活動記録・レポート

「人権の集い2000」

日本ペンクラブ主催
後援 朝日新聞社・森林文化協会
2000年 7月1日(土) マリオン・スクエア(東京有楽町)

「水」を共通のテーマに女性の人権と環境について考える。
 7月1日(土)午後2時より、東京有楽町のマリオン・スクエアにおいて日本ペンクラブ主催の「人権の集い2000」が朝日新聞社・森林文化協会の後援で開催された。
第一部「女性とセクハラと水」(女性作家小委員会担当)、第二部「日本列島水事情」(環境小委員会担当)の二部構成で女性の人権と環境について考えようというのが今年の企画。
 司会は人権委員会委員長の高橋千劔破理事。
 加賀乙彦副会長が、会場をほぼ埋めつくした参加者を前に、「日本は世界一の長寿国でありながら女性の人権は先進国の中で最下位の25位、開発途上国よりも下。日本の女性は世界一長生きをして世界一苦しむという気の毒な状況にある中で、女性の人権は大きな問題である」と挨拶。


[第一部 女性とセクハラと水]

 第一部は、笙野頼子氏と巽孝之氏による対談(問題提起)の後、笙野頼子、秦澄美枝、入江曜子、小谷真理、巽孝之5氏によるパネルディスカッションという構成で進められた。
 対談に先立ち、三枝和子女性作家小委員会委員長が、「女性の人権問題の根源を探っていくと水の汚染につながる」と一見結びつきにくい女性問題と水というテーマについて補足し、対談者を紹介した。
 笙野頼子氏は作家。著書に『極楽』(1991年群像新人賞)、『タイムスリップコンビナ ート』(1994年芥川賞)など。
 巽孝之氏は慶應義塾大学教授(アメリカ文学専攻)で評論家。後に登場の小谷真理氏のパートナーである。
 初めに巽氏が、「笙野氏は昨年、純文学の世界における売り上げ文学論に対する闘争の記録という形で著書『ドンキホーテの「論争」』を出版。一方、私は SFのような文学サブジャンルの中でも文学売り上げ論のようなものが勃興したのをひとつのきっかけに、編著『日本SF論争史』を出版し、二人とも何らかの形で論争に関わっている。また、パートナーである小谷真理のペンネーム事件で現在テクスチュアルハラスメント(以下テクハラ)にも巻き込まれている。売り上げ文学論やテクハラがおこってくる背景が、笙野氏の考えと我々の体験が深いところで繋がっていると感じた」と、二人が対談をすることになったいきさつを述べたのを受け、笙野氏が小谷氏のペンネーム事件について、「才能のある評論家がたまたま女性だったことから、それを男性(パートナー)の手によるものとした発言は、女性に何ができるものか、女性特有の仕事はないという思い込みのもとに流された言説である。こういうことはよくあること」 と述べ、自身もデビュー作が男性的な文章だったことから男性のゴーストがいるに違いないと言われた経験を語った。
 さらに話題を文学売り上げ論に向け、「人は作品を読みもせず、純文学は売れない、SFはくだらないと言うが、これは騒ぐことの好きな一部の悪しきマスコミがそのように書くからである。作品に興味がなく、仕事に飽きた人間が一人目立ちたいために、ある日突然ひとつのジャンルを叩きはじめる。このようなことが、純文学、SFの二つのジャンルに同時におこったということは恐ろしいと思った。反論の声をあげたとしても彼等はそれには直接答えず、こちらが反論を止めたとたん別のメディアで同じことを繰り返す。繰り返されるうちに実態のない間違った認識が植えつけられるのである。そのように純文学やSFを叩く人たちは内容が読めないがために、売れるか売れな いかで作品の価値を決めるのである」と、明解に分析。
 さらに、マスコミの女性に対するステロタイプなイメージが自身にとっていかに切実な問題であるか、純文学は売れないからダメだと言う人が女性作家について発言するといかにくだらないことを言うかを実例をあげて示し、「こんなレベルの低い人たちが純文学はダメだとか『作家の値うち』などと言って作家に点数をつける。中にはどう見ても作品を読んでいないとしか思えなかったり_.」と述べると、巽氏も、「読まないで評論をしていることはよくある。売れない、女性差別、活字メディア自体がダメだというようなことは一種の三題噺であり、話題がない時に場つなぎに反復的に出てくること。笙野氏の話はその実例のように聞いた」と述べた。
 笙野氏が自身が受けたテクハラの例を実名をあげて示し、売り上げ文学論とテクハラがあまりにもリンクしていると述べると、巽氏も、「ある評論家に、小谷のペンネーム事件を裁判にまで持っていったことを批判され、金が欲しいなら本を売れと書かれた。大元のテクハラを売り上げ文学論に持っていく、金か性差別か、その両極しかないというのが面白いと感じた」と同調した。「今、日本文学は世界に注目され、流れがどんどん変わりつつある。そんな時にいちばん中心的なのは女性についてである。新しい流れについて行けない人、男は強くなければいけないとか威張っていなければいけないなどと思っている人が言うことといったら、売れる売れないということと女性作家をバカにすることなのである」と、笙野氏が痛烈に批判したのを受けて巽氏が、「読まないであれこれ物を言う人に対し、我々はとにかく書くことで自分の世界を守らなければならない」と結び、およそ30分にわたる対談を終了した。
 引き続き、文芸評論家の与那覇恵子氏のコーディネートによるパネルディスカッションに移る。
 初めに、文芸評論家の小谷真理氏が現在裁判中であるテクハラに関わる問題を発言。
 テクスチュアルハラスメントとは、文章(テクスト)上における性的いやがらせで、女性文芸者の作品を見るときに、その容姿がどうだとか、女性だからどうだというように、女性のステロタイプを重ねて作品の中味まで評価する態度のことである。あサブカルチャーの辞書の類に、自分の書いたものを夫がペンネームで書いたものだという記事を書かれ、それに対して現在裁判中である。これは単なる批評云々の問題ではなく、人権侵害の問題である。この裁判の過程でもっとも驚いたのは、このような問題は女性には理解されるが、男性には、裁判官にさえ理解されにくいということ。 また、このようなことはクリエイトする女性たちが割と頻繁に受けていることが分った、と述べた。
 続いて、日本文学研究者の秦澄美枝氏が教育研究の場でのセクハラについて報告。
 氏は、東京地裁に訴状を提出したばかりの清泉女子大学の学生たちに対するセクハラについて、さらに、学生たちを擁護したことで自身が被ったアカデミックハラスメント(以下アカハラ)について詳細に報告し、教育現場でのセクハラは自由に学び平等に評価される権利が侵害される不利益(アカハラ)と表裏一体の問題を含む重大な人権侵害であるにもかかわらず、教員と学生の立場関係の不透明さ、大学の閉鎖性のためにその本質が明確化され難い。特に大学院においては教員の権力は絶大である。教育研究に携わる者にとってアカハラは非常に本質的な人権侵害であるというところに理解が得られれば、と訴えた。
 次に作家の入江曜子氏がセクハラの根源にある女性蔑視の社会的背景について発言。「男と女は人として同じであるが、その役割は自ずと分かれている。すなわち、国、社会、家を安全に保護するのが男の役目、家庭を楽しく和やかにし子供を育てるのが女の役目である」という男性優位の封建社会の社会通念を都合よくないまぜにしたものが、近代日本が位置づけた女性の地位であった。女性が自由になった現代、女性に対する性の優越感を失ったことによって苛立ちを感じている男性社会のひとつの流れを感じる。セクハラが、女性を性的に所有する、所有したい、所有している人に対して嫉妬するというような性的な形を借りて現れていることに注目したい、と述べた。 以下、各氏の発言。


笙野 マスコミのステロタイプなイメージと対抗していくために個人の言葉で切実に書いて行きたい。

入江 秦氏の裁判を見守って行きたい。

与那覇 さまざまな形で問題が出てきたが、その背後には女性を不浄のものとして見る宗教が大きく関わっているのではないかと感じた。

小谷 黙ってしまわずに書き続け、考え続けていくことが大切。名前を取り戻したら批判に対してペンで答えていくつもり。

入江 夫婦で執筆活動をしている場合、女性がペンネームを使うことが多いのは、カップルで活動している女性が被る損というものを如実に知っているからだ。

秦 真の愛を説くキリスト教の修道会を母体として創立された学校で今回のような問題がおこったのは残念である。

 アメリカから参加したという女性が、アメリカの大学では男性も女性も教壇に立つ者は必ず一度はセクハラのワークショップに参加すると発言。
最後に三枝委員長が、中世には女性が出産時の出血や経血で水を汚した罪で地獄に落ちるといった「血盆経」が流行したが、水を、環境を汚したのは女性ではなく男性 社会であるということで、第二部につなぎたいと述べ、第一部をしめくくった。

(文=広報委員会委員・五代香蘭)


[第二部 日本列島水事情]

 高橋千劔破・人権委員会委員長の司会で、山村レイコさんの基調講演『水の列島を 旅して』、それに標題のディスカッション。参加者は山村さんのほか高良留美子さん、 西木正明さん、菅生雅文さん。


○基調講演 山村レイコ『水の列島を旅して』

「私は18歳で日本一周のオートバイ旅行を始め、数多くの出会いを経験した。いちばんショックだったのは、どこへ行ってもゴミだらけの海を見たことだったが、その頃はあまり深く考えなかった。29歳の時初めてアフリカの砂漠を経験して少しずつ教え られることがあった。それが水の大切さだった。 6年前、私は自分の食生活を基本から考え直そうと、富士山麓の朝霧高原に住んだ。ここでの暮しは自然の摂理を実感することができ、素晴らしいバランスに恵まれたと 思う。
しかし、いま富士山は猛烈に怒っている。ここの水がひどい汚染に見舞われているのだ。その原因は開発、観光、酪農。つまり今日の日本をそのまま映す諸要因である。 このままでは富士山の明日はない。日本の明日もないだろう」

山村レイコさん=18歳からバイク旅行、29歳でパリ・ダカに出場。著者に『砂の子』 ほか。


○ ディスカッション  高良留美子、西木正明、山村レイコ/コーディネーター・ 菅生雅文
『日本列島水事情』

高良 日本の古典の詩歌の中で、水に関わる作品の頻度は予想以上に多い。万葉集の最初の百首を調べたら、水に関する歌が36ぐらいあった。新古今集にも水に関する秀歌が多いし、芭蕉に至っては水の詩人といってもいいほどだ。日本人は本来、水を敬い、恐れる気持ちを持った民族なのだ------高良さんは数多い実例をあげたが、ここでは省略。

西木 秋田の山村で育った私にとって、川は最高の遊び場だったが昔のような深山幽谷はいまやなく、どこへ行っても砂防ダムばかりが目立つ。これこそ自治体と建設業 者の癒着の象徴だろう。菅生 私は盛岡の出身だが、子供の頃すでに川は危険なものとされ、遊びの場ではなかった。いまバイクで各地を回り、水のことを知りたいと思うが、林道にバイクは入れてもらえないことがおおい。

山村 水を汚すいちばんの原因である生活廃水や観光地の産業廃棄物のすさまじさはいうまでもないことだが、酪農のふん尿も、飼料の成分が昔とは全く違ってとても食物連鎖の対象にはならなくなっている。

高良 今の詩には水を詠んだ作品が少ない。それは日本人からうるおいのある湿潤な 感情、つまり「叙情」が失われつつあるからではないだろうか。戦後、詩歌の世界では、とかく叙情性より合理性がよしとされる傾向があったが、これをもういちど取り かえさなければならないと思う。

西木 全く同感だ。

菅生 もの書きとして、できることをひとつずつあげると_..。 山村 傷付いて、気付いて、築く、という言葉がある。これこそ、もの書きの仕事だろう。 高良 戦後、叙情を廃してきた傷に気付き、過去にさかのぼって考え直したい。

西木 水への恐れを、どうしても伝えたい。


高良留美子さん=詩人、評論家。H氏賞、現代詩人賞など。評論集『高良留美子の 思想世界』。
西木正明さん=作家『凍れる瞳』(直木賞)、『夢顔さんいよろしく』など。
菅生雅文さん=紀行作家。オートバイを通じ環境問題を考える。著書『気付けば風 が吹いている』など。

(文=広報委員会副委員長 高畠二郎)