活動記録・レポート

第3回 国際ペン獄中作家会議(カトマンズ)報告

2000年3月31日〜4月3日
カトマンズ(ネパール)

獄中作家委員会・副委員長 芝生瑞和

 第3回国際ペン獄中作家国際会議は3月31日から4月3日まで、ネパールのカトマンズで行われ、23の各国(地域)ペンセンター、ロンドンの国際ペン事務局スタッフ、前国際ペン獄中作家委員長、ゲストなど約40人が参加した。国際ペン事務局長のテリー・カールボムも参加した。
 日本からは芝生瑞和獄中作家副委員長(代表)、今野敏委員(代表・森副委員長が都合でいけなくなったので、その代行)、宇野淑子委員(オブザーバー)の3名が参加した。
会場となったセントラル・ゴダヴァリ・リゾート施設はカトマンズから15Kmほど離れた山あいにあり、カトマンズの喧騒、公害から離れて、素晴らしい風景のなかで、集中した討議がおこなわれた。
初日の夜には、施設の特別ダイニングルームでレセプションがあり、3日めの夜はカトマンズ市内での"文化の夕べ"(ネパール音楽の演奏、詩の朗読、文学賞受賞式、ネパール映画「カラバン」の鑑賞)に出席した。最終日には、公開パネルディスカッション「平和の文化:検閲とライター」がおこなわれた後、ネパール・ペン会員、会議参加者、駐ネパール外交官らを招いての野外バーベキュー・レセプションが行われた。決して豊かでないホスト役のネパール・ペンによる最大のもてなしだったと言ってよいだろう。

今回の会議の最も重要な議題は国際ペン獄中作家委員長のモリス・ファルヒ(イングリッシュ・ペン)の辞任にともなう、次期委員長の選出である。結局、立候補したのはスウェーデン・ペンのユージン・ショールジンだけで、投票の結果、同氏が次期委員長に選出された。ユージン・ショールジンは5月に行われる国際ペンモスクワ大会で正式に認められて、次期委員長に就任する(任期は3 年)。日本ペン獄中作家委員会も同氏に一票を投じたので、これからの同氏の活躍に期待し、協力していきたい。
1 アジアで開催されたことについて:

第一回の獄中作家国際会議がコペンハーゲンで、二回目がロンドン近郊のチチェスターで行われたのに対し、今回の会議が初めてヨーロッパ以外のアジアでおこなわれたことも画期的なことだった。

現在世界のペンセンターのうち、51のペンセンターに、獄中作家委員会があるが、このうち、アジアでは日本とネパールである。このため私たちはアジアのペンセンターが獄中作家委員会を設置するように、さまざまな働きかけをおこなってきた。その目標の一つが、このネパールの会議までに何らかの成果をあげることだった。残念ながら、その目的を達することは出来なかったが、いくつかのアジアのセンターでは、かなり積極的な動きも見られた。

問題点:今回の会議で驚かされたのは、私たちには全く知らされずにインドネシアからオブザーバーとして、ラトナ・サルンパアエット女史が招かれていたことだ。私たちはインドネシアには二回ミッションを送り、インドネシア・ペンに獄中作家委員会を設置することを働きかけてきた。ところが彼女の発言から解ったことは、インドネシア・ペンの体質が " 保守的 " で、" 何もしない "ということから、ラトナは、ペンのメンバーになって欲しいという要請があったが、それを受け入れていないということだ。

これについて、1)そのような人物をペンの国際会議に、たとえオブザーバーとしても招くのは問題ではないか。2)インドネシア・ペンは彼女への招待を承知しているのか。3)インドネシア・ペンの内実に詳しい、我々にどうして相談がなかったのか、などを会議で現委員長と国際ペン事務局スタッフに質問した。(本人のラトナ・サルンパアエット女史もこのセッションに出席していた。)これについて、委員長と事務局スタッフは、1)彼女は国際会議ではなく、パネル・ディスカッションに招待された。2)彼女を招くのは直前になって決定されたので、日本の獄中作家委員会に連絡する時間がなかった。インドネシア・ペンにも連絡していないというものだった。
後に判ったところではアメリカ・ペン(N.Y.)が、彼女を推薦し、コンタクトをとって招かれたといういきさつがあった。彼女とミーティングを持ち、1)インドネシア・ペン内に獄中作家委員会をつくることを私たちが働きかけてきたこと、2)レンドラ現会長と彼女のあいだの確執はさておき、彼女がインドネシア・ペンに参加し、獄中作家委員会をつくる中心人物になることは不可能か、などについて話し合った。そして翌日、アメリカ・ペンの代表、次期委員長、ラトナ・サルンパアエット、芝生日本ペン獄中作家副委員長の四名でミーティングをもつことをラトナは同意した。そのミーティングで次のようなことが大まかに合意された。

1)ラトナ・サルンパアエットはインドネシア帰国後、レンドラ現会長と会い、インドネシアペンに参加して、獄中作家委員会をつくる中心人物として努力する。
2)10月5日以後に、次期獄中作家委員長のユージン・ショールジン、アメリカ・ペンの代表、日本の獄中作家委員会の代表がジャカルタを訪問し、レンドラ会長や、他のペンの中心人物と会い、獄中作家委員会の活動について説明する。
3)ラトナ・サルンパアエットは、そのためのおぜん立てをする。

いずれにしても重要なのは、彼女がインドネシアでレンドラ現会長との関係を修復し、獄中作家委員会をつくる中心人物になることに同意したことだ。アメリカ・ペンのダイアナ・シェンカーと日本ペンの芝生はこの件を各獄中作家委員会に持ち帰り、協議することになった。
ちなみにラトナ・サルンパアエットは劇作家で女優であり、スハルト政権を批判したことから弾圧され、政権末期に短期間投獄された。現政権の軍部も彼女を脅迫したり、活動を妨害しているという。彼女は日本のアジア人権基金賞を受け、日本でも彼女の劇は上演されている。
2 次期国際ペン獄中作家委員長の訪日、訪韓について:
次期委員長のユージン・ショールジンは10月に訪日・訪韓を希望しており、その協力を要請された。訪韓の目的は、韓国ペンに獄中作家委員会をつくることを働きかけるため。
3 ロシアのパシコ記者の釈放について:
ロシアペンのアレキサンドル・チャチンコ(詩人)から、地域間のセンターの協力について、次のような発言があった。
「地域間(regional)のセンターの協力が重要であることは、ロシアの軍属記者 パシコの釈放をかちとる上でのロシア・ペンと日本ペンの協力に見られた。」
原潜の使用済核燃料の日本海投棄についての情報をNHK、朝日新聞に提供したパシコに軍事裁判所は、国家反逆罪については無罪を言い渡した。(職権乱用罪では禁固3年の判決を言い渡されたが、すでに拘留されていたことから、恩赦が適用された。)
この裁判のために、チャチンコは10ヶ月のあいだに6回もモスクワとウラジオストックのあいだを往復したというが、裁判で、日本ペンからの抗議書面が非常に重要な役に立ったというのである。(この書面は1999年1月22付け、生島委員長名でエリツィン大統領、外務大臣、太平洋艦隊軍事検察長官、ロジア共和国検察庁長官、ロシア共和国連邦保安局長あてに出されたもの。)
チャチンコによれば、この書簡は法廷で提出され、チャチンコも証言のなかで、そのことに触れ、国家反逆罪無罪を勝ち取る重要な材料になった。(ちなみにこの事件にかかわったNHK、朝日新聞がパシコ弁護の積極的キャンペーンをおこなっていないことに対し、ロシア国内では批判があった。1998年10月21 日付けモスクワ・タイムズ紙など。)
会議の席の外で、この件についてチャチンコより、日本ペンの出席者に対して感謝された。そのさい、チャチンコは次のようなエピソードも明らかにした。パシコ記者が弾圧された本当の理由は、廃棄物の日本海投棄ではない。ロジア軍部の汚職について重要な情報を持っていたからだ、というのだ。それによると、ウラジオストックを本拠港とする海軍の、中古の空母が、民間に払い下げられたが、そのさい一千万ドルが支払われており、その差額がどこへ行ったかが不明だという疑惑だ。拘束中のパシコ記者の自宅から、その未発表の原稿が見つかり、奥さんからそれを手渡されたチャチンコは、それをもとに記事を書き、それがロシアの全国紙のトップで報道されたという。それに先立って、疑惑の中心人物の海軍提督は "疑惑もみけし"のため解雇されていたという。この情報につき確認作業は行っていない。
4 国際ペン獄中作家委員会の財政難について:
現在、国際ペン獄中作家委員会は1万4千ドル(約1500万円)の予算で活動しているが、資金源のカットなどにより、現状の活動を継続するためには財政難に陥っている。
このため、次期委員長は資金集めなどについて、積極t的な活動をおこなうことを表明し、各センターの獄中作家委員会に協力を要請した。
5 国際ペン獄中作家委員長、ロンドン本部事務局、各センター・獄中作家委員会の役割について:

この会議で、国際ペン獄中作家委員長、ロンドン本部事務局、各センターの獄中作家委員会の役割と権限、関係がはっきりしていないことを指摘した。
ところが、会議の最終日に、ロンドン事務局と国際ペン事務局長が、前夜作成したという文書(定款のようなもの)が提出された。これを採択し、2ヶ月後の国際ペンモスクワ大会で正式の文書にしたいという。
これについては異議をとなえ、各センターの獄中作家委員会に持ち帰り、充分な討議の後に、採択されるべきであると提案した。
ロンドン本部事務局は、期限を延ばし、充分な討議の後、2001年の国際ペンマニラ大会で採択したいとして、了承された。