリストのパスコが日本の通信社に流した国家機密漏洩事件である。ロシア・ペンが中心になって彼の保釈を政府に求めているので、日本も独自に情報収集に努める必要がありそうだ。
(3)日本獄中作家委員会では、ウイグル出身のトフティ東大大学院留学生が一時帰国した際に、中国政府によってスパイ罪容疑で逮捕された事件は我々の記憶にも新しい。日本獄中作家委員会が、かねてからその釈放を強く中国政府に訴えてきたからだ。その功もあってか、中国政府に抗議、彼の釈放を求める決議案が2件立て続けに提出され可決された。
(4)読売新聞の好意でオメロ・アリディス会長の訪日が実現したが、そのお陰で彼の日本理解も大分進んだように見うけられた。冒頭の会長検拶で日本を引き合いに出し、発言の機会をわざわざ作ってくれるほどの気配りであった。とりわけ、日本の環境委員会には強い印象を待ったようで、できれば次回のメキシコ大会で国際ペンにも同様に委員会を設置、かつそのセンター機能を目本にお願いしたいというほどの熱の入れ方であった。この件に関して日本ペンの三役とも話が進められているが、まずは、関心のあるセンターに呼びかけ、ブレーン・ストーミングを行うこととなった。日本はインターネット・センター機能を担当することとなった。
(5)獄中作家委員会、言論・平和委員会のセッションにはすべて出席したが、その時間の合間を縫って女性委員会にも顔を出した。残念ながら80年代に見た熱気は既にうせており、会員自体の集まりもままならないほどであった。開会時間を1時間ほど延長し、ホテル内を走りまわって会員を集めたもののせいぜい 15名程度しか集まらなかった。10年にわたって出版し続けてきた女性機関誌『ネットワーク』は全く売れず、財政的にも火の車の状態が続いている。この閉塞状況を抜ける道があるのだろうか。
最後にアリディス会長夫妻から日本ペン会員に伝言を託されたのでお伝えしておく。「日本ペンがかくも大規模で、かつ積極的に活動していることを知ってびっくりした。これから世界の各センターにもその活動を詳しく伝えて行きたい。まずは『隗より始めよ』でメキシコセンターから始めたい。来年は国際ペン大会が開催されることもあり、日本のペン会員が大挙して訪墨してくださることを期待している。私としては一100人くらいを期待している」。
何とも威勢の良いお話であった。
国際ペン執行理事に日本代表が当選
2002年9月22日、マケドニアのオフリドで開催された第68回国際ペン大会において、日本ペン代表が執行理事の選挙で当選したのでその経緯を報告しておく。
国際ペンは1921年、イギリスの女流作家C・A・D・スコットの提案によって設立された文筆家の国際組織である。その憲章に象徴されるように諸国民間の相互理解を深めると共にそれぞれの国、社会において言論・報道の自由を守ることがその最大の目的であった。J・ゴールズワージが初代国際ペン会長に就任してから現在は20代目にあたる。詩人として名高いメキシコのオメロ・アリディスが第2期目の会長を務めている。
現在130を越えるセンターが参加している。その最高決定機関は毎年各センターが持ちまわりで開く国際ペン大会である。 第二次世界大戦前は全体主義、独裁政権に対する抵抗活動を精力的に続けてきた。その象徴的事件がスペインの市民戦争であった。大戦終了後、世界はアメリカに代表される西欧資本主義国家とソ連に代表される社会主義国家とに分断され、いわゆる東西冷戦構造が定着する。
しかし、国際ペンは皮肉なことに、イデオロギーと覇権がぶつかり合う世界の中にあって、その存在意義を存分に発揮する機会に恵まれることになる。西欧の体制の中に身を置きながら穏健な左翼思想にスタンスを置くことでインミューンの立場を決定的なものにする。西欧に対してはオピニオン・リーダーとしての役割を、また、共産主義国家に対しては「表現の自由」と「基本的人権」を前面に打ち出し、その社会的影響力を強化していく。海外にあってはサルトル、ボーヴォワールに代表される実存主義、日本国内にあってはべ平連活動などが国際ペンと密接に連携した時代でもある。
しかし、1989年のソ連崩壊、それに続く東欧衛星国家の崩壊によって国際ペンは大きな変貌を余儀なくされる。西欧とソ連社会主義国家の二極化崩壊の中でイデオロギー優先主義が次第に色褪せ、同時に中近東、アジア、南米、あるいはアフリカといった第三世界の発言権が大きくなり始めたからだ。国際ペンもまた、第三世界に対して本格的に取り組む必要に迫られる。ややもすれば独裁・軍事国家に走りがちな第三世界における言論弾圧、人権無視、大量な難民流出、あるいは激化する部族間紛争に対する平和運動などに関し、明確な態度を表明すべく、新たな取り組みが大きな課題となった。
その動きに対する一つの回答が組織再編成であり、常設機関としての理事会をロンドン本部に設置することであった。1997年のエジンバラの国際ぺン大会で、設立のための暫定組織としての執行委員会議が設立された所以である。以来、試行錯誤を繰り返してきたが、昨年のロンドン代表者会議でようやく正式に発足することが承認されることとなった。それは、冷戦構造の崩壊と共に始まった世界の多様化、グローバリゼイションの進展に適応しようとする国際ペンの新たな動きであった。
更にこの動きに拍車をかけたのが2001年9月11日にニューヨークで起きた連続テロ事件であった。以来、世界はややもすると西欧キリスト文明対異端文明の対立という単純な図式に概念化され、アメリカの正義、テロに対する聖戦至上主義が支配的となった。アメリカの政策を批判する言論は直ちに「テロに加担する敵」として見なされ、西欧諸国においてさえ、いまや言論の自由を制限する立法措置が取られる始末である。まさに国際ペンの存亡に関わる非常事態が出現したのである。こうして国際ペンは理念・目的の面でも新しいパラダイムを打ち出す必要性に迫られている。
執行理事会は会長、事務局長ほか、公選により選出された7人の理事から構成され、事業の継続性を考慮し、4人の理事の任期が3年、残りの3人は2年という順送り体制が採用されている。日本は現在会員約2000人を抱え、単一センターとして世界最大の組織であることもあり、昨年は、独自の理事候補を推挙、選挙に臨んだが、事前の情報不足、また、国際ペンという組織の事情にも疎く、残念ながら獲得投票数16で第5位に甘んじる結果となった。
今年はその轍を踏まないよう、早くから各センターヘの根回しを徹底、また日本が国際ペンを通じて貢献できる分野を徹底して分析、積極的な広報活動を行ったこともあり、10人の立候補を相手にトップ当選を果たすことができた。獲得票数は36票で、2位の31、3位の30、4位の29票から見て如何に健闘したか、また各センタ−が日本代表に大きな期待を抱いたかがわかろう。
今後、国際ペンとの連携が一層強化されることにかんがみ、日本ペンはアジア太平洋における各ペンセンターとの地域交流を促進し、同地域における声を国際ペンに反映させると共に、獄中作家、平和委員会の活動を通じて、国際社会における、より一層の発言力強化に務めることになろう。最後に梅原会長をはじめ理事、会員各位のご支援を得たことを、この場を通じてあらためてお礼申し上げたい。


