2011活動報告

2011年第9回訪中団 10月24日~10月30日 北京・大連・上海を訪問

17回日中ペン文化交流事業

 

2011年第9回訪中団

 

団長 下重暁子 日本ペンクラブ副会長

 

団員 

吉岡忍  日本ペンクラブ専務理事

野上暁  日本ペンクラブ常務理事・「子どもの本」委員会委員長

森絵都  日本ペンクラブ理事・「子どもの本」委員会副委員長

鈴木康之 日本ペンクラブ広報委員会副委員長

 

テーマ「災害と文学」

 

北京10月25日北京作家協会との懇談会.gif(北京)

 今年度訪中団の、下重暁子団長以下、吉岡忍、森絵都、鈴木康之、野上暁の5人は、10月24日の12時半、ほぼ予定通りに北京空港に到着した。空港には日本ペンではおなじみの日本語が堪能な、中国作家協会対外連絡部所長の李錦琦氏が出迎えてくれた。

 

翌25日午後4時、中国作家協会本部へ。9階建てのビルの玄関を入ると、正面に魯迅の像が飾られている。このビルの中には出版社なども入っているが、作家協会だけで90人の職員が働いているという。さすが国家がバックアップする約1万人の会員を擁する団体だけある。

一行は応接室に通され、4時から「災害と文学」をテーマにした日中作家会議が始まる。中国側は、高洪波作家協会副主席他4名の参加が予定されていたが、高氏が遅れるということで、李氏の上司で作家協会対外連絡部主任の劉憲平氏の歓迎のあいさつと中国側メンバーの紹介から始まった。

今回は特に日本に関心が高い作家に集まってもらったと前置きし、最初に紹介されたのは日本の作家たちとも交流が多い、日本文学研究会副会長で、翻訳家の陳喜儒氏。陳氏は日本語も堪能で、日本ペンの訪中メンバーとも度々会っているという。年齢順ということで2番目は蔣巍氏。小説家で詩人でノンフィクション作家でもあるうえに、書画にも秀でているという。次の王剛氏は、西部で過酷な生活を強いられた後、ビジネス分野でも活躍したという豊富な人生体験をしてきた実力派作家で、海外5、6か国で翻訳出版されている作品もあるという。いちばん若いシュウカドウ(漢字不明)氏は、雑誌『人民文学』編集主任で、昨年の日中交流で訪日したという。最後に劉氏は、通訳の李錦琦氏について、自分と一緒に海外関係の仕事を長年忙しくやってきたため、本来の翻訳の仕事ができなくて大損をさせてしまったとユーモラスに紹介した。

そして、これまで27年間、色々な国と付き合ってきたが、日本の作家との交流が最も深く、日本の作品の紹介が最も期待されている。このような交流は日本以外には無く、今後はもっと多くの作家を訪日させて交流を深めたいと述べた。

これを受けて日本側からまず下重団長が、今回の招聘の謝礼を述べた後、浅田会長からの親書を手渡し、10年前に当時の梅原猛会長に秘書役で同伴したときのエピソードを語る。そしてその後の中国の発展には目を見張るものがあると前置きし、今回は東日本大震災の後の状況を鑑み、災害と文学について忌憚のない話し合いができたらいいと提案。日本には災害を描いた文学が古くからあると「方丈記」を紹介する。

また日本側の参加者は全員何らかの形で被災地に入っているから、自己紹介を兼ねてその話をしてもらうということで、まず吉岡さんは、一昨年の「災害と文化」、昨年の世界大会での「環境と文学」の例などを挙げ、日本ペンが大きなイベントをやると必ず災害が起こるから、活動を辞めようかと思うと冗談を飛ばし笑いを誘う。野上は、「子どもの本」委員会が関わっている被災地での移動図書館バスや仮設図書館のことを、森さんは被災地でのボランティア体験やペットレスキューの話を、鈴木さんは、福島での被災体験とともに、自ら編集している「メタボゾン」を紹介し、原発事故の報告や文学との関わりを積極的に紙面に反映していると報告した。

日本側の報告を受けて、劉氏は、四川大地震の後も移動図書館が役立ったということや、作家協会メンバーを派遣してレポートさせたと報告する。蔣氏は小松左京の「日本沈没」を例に挙げ、日本人は自然災害に対して強い対応能力を持っていると語る。

陳氏は、前回下重団長が訪中されたとき、福建省で漢詩を即興で朗読されたエピソードを紹介され、「方丈記」の新訳が出たことを報告。

途中から高洪波副主席が見え、2008年の四川大地震の1週間後に被災地に行ったが、現地で活躍していた日本の救援隊に、設備も技術も一流で、大変感謝していると礼を述べる。

会談は2時間たっても終わりそうになく、会食の時間が迫っているということで取り敢えず終了し、協会本部のビルと通り一つ隔てた大江南酒店で歓迎の晩餐会。ここでもほぼ2時間に渡って友好裏に親密な交流がなされ、和気あいあいの実に有意義な会合となった。会議の後、児童文学作家でもある高洪波副主席から、日本側のメンバー全員に、最近出版されたという大判の絵本がプレゼントされた。(野上暁)

 

(大連)

中国滞在三日目、北京を後にして昼前には大連着。空港には大連市作家協会の素素さんが迎えに。彼女はエッセイストとして活躍していて、戦前の大連や旅順についても詳しい。このことがこれから二日間を実りのあるものになった。

昼食後、旧日本橋の先につづく旧ロシア人街を一巡り。南山街は、日本人高官、企業家の住宅があった場所。現在は日本風情が復元され観光地としてにぎわっている。

井上ひさしさんの戯曲「連鎖街のひとびと」の舞台になった、連鎖街は、大連駅のすぐ前にあった。今も昔ながらの飲食店や土産物店が所狭しと建ち並んでいる。

大連作家協会と大連賓館にて.gif大連の宿は、古く由緒正しい大連賓館(満鉄経営の旧ヤマトホテル)。夜は大連作家協会のメンバー、会長の宋延平氏以下、鄧剛氏、津子團氏、李英姿女史と会食。宋氏からは、「大連にペンクラブの作家の方たちをお迎えするのは初めてであり、この機会に大いに語り合い、友好を深めたい」という話があった。

 

 

 

 

 

旅順口区宣伝部長と会談地元TVの取材.gif翌日は、車で一時間余をかけて旅順へ。旅順口区役所に案内され、宣伝部長の張子財氏と会見。旅順を大いに宣伝してくださいと歓待を受けた。日清戦争、日露戦争の戦跡を次々と廻る。役所の日本語通訳の女性が同行し、詳しい説明が受けられた。午前中は、日露戦争の激戦地・東鶏冠山北堡塁、水師営会見所、日清戦争の万忠墓記念館を回る。

午後は、両親が日本に戻って生まれたという下重暁子さんの家族の住んでいた場所を探しに。素素さんたちの事前の調査もあって、家はすでになかったが、場所は特定することができた。崩れた煉瓦など当時のままだという。その後二〇三高地へ。旅順博物館は閉館時間を過ぎていたため見学はできなかったが、白玉山塔、旅順駅と回り、大連へ戻る。(鈴木康之)

 

 

(上海)

 上海へは28日午後に到着、空港にて上海市作家協会主任・陳賢迪氏の出迎えを受けた。所狭しと林立する高層ビルに目を見張りながら市街地へ。上海作家団との懇親会はその夜、市内ホテルのレストランにて催された。

 出席した上海作家は中国作家協会副主席、葉辛氏を筆頭とした錚々たる顔ぶれ。上海外国語大学の副校長でもある翻訳家の譚晶華氏、人気児童文学作家の周鋭氏、同じく児童文学作家の殷健靈氏、文芸誌「上海文学」主任の宋道金氏、そして陳賢迪氏の6名である。

 まずは下重団長が国際ペン・ベオグラード大会における中国代表の参加を評価した上で、「湯の中で花開く中国花茶のように、日中両国の作家交流が今後ますます豊かに開花していくよう、今後も取り組んでいきたい」との挨拶を述べた。

 それに応えて葉副主席も、「日本ペンと上海ペンとは以前より友好関係にある。国際大会への復帰に際しても、日本ペンから多大な関心と支援を受けたことを感謝している」との謝辞を返した。又、ベオグラード大会へ参加した2名について、「国際大会復帰の目的は、素直な意見交換によって各国代表に中国への理解を深めてもらうこと。高いチケット代金を支払って行くのに、サウル会長と少し話をしただけで怒って帰ってきてしまうようでは困るので、異なる意見にも耳を傾けられる代表が選ばれた」との内幕も披露された。「正直、いきなりの参加にはびっくりしたが、来てくれてよかった。来年は韓国での再会を楽しみにしている」と、吉岡副団長。

 作家同士の対話では両国の出版事情などが活発に語られ、「上海文学」と肩を並べる文芸誌「収穫」の発行部数(1012万部)を聞いた日本団から「羨ましい」の声があがる一幕もあった。又、児童文学作家からは「子供の本離れは深刻な問題。上海作家協会は学校と連携して読書の魅力を子供たちに伝えている」と、日本と共通した現状も語られた。(森絵都)