活動記録・レポート

日本ペンクラブ講演会 いま「戦争と平和」を考える(2001年)

日本ペンクラブ主催
2001年12月18日(火) 東京新宿・紀伊国屋ホール

 衝撃的な国際テロ事件、それに端を発するアフガニスタンでの戦争、さらに深刻な状況を呈してきたパレスチナ問題。「こうした状況を私たちはどう捉え、どう行動していくべきか」という問題提起の形で、会長・副会長が一堂に会した、日本ペンクラブ主催による講演会「いま『戦争と平和』を考える」が、12月18 日急遽開催された。会場は東京新宿・紀伊国屋ホール(定員415名)。「こまつ座」の芝居の、公演のない夜の時間を、舞台装置はそのままということで拝借した。上演中の作品は井上ひさしさんの「連鎖街のひとびと」で、これが偶然、終戦直後の旧満州・大連のホテルの地下室という、まさに今回のテーマには打って付けのステージ。超満員の中、幕は上がった。

 講演会は、下重暁子常務埋事のさわやかな司会のもと三二好徹副会長の開会挨拶を皮切りに、井上ひさし副会長、加賀乙彦副会長、瀬声内寂聴副会長が講演、最後に梅原猛会長がこの日の総括と閉会挨拶をされ、滞りなく終了した。以下は講演の内容の、抜粋要約である。


▽ 三好徹副会長 今日は寒いところを、こんなにおいでいただきまして、大変感謝しております。私は、このテーマが決まりましたとき、真っ先に思い出しましたのは、1984年東京で国際ペン大会が「核状況下の文学」というテーマで開催されたときに、イギリスの作家アラン・シリトと交わしたやりとりです。彼は「核時代であろうとなかろうと、小説家というのは、これはいいと思ったものを書くのが使命だ」と発言しました。それに対し私は「どんな傑作・名作を書いても、それを読む人が地球上からいなくなっては、しょうがないではないか」と言った記憶があります。

 それらのことがきっかけとなって、平和について考える必要があるということから、このとき世界のペンクラブで「平和の日」が作られました。以来、日本も毎年1回3月に客地で「平和の日」の催しをやっています。

 1988年5月ソビエトに行き、ソ連の戦勝記念日にレニングラードの記念広場を訪れたときの体験も、印象に残った出来事です。片足不自由の人が我々のそばに近付き「自分の隊は200人のうち3人しか生き残らなかった。本当に平和はいいもんだ」と言いながら、滂沱たる涙を流したのです。

 現実の世界は平和ではなく、ニューヨークテロもありました。テロは卑怯な行為でもちろん弁護は出来ませんが、それに対する日本政府の反応というのも、これは私の個人的見解ですが、好戦的というか、戦争に協力的というかそういう方向に進んでいるように思えます。

 最近ロンドン大学のドナルド,ドーア先生がお書きになっていますが「テロは憎むべき行為だが、アメリカの反応がどうも行き過ぎではないか。数干人のタリバン兵を相手に新式の爆弾の雨を降らし、一方的でとても対等とはいえない。ヨーロッパでは、アメリカをたしなめた方が良いのではないかという議論が起こっている」と。

 最後にもう一つ。憂えるというと少しオーバーですが、世の中に、読者にとって確かめようのない情報が、あまりにも多く流れているということ。しかもその根拠となっているものが、一方的にアメリカの情報であると、そういったことを非常に感じてます。ですから報道も右往左往するばかりで、報道自体に定見がない。こういう定見がない時代というのは、日本にとっては太平洋戦争前の一時期がそうでありまして、再びそういうことがあってはならない、あってはまた困る、というふうに私どもは考えております。

 今日の講師はもちろん、一人一人考え方は連いますが、基本的にはそういうスタンスに立っていますので、そのあたり御理解いただいて、聞いていただければありがたいと思います。


▽井上ひさし副会長 今やっている芝居について少し述べておきますと、舞台は昭和20年の8月で、大連がソ連軍に占領され厳しい軍政下に置かれたとき、当時大連にいた26万人の日本人がどういうふうに暮らしていったかというのが、そのあらましです。

 その時、重光葵外務大臣は、内地も大変だからと一言って、その日本人をすべて見捨ててしまいます。つまり国家というのは、土壇場になると国民の面倒を一切見ないと、これが本質なんですね。官僚たちは自分の延命策ばかり考えていて、国民のことなど考えてくれない。今と同じです。

 今回の問題ですが、私が言いたいのは、アメリカは自分がすごく嫌われている国だということを、少し知った方が良いということなんです。アメリカはよく「ならず者国家」といいますが、実はならず者国家を否定しているアメリカ自身がならず者国家だということを、少し知った方が良いと思うんです。その証拠は、沢山あります。

 一つは、特にここ数年、アメリカは国際連合を非常に無視しています。国連は、20世紀の人類の悲願である世界を裁く機関、つまり国家よりもう一つ上の普遍的な組織を作ろうとして、各国が国の主権を少しずつ提出して、それを束ねたものです。

 それなのに、世界の二酸化炭素の排出量の20%を出しているアメリカが、京都議定書を一方的に離脱しています。そして対人地雷禁止条約も拒絶、包括的核実験禁止条約も一方的に拒否、弾道弾禁止条約からも離脱、ユネスコからも脱退しています。国際連合に対する25%の分担金も、アメリカはきちんと払っていません。アメリカは国連なんか頼らず、自分たちが世界を仕切ってやろうと思っているのです。つまりアメリカは、いろいろな国が世界をなんとかしようといっている中で、一方的に背を向けているのです。

 そんなアメリカに対し、国内でもいろいろな反対運動のケースが起きていますが、1つだけニューズウィークに載っていたボストン大学のメリー・ホワイトという人の文章をご披露して、終わらせていただきます。「アメリカは良い国だ。ただし、奴隷制、先住民族の抑圧、日系人の強制収容、無差別空爆、原子爆弾の投下、そしてベトナムでのおぞましい過去を別にすれば」

 日本についても言ってくださっています。

「日本は実に良い国だ。ただし、台湾朝鮮併合、満州国のでっち上げ。南京虐殺、沖縄の人々やアイヌ民族への抑圧。在日韓国・朝鮮人や部落民への差別、従軍慰安婦問題を別にすれば」

 私たちの今日の講演会も、一見日本に対する批判のように見えますが、今政府のやり方を批判することが、本当に国を思う気持ちであり、愛国心であると、私は思います。


▽加賀乙彦副会長 戦争に対しノーと言おうじやないか、というのが私たちの気待ちです。日本は不戦の誓いを立て、今まで戦後50年戦争をやらなかったんだから、守って行こうということです。とにかく、戦争はしない、人は殺さない、人を殺す軍隊は待たないでおこう、と。

 ところが、この3ヵ月位の間に、あれよあれよという間に、それが崩れさろうとしているので、私たちは黙っていられないと心の底から思ったのです。

 私はいろいろな小説を書いてまいりましたが、その中で強く思いますのは、戦争は1度起こってしまうと、歯止めがきかないということです。アメリカは、真珠湾で日本軍によって2,800人殺されたため、リメンバーパールハーバーという標語の基に日本に宣戦布告して、結局日本人を350万人殺してしまいました。

 戦争中、私は何がいやだったかというと軍事訓練ですね。運動神経がなくって、何をやってもとにかくドジな兵隊でしたから。要するに、若い兵隊にとって、戦争というのは肉体の苦しみ、苦痛以外の何ものでもない、というのが私の実感です。

 特殊部隊を舞台にしたアメリカ映画を最近3本見ました。「タイガーランド」と「フルメタルジャケット」そして「地獄の黙示録・特別完全版」です。どれも著者たちの苦しむ姿や、戦争の悲惨さをあますことなく描いています。つまり、アメリカ人の中でも心ある人人は、戦争を起こしたらどうなるかということが、よくわかっているということなのです。

 テロ事件が起こったあと、私が一番、びっくりしたのは、ブッシュ大統領がアメリカの上・下院全議員の前で行った演説です。私はあれを、翻訳でなく、本物を取り寄せ、じっくり読んでみました。ブッシュ氏は、テロリズムに対してアフガニスタンを攻撃しなければならないと言ったあと、こう言っています。「このアメリカの正義の戦いに参加しない国は敵だ」。しかもブッシュがそう言った途端に、アメリカの議員は、たった1人の女性議員を除いて、総立ちになって盛大な拍手を送ったのです。それも私はビデオで確かめてみて、あーなんかこれは怖いことが起きてるんじゃないだろうか。戦争というものはこうして始まるんだなあと、つくづく思いました。

 この女性議員がいたことは、私にとって大きな救いでしたが、その後アメリカは、自分たちは安全なところにいて攻撃を開始し、アフガニスタン人どうしで戦わせます。そして無差別爆弾を始め、一般市民をも巻き添えにしていきます。ビンラディンを捕まえるまではという正義のため...。

 日本人は戦後、まだ死霊たちが、もう戦争はいやだと語っていた時代に、納得して平和憲法を採択したのだし、それは決して間違っていなかったと思います。戦争反対、平和絶対、固際紛争の解決のためには一切武力を使わない。これは、私たちの切なる願いであり、死者たちの声でもあったはずです。

 それを今、多くの死者たちの声に反して、また戦争に加担していっていいのか。私は絶対に、声を大にして「否」「そうじやないよ」と言いたいのです。


▽ 瀬戸内寂聴副会長 私は生まれたときからほとんどが戦争中でした。女学校のときは、兵隊さんの玉除けになるというので「千人針」を作った経験もあります。戦場の兵隊さんを偲びましょうというわけで、週に一度は必ずおかずなしの弁当にするとか、とにかく忠君愛国で育てられまして、私は今は不良でございますが、昔は非常に優等生の真面目な女学生でしたので、それを守り、本当に信じて育って参りました。

 終戦のときは北京にいて、生後一年もたたない子供をかかえていましたが、

「それまで日本人が中国人にひどいことをしていたので、絶対報復される」

と思って、その晩は眠れませんでした。ところがその翌日、門を開けて外を見ると、前の家の壁に「仇に報いるに恩を持ってす」と漢文で書いてある真っ赤な短冊が、いっばい張ってあったんです。私はへなへなとその場に座ってしまいました。このような国と戦ってですよ、日本が勝つはずがないと、そのとき初めて私は、我々が戦っていた戦争の愚かさというものがわかりました。そして、私の受けてきた教育がいかに愚かであったかを思いました。そのときから、私の人生は一度変わったわけです。私は今までの自分の思想を捨てました。

 母親と祖父が防空壕で死んでいたというのを知ったのも、翌年6月に帰国したときでした。そういうことで、戦争の思い出というのは全部つまらない、いやな思いしかありません。ですから私は、これからは教えられたことをうのみにするのではなく、優等生はやめようと。自分の手で探って、自分の肌で感じて、自分の心で見、感じたことを守っていこうと思って不良になったのです。

 10年前、湾岸戦争が始まりました。その時私は70歳でございましたが、多国籍軍の報道というものが信じることが出来ませんでした。昔の大本営発表という例もありましたから、とにかく疑り深くなっておりまして、本当はどうなのかと、自分の目で確かめるべく、戦争が終わった直後、向こうに行きました。

 その前に、私は出家していましたので、とにかく「殺すなかれ、殺させるなかれ」という釈迦の教えをですね、せめてそれ一つでも守らなくてはいけない、殺す人も止めなくてはならないと思って、どうやったら祈りが通じるかと考えた結果、これは命をかけるしかないと思い、断食をしました。7日目に倒れ病院へ行きましたが、幸いその2日後に湾岸戦争は終結しました。

 そのあとでですね。集まった義援金700万円に自分のお金を加え、1,500万円持って、子供たちや被災した人たちに、薬を買って行こうと思い立ち、現地に行きました。そのとき現地の人に会って、いかに報道が間違っているか、誤爆と言っているが、そうではなくきちっと爆撃していたんだ、というようなことがよくわかりました。

 アンマンで薬を買ってバグダッドに届くように手配して、我々は先に現地へ行ったんですが、その薬がなかなか来なくて困りました。一週間いて帰ることになったのですが、まだ届きません。お金をいただいた人に報告をしなくてはならないので受取を書いて欲しいといったら、現地のお医者さんは、薬がこないのに受取を書いてくれたんです。この人たちは本当にすごいと思いました。薬は後日届き、どんなにたくさんの人が助かったかと、お礼が来ましたのでほっとしました。

 今回のアフガニスタンの事もそうですが、とにかく情報を全部うのみにしてはいけません。自分で情報を選別する知恵を養うことが大切です。

 戦争をする人は必ず、この戦争は正義の戦争だと言いますが、聖戦とか正義の戦争なんてありません。すべて戦争は悪です。人殺しです。これが私の言いたかった事です。みんなが力を合わせて、戦争はいやだと言うこと、それが一番大切だと思います。


▽梅原猛会長 私はもう言うことないですね。いかがでしたか。すばらしい講演会だったでしょう(拍手)。

 文学者というのは、個人のことを語りながら、やはり社会のことも語らなくてはならない。だから文学は、個人を深く見つめるような文学でなくてはならないけど、やっぱり社会に関心を向けない文学は駄目だというか、むなしいものになると、私は考えています。

 私は断食をされているときに瀬戸内さんを訪ねて行きましたが、そのとき瀬戸内さんから後光がさしていて、本当に仏さんになっているような気がしました。瀬戸内さんは大乗仏教ですが、愛欲が強い人ほど悟りを得られるといわれる通り、瀬戸内さんは人一倍愛欲の強い人ですからね(笑)、それを越えて仏さんになっていると感じました。

 私の戦争体験を話しますと、私は高校時代ですから、戦争に懐疑を持っていました。待っていたんですけど、その私がですね。不思議なことには、特攻隊を志願したんです。今から考えれば、どういう気持ちで受けたかわからない。戦争は嫌ってましたからね。だけど、もう破れかぶれだという、毎日毎日悩む、こんな悩みはいっそやめて、戦争に行って早く死んでしまった方がいい、そう思って父に黙って受けたんです。結局、口頭試問で引っ掛かって駄目だったんですけどね。空襲も名古屋にいたとき、遭いました。

 私共の世代は、靖国神社に行った人と特攻隊に行った人といるんですがね。お国のために死にたい、家族のために死ななくてはならないとは思っていたけど、でも心の中は千々に乱れていた...。そういうのを知っているから、だから私は素直に参れないんですね。東條さんもいるしね。そこへ小泉首相は、絶対戦争はしませんからと参っている。靖国へ参るなら熱慮しなければならない。そして、行ったためにどれだけ中国や韓国との間が悪くなったか、考えてもらいたいのです。

 私は、非上さんや加賀さんの話からも、アメリカがおかしくなっていると思います。小泉さんは同情して、アメリカがやることは何でもやりますと言ったんですけど、日本も空襲や原爆でひどい目にあってますからね。やはりいっぺん原爆を謝ってもらってからアメリカに協力するとか、考えでほしいのです。

 私は、どちらかというと保守的な文化人と見られていますが、私の思想は戦争反対、そして私の書いたものは、全部弱者の立場から歴史を考えるというのが、一貫した方針です。だから今度の事件も、弱者の立場に目がいきます。日本は変わって行く、という不安はあるけど、我々は平和のために戦ってきた、言うべき事は言ってきたと、そういうはっきりした確証を残して、この世を去りたいと思っています。今日はどうもありがとうございました。

以上が講演の要旨だが、最後に、この日司会進行役として、講演者の紹介とその折に短いコメントを加え、会場に心地よい風を送られた下重暁子常務理事のお話についても触れておく。

 下重さんは、登場されるごとに、自分がイスラム社会で半年間生活した経験からということで、ほんのちょっとした一光景から、アラブ地域の人々の真の姿や時間の観念の違いなどを、さりげなく伝えられたのだが、それが緊張していた聴衆の心をほっと和らげ、会場にしばし癒しの空間を生んでいたからである。

 たとえば、タタシーでオアシスに連れていってもらったときのこと。下重さんは「籠売り」から、ねぎってねぎって籠を安く買い、得意満面であった。ところが、タクシーの運転手は同じ「籠売り」から、黙って言い値で買った。下重さんは不思議に思い、「どうしてっ」と聞いた。するとその運転手はこう答えた「籠売りは、私より貧しいから」。顔から火が出るほど恥ずかしかった、と。

 また、ラマダン(断食)は日が沈んだら一斉に食事を始めるので、食事もおいしく感じられ、これは、神からいただいた物がこんなにありがたい物だ、と感じさせる宗教の深い知恵であるとか、そういうお話である。             


 緊張感ある話や納得のいく話、そしてユーモアも交えたこの日の講演会。聴衆の方々が、すべて終了しているにもかかわらず、ほとんどその席を立たず、もっとお話を聞きたいといった様子で、いつまでも余韻に浸っていたのもまた、印象的であった。


文=広報委員会委員ととり礼治